第7話:辺境開拓の聖女と、終わらないチキンレース
「おはようございます、ルセリア師匠!! 本日は南地区の土壌改良工事と、新たな灌漑水路の掘削作業を行ってまいります! 師匠の御心(別荘)にふさわしい、豊かな大地を必ずや創り上げてご覧に入れます!」
「お姉様! 私は本日、近隣都市との新たな交易ルートの構築と、カヤ様が発見された温泉熱を利用した『温室栽培農法』の予算試算を行いますわ! お姉様はどうぞ、ごゆるりとお休みくださいませ!」
朝の澄み切った空気が流れる、超高級温泉リゾート『ルセリア・サンクチュアリ』の巨大なエントランス。
そこに整列した三十名以上の貴族子弟たちは、昨日までのボロボロの姿とは打って変わり、動きやすい簡素な作業着に身を包み、目をギラギラと輝かせて私に敬礼をしていた。
彼らの先頭に立つ第二皇子コンラートは、自慢の金髪を布で纏め上げ、その手にはあろうことか『土木作業用のツルハシ』が握られている。
クライス侯爵令嬢ヴィクトリアに至っては、片手に分厚い帳簿、もう片方には測量用の特殊な魔道具を抱え、完全に「現場監督」の顔になっていた。
「……えっと。うん。怪我しないようにね……」
私は、顔面を引きつらせながら、ひきつった営業スマイルで彼らを見送ることしかできなかった。
「ははっ!! 師匠の御言葉、五臓六腑に染み渡ります! さぁ行くぞ、皆の者! 泥にまみれ、汗を流し、ルセリア師匠が描く『地上の楽園』を我々の手で具現化するのだ!!」
「「「おおおおおっ!!」」」
雄叫びを上げながら、彼らはドタドタと別荘の敷地を出て、アグニ地方の荒野へと飛び出していった。
静寂が戻った玄関先。
私は、隣に立つ見習い執事のテオを、恨めしげに睨みつけた。
「……テオ。どうしてこうなったの」
「すべては、お嬢様の深遠なる御導きの賜物でございます」
テオは、胸に手を当てて優雅に一礼した。
「帝国の次世代を担うトップエリートたちを、洗脳……いえ、教化し、この辺境の地を無償で開拓するための『最高級の労働力』として使役する。もはや彼らは、お嬢様のためならば徹夜の土木作業すら歓喜の涙を流してこなす狂信者です。……お嬢様の『人心掌握術』、俺のようなスラム上がりには到底真似できない、神の如き手腕でございます」
(違う。私はただ、あいつらに私のダラダラしてる姿を見られたくないから、「外で遊んで(働いて)きなさい」って言っただけだ!)
昨日の朝、「合宿生になります!」と居座る宣言をした彼らに対し、私は必死に追い返す理由を考えた。しかし、何を言っても「それも試練ですね!」とポジティブ変換される始末。
そこで私は、「あなたたちに足りないのは現場の経験よ。真の治世を学びたいなら、私にまとわりつくのではなく、この地の民と共に大地を耕し、汗を流してきなさい。……私は別荘でその成果を『見守って』いるから」と、前世の上司がよく使っていた「自分は動かないけど仕事はやらせる」魔法の言葉を放ったのだ。
その結果が、これである。
彼らは「ルセリア様は、我々に己の力でこの地を開拓せよという『実践課題』を与えてくださった!」と大熱狂し、自ら進んでアグニ地方のインフラ整備と農業改革に乗り出してしまったのだ。
「まぁ、いいわ……。あいつらが外で勝手に働いてくれるなら、私はこの別荘から一歩も出ずに温泉を満喫できる。結果オーライよ」
私は大きくため息をつき、踵を返して自分の専用露天風呂へと向かった。
皇子や貴族の令息たちが泥にまみれてツルハシを振るっている間、私は昼間から極上の温泉に浸かり、カヤの作ったフルーツ牛乳を飲みながら最高級のマットレスで昼寝をする。
(なんだかものすごく背徳感があるけど……私が頼んだわけじゃないし、自己責任よね!)
私は完全に開き直り、己の堕落した温泉ライフへと没入していった。
◇◇◇
しかし、私のその「適当な放任主義」が、結果的にアグニ地方の発展を『異常なスピード』で加速させることになってしまった。
「ルセリア師匠! 申し上げます!」
その日の夕方。
私が露天風呂で肩までお湯に浸かり、目を閉じて「あぁ〜極楽……」と呟いていたところ、竹垣の向こう側からコンラートのバカでかい声が響いてきた。
(ちょっと! 私、今お風呂入ってるんだけど!?)
「師匠! 南地区の土壌改良ですが、やはり火山灰の成分が強すぎ、従来の農法では麦が育ちません! どのような作物を植えるべきか、御指示を!」
コンラートは、私が風呂に入っていることなどお構いなしに(もちろん竹垣で姿は見えないが)、大真面目に政治的な相談を投げかけてきた。
(知るか! 私は農業の専門家じゃないのよ!)
