第3話:面倒くさい同世代たち(皇子と令嬢)
王宮の『白亜の庭園』は、文字通り息を呑むような美しさだった。
手入れの行き届いた緑の芝生、季節を問わず魔法の力で咲き誇る色鮮やかな花々。そして、庭園の中央に設えられた純白の大理石のテーブルには、帝国最高のパティシエが腕を振るったであろう、宝石のようなケーキや焼き菓子が山のように積まれている。
同年代の8歳の子供であれば、この夢のような光景に目を輝かせ、我先にとお菓子に群がり、無邪気に走り回るのが普通だろう。
しかし、ここは皇室主催の親睦茶会。
集められた三十名あまりの子供たちは、皆一様に帝国の高位貴族の子息・令嬢たちである。
彼らにとって、このお茶会は「遊び場」ではない。自分の家格を示し、有利な派閥に属し、あわよくば将来の伴侶を見つけるための『血を流さない戦場』なのだ。
「……はぁ。どいつもこいつ、子供のくせに肩肘張っちゃって。見てるこっちが疲れるわ」
私は、会場の最も目立たない壁際の席――大きな観葉植物の陰になる特等席に陣取り、冷めかけた紅茶のカップを両手で包みながら、小さく、そして深いため息をついた。
徹夜で『究極の安眠低反発枕』の図面を引いていた私の疲労は、すでにピークに達している。まぶたには鉛がぶら下がっているようで、今すぐこの芝生の上に大の字になって寝転がりたい衝動と必死に戦っていた。
私の斜め後ろでは、見習い執事のテオが、まるで主君を護衛する影のように直立不動で立っている。
「お嬢様、現在のお嬢様の『気配遮断』は完璧です。会場の注目は、見事にあの二つの集団へと逸れております」
テオが、周囲に聞こえないほどの微かな声で報告を入れてくる。
「ん……そうね。あの二人が勝手に目立ってくれてるおかげで、こっちには誰も寄り付かないわ。ありがたいことよ……」
私は半開きの目で、庭園の中央で繰り広げられている『惨状』をぼんやりと眺めた。
会場の空気は、大きく二つの勢力によって二分されていた。
まるで磁石のプラスとマイナスのように、強烈な引力と反発力を放つ二人の人物が、それぞれ取り巻きを引き連れてバチバチと火花を散らしているのだ。
その一人は、輝くような金髪と、自信に満ち溢れた不敵な笑みを浮かべる少年。
ガルデニア帝国の第二皇子、コンラート(8歳)である。
彼は皇族特有の豪奢な礼服を身に纏い、自分の周囲を取り囲む上位貴族の令息たちに向かって、やけに通る大きな声で演説をぶっていた。
「よいか、君たち! 我々次世代の貴族に求められるのは、帝国の『前衛』として立つ強靭な意志だ! 古き慣習に囚われず、常に革新的な行動力をもって領民を導かねばならない! それこそが、上に立つ者の義務というものだ!」
「おおお……! さすがはコンラート殿下! なんという力強いお言葉!」
「我ら一同、殿下の思い描く帝国の未来に、一生ついていく所存でございます!」
コンラート皇子の言葉に、取り巻きの少年たちが大仰に感嘆の声を上げ、拍手喝采を送っている。
(うわぁ……)
私は遠くからその光景を見て、顔面を引きつらせた。
(出たよ。前世の就職活動のグループディスカッションに絶対一人はいる、『やたらとカタカナのビジネス用語を使いたがる、クラッシャータイプの意識高い系学生』だ……。行動力? ビジョン? 8歳の子供が何言ってんのよ。お前が今導くべきなのは、領民じゃなくて自分の夏休みの宿題のスケジュールでしょ)
私は前世の社畜時代、こういう「口だけは達者で、中身が伴っていない自己アピール強めの新入社員」の教育係を押し付けられ、激しい胃痛に苦しんだトラウマがあった。
あのコンラート皇子からは、その時と全く同じ『面倒くさいオーラ』がプンプンと漂っている。
そして、その皇子の演説を、鼻で笑って遮るもう一人の人物がいた。
「ふふっ……殿下は相変わらず、力任せの精神論がお好きなようですわね。行動力さえあれば国が豊かになると、本気でお思いなのかしら?」
扇子で口元を隠し、挑発的な視線を皇子に向ける少女。
燃えるような真紅の髪を縦ロールにし、鋭くも知的な吊り目を持つ彼女は、クライス侯爵家の令嬢、ヴィクトリア(8歳)である。
クライス侯爵家は、我がヴァロワ公爵家に次ぐ権力を持つ名門であり、特に法学と経済において帝国の頭脳を担う一族だ。
ヴィクトリアの周囲には、皇子派に対抗するように、インテリ層を気取る令嬢たちがずらりと並んでいる。
「なんだと、ヴィクトリア? 私の言葉に異論があると言うのか?」
コンラート皇子が不機嫌そうに眉をひそめると、ヴィクトリアは余裕の笑みで扇子をパチンと閉じた。
「異論だらけですわ。殿下が仰る『革新』とやらは、ただの無計画な思いつきに過ぎません。真に帝国を導くために必要なのは、冷徹な計算と、持続可能な経済基盤の構築ですわ。感情で民を動かそうとするなど、上に立つ者の驕り。我々貴族の真の価値は、知性にあるのです!」
「さすがはヴィクトリア様! 殿下の感情論を、完璧な論理で打ち破られましたわ!」
「これからの帝国は、武力ではなく知性の時代ですわね!」
今度はヴィクトリア派の令嬢たちが、一斉に皇子派を嘲笑する。
コンラート皇子の額に、ピキリと青筋が浮かんだ。
「計算だけで国がまとまるものか! 民が求めているのは、背中を見せてくれる強い指導者だ! 貴様らのような机上の空論ばかりこね回す輩に、帝国の未来は託せん!」
「机上の空論ですって? 殿下こそ、我が家が提出した先月の税収見直し案の数字、まともに理解できておられないのではありませんこと?」
「なんだと!? 貴様、不敬であるぞ!」
「事実を申し上げたまでですわ!」
バチバチバチッ!!
