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第7話:祭壇に上げられた怠け者

「ルセリアお姉様……っ!! どうか、どうか私を貴女の一番弟子にしてくださいませ!」

「待てヴィクトリア! 抜け駆けは許さん! ルセリア、私こそが貴女の教えを乞うにふさわしい! 私を導いてくれ!」


王宮の南翼に位置する大温室。

本来ならば、色とりどりの花々と穏やかな陽光に包まれた、心安らぐはずのその場所は、今や完全にカオスな空間と化していた。


私の足元の大理石の床には、ガルデニア帝国の次期皇帝候補である第二皇子コンラートと、頭脳明晰で知られる名門クライス侯爵令嬢のヴィクトリアが、文字通り這いつくばっている。

そして、彼らは私の純白のドレスの裾をギュッと握りしめ、ボロボロと大粒の涙を流しながら、私に対する絶対的な忠誠と弟子入りを志願してきていたのだ。


「ちょっ……本当にやめて! ドレスがシワになるし、鼻水ついたらお母様に怒られるから!」

「おお……! この期に及んで己の栄誉よりも、母君から贈られたドレスを重んじるとは! なんという親孝行、なんという無欲な精神! やはり貴女こそが真の貴族だ!」

「ええ、殿下の仰る通りですわ! 私の持っていた薄っぺらいプライドなど、ルセリアお姉様の前では塵芥に等しい! お姉様、このヴィクトリア、一生貴女の背中を追いかけますわ!」


(違う! そうじゃない! 私はただ、徹夜明けで眠かったから適当に相槌打って立ったまま寝てただけなのよ!)


前世の社畜時代、飲み会で酔っ払った説教臭い上司を適当にあしらっていた時よりも、遥かにタチが悪い。

このエリート街道を突っ走ってきた8歳の子供たちは、己のプライドが高すぎるがゆえに、「自分が負けた相手=自分を遥かに凌駕する絶対的なカリスマ」でなければならないという、強烈な自己正当化(思い込み)の沼にハマってしまっていたのだ。


(どうしよう……これ、どうやって収拾つければいいの……?)


私がパニックになりながら、必死にドレスの裾を引っ張って二人を引き剥がそうとしていた、その時だった。


「――おや。これは随分と、熱烈な『親睦』を深めておられるようですな」


温室のガラス扉が静かに開き、凛とした少年の声が響き渡った。

そこには、私の専属秘書(見習い執事)であるテオと、専属メイドのマイナが、王宮の警備網を完全にすり抜けて、音もなく立っていた。


「テ、テオ! マイナ! 助けて!」

私が救世主を見るような目で助けを求めると、テオはスッと目を細め、足元の皇子と侯爵令嬢を見下ろした。

その漆黒の瞳には、一切の驚きがない。それどころか、「すべて計画通り(あるいはそれ以上)」と言わんばかりの、冷徹で有能な『影の宰相』の笑みが浮かんでいた。


「お迎えに上がりました、ルセリア様」

テオは優雅に一礼してから、コンラートとヴィクトリアに向かって静かに言い放った。


「殿下、そしてヴィクトリア様。我があるじの『沈黙の教え』は、お二人の胸に深く刻まれたようですね。……ですが、あまり我が主の御召し物を汚されますと、このテオ、いかに皇族といえども容赦はいたしませんよ」


