第2話:入学式(朝礼)からの脱走と、禁忌のサボり部屋
帝国の最高学府、王立アカデミー。
広大な敷地には、白亜の美しい校舎が立ち並び、手入れの行き届いた芝生や、季節を問わず花を咲かせる魔法植物が咲き誇っている。
未来の帝国を背負って立つエリート候補生たちが、真新しい制服に身を包み、希望と野心に胸を膨らませて集う場所。
そして現在、その王立アカデミーの大講堂では、新入生を迎えるための厳かな入学式が執り行われていた。
「――諸君! 我が王立アカデミーは、ただ知識を詰め込む場所ではない! 帝国の『前衛』として、ノブレス・オブリージュの精神を胸に、血の滲むような努力と研鑽を積むための神聖なる修練の場である!」
壇上では、恰幅の良い学園長が、やたらと身振り手振りを交えながら、暑苦しい訓示を長々と垂れ流していた。
(……長い。信じられないくらい長いわ、このおじさんの話)
新入生代表の席(首席入学扱い)に座らされている私は、半開きの虚ろな目で、壇上の学園長をぼんやりと見つめていた。
前世のブラック企業時代。
毎週月曜日の朝に、全社員を立たせたまま行われていた『社長のありがたい朝礼(という名の精神論の押し付け)』。あれと全く同じ匂いがする。
「君たちの努力が会社を創る!」「限界を超えろ!」などと中身のない言葉を延々と聞かされるあの地獄の時間が、まさか異世界に転生してまでフラッシュバックするとは思わなかった。
(あぁ、眠い……。アグニ地方の別荘なら、今頃は二度寝から目覚めて、朝風呂に入っている時間なのに……)
私は、背筋をピンと伸ばした姿勢を保ちながらも、意識の八割を完全にシャットダウンする『立ったまま(座ったまま)目を開けて寝る』という前世の哀しきサバイバルスキルをフル稼働させていた。
周囲から見れば、「ヴァロワの神童が、学園長の言葉を一言一句漏らさず、真剣な眼差しで聞き入っている」という風に映っているだろうが、私の脳内には「今日の学食のランチ、何かなぁ」という極めて低俗な思考しか存在していない。
「お嬢様」
その時、私の背後に立つ見習い執事……いや、今やアカデミーの制服を完璧に着こなし、私の『特別従者』として堂々と式典に参加しているテオが、微かな声で耳打ちしてきた。
「ギルからの報告です。例の『サボり部屋(影の拠点)』の制圧と、内部の環境整備が完了いたしました。いつでもご案内可能です」
(おおっ!! さすがテオ、仕事が早すぎるわ!)
私の虚ろだった瞳に、一瞬だけ歓喜の光が宿った。
「……テオ。このおじさんの話、あとどれくらい続きそう?」
「学園長の演説原稿(事前にギルが盗み見て暗記済み)によれば、あと四十分は『帝国建国の歴史と我々の使命』について語る予定です」
「四十分!? 耐えられない。今すぐ抜け出すわよ」
私が即決すると、テオは「御意に」と頷いた。
「では、コンラート殿下とヴィクトリア様に『合図』を送ります。彼らが陽動を行っている間に、我々は裏口から離脱しましょう」
テオが、数列後ろに座っている二人に視線を送る。
すると、あのアグニ地方で泥にまみれ、私を狂信的に崇拝するようになった『意識高い系ツートップ』が、まるで軍隊のような見事な連携を見せ始めた。
「学園長!! 素晴らしい訓示に、魂が震えました!!」
突如として、コンラート皇子がガタッ! と席を立ち、大声で叫んだ。
「殿下の仰る通りですわ! 学園長、そのノブレス・オブリージュの精神、具体的にはどのような経済的施策に落とし込むべきか、ぜひこの場で議論させていただきたい!!」
ヴィクトリアも立ち上がり、扇子を広げて壇上へ詰め寄る勢いを見せる。
「な、なんだ君たちは!? 皇子殿下!? クライス侯爵令嬢!? まだ私の話の途中――」
「遠慮なさるな! 現場の泥を知らぬ机上の空論では、ルセリア師匠の足元にも及びませんぞ! さぁ、討論の幕開けだ!!」
コンラートとヴィクトリア、さらにアグニ地方で開拓合宿を共にした三十名の信者(新入生)たちが、一斉に立ち上がって学園長に詰め寄り、大講堂は蜂の巣をつついたような大パニックに陥った。
(……相変わらず、あいつらの熱量と行動力、ちょっと引くわね……)
私は、彼らが引き起こした大混乱を完全にスルーし、誰も注目していない隙を突いて、テオの先導で大講堂の裏口からスゥッと抜け出したのだった。
