第4章:第1話:王立アカデミーへの強制入学と、新たなる絶望
あれから、さらに二年の月日が流れた。
私、ルセリア・フォン・ヴァロワは、無事に12歳の誕生日を迎えていた。
私が「辺境総督」として統治(丸投げ)している帝国北西の果て、アグニ地方。かつては不毛と搾取の地獄と呼ばれたこの土地は、現在、帝国内で最も豊かで、最も活気に満ちた『奇跡の独立経済圏』として完全なる完成を見ていた。
「あぁ〜……今日も最高のお湯加減だわ……。天国って、きっとこういう場所のことを言うのね……」
私の専用拠点である超高級温泉リゾート『ルセリア・サンクチュアリ』の最上階。
私は絶景の露天風呂に肩まで浸かりながら、心からのため息を漏らした。
青く澄み切った空、火山帯特有の雄大な自然、そして鼻腔をくすぐる心地よい硫黄の香り。
12歳になった私の日常は、控えめに言って「人類が到達し得る怠惰の極致」であった。
朝は自然に目が覚めるまでフカフカの低反発マットレスで爆睡し、目覚めればマイナが完璧な温度の紅茶を差し出してくれる。
午前中はお風呂に浸かり、午後は窓辺のソファでゴロゴロしながら、カヤが腕によりをかけて作った特製スイーツ(最近は前世の記憶を頼りに『温泉まんじゅう』と『湯上がりプリン』の再現に成功した)を頬張る。
実務? 政治? そんなものは、優秀すぎる側近たちと、狂信的なエリート信者たちにすべて押し付けているため、私が決裁書類にペンを入れることすら皆無だった。
「お嬢様、湯上がりの『特製・濃厚ミルクプリン』をお持ちいたしました。地熱を利用した氷室でキンキンに冷やしておりますわ」
「カヤ、あなたって子は本当に天才ね……! 温泉上がりの冷たいプリンなんて、もはや合法の麻薬よ!」
湯上がり処のソファに寝転がったまま、私はカヤが銀のスプーンで口に運んでくれるプリンを咀嚼した。
滑らかな舌触りと、濃厚な甘さが疲れた(疲れるようなことは何もしていないが)脳髄に染み渡る。
この二年間で、私の手足である側近たちも順調に成長(という名のバグ化)を遂げていた。
見習い執事から完全に私の『影の宰相』となったテオ(13歳)は、公爵家の権力とアグニ地方の莫大な資金を背景に、もはや帝国の文官すら手玉に取るほどの恐るべき政治力を身につけていた。
マイナ(12歳)はメイドとしての家事スキルをカンストさせただけでなく、私の安眠を脅かす物理的脅威を排除するため、暗殺術と体術を極めた『戦うメイド長』へと進化している。
ギル(14歳)は裏社会の元締めとして帝国全土に情報網を張り巡らせ、カヤ(12歳)は料理の腕だけで各国の王侯貴族をひれ伏させるほどのカリスマシェフとなっていた。
そして何より厄介なのが、私の『信者』たちである。
第二皇子コンラート(12歳)と、クライス侯爵令嬢ヴィクトリア(12歳)をはじめとする三十名の貴族子弟たち。
彼らはこの二年間、帝都へ帰るどころかアグニ地方に完全に定住し、私の「現場で汗を流せ」という適当な言葉を胸に、泥にまみれてインフラ整備と農業改革を推し進めた。
結果、彼らはヒョロヒョロの貴族のモヤシっ子から、重機顔負けの筋肉と体力を持つ「インテリ現場監督(兼・狂信者)」へと逞しく成長してしまったのである。
(もう、一生これでいいわ……。外の世界なんてどうでもいい。私はこの温泉リゾートで、テオたちが稼いできたお金で美味しいものを食べて、死ぬまでダラダラ生きていくんだから……)
私がソファに顔を埋め、プリンの余韻に浸りながら完全なる現実逃避をキメていた、その時だった。
「――お寛ぎのところ申し訳ございません、ルセリア様」
広間の扉が静かに開き、冷徹な空気を纏ったテオが入ってきた。
彼の手には、見覚えのある嫌なものが握られていた。眩いばかりの金箔で縁取られ、皇室の『双頭の獅子』の紋章がこれでもかとデカデカと押された、分厚い純白の封筒である。
「…………ねぇ、テオ。それ、見なかったことにして燃やしてもいい?」
「残念ながら、そうもいきません。皇帝陛下直々の、しかも法的拘束力を持つ『勅命』でございますので」
テオは涼しい顔で私の逃避を遮断し、ペーパーナイフで封を切った。
「また私にお茶会に出ろって言うの? それとも、アグニ地方の税収をもっと上げろって? 無理よ、私もうこれ以上一ミリも働きたくないのよ」
「いいえ、お嬢様。今回は、もっと……お嬢様の『人生のフェーズ』に関わる重要な内容です」
テオは、恭しく咳払いをし、便箋を読み上げ始めた。