テオが微かに殺気(スラムで培った本物のそれ)を放つと、二人はハッとして私のドレスから手を離し、居住まいを正した。


「す、すまない……。あまりの感動に取り乱してしまった。ヴァロワの従者よ、貴方の主は本当に……途方もない器の持ち主だ」

「ええ……。私たちは、今まで井の中の蛙でしたわ」


すっかり毒気を抜かれ、憑き物が落ちたようなスッキリとした顔をしている二人を見て、テオは深く頷いた。


「ご賢察、痛み入ります。……さて、お嬢様。そろそろお茶会の会場メインテーブルへお戻りになるお時間です。他の皆様が、お二人の不在にざわめき始めておりますので」

「えぇー……戻るの? もう帰って寝ちゃダメ?」

「いけません。お嬢様の『勝利(圧倒)』を、会場の有象無象に知らしめるための凱旋パレードが必要でございます」

「凱旋パレードってなにそれ怖い」


私のささやかな抵抗(帰宅願望)は、有能すぎる部下によってあっさりと却下された。

かくして、私はコンラートとヴィクトリアという、二匹の猛獣エリートを完全に飼い慣らした状態で、再びお茶会の会場へと戻ることになってしまったのである。


◇◇◇


王宮の白亜の庭園、お茶会のメイン会場。

そこは今、異様な緊張感に包まれていた。


「殿下とヴィクトリア様が、どこにもいらっしゃらないわ……」

「まさか、どこかで決闘でもしているのでは……!?」


残された三十名近くの貴族子弟たちは、両派閥のトップが揃って姿を消したことに動揺し、完全に空気が硬直していた。

彼らは、二人が戻ってきた時、どちらが勝者となり、今後の帝国の若手貴族社会の覇権を握るのかを、息を呑んで待ち構えていたのだ。


ギィィィッ……。

庭園の奥の扉が開き、足音が近づいてくる。


「……来たぞ! 殿下だ!」

「ヴィクトリア様もいらっしゃるわ!」


子供たちが一斉に視線を向け、そして――全員が、信じられないものを見るように目を丸くし、言葉を失った。


扉から現れたのは、コンラート皇子でも、ヴィクトリア侯爵令嬢でもなかった。

先頭を歩いていたのは、純白のドレスに身を包み、一切の表情を崩さない(徹夜明けで無表情なだけの)ヴァロワ公爵令嬢、ルセリアである。


そして、皆が驚愕したのは、その後ろだ。

あのプライドの塊のような第二皇子と、誰にも頭を下げたことのない侯爵令嬢が。

まるで『絶対的な主君に付き従う忠実な騎士』のように、ルセリアの斜め後ろを、半歩下がって歩調を合わせ、深く頭を垂れながら歩いてきたのである。


「な、なんだあれは……!?」

「殿下とヴィクトリア様が、ヴァロワの令嬢の……後ろを歩いている……!?」


ざわめきが、波のように会場に広がっていく。

私は、そんな周囲の視線など一切気にせず(早く座りたい一心で)、用意されていた一番ふかふかの上座の椅子へと直行し、どっこいしょと腰を下ろした。


すると、コンラート皇子が私の前に進み出た。

彼は会場の子供たちを見渡し、かつてないほど清々しく、力強い声で宣言したのだ。


「皆の者、聞け!!」


皇子の声に、庭園が水を打ったように静まり返る。


「私とヴィクトリアは、先ほどまで己の小さな野心とプライドに囚われ、愚かな争いを繰り広げていた! しかし……我々は、ルセリア・フォン・ヴァロワという『真の光』に出会い、己の未熟さを悟ったのだ!!」

「えっ」

私が変な声を出したが、コンラートの演説は止まらない。


「彼女は、我々の浅はかな議論に言葉で反論するのではなく、ただ『絶対的な沈黙』と『すべてを赦す深い溜息』をもって、我々に真の貴族のあり方を教えてくださった! 彼女こそが、次代の帝国を導く真のオピニオンリーダーである!」


「殿下の仰る通りですわ!」

ヴィクトリアもまた、熱を帯びた声で続く。


「ルセリアお姉様は、派閥や権力といった低俗な争いには一切興味をお持ちではありません! ただ、帝国の安寧と、我々のあるべき姿を、その背中で示してくださったのです! 私は今日から、クライス侯爵家の名にかけて、ルセリアお姉様を生涯の師と仰ぐことをここに誓いますわ!!」


「「な、なんだってーーっ!?」」


会場の子供たちから、悲鳴のような驚愕の声が上がった。

皇子派と侯爵令嬢派。今まで血みどろ(子供基準)の争いを繰り広げていた二大派閥が、たった数十分の間に、完全に『ヴァロワ公爵令嬢派』という一つの巨大な宗教(組織)に吸収合併されてしまったのである。


