第3話:鬼教官の実技試験と、絶対防御の「お昼寝結界」
「……あぁ、本当にここは天国ね。学園生活の拠点として、これ以上の場所はないわ」
王立アカデミーの敷地の最奥に位置する『星降りの旧魔塔』。
かつては致死量の瘴気を放つ呪われた封印指定区域だったその場所は、今や完全に浄化され(私が床暖房代わりに魔力を吸収して寝たせいで)、私のための『特別思索室』という名の、誰にも邪魔されない至高のお昼寝ルームとして正式に認可されていた。
分厚い石の壁は、学園の喧騒を完全にシャットアウトしてくれる。
床一面に描かれた古代の魔法陣からは、微弱で心地よい魔力の余波(床暖房)がポカポカと湧き上がっている。
さらに、カヤが差し入れてくれた新作の『ひんやり魔力アイス』を口に運びながら、マイナが用意してくれた最高級の羽毛クッションに身を沈める。
入学式から数日。私はすべての座学の授業を「塔での深い思索(爆睡)」を理由に完全ブッチし、悠々自適な学園ニート生活を謳歌していた。
(このまま三年間、誰とも関わらずに塔の中で過ごせば、私の勝ちよ。卒業証書なんて、親の権力かテオの裏工作でどうとでもなるんだから)
私がアイスを頬張りながら勝利を確信していた、その時。
「――お寛ぎのところ申し訳ございません、ルセリア様」
いつものように、私の安息を打ち破る冷徹な声と共に、見習い執事のテオが塔の扉を開けて入ってきた。
「テオ……。今度は何? 私は忙しいのよ。このアイスが溶ける前に食べきらなきゃいけないんだから」
「お言葉ですが、お嬢様。本日は、どうしても塔から出ていただかなければならない『回避不能のイベント』がございます」
テオが、一枚の羊皮紙を差し出した。
そこには、『新入生合同・実戦魔導戦術評価試験』という、見るからに面倒くさそうなタイトルがデカデカと書かれていた。
「実戦……評価試験? なにそれ、聞いてないわよ。私は特別思索室で思索する許可をもらってるはずじゃないの」
「ええ。座学に関しては、学園長やアルベルト教授をはじめとする教師陣が『ルセリア様に今さら教えることなど何もない』と、全科目免除の措置をとってくれました。しかし……」
テオは少しだけ眉をひそめた。
「実技・戦闘訓練を担当する『実戦魔導科』の筆頭教官だけは、お嬢様の特別扱いを良しとしていないのです。彼の名はガラハッド。かつて帝国軍の最前線で魔獣と戦い抜いた歴戦の猛者であり、『机上の理論や、政治的な権威(公爵家の威光)など戦場ではクソの役にも立たない。実力は己の魔法で示せ』という、極めて頭の固い……いえ、実直な御仁でして」
(うわぁぁぁ……! 出たよ、前世の会社にも必ず一人はいた『俺の若い頃はもっと汗を流して働いたもんだ』ってマウントを取ってくる、体育会系の老害上司タイプ!!)