◇◇◇
「ふぅ……助かったわ。あんな朝礼を四十分も聞かされたら、私のストレス値がマッハで限界突破してたところよ」
春の暖かな日差しが降り注ぐ、アカデミーの広大な中庭。
大講堂からの脱出に成功した私は、大きく伸びをした。
「お見事な気配遮断(サボり術)でした、ルセリア様」
テオが恭しく一礼する。
「それで? ギルが見つけたっていう『絶対に誰も寄り付かない場所』って、どこなの? もちろん、日当たりが良くて、フカフカのソファが置ける広さがあるのよね?」
「ええ。条件はすべて満たしております。ただ……少々、『いわくつき』の場所ではありますが」
テオが指差したのは、白亜の美しい新校舎群から遠く離れた、敷地の最奥。
深い森に囲まれ、周囲を幾重もの鉄柵と『立ち入り禁止』の看板で物々しく封鎖された、古びた石造りの塔だった。
「……なんか、めっちゃ封鎖されてるんだけど。あそこ、入っていい場所なの?」
「いいえ、学園の規律においては『絶対立ち入り禁止の封印指定区域』です」
ちょうど森の影から姿を現したギルが、ニヤリと笑いながら説明を引き継いだ。
「あの場所は『星降りの旧魔塔』と呼ばれています。なんでも、数百年前に学園の創設者が残した『古代の魔導具』が安置されているらしく、その魔導具が放つ『呪いの瘴気(魔力異常)』のせいで、近づいた者は魔力酔いを起こして気絶してしまうそうです」
「気絶……?」
「はい。学園の教師陣ですら、あの塔の半径五十メートル以内には近づけません。過去に何度か封印を試みたそうですが、すべて失敗に終わり、今では『パンドラの箱』として完全に放置されている……というわけです」
ギルは、自慢げに胸を張った。
「つまり! 教師も、面倒くさい先輩も、誰一人として絶対に近づかない『完全なる治外法権エリア』です! お嬢様がお昼寝をするには、これ以上ない完璧な隠れ家ですよ!」
普通、12歳の少女であれば「呪いの瘴気」「気絶する魔導具」と聞いた時点で、「そんな危険な場所には行きたくない」と泣き叫ぶのが正常な反応だろう。
しかし。
私の怠惰に染まりきった脳髄は、その情報を次のように都合よく変換していた。
(なるほど。誰も来ないから、見回りの教師に怒られる心配がゼロ。しかもその『魔力異常』ってやつで、面倒くさい連中は勝手に気絶して帰ってくれる……最高のセキュリティシステムじゃない!!)
「でかしたわ、ギル! あんた天才よ! ボーナスの特別支給を約束するわ!」
「へへっ、ありがたき幸せ!」
「でも、その『呪いの瘴気』ってやつ、私が入っても大丈夫なの?」
私が少しだけ懸念を口にすると、テオがフッと鼻で笑った。
「ご心配には及びません。俺たちの調査によれば、その瘴気とは単なる『高濃度の魔力漏れ』に過ぎません。お嬢様のように、海のように底知れぬ魔力容量(※実際には一度も魔法の訓練をしていないので未知数)をお持ちの方であれば、そよ風のようなものです。現に、俺たちが事前に潜入した際も、少し空気が重い程度でした」
(まぁ、テオたちが平気なら、私も大丈夫でしょ。なんたって私は、温泉で鍛え上げた鋼のメンタル(鈍感力)を持っているんだから)
「よし、決まりね! さっそく私の『新・絶対安全地帯(サボり部屋)』に入居しましょう!」
私は足取りも軽く、鉄柵にかけられていた厳重な南京錠をテオに物理的に破壊させ、禁忌の魔塔へと足を踏み入れた。
◇◇◇
ギィィィッ……。
分厚い石の扉を押し開けて塔の内部に入ると、そこは外の廃墟のような外観からは想像もつかないほど、広々として美しい空間だった。
天井には巨大なステンドグラスがはめ込まれており、春の暖かな日差しが七色の光となって室内に降り注いでいる。
そして、その部屋の中央には。
「お帰りなさいませ、お嬢様!」
「お昼寝の準備、完璧に整っておりますわ!」
すでに先回りして潜入していたマイナとカヤが、メイド服のエプロンをはためかせて私を出迎えてくれた。
彼女たちの背後には、アグニ地方の別荘からわざわざ持ち込んだ『特注の最高級・低反発マットレス付きベッド』と、肌触り抜群のシルクのクッション、そしてカヤが用意したお茶菓子のワゴンが、まるでホテルのスイートルームのように完璧にセッティングされていた。
「わぁぁっ……! 完璧! 完璧よマイナ、カヤ!!」