私は心の中で絶叫したが、無視すれば彼らはいつまでも竹垣の向こうで待機し続けるだろう。
「んー……。コンラート、前例に囚われてはダメよ。育たないなら、育つものを探せばいいの。適材適所……そうね、『PDCAサイクル』を回しなさい。小さく試して、結果を検証して、改善するのよ」
私は、前世のビジネス用語を適当に翻訳して投げ返した。
「ピーディーシーエー……? 小さく試し、検証する……! な、なるほど! 最初から大規模に麦を植えるから失敗するのだ! まずは様々な種を小さな区画で試し、この火山灰の土壌に適合する『特産品』を見つけ出せば良いのですね!」
「ルセリアお姉様! 私にもご相談が!」
コンラートが納得して走り去ったと思ったら、次はヴィクトリアの声がした。
「近隣都市との交易ルートですが、山を越えるための運送コストが嵩み、利益が出ませんわ! どうすればよろしいでしょうか!」
(だから知らん! 運送会社にでも聞け!)
「んー……ヴィクトリア。コストが高いなら、付加価値をつければいいのよ。ただの野菜じゃなくて、『ブランド』化するの。ここでしか取れない希少なものとして、あえて高く売る……。あとは、『中間マージン』を省くために直販ルートを開拓しなさい」
「ブランド化……中間マージンの削減……直販……!!」
ヴィクトリアが、雷に打たれたように叫んだ。
「す、素晴らしい! アグニ地方の過酷な環境で育った作物を『聖地の恵み』として付加価値をつけ、我々の貴族のネットワークを使って中央の富裕層に直接販売する! これなら、運送コストを上回る莫大な利益を生み出せますわ!!」
「うん、まぁ、そんな感じで頑張ってー」
私はお湯に潜りながら、適当に会話を終わらせた。
だが、この私の『温泉からの適当な相槌(前世の浅いビジネス知識)』が、現場で汗をかく彼らエリートたちに、劇的なブレイクスルーをもたらしてしまったのだ。
コンラートは、私の助言(適当)をもとに、火山灰の土壌に強い特殊な根菜や、薬効成分の強いハーブの栽培実験を繰り返し、見事にアグニ地方特有の「特産品」を開発した。
ヴィクトリアは、侯爵令嬢の頭脳と人脈をフル活用し、その特産品を「ルセリア様が浄化した聖地で育った、奇跡の霊草」としてブランド化。帝都の貴族たちの間で空前のブームを引き起こし、莫大な外貨(資金)をこの辺境の地に落とさせることに成功した。
さらに、テオ、ギル、マイナ、カヤの四人が、私の「別荘生活の充実」のために勝手に行っていた活動が、彼らの開拓と完璧にリンクしていく。
ギルとマイナが周辺の魔獣や盗賊を徹底的に「お掃除」したことで、アグニ地方は帝国で最も治安の良い安全地帯となった。
カヤが温泉熱を利用した大規模なハウス栽培システムを構築し、極寒の冬でも新鮮な果物(フルーツ牛乳用)が収穫できるようになった。
そしてテオが、増え続ける資金と領民たちを、まるで冷徹なコンピューターのように完璧に管理し、都市のインフラを魔法のスピードで整備していった。
そのすべてが、「ルセリア様が我々を導いてくださっている」という、狂信的な思い込み(信仰)によって一つに束ねられていた。
結果として。
私が温泉別荘で、毎日15時間睡眠をキープし、フルーツ牛乳を飲みながらゴロゴロしている、そのわずか三ヶ月の間に。
不毛の地と呼ばれ、飢餓と搾取に喘いでいたアグニ地方は。
見渡す限りの豊かな農地と、美しく舗装された街道、そして活気に満ちた市場を持つ、『帝国で最も豊かで、最も希望に満ちた奇跡の経済特区(独立国レベル)』へと、完全に変貌を遂げてしまったのである。
◇◇◇
そして、その「辺境の奇跡」の噂が、帝都の中央、皇帝の耳に届かないはずがなかった。
「……信じられん。これは、夢でも見ているのか?」
帝都ガルデニアの王宮。
皇帝ヴィルヘルムは、辺境から届けられた『アグニ地方の税収報告書』と『視察団の報告書』を読み、震える手でそれを机に置いた。
「わずか三ヶ月……。あの呪われた不毛の地が、帝都近郊の穀倉地帯を凌ぐほどの利益を上げ、領民たちは誰一人飢えることなく、笑顔で暮らしているだと……?」
「は、はい、陛下……!」
報告に上がった文官が、顔を紅潮させて叫ぶ。
「すべては、ヴァロワ公爵令嬢・ルセリア様の御業でございます! 彼女は、コンラート殿下やヴィクトリア様をはじめとする貴族子弟たちを完璧に統率し、彼らに『現場の泥にまみれさせる』ことで、己の限界を超えさせました! ルセリア様ご自身は、常に別荘(聖域)から彼らを導き、数々の革新的な政策(PDCA、ブランド化など)を神の如き視点で授けておられるとのこと!」