「そのガラハッド教官が、『ヴァロワの神童だか何だか知らんが、私の目の前で魔法を見せない限り、単位は絶対に認めん。退学にする』と息巻いているのです」
「……テオ。ギルかマイナを使って、その教官の弱み(スキャンダル)を握って脅すことはできないの?」
私が極めて黒い解決策を提案すると、テオは首を振った。
「清廉潔白すぎて、つけ入る隙がありませんでした。奥様を愛し、毎朝のジョギングを欠かさない、絵に描いたような武人です」
「ちっ……面倒くさいわね。健康的な武闘派が一番タチが悪いのよ」
私は舌打ちをした。
退学になっても私個人としては痛くも痒くもないが、万が一実家に送り返されたら、また両親が大騒ぎして「ルーセの才能を理解できない学園など潰してやる!」とか国家間の戦争みたいな騒動を起こしかねない。それも面倒だ。
「……分かったわよ。行けばいいんでしょ、行けば。適当に魔法の真似事でもして、さっさと帰ってくるわ」
私は重い腰を上げ、渋々ながら塔を後にした。
◇◇◇
王立アカデミー、第一野外訓練場。
そこは、見渡す限りの荒野を模して作られた広大なコロシアムだった。
観客席には、私の『実力』を一目見ようと、新入生だけでなく上級生や他の教師たちまでがすずなりになって押し寄せていた。
その闘技場の中央に、筋骨隆々で、顔に大きな十字の傷を持つ白髪の男――ガラハッド教官が、腕を組んで仁王立ちしていた。
「遅いぞ、ヴァロワの令嬢!! 貴様、戦場ならばとっくに魔獣の餌食になっている時間だ!!」
私が訓練場に足を踏み入れた瞬間、ガラハッドの怒声がコロシアム全体にビリビリと響き渡った。
「……うるさい。声が大きいおじさんは嫌いよ」
私は耳を塞ぎながら、気だるげに(本当に気だるいだけ)ため息をついた。
私の背後には、いつものようにテオが付き従い、さらに観客席の最前列では、コンラート皇子とヴィクトリアが「ルセリア師匠の御尊顔を拝せよ!」「お姉様の魔法が観られるなんて、歴史的瞬間ですわ!」と、相変わらずの熱狂的な信者ムーブをかましていた。
ガラハッドは、私を一瞥すると、鼻で笑った。
「ふん。顔色が悪いな。温室育ちの公爵令嬢が、塔の封印を解いただの、アグニ地方を開拓しただのという噂……。学園長たちは騙せても、この私の目は誤魔化せんぞ! どうせ、背後にいるその優秀な従者や、莫大な金で雇った魔導士たちにやらせた結果を、自分の手柄にしているだけだろう!」
ガラハッドの指摘は、ある意味において『世界の真理(大正解)』を突いていた。
(おおっ! このおじさん、めっちゃ話が分かるじゃない! そうなのよ、私は全部テオたちに丸投げしてるだけなのよ! 分かってくれたなら、もう帰っていい?)
私が内心で激しく同意し、ウンウンと頷こうとした時だった。
「無礼な!! ガラハッド教官、いかに貴官が英雄であろうと、ルセリア師匠へのその暴言は許さんぞ!!」
観客席から、コンラート皇子が身を乗り出して激怒した。
「殿下、お下がりください。私は教師として、生徒の『真の実力』を評価しているだけです」
ガラハッドは一歩も引かず、私の目の前に巨大な魔石を放り投げた。
「さぁ、ヴァロワの令嬢。貴様の力が本物だと言うならば、私の前で証明してみせろ!」
ズゴゴゴゴォォォッ!!
魔石が光を放ち、地面の土と岩を巻き込みながら、身の丈五メートルはあろうかという巨大な『土塊のゴーレム(模擬戦用魔獣)』へと姿を変えた。
「これは私が前線で使っていた、対軍用の防御特化型ゴーレムだ。並の攻撃魔法など傷一つつけられん。さぁ、このゴーレムをどう打ち倒すか……貴様の戦術と魔法の威力、たっぷりと見せてもらおうか!」
ゴーレムが、地響きを立てながら両腕を振り上げ、私に向かって威嚇の咆哮を上げた。
周囲の生徒たちから、「あんな巨大なゴーレム、新入生に倒せるわけがない!」「教官は最初から彼女を落第させる気だ!」と悲鳴が上がる。
しかし、私の心の中にあった感情は、恐怖でも闘争心でもなかった。
(……うるさい。そして、砂埃が舞ってて最悪だわ)
私は、目の前で吠える巨大なゴーレムを見上げて、ただひたすらに「不快感」だけを募らせていた。
私は塔の中で、静かにアイスを食べて二度寝する予定だったのだ。
それなのに、こんなホコリっぽい場所に引きずり出され、大声で怒鳴られ、巨大な泥人形に吠えられる。
私の睡眠環境(QoL)に対する、重大な侵害行為である。
「テオ。……あれ、片付けて」
私は極めて自然な動作で、背後のテオに丸投げしようとした。
「お待ちください、ルセリア様」
しかし、テオは一歩下がって頭を下げた。