「『辺境総督ルセリア・フォン・ヴァロワの、この二年間のアグニ地方における奇跡的な統治と開拓の功績を、皇室として高く評価する。しかし、貴族の子弟たる者、12歳を迎えし時には、帝国の最高学府である【王立アカデミー】へ入学し、同世代の者たちと共に学業と研鑽に励むことを義務とする。よって、ルセリア・フォン・ヴァロワ、ならびにコンラート皇子を含むアグニ地方滞在中の貴族子弟一同に、直ちに帝都へ帰還し、王立アカデミーへの特待生としての入学を命ずる』……とのことです」
「……………………は?」
私は、カヤが差し出そうとしていた二口目のプリンを無視して、ソファからガバッと跳ね起きた。
「が、がくえん……? アカデミー……? にゅうがく……?」
「はい。帝国貴族の義務教育ですね。期間は12歳から15歳までの三年間。全寮制で、厳しいカリキュラムが組まれていると評判の、由緒正しき教育機関です」
テオが、まるで「明日の天気は晴れです」とでも言うような平坦な声で説明を追加する。
「ふ、ふざけるなぁぁぁぁぁっ!!!」
私の絶叫が、温泉リゾートの最上階にこだました。
「学校!? 三年間も!? しかも全寮制!? 冗談じゃないわよ!! 私はこの温泉から一歩も出る気はないの!! なんで辺境総督にまでなって、一国を実質的に治めている私(全部丸投げだけど)が、今さら同年代のガキどもと一緒に机を並べてお勉強なんかさせられなきゃいけないのよ!!」
前世のトラウマが、フラッシュバックのように脳裏を駆け巡る。
毎朝、決まった時間に起きなければならない苦痛。
意味のない校則。面倒くさい人間関係。終わりのないテスト勉強。そして、協調性を強要される集団行動。
前世の社畜時代にも匹敵する、あの「学生時代」という名の拘束された地獄のシステムに、この私が、この絶対的な自由を手に入れた私が、再び放り込まれるというのか。
「絶対に嫌! お父様に手紙を書いて! 『ルーセはアグニ地方の風土病にかかりました。帝都の空気はお肌に合わないので、学園には行けません』って!! 莫大な寄付金を積んで、卒業資格だけ金で買ってもらって!!」
私が子供のようにジタバタと暴れて駄々をこねると、広間の扉がバンッ! と勢いよく開かれた。
「ルセリア師匠ぉぉぉぉぉっ!!」
「ルセリアお姉様ぁぁぁっ!!」
そこに立っていたのは、泥だらけの作業着から一転、皇室と侯爵家が用意した超一級品の仕立ての良い制服(王立アカデミーの指定服)に身を包んだ、コンラート皇子とヴィクトリア侯爵令嬢であった。
「……えっ。あんたたち、なにその服」
「聞きましたぞ、師匠! 皇帝陛下より、ついに我々のアカデミー入学の勅命が下ったと!」
コンラートは、鍛え上げられた胸板(12歳とは思えない)をドンッと叩き、目をキラキラと輝かせた。
「我々はこの二年間、師匠の御許で現場の泥にまみれ、生きた政治と経済を学んでまいりました! その真の知識を、温室育ちの帝都の学生どもに叩き込み、帝国の教育を根底から覆す時が来たのですね!!」
「お姉様! 私、すでにアカデミー内の既存の派閥をすべて解体し、『ルセリア派』として統一するための根回しを開始しておりますわ! お姉様が学園の門をくぐられた瞬間、すべての生徒がお姉様の足元にひれ伏す完璧な舞台をご用意いたします!!」
ヴィクトリアもまた、鼻息を荒くしてとんでもない事後報告をしてきた。
(なにしてくれてんの!? 派閥統一!? 私は目立ちたくないの! 誰にも関わらずに息を潜めてサボりたいだけなのよ!!)
私の悲痛な心の叫びは、またしても彼らの狂信フィルターによって完全に捻じ曲げられていた。
「ルセリア様」
テオが、スッと私の傍らに歩み寄り、恭しく一礼した。
「殿下とヴィクトリア様の仰る通りです。……お嬢様は、この二年間でアグニ地方という『理想の国』を創り上げられました。しかし、帝都の中枢、特に次代の官僚を育成するアカデミーは、未だに古い権威主義と腐敗にまみれています」
テオの漆黒の瞳に、危険な『改革者』の光が宿る。
「皇帝陛下は、お嬢様に『学園の生徒』になることを求めたのではありません。お嬢様という劇薬を学園に投下し、帝国の教育システムそのものを破壊し、再生させることを望んでおられるのです」
(違う! 絶対に違う!! 皇帝はただ、「年齢が来たから学校に行け」って言ってるだけだよ!! なんでそう毎回毎回、話を国家転覆レベルのスケールにまで拡大解釈するのよ!!)