私は感極まって、そのまま一直線にベッドへとダイブした。
ボスンッ、という最高の弾力が、私の身体を優しく受け止めてくれる。
「あぁ〜……これよ、これ。やっぱり私の居場所はここしかないわ」
私はベッドの上でゴロゴロと転がりながら、ふと、部屋の床に描かれている「何か」に気がついた。
私のベッドが置かれている真下、石の床一面に、見たこともない複雑な魔法陣がビッシリと刻まれており、そこからボワァァァッと、薄紫色の不思議な光(瘴気)が立ち上っていたのだ。
「ねぇ、テオ。この下にある光ってる落書きみたいなの、なに? これがその『古代の魔導具』とかいうやつ?」
私がベッドの上から指差すと、テオが頷いた。
「はい。どうやら、その魔法陣の直下が魔力の発生源のようです。本来なら、その光に触れただけで精神を病み、狂乱すると記録されていますが……」
私は、その薄紫色の光(瘴気)にそっと手を伸ばしてみた。
ポカポカとした、心地よい温もりが指先から伝わってくる。
「……なにこれ。めっちゃ温かいじゃない」
私は目を輝かせた。
「これ、ただの『床暖房』よ! しかも、このモヤモヤしてる光のおかげで、部屋の中が適度な湿度に保たれてる! 最高級のアロマ加湿器と床暖房が完備されてるなんて、この塔を作った昔の人、サボりの天才ね!!」
(呪いの瘴気? 狂乱? 知るかそんな設定! 私にとっては、これ以上ない極上のお昼寝サポートシステムよ!)
「お嬢様がご満足いただけたなら、何よりです」
テオは、私のあまりのポジティブな解釈(現実逃避)に少しだけ呆れたような、しかしどこまでも甘やかしたいというような表情で一礼した。
「さぁ、お嬢様。入学式の余興で疲れたお身体を、どうぞゆっくりとお休めください。外の警戒は、俺とギルで完璧に行います」
「うん……お願いね。私は、この最高の床暖房(呪いの陣)の上で、たっぷりお昼寝させてもらうわ……」
私は、制服のリボンを少し緩め、特製の低反発枕に顔を埋めた。
床下から湧き上がる古代の魔力が、私を優しく包み込む。
その心地よさに、私の意識はあっという間に深い深い眠りの底へと落ちていった。
私は全く気付いていなかった。
私が「温かい床暖房」として無防備にその力を浴び、完全にリラックスして寝息を立て始めたことによって。
私の身体(正確には、前世から引き継いだ『過労死した社畜の、すべてを受け入れる異常なまでの脱力感』)が、数百年間暴走し続けていた古代の魔力と完全に同期し、その「呪い」を中和・浄化し始めてしまっていたことに。
◇◇◇
一方その頃。
大講堂で起きた「新入生による学園長へのディベート強要事件」がようやく収束した直後。
王立アカデミーの教師陣が控える職員室は、文字通りの阿鼻叫喚に包まれていた。
「学園長!! た、大変です!!」
顔面を蒼白にした教頭が、息を切らして学園長室へと飛び込んできた。
「どうした! まさか、あのコンラート殿下たちがまた暴れ出したのか!?」
「ち、違います! 新入生代表である、ヴァロワ公爵家のルセリア令嬢の姿が、大講堂のどこにも見当たらないのです!!」
「なにっ!?」
学園長が席から立ち上がった。
帝国最大の権力者である公爵家の長女であり、アグニ地方を奇跡の発展に導いた『生ける伝説の聖女』。彼女が入学早々に行方不明になったとなれば、学園の存続に関わる大問題である。
「至急、学園中を捜索しろ! 誘拐の可能性もある、近衛兵を呼べ!!」
「それが……すでに行き先は判明しているのです。ですが、そこが問題でして……!」
教頭は、ガタガタと震えながら信じられない場所の名を口にした。
「警備の魔法結界が破られ、何者かが侵入した形跡がありました。その場所は……『星降りの旧魔塔』です!!」
「な、なんだとぉぉぉぉっ!!?」
学園長は、心臓が止まるかと思うほどの衝撃を受けた。
星降りの旧魔塔。そこに封印されているのは、かつて帝国を滅ぼしかけた古代の災厄『星喰いの呪詛』である。
半径五十メートル以内に近づくだけで、一流の魔導士ですら精神を破壊される、学園で最も危険なパンドラの箱。
「ば、馬鹿な! なぜあのような場所にルセリア令嬢が!? いや、考えている暇はない! 彼女があの瘴気に当てられれば、命に関わるぞ!!」
「学園長! 早く救出に向かいましょう!!」
