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第2話:両親の壮大な勘違いと、先行部隊の出立

「辺境の地で、己を見つめ直したい(温泉でダラダラしたい)」という私の完璧なプレゼンテーションが、両親の涙腺を完全に崩壊させてから一夜が明けた。


翌朝、私はいつものようにマイナの完璧なサポートで目を覚まし、優雅な朝食をとるためにダイニングルームへ向かったのだが、そこで目にした光景に思わず立ち尽くしてしまった。


「おい! その馬車はサスペンションが硬すぎる! ルーセの柔肌に負担がかかるだろう! もっとクッション性の高い特注車を用意しろ!」

「あなた! お洋服はこれだけでは足りませんわ! 辺境の夜は冷えると聞きます。最高級のミンクのコートをあと十着、それに……あぁ、ドレスも念のため三十着ほど持たせましょう!」


ダイニングルーム、いや、公爵邸の広大なエントランスホールが、まるで他国へ戦争にでも出向くかのような大騒ぎになっていたのである。

父ラインハルトは騎士団長を怒鳴りつけながら護衛の配置を決め、母エレオノーラは数十人のメイドたちに矢継ぎ早に指示を出して、山のような荷物を巨大なトランクに詰め込ませていた。


「……えっと、お父様、お母様? 朝から一体何事ですか……?」


私が引きつった笑顔で声をかけると、両親はパァッと顔を輝かせて私に駆け寄ってきた。


「おお、ルーセ! 起きたか! お前が『アグニ地方』で苦行(静養)を行うための準備を進めているところだよ!」

父が胸を張って答える。


「見てちょうだい、ルーセ! お前が不自由しないように、王宮のシェフを三名、専属の医師団、そして護衛の近衛騎士を二個中隊ほど同行させるよう手配しましたわ! これで辺境の不毛な地でも、帝都と変わらぬ生活が送れます!」

母が誇らしげに付け加えた。


(……は?)


私は目の前が真っ暗になるのを感じた。


(ちょっと待って。シェフ? 医師団? 騎士が二個中隊(約百人)!? それじゃあ、前世の『社長の超VIP視察旅行』どころか、『大名行列』じゃない!!)


私は、静かな田舎の温泉宿で、誰の目も気にせずにボサボサの頭で一日中ゴロゴロしたかったのだ。

それなのに、こんな大所帯を引き連れて行ったら、行く先々で大騒ぎになり、現地での挨拶回りや接待で休む暇もなくなってしまう。有給休暇バカンスの意味が全くない!


「お、お待ちください、お父様、お母様! それは困りますわ!」


私は慌てて両親の服の袖を掴んだ。


「困る? なぜだ、ルーセ。何か足りないものがあったか?」

「違います! 多すぎるのです! 私がアグニ地方へ行くのは、帝都の華やかな生活や、甘えを捨てるためなのです。それなのに、こんな大名……いえ、大掛かりな一行を連れて行っては、己を見つめ直すことなどできません!」


私は必死に、昨日使った「大義名分(自分を見つめ直す苦行)」を武器に反論した。


「それに、辺境の貧しい民たちの前に、これほど豪奢な馬車や兵士を引き連れて行けば、彼らに威圧感を与えてしまいます。私はただ、一人の人間として、彼らの暮らしのそばで静かに過ごしたいのです。どうか、同行者は私の側近であるテオたち四人だけでお許しください!」


(本音:大人数で行くと私が気を遣うから絶対に嫌だ。テオたち四人なら、私がどれだけサボってダラダラしてても全部隠蔽してくれるから絶対少人数がいい!)


私が切実な(怠惰な)思いを込めて訴えかけると、エントランスホールの空気が再びピタリと凍りついた。


父と母は、信じられないものを見るように目を丸くし、そして……。


「……あぁぁっ……!!」


父ラインハルトが、両手で顔を覆い、その場に膝から崩れ落ちた。


「お前という子は……! まさか、そこまで考えていたとは……!! 自分が不便を強いられることよりも、現地の民に威圧感を与えることを憂慮するとは……!」

「なんという気高さ……! 貴族の虚飾を自ら脱ぎ捨て、真の清貧を実践しようとなさるなんて……! ルーセ、お前は本当に……本当に……!」


母エレオノーラも、マーサ(メイド長)の肩に寄りかかりながら大号泣し始めた。周囲の騎士やメイドたちも、「なんという聖女様だ」「我々の驕りが恥ずかしい」と、次々に涙を流している。


(……よし、また勘違いしてくれた。これで大名行列は回避できるわね)


私は心の中でガッツポーズを決めつつ、「お父様、どうかご理解くださいませ」と淑やかに頭を下げた。


「分かった……! 分かったよ、ルーセ! お前のその崇高な意志を、この父が邪魔するわけにはいかない! 同行者は最小限、お前の側近四名のみとしよう!」

父は涙を拭い、決然と立ち上がった。


「その代わり、これだけは持って行ってくれ。辺境の地で、お前が民のために何か事業(慈善)を起こす時、必ず必要になるはずだ!」


そう言って父が差し出したのは、分厚い革製の鞄だった。

ズシリと重いそれを受け取り、中を少しだけ覗き見た私は、危うく素っ頓狂な声を上げそうになった。


(ひぇっ!? なにこれ、中身全部、白金貨プラチナコイン!?)