前世のビジネスで例えるなら、長年対立していた第一営業部と第二営業部のトップが、突如として窓際族の平社員を「我々の真の部長です!」と崇め奉り、部署を統合してしまったようなものだ。

異常事態である。大事件(M&A)である。


しかし、トップ二人が完全に服従を誓っている以上、他の子供たちに反抗する余地などなかった。

「で、殿下がそう仰るなら……!」

「ヴィクトリア様がそこまで心酔されるお方……! やはりヴァロワの神童の噂は本当だったのね!」


「ルセリア様、万歳!!」

「我らが導き手、ルセリア様に忠誠を!!」


気がつけば、三十名の貴族子弟たちが、私に向かって一斉に頭を下げ、拍手喝采を送っていた。


(……帰りたい。今すぐ帰りたい。なにこの地獄の宗教行事。私、何もしてないのに……ただ寝てただけなのに……)


私は、目の前で熱狂する子供たちを見つめながら、ひたすらに心を無にして、出された紅茶をすすることしかできなかった。

その「どんな称賛を浴びても一切表情を崩さない、無欲で達観した姿」が、彼らの狂信をさらに深める結果になっていることなど、この時の私には知る由もなかったのである。


◇◇◇


一方その頃。

王宮の奥深く、皇帝ヴィルヘルムの執務室。


「……ほう。コンラートとヴィクトリアが、完全に折れたと?」


重厚な机の向こうで、帝国の最高権力者である皇帝ヴィルヘルムが、報告に上がった近衛兵の話を聞き、愉快そうに口元を歪めていた。

同席していた宰相のラインハルト(私の父)と、クライス侯爵(ヴィクトリアの父)は、それぞれ全く違う反応を示していた。


「な、なんと……! 我が娘が、皇子殿下と結託して、ヴァロワの令嬢の軍門に下ったと申すか!?」

クライス侯爵が、信じられないというように額の汗を拭う。


「おおおおっ!! さすがは我が天使ルーセ!! あのプライドの高い皇子殿下を、無血で、しかも沈黙の圧力だけで平伏させるとは!! なんというカリスマ!!」

父ラインハルトは、娘の快挙に大号泣しながらバンバンと机を叩いている。


皇帝は、豪快に笑い声を上げた。


「はっはっは! 見事! 実に見事だ! 私は、あの血気盛んなコンラートの鼻っ柱を誰かが折ってくれるのを期待して、あのお茶会を開いたのだが……まさか、8歳の公爵令嬢が、言葉一つ発さずにそれを成し遂げるとはな!」


皇帝の目が、感嘆と期待の色を帯びて細められる。


「ラインハルトよ。お前の娘は、帝国の至宝だ。あの年で、すでに派閥という概念を超越し、他者の心を束ねる器の大きさを持っている」

「もったいないお言葉でございます、陛下!」


「うむ。よって、朕はここに決定する。……ルセリア・フォン・ヴァロワを、第二皇子コンラートの『良き導き手(公式な学友および指南役)』として指名する! コンラートには、あの少女の背中から、真の王としての振る舞いを学ばせるのだ!」