二人の視線が交錯する空間に、目に見えるほどの火花が散っている。
周囲の子供たちも、皇子派と侯爵令嬢派に完全に分かれ、「殿下こそが正しい!」「いいえ、ヴィクトリア様ですわ!」と、不毛な代理戦争を繰り広げ始めた。
(……うわぁぁ……キツい。見てるだけで胃もたれする……)
私は、さらに深く椅子の背もたれに沈み込み、気配を消すことに全力を注いだ。
(前世でもいたわ、こういう『自分は優秀だ』と信じて疑わない若手のエース候補同士の衝突。会議室で『御社のシナジーが〜』とか『私のコンセンサスとしては〜』って、中身のないカタカナ言葉でマウントを取り合う地獄のような時間。あれを終わるまで見せられる中堅社員(私)の身にもなってほしいわ)
しかも、彼らはまだ8歳なのだ。
親や家庭教師から詰め込まれたであろう小難しい知識を、自分の言葉のように振りかざして悦に入っているだけである。
私からすれば、ただの「おままごと」の延長戦に過ぎない。
(絶対に関わりたくない。あんな連中の視界に入ったら最後、『ヴァロワ公爵令嬢はどちらの意見を支持するのだ!』とか巻き込まれるに決まってる。あんな意識高い系のマウント合戦の審判なんて、徹夜明けの私にできるわけがない)
私は、自分の存在感を極限まで薄めるため、前世で培った『会議中に指名されないための究極のステルス術』を発動させた。
絶対に彼らの方を見ない。
視線は常に、自分の膝の上か、明後日の方向(中空)をぼんやりと見つめる。
呼吸は浅く、ゆっくりと。
そして、自分がこの庭園に生える『ただの白いキノコ』か何かであると強く思い込むのだ。
「ルセリア様、素晴らしいです。お嬢様の『我関せず』という確固たるスタンスが、不可視の防壁となって我々を守っております。皇子も侯爵令嬢も、お嬢様の圧倒的な静寂のオーラに気圧され、こちらに声をかけることすらできておりません」
背後のテオが、またしても壮大な勘違いを含んだ報告をしてくるが、私は「ん、そうね……」とだけ適当に返事をした。
(テオには防壁とかオーラとか言ってるけど、単に私が端っこでボーッとしてるから、誰も『あのつまんなそうな奴に話しかけるのやめとこ』って思ってるだけよ……)
だが、結果オーライである。
会場の熱気は、コンラート皇子とヴィクトリアの激しい口論を中心に、完全に中央へと集約されていた。
誰も、壁際で死んだ魚の目をしている私になど注目していない。
(……よし。今だ)
私は、重い重いまぶたを少しだけ開き、テオに向けて合図の視線を送った。
(テオ。みんなあっちの『意識高い系バトル』に夢中よ。今なら、私がいなくなっても誰も気づかないわ。早く、あの温室へ避難するわよ)
私のその無言のメッセージ(ただのサボり宣言)を受け取ったテオは、鋭く頷いた。
「承知いたしました、ルセリア様。……彼らの低俗な争いから目を逸らし、真の静寂を求めて玉座(温室)へと移動されるのですね。我々が、完璧な退避ルートを構築いたします」
テオが、庭園の給仕係の死角となるタイミングを見計らい、私に「今です」と合図を送る。
私はゆっくりと椅子から立ち上がった。
足元が少しふらついたが、重いドレスの裾を少しだけ持ち上げ、まるでトイレにでも行くかのような極めて自然な足取りで、庭園の端に続く小道へと歩き出した。
(さようなら、面倒くさいマウント合戦。さようなら、意識高い系の新入社員ども。私は一足お先に、フカフカのソファが待つ『楽園(お昼寝スポット)』へと向かわせてもらうわ)
私は心の中で勝利のピースサインを掲げた。
王宮の庭園の奥にひっそりと佇む、ガラス張りの大温室。
そこは、太陽の光がたっぷりと降り注ぎ、希少な植物が栽培されている、人がほとんど立ち入らない静かな空間だ。
今の私の限界を迎えた身体にとって、そこは最高の寝床に他ならなかった。
私は誰にも気づかれることなく、するりと庭園の喧騒から抜け出し、温室へと続く静かな回廊へと足を踏み入れた。
「ふふっ……やったわ。完全犯罪成立よ」
私は誰もいない回廊で、小さくガッツポーズをした。
このまま温室の奥にあるであろうベンチかソファを見つけ、お茶会が終わるまでの数時間、泥のように眠りこける。
そして終了時刻になったら、何食わぬ顔で戻り、「とても有意義なお茶会でしたわ」とだけ言い残して馬車で帰るのだ。
完璧な計画だった。
この時の私は、自分の「逃避行」が完全に成功したと信じて疑わなかった。
だが、私はまだ知らなかった。
この後、あの面倒くささの極みである二人の子供――コンラート皇子とヴィクトリアが、こともあろうに「静かな場所で二人きりで決着をつけよう」と、私が眠る温室へと足を踏み入れてくることを。
そして、徹夜明けの限界を超えた私が、彼らの熱い激論の最中に放つ『究極の居眠り(覇王の沈黙)』が、帝国の次世代のパワーバランスを根底から覆し、私を彼らの絶対的な「オピニオンリーダー」へと祭り上げてしまうことを。
私の安らかな休日は、まだ始まったばかり(終わりの始まり)であった。