「ここは実技試験の場。俺が手を出せば、あの教官はお嬢様を『実力なし』と判断し、明日からも面倒な補習に呼び出す口実を与えてしまいます。ここは一発、お嬢様の『御力』で、あの喧しいガラクタを黙らせてやってください」
(ちっ……テオのやつ、こういう時だけ正論を言って手を抜くんだから。有能すぎる部下ってのも考えものね)
私は大きなため息をつき、ゴーレムとガラハッド教官に向き直った。
「やればいいんでしょ、やれば。……でも私、攻撃魔法なんて練習したことないんだけど」
そう、私はこの12年間、ただの一度も「火を出したり、氷を飛ばしたり」するような攻撃魔法の訓練をしたことがない。
私が唯一、極限まで練り上げ、日夜研究を重ねてきた魔法。
それは『いかにして安眠を妨げるノイズ(親の小言、メイドの足音、外の馬車の音)を完全に遮断するか』という、究極のサボり(引きこもり)のための防護魔法だけであった。
「ふん、どうした! 詠唱すらできんのか! ならばこちらから行くぞ!」
ガラハッドが腕を振り下ろすと、巨大なゴーレムが地響きを立てて私に向かって突進してきた。
その巨大な丸太のような腕が、私の華奢な身体を粉砕すべく、容赦なく振り下ろされる。
「きゃぁぁぁっ! ルセリア様!!」
観客席の女生徒たちが悲鳴を上げ、目を覆った。
だが、私は逃げるどころか、その場にぺたんと座り込んだ。
そして、マイナに持たせていた『特製・低反発クッション(お出かけ用)』を地面に敷き、そこにゴロンと寝転がったのである。
「なっ……!?」
ガラハッドが驚愕に目を見開く。
私は、迫り来るゴーレムの拳を完全に見無視し、ただ「うるさい音と衝撃を消す」ことだけに全神経を集中させて、自分が開発したオリジナル魔法を展開した。
「展開。《絶対遮音・衝撃吸収・完全安眠結界》」
私の口から紡がれた、やる気の欠片もない呪文。
次の瞬間、私の身体を中心にして、半径二メートルほどの『半透明のシャボン玉』のような球状の結界が展開された。
それは、見た目は薄く、指で突けば割れそうなほど頼りない結界だった。
ドゴォォォォォォォォッッ!!!
ゴーレムの巨大な拳が、その薄いシャボン玉(結界)に直撃する。
訓練場全体が揺れるほどの衝撃。もうもうと舞い上がる土煙。
「ルセリア師匠ぉぉっ!!」コンラートの絶叫が響き渡る。
しかし。
土煙が晴れた後、そこに広がっていた光景に、コロシアム中の全校生徒、そして歴戦の勇士であるガラハッド教官の思考は完全に停止した。
「……ば、馬鹿な……」
ガラハッドが、震える声で呻いた。
訓練場の中央。
私の展開した薄いシャボン玉のような結界は、ヒビ一つ入ることなく、完全な球体を保っていた。
そして、その結界を殴りつけたゴーレムの右腕は、自らが放った凄まじい衝撃をそのまま『反射(反発)』され、粉々に砕け散っていたのである。
さらに異常なのは、結界の中の様子だった。
ゴーレムの拳が激突したというのに、結界の内部には振動一つ、音一つ伝わっていない。
私は、低反発クッションに頭を乗せ、スゥ、スゥと、まるで自室のベッドにいるかのような完全な無防備さで、心地よさそうに『お昼寝』を始めていたのだ。
「……あぁ、静かになった。この結界、やっぱり最高……。おやすみなさい……」
私が寝言のように呟き、寝返りを打つ姿が、半透明の結界越しにコロシアム中の観客に見せつけられた。
「な、なんだあの結界は……!? ゴーレムの全力の質量兵器を、たった一枚の薄皮のような魔力膜で完全に無効化し、あろうことか反発力で破壊しただと!?」
ガラハッドは、自分の信じていた魔法の常識が崩れ去るのを感じていた。
「物理防御だけではない。あれほどの衝撃と轟音が発生したにも関わらず、中の令嬢の髪一本、服の裾一つ揺れていない……! つまり、運動エネルギーと音波すらも、完全に『空間的に断絶』しているというのか!?」
ガラハッドの顔から、滝のような汗が流れ落ちる。
彼は、帝国軍で数え切れないほどの防護魔法を見てきたが、これほどまでに『完璧で、美しく、そして絶対的な防御』を見たことがなかった。
「……しかも、あろうことか。彼女はあのゴーレムの攻撃を前にして、目を閉じ、寝転がっている……!?」
ガラハッドの戦士としてのプライドと、長年の経験が、この「異常な光景」に対して勝手に答えを導き出し始めた。
(……そうだ。彼女は、私に教えているのだ)
ガラハッドは、震える足で一歩、結界へと近づいた。
(『真の防御とは、敵の攻撃に備えて身構えることではない。敵の存在そのものを脅威とみなさず、己の精神を常に絶対の静寂に置くことである』と……!