「ははっ!! ありがたき幸せ!!」

父は深く平伏し、クライス侯爵も「我が娘も、良き師を得たということか……」と納得の表情で頷いた。


こうして。

私の与り知らぬ大人たちの会議室トップダウンで、私の平穏なスローライフは、国家レベルの権力闘争のド真ん中へと、強制的にエントリーされてしまったのである。


◇◇◇


「……あぁ、やっと帰ってこられた……」


その日の夕方。

王宮での地獄のような「信者たちからの崇拝タイム」をなんとかやり過ごし、這うような思いで公爵邸の自室へと帰り着いた私は、一直線にベッドへとダイブした。


「お疲れ様でございました、お嬢様。本日は、まさに歴史的勝利パーフェクト・ゲームでございましたね」

テオが、私の脱ぎ捨てた靴を丁寧に揃えながら、満足げに微笑む。


「もう嫌だ……。あいつら、私がちょっと相槌打っただけで、勝手に解釈して勝手に泣き出して……前世の意識高い系のセミナーじゃないんだからさ……」


私はベッドの上でゴロゴロと転がりながら、昨日徹夜で設計し、マイナが急ピッチで縫製してくれた『究極の安眠低反発枕』を力いっぱい抱きしめた。


「でも、まぁいいわ。これで王宮の行事も終わったし。見てよ、この枕! 完璧な弾力! これで私の睡眠の質(QoL)は爆上がりよ!」

私は、完成したばかりの新作枕に顔を埋めた。

白鳥の胸毛と魔獣の毛の黄金比ブレンドが、私の首のカーブに奇跡のようなフィット感をもたらす。あぁ、徹夜した甲斐があった。これさえあれば、今日の疲れも一瞬で……。


しかし。

私が安眠の世界へ旅立とうとしたその時、テオが銀のトレイに乗せた「大量の手紙の束」を持って、私のベッドの脇に立ったのだ。


「ルセリア様、お休み前のところ誠に申し訳ございません」

「……なに、その手紙の山」


「本日のお茶会を終え、さっそく王宮から速達で届いた書状の数々です」

テオは、涼しい顔でその内訳を読み上げ始めた。


「まず、皇帝陛下より『ルセリアを皇子の公式な指南役に命ずる。週に三度、王宮へ登城し、皇子を導くように』との勅命が」

「…………は?」

週三日の王宮出勤!? 嘘でしょ!?


「次に、コンラート殿下より。『ルセリア師匠。明日、さっそく我が国防論についてのご指導を賜りたく、公爵邸を訪問させていただく』とのこと」

「…………」

休日出勤の翌日に、会社の後輩が家に押し掛けてくるってこと!?


「さらに、ヴィクトリア様より。『ルセリアお姉様。私、明日から公爵邸に泊まり込みで、お姉様の経済理論を学ばせていただきますわ! 荷物はすでに馬車三台分送りました』と」

「…………」

居候!? いや、ストーカー!?


「その他、お茶会に参加していた三十名の貴族子弟から、『どうか我々もルセリア様の派閥に!』『面会のお時間を!』という嘆願書が山のように届いております」


テオは、恭しく一礼した。

「お嬢様の『無言の圧力(お昼寝)』が、これほどまでに帝国の若者たちを魅了し、熱狂させるとは。お嬢様は今や、帝国の次世代を束ねる、真のオピニオンリーダーでございますね」


「…………」


私は、目の前に突きつけられた『圧倒的なタスクの山(激務確定の未来)』を見て、完全に思考を停止した。


週三日の王宮通い。

家に押しかけてくる熱血皇子と、泊まり込みのツンデレ令嬢。

そして、私を神と崇める三十人の面倒くさい信者たち。


私の、誰にも邪魔されない、フカフカのベッドでゴロゴロするだけの平和な引きこもりライフは……。


「……なんで……」


私の目から、ポロリと一粒の涙がこぼれ落ちた。


「なんでこうなったぁぁぁぁっ……!! 私はただ、温室で適当に相槌打って寝ていただけなのにぃぃぃっ!!」


私は、徹夜で作り上げた最高級の低反発枕に顔を押し当て、子供のように声を上げて泣きじゃくった。

枕の性能は完璧だった。私の涙をしっかりと吸収し、優しく頭を包み込んでくれる。

しかし、その枕の上で安らかに眠れる日々は、もう二度と戻ってこないのだ。


「お嬢様、嬉し泣きをされるほどのご成功、俺も鼻が高いです。明日からの激務(オピニオンリーダーとしての活動)、全力でサポートさせていただきますね」

「ちがうぅぅぅぅっ!! テオのバカぁぁぁっ!!」


勘違いが勘違いを呼び、怠け者の公爵令嬢が、不本意ながらも帝国の権力闘争の中心へと祭り上げられてしまった王宮のお茶会事件。

この日を境に、ルセリア・フォン・ヴァロワの『終わらない過労死回避チキンレース』は、さらなる絶望のステージへと突入していくのであった。

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