その場に居合わせた教師陣の中に、かつてヴァロワ邸でルセリアの「あくび」によって論破され、今や彼女の熱烈な信奉者となっている老学者、アルベルト教授の姿があった。
「あぁっ、ルセリア様! もしや、我々アカデミーの教師陣が不甲斐ないばかりに、彼女は自らの身を呈して、あの恐るべき封印を浄化しに行かれたのでは……!!」
アルベルト教授は、涙を流しながら杖を握りしめた。
「急ぐぞ!! なんとしても、我々の至宝をお救いするのだ!!」
学園長、アルベルト教授をはじめとする数十名の高位魔導士(教師)たち。
さらに、騒ぎを聞きつけたコンラート皇子とヴィクトリアら『ルセリア親衛隊』も合流し、彼らは総出で、決死の覚悟を固めて禁忌の魔塔へと向かって駆け出した。
「ルセリア師匠ぉぉっ! 今助けに参りますぞ!!」
「どうかご無事で、お姉様!!」
彼らは、塔の周囲に渦巻いているはずの『致死量の瘴気』を覚悟し、何重もの防御魔法を展開しながら、魔塔の分厚い石の扉の前へと辿り着いた。
「……え?」
しかし。
先頭を走っていた学園長とアルベルト教授は、塔の前に到達した瞬間、その場にピタリと立ち止まり、呆然と声を漏らした。
「し、瘴気が……ない?」
そう。
かつては塔の周囲を黒い靄のように覆い尽くし、近づく者すべてを拒絶していた恐るべき呪いの気配が。
今は、文字通り『一片のチリも残さず』、綺麗さっぱりと消え去っていたのである。
「ど、どういうことだ……。あの封印が、解けたとでも言うのか……!?」
学園長が、震える手で石の扉を押し開けた。
ギィィィッ……。
扉が開かれた塔の内部。
そこに飛び込んできた教師たちとコンラートたちが目撃したのは、帝国の歴史を永遠に書き換えるであろう、信じられない『奇跡の光景』であった。
ステンドグラスから降り注ぐ、神々しい七色の光。
部屋の中央、かつてはどす黒い呪詛を吐き出していたはずの巨大な魔法陣は、今は清らかな薄紫色の光(床暖房)を放ち、優しく明滅している。
そして、その魔法陣の中心。
この世のすべての邪悪を浄化し尽くしたかのような、圧倒的な静謐と安らぎに満ちた空間のど真ん中で。
最高級の低反発マットレスに身を沈め、ヨダレを垂らさんばかりの無防備な顔で、スゥ、スゥと幸せそうな寝息を立てている、純白の少女――ルセリア・フォン・ヴァロワの姿があったのである。
「お、おおおおおっ……!!」
アルベルト教授が、その神々しい(ただ爆睡しているだけの)姿を見て、その場に杖を取り落とし、両膝を突いて泣き崩れた。
「奇跡だ……! 数百年間、誰も解くことのできなかった古代の呪いを……ルセリア様は、ただその場に横たわるだけで、完全に無力化し、浄化してしまわれたのだ!!」
「ルセリア師匠ぉぉぉぉぉっ!!」
コンラート皇子が、感極まって絶叫した。
「我が師は、入学式の退屈な訓示を聞くよりも、学園の危機を救うために自らこの禁忌の地へ赴かれたのだ! なんという自己犠牲の精神! なんという途方もない魔力!!」
「お姉様……っ!! 貴女のその安らかな寝顔は、すべてを救い終えた後の、女神の休息そのものですわ!!」
ヴィクトリアもまた、両手を組み合わせて祈りを捧げる。
(違う。ただ朝礼が面倒くさくてサボりに来ただけだ。そして今、最高に気持ちよく寝ているだけだ)
私が夢の中で「あぁ、この床暖房、マジで最高……」と寝返りを打つたびに、彼らの脳内では「おお! 聖女様が寝返りを打つだけで、残りの瘴気が光の粒子となって消えていく!」と、さらなる狂信的バグが発生していく。
かくして。
王立アカデミーに入学してわずか数時間。
私は授業を一つも受けることなく、学園最大のタブーであった『星降りの旧魔塔』を無意識のうちに浄化し、学園長を含む全教師陣を「ルセリア教の狂信者」へと引きずり込んでしまった。
そして、この「古代の魔力が最適化された(床暖房付きの)魔塔」は、そのまま学園側からの感謝の証として『ルセリア様・専用の特別思索室(という名の完全なるサボり部屋)』として永久供与されることとなるのである。
私の思い描いた「学園での完璧なサボり生活」は、初日にして最高の環境を手に入れるという形で達成された。
だがそれは同時に、私が「学園の神」として祀り上げられ、誰も私の「サボり」を止めることができない、終わりのない勘違い伝説の新たなステージの始まりでもあったのだった。