ガルデニア帝国の通貨において、白金貨は最高額面の貨幣である。それが鞄いっぱいに詰まっているのだ。ざっと見積もっても、前世の金額にして数億円、いや数十億円に下らない莫大な資金である。


「お前のお小遣い(特別開発予算)だ。現地のインフラ整備でも、貧民への施しでも、好きに使うが良い! 足りなくなったらすぐに知らせなさい、ヴァロワの財力を全開にして送金してやるからな!」


(親バカのスケールが狂ってる……! 10歳の娘の旅行のお小遣いに数十億って!)


しかし、この莫大な資金があれば、辺境の地に私専用の『超高級温泉リゾートホテル』を建設することすら可能だ。


「ありがとうございます、お父様! このお金、大切に(私の保養のために)使わせていただきますわ!」


私は満面の笑みで鞄を受け取り、すぐさま背後に控えていたテオにそれを丸投げした。

テオは、その重い鞄を軽々と受け取り、深く一礼した。


「さぁ、テオ、マイナ、ギル、カヤ。昨日言った通り、あなたたちには『先行部隊』として先に出発してもらうわ。私が出発するのは一週間後。それまでに、私の『別荘(温泉)』の準備を完璧に整えておいてちょうだいね」

「はっ。承知いたしました、ルセリア様」


テオが、いつになく冷たく、しかし絶対的な忠誠を秘めた声で答える。


「どうかご安心ください。お嬢様がご到着される頃には、アグニ地方のすべての『問題』は片付いております。お嬢様の目に、一片の不快な塵すら映らぬよう、このテオが完璧にお掃除してご覧に入れます」


「ええ、頼りにしてるわ」


私は、テオの言葉を単なる「宿の手配と部屋の掃除」だと疑いもせず、無邪気に手を振って彼らを見送るのだった。


その日の午後。

帝都の裏通りにある、表向きは『ヴァロワ家直属・物流ギルド』の支部となっている建物の地下。


薄暗いランプの光に照らされた円卓を囲むように、四人の少年少女が集まっていた。

筆頭執事のテオ。

専属メイドのマイナ。

裏情報担当のギル。

専属料理人のカヤ。

ルセリアによってスラムから拾い上げられ、今や公爵家の中で恐るべき実務能力と権力を握るに至った、彼女の最強の側近たちである。


円卓の上には、ギルが集めてきた『アグニ地方』に関する分厚い調査資料と、帝国の詳細な地図が広げられていた。


「……さて、ギル。改めて現地の状況を報告しろ。お嬢様が『お掃除』を命じられた以上、我々が排除すべきターゲットを明確にする必要がある」


テオが、腕を組みながら冷徹な声で促した。

ギルは、黒い外套のフードを少し下げ、調査資料の束を指で弾いた。


「状況は最悪だ、テオ。アグニ地方の代官、バッカス・フォン・ローム。あいつはヴァロワ家の末端に連なる寄子よりきの貴族だが、辺境であることをいいことに、好き放題やっている」

「好き放題、とは?」

「重税による領民の搾取は序の口だ。裏では『赤目の狼』と呼ばれる凶悪な盗賊団と結託し、中央からの支援金や物資を横領している。逆らう領民は盗賊団に始末させ、その責任を『魔獣の仕業』として処理している」


ギルの報告を聞き、マイナがギリッと奥歯を噛み締めた。


「そんな薄汚いダニが、お嬢様の領地に寄生しているなんて……! しかも、あろうことか、お嬢様はそのような場所に赴かれようとしているのですね!」


カヤもまた、不安げに手を握り合わせた。

「現地の食べ物も、最悪みたいです。お嬢様にお出しできるような新鮮な食材はすべて代官が独占していて、領民たちは泥水をすすって生きているとか……。お嬢様の美しいお肌と胃腸に、そのような劣悪なものを近づけるわけにはいきません!」