「おおおっ……! ルーセ! 我が愛しの天使、ルーセよ!!」
同席していた私の父、ラインハルトが、床に膝をついて大号泣している。
「静養のために辺境へ向かうと言いながら、彼女は最初からこの『奇跡の復興』を計画していたのだ! わざと悪徳代官を排除し、皇子殿下たちを巻き込んで、帝国に新たな希望の光を灯すために……!!」
「ラインハルトよ。お前の娘は……いや、彼女はもはや、一介の貴族の枠に収まる存在ではない」
皇帝ヴィルヘルムが、深くため息をつきながら、しかし確かな畏怖を込めて言った。
「あのコンラートが、自ら泥だらけになって民のために汗を流し、真の指導者としての顔つきに変わったと報告を受けている。ルセリアは、土地だけでなく、人の心すらも完璧に浄化し、育て上げる『本物の聖女』だ」
皇帝は立ち上がり、厳かに宣言した。
「直ちにアグニ地方へ急使を送れ! ルセリア・フォン・ヴァロワの多大なる功績を讃え、アグニ地方一帯を彼女の『直轄の永代領地』として賜る! さらに、皇室からの莫大な支援金と、新たな『辺境総督』の地位を彼女に授与するのだ!!」
「ははっ!! 素晴らしいご決断でございます、陛下!!」
父が歓喜の涙を流し、王宮中が「ヴァロワの聖女伝説」に沸き返る中。
その「聖女」本人が、今まさに何を直面しているかなど、彼らは知る由もなかった。
◇◇◇
「…………嘘でしょ」
アグニ地方、ルセリア・サンクチュアリ。
その大広間のソファの上で、私は帝都から届けられた『皇帝直筆の勅書』と、父からの『熱苦しい手紙』、そして山のように積まれた『新たな支援金(白金貨の山)』を前に、完全に魂が抜け出ていた。
「おめでとうございます、ルセリア総督閣下(お嬢様)」
テオが、いつになく誇らしげな、そしてどこか悪魔的な笑みを浮かべて一礼した。
「お嬢様の描いた『アグニ地方独立国化計画』、見事に第一段階をクリアいたしました。皇帝陛下自らがお嬢様の支配権を認め、さらに莫大な予算まで寄越してきたのです。これで、お嬢様を邪魔する者は、この帝国に誰一人としておりません」
「お姉様!! やりましたわ!! これでこのアグニ地方は、完全に私たちとお姉様の『理想の国』ですわ!!」
ヴィクトリアが、泥だらけのまま私に抱きついてくる。
「師匠! 俺はさらに南の荒野の開拓に着手します! 師匠の御心を満たすため、この地を世界一の聖域にしてみせますぞ!!」
コンラートが、ツルハシを天に掲げて叫ぶ。
「「「ルセリア総督閣下、万歳!! 聖女様、万歳!!」」」
別荘を取り囲む領民たちと、信者たちの熱狂的な歓声が、地鳴りのように響き渡る。
(…………どうして、こうなったの)
私は、カヤが差し出してくれたフルーツ牛乳を握りしめたまま、ポロリと一粒の涙をこぼした。
私はただ、お風呂に入ってダラダラしたかっただけなのだ。
面倒くさいお茶会から逃げて、親の金で豪遊して、一生働かないと決めていたのに。
なぜ私は、「総督」なんていう、前世の部長職よりも遥かに責任の重い、国家レベルの役職に就いているのか。
なぜ私の周りには、私がサボればサボるほど、私が適当な相槌を打てば打つほど、勝手に伝説を作り上げていく「有能すぎる狂信者たち」が溢れかえっているのか。
「お嬢様、嬉し泣きですね。さぁ、休んでいる暇はありません。次は隣の領地のインフラ整備と、新たな外交ルートの構築です。お嬢様の『御言葉』をお待ちしております」
テオが、分厚い決裁書類の山を、ドサリと私の目の前に置いた。
「ちがうぅぅぅぅぅぅっ!! 私は働きたくないのぉぉぉぉぉっ!!」
私の悲痛な叫びは、またしても「責任感に震える聖女の尊い声」として彼らの脳内に都合よく変換され、アグニ地方の青空へと虚しく吸い込まれていった。
過労死した前世を悔やみ、「今度こそ絶対に働かない」と誓って転生した怠惰な公爵令嬢ルセリア。
しかし、彼女が手に入れた『最強の手足(側近たち)』と『適当な丸投げスキル』は、周囲の壮大な勘違いを巻き込みながら、彼女自身を帝国の歴史を動かす「伝説の聖女」へと強制的に押し上げ続けていく。
彼女の、平穏なスローライフ(完全ニート生活)への道は。
サボろうとすればするほど高みへと祭り上げられる、終わりの見えない地獄のチキンレースとして、これからも果てしなく続いていくのであった。