彼女のこの『睡眠』は、ただの怠慢ではない!
敵の殺気、質量、魔力……そのすべてを完全に読み切り、己の結界が絶対に破られないという『究極の自信と計算』があるからこそできる、神の領域の精神統一なのだ!!)
(違う。ただうるさいから音を消して寝たかっただけだ)
私の純粋な「サボり欲求」が、歴戦の武人の脳内で「究極の兵法」へと昇華されていく。
「見ろ……! あれがルセリア師匠の、絶対防御『不動の御姿』だ!!」
観客席から、コンラート皇子が立ち上がって絶叫した。
「敵の攻撃を前にして、己のペースを一切崩さず、あえて『眠る』ことで敵に絶対的な実力差を悟らせ、戦意を喪失させる! これぞ、ルセリア師匠がアグニ地方で魔獣の群れを平定した(※してない)究極の戦術!!」
「お姉様……!! なんて美しく、慈愛に満ちた防御魔法なのでしょう……! 相手を傷つける攻撃魔法ではなく、ただ己を守ることで相手の矛を収めさせる……平和を愛する聖女様の、究極の魔法ですわ!!」
ヴィクトリアもまた、ハンカチで涙を拭いながら熱狂的な解説を加える。
その声は、コロシアム中に響き渡り、新入生から上級生、教師たちにまで『ルセリア・フォン・ヴァロワの異常性(神聖さ)』を完全に植え付けてしまった。
「……降参だ」
ガラハッド教官は、片腕を失って立ち尽くすゴーレムの横で、静かに膝をついた。
そして、結界の中でスヤスヤと眠る私に向かって、帝国軍の最敬礼(右の拳を左胸に当てるポーズ)を行った。
「私の完敗だ、ルセリア令嬢……いや、ルセリア様。私は、己の浅はかな実戦経験だけで、貴女のような『本物の天才』を測ろうとしていた。貴女のその『絶対的な静寂(お昼寝)』の前に、私の武力など児戯に等しい」
ガラハッドの目から、一筋の熱い涙が流れ落ちた。
「貴女に、私が教えられることなど何一つない。……これより、ルセリア・フォン・ヴァロワの実技科目の単位をすべて『最高評価のS』とし、以後の実戦訓練への出席を完全免除とする!!」
「「「うおおおおぉぉぉぉぉっ!!!」」」
「ルセリア様、万歳!! ヴァロワの聖女様、万歳!!」
コロシアムが、割れんばかりの歓声と拍手の大渦に包まれた。
数分後。
周囲のあまりの熱狂と歓声のうるささに(さすがの遮音結界も限界を超えたため)、私が「うーん……」と目をこすりながら結界を解くと。
そこには、片腕の砕けたゴーレムと、私に向かって土下座のような最敬礼をしている鬼教官、そして観客席で泣きながら私を拝んでいる全校生徒たちの姿があった。
「……えっ。なにこれ。試験、終わったの?」
私が寝ぼけ眼でぽつりと呟くと、テオがスッと私の隣に立ち、いつもの冷徹な笑みを浮かべて囁いた。
「ええ、完璧に終わりましたよ、お嬢様。……お嬢様の『究極の兵法(お昼寝)』が、あの石頭の鬼教官の心を見事に叩き折りました。これで三年間、お嬢様が実技の授業に出る必要は完全に消滅いたしました」
「本当!? やったぁ!! これで心置きなく、塔で引きこもれるわね!!」
私は、自分がいかにして学園の伝説(宗教の中心)へと祭り上げられたかを全く理解しないまま、純粋なサボりの成功に歓喜の声を上げた。
かくして。
王立アカデミー入学早々、すべての座学と実技の「出席免除」という前代未聞の特権をもぎ取ったルセリア。
彼女が手に入れた『星降りの旧魔塔』での完全なサボり生活は、学園の生徒たちから「聖女が祈りを捧げる神聖なる儀式」と誤認され続け、彼女の望む平和なニート生活は、より一層スケールアップした勘違いの嵐の中へと突き進んでいくのである。