「俺たち四人も、お嬢様の『特別従者』としてアカデミーへの同行許可を取り付けました。学園内の不穏分子はギルとマイナが物理的に排除し、カヤが学食を掌握し、俺が生徒会の実権を裏から握りましょう。……さぁ、お嬢様。帝都へ、お嬢様の新たな『聖域』を創りに行きましょう」
テオ、コンラート、ヴィクトリア。
私の周囲にいるトップエリートたちが、完全に「学園制圧(ルセリア教の布教)」という一つの狂った目的で一致団結してしまっている。
彼らの背後には、同じく制服に着替えた三十名の信者たち(元・開拓労働者)が、「ルセリア様、万歳!」と熱狂的なコールを送っていた。
私は、完全に退路を断たれたことを悟った。
私がどれだけ「行きたくない」と泣き叫んでも、彼らはそれを「試練を前にした聖女の憂い」とでも解釈して、私を神輿に乗せて強制的に帝都へと連行するだろう。
(……分かったわよ。行くわよ。行けばいいんでしょ……!)
私は、大きなため息をつき、ソファにドカリと座り直した。
そして、前世の社畜時代に培った「どうしても避けられない面倒なプロジェクトにアサインされた時の、究極の防衛策」を頭の中で組み立て始めた。
(どうせ全寮制で、厳しいカリキュラムがあるんでしょ? まともに授業なんて受けたら、私の睡眠時間がゴリゴリ削られる。……だったら、やることは一つよ)
私は、目をスッと細め、周囲で熱狂する信者たちを見渡した。
(学園内で、絶対に誰も立ち入らない、教師の目も届かない『完全なるサボり部屋』を確保する! そこに最高のソファとベッドを持ち込んで、三年間ひたすら引きこもってやるんだから!)
前世の高校時代、不良たちが使っていない部室や屋上を占拠してサボっていたように。
私は、公爵令嬢の権力と、この有能すぎる側近たちの力をフル活用して、王立アカデミーの中に「私専用の治外法権エリア」を創り上げる決意を固めたのだ。
「……テオ。コンラート、ヴィクトリア」
私が、低く、静かな声で呼びかけると、広間の騒ぎがピタリと止んだ。
「お言葉をお待ちしておりました、師匠!」
「お姉様、なんなりと!」
「……学園に行くからには、生半可な環境では妥協しないわ。テオ、ギル。学園の敷地内で、最も日当たりが良く、最も静かで、かつ『教師や他の生徒が絶対に寄り付かない場所』をリストアップしておきなさい。そこを私たちの『拠点(サボり部屋)』にするわ」
私が冷徹な(ただ怠惰なだけの)指示を出すと、テオとギルの顔に、ゾクッとするような悪魔的な笑みが浮かんだ。
「承知いたしました。学園の旧校舎、あるいは禁断の魔導書庫……。お嬢様の『影の生徒会室』にふさわしい場所を、必ずや確保し、制圧いたします」
「殿下、ヴィクトリア様。あなたたちは、私に付き従うというのなら、学園の無駄な行事や面倒な授業から私を『完璧に防衛』しなさい。私は、自分の時間を一秒たりとも無駄には(起きていたく)ないの」
「ははっ!! 師匠の高尚な思索のお時間を、下等な授業などで邪魔させるわけにはいきません! 我々が盾となり、すべての教師を論破してご覧に入れます!」
コンラートが、頼もしすぎる(そして教師にとっては最悪な)宣言をする。
(よし。これで防波堤は完璧。私のサボり計画は、すでに始動したわ)
「お嬢様、学園の寮のベッドマットは最高級の低反発素材にすり替え、食堂のメニューはお嬢様専用の特別コースをねじ込んでおきますわ!」
マイナとカヤも、私のQoL(睡眠と食欲)を守るために目を輝かせている。
こうして。
私の「温泉での永遠の引きこもり生活」は終わりを告げたが、代わりに「王立アカデミーでの完全なるサボり生活」という新たな目標が設定された。
しかし、私が「サボるための隠れ家」として指定することになる場所が、学園における『絶対に開けてはならないパンドラの箱(伝説の魔法具の封印指定区域)』であり、そこで私がただ昼寝をしたことが、学園全体を巻き込む壮大な「聖女の奇跡」へと誤認されていくことなど。
馬車に揺られながら、帝都への帰路についている私には、まだ想像もつかないことだった。
「待ってなさい、王立アカデミー……! 私は絶対に、三年間授業に出ずに、寝て過ごしてやるんだから……!」
過労死した前世の無念を胸に、怠惰な公爵令嬢ルセリア(12歳)の、新たなる「終わらないサボり(勘違い)伝説」の幕が、帝都の空の下で高らかに上がろうとしていた。