三人の報告と憤りを聞き、テオは静かに、しかし深い怒りを込めて息を吐き出した。


「……なるほど。お嬢様の御心の深さが、今になってようやく完全に理解できた」


テオの言葉に、三人の視線が集まる。


「いいか、お前たち。お嬢様は、帝都の王宮で『オピニオンリーダー』として祀り上げられた。しかし、お嬢様はそのような虚飾の権力には一切興味をお持ちでない」

テオは、ルセリアが普段見せている『常に眠たそうで気だるげな態度(徹夜明けのテンション)』を、完璧な精神のコントロールだと信じ込んでいる。


「お嬢様は、常にこの帝国の真の姿を憂いておられるのだ。だからこそ、わざわざ最も腐敗した『アグニ地方』を静養先に選ばれた。……そして我々に、莫大な資金と『先行してお掃除せよ』という勅命を下された」


テオの漆黒の瞳が、狂信的な光を帯びて輝いた。


「お嬢様は、自らの手を汚すことを厭わない。だが、あのような神聖な方に、薄汚い悪徳代官や盗賊の血を浴びさせるわけにはいかない! だからこそ、お嬢様は我々『手足』に、裁きの剣を託されたのだ!」


テオの壮大な『深読み(勘違い)』が、またしても炸裂した。

ルセリアの「温泉に行きたい」「部屋を掃除しておいて」というただのわがままが、側近たちの脳内では「腐敗した辺境の地を、我々の手で武力と法をもって浄化せよ」という聖戦の合図に変換されてしまったのである。


「そういうことか……。さすがはお嬢様、我々の力を誰よりも信頼してくださっているのだな」

ギルが、ナイフを弄りながらニヤリと笑った。

「代官バッカスの横領の証拠と、盗賊団との密約の証書。一晩あれば、俺のネットワークで完璧に押さえてみせるぜ」


「私は、お嬢様のお耳に障るような騒音(盗賊団)を、一つ残らず物理的に『お掃除』してきます。お嬢様が到着された夜、虫の音しか聞こえない完璧な静寂をお約束しますわ」

マイナが、メイド服のスカートの下に隠し持った暗器(鋼糸と短剣)をチャキッと鳴らして、恐ろしい笑顔を浮かべた。


「私は、代官が独占している食材の流通ルートをすべて押さえます。そして、お嬢様が仰っていた『オンセン』とやらを探し出し、お嬢様が到着するまでに最高の癒やし空間を構築します!」

カヤもまた、料理人としての使命感に燃えている。


「よし」


テオが、円卓の上の地図に、ナイフを突き立てた。

その切っ先は、アグニ地方の代官邸を正確に貫いている。


「我々はこれより、お嬢様の『別荘(聖域)』を作るための先行部隊として出立する。

タイムリミットは、お嬢様が到着されるまでの一週間。

それまでに、アグニ地方にはびこるすべての悪を法と力で排除し、領民を解放し、お嬢様を神として迎える準備を整えるのだ!」


「「「御意!!」」」


スラム出身の四人の死神たちの声が、地下室に重く響き渡った。


彼らは、ルセリアから渡された『お小遣い(数十億円)』という圧倒的な資金力と、公爵家の権力、そして裏社会のネットワークをフル稼働させ、その日の夜のうちに帝都を人知れず旅立っていった。


一方その頃、当のルセリア本人は。

自室の最高級羽毛ベッドの上で、温泉旅行のガイドブック(前世の記憶)を思い出しながら、ひたすらにダラダラと過ごしていた。


「あぁ〜……楽しみだなぁ、温泉。卓球台とか作れるかな? あと、温泉上がりのフルーツ牛乳は絶対に必須よね。カヤならきっと、美味しいフルーツ牛乳を開発してくれるはずだわ」


ルセリアは、クッションを抱きしめながら、ポワポワとした幸せな想像に浸っている。

彼女が「部屋の掃除」を頼んだ部下たちが、今まさに辺境の地で血の雨を降らせ、悪徳代官の首を物理的に刈り取るための戦争準備をしていることなど、夢にも思っていない。


「一週間後には、誰にも邪魔されない最高のバカンスが待っている! よーし、それまではこのベッドでしっかり体力を温存(昼寝)しておこうっと!」


己の怠惰な欲望が、まさか国を揺るがす大規模な領地改革(武力制圧)へと発展しているとは露知らず。

ルセリア・フォン・ヴァロワは、お気楽な寝息を立てて夢の世界へと旅立っていった。


彼女が思い描く「静かな別荘生活」が、いかにして「辺境開拓の聖女伝説」という大いなる勘違いへと変貌していくのか。

その序曲は、側近たちの恐るべき有能さと忠誠心によって、すでに高らかに鳴り響いていたのである。

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