第2章:第1話:王宮からの招待状と、絶対防衛線(ベッド)の崩壊
「あぁ……今日も天井の木目が美しいわね……」
スラム街で運命的な出会い(という名の悪魔の採用活動)を果たし、最強の手足であるテオとマイナを獲得してから、早いもので二年の月日が流れた。
現在、私は8歳。
ヴァロワ公爵家の長女、ルセリア・フォン・ヴァロワとしての私の生活は、控えめに言って『神の領域』へと到達していた。
「ルセリア様、本日の『帝国魔法史』および『領地税収と関税の相関』に関するレポート、すべて書き上がりました。前回のアルベルト教授の視察を踏まえ、より多角的な視点からアカデミーの教授陣を唸らせる(煙に巻く)内容に仕上げております」
「んー……テオ、ありがとう。じゃあ適当に提出しといて」
窓辺の特注ソファに寝転がったまま、私は書類を見ることすらなく右手をヒラヒラと振った。
見習い執事から、今や私の専属秘書のような立ち位置へと昇格した9歳のテオは、「はっ、御意に」と恭しく一礼し、完璧な私の筆跡で書かれた恐るべきクオリティのレポートをバインダーに閉じた。
「お嬢様、頭をお使いになられたので(※使っていない)、糖分を補給いたしましょう。本日は、南の領地から届いたばかりの幻の果実を使った、冷たいゼリーをご用意いたしました」
「マイナ、気が利くわね。あー、口開けるから放り込んで」
「はいっ! あー、でございますね!」
8歳になったマイナは、私の専属メイドとしてその世話焼きスキルをカンストさせていた。
私が「あー」と口を開ければ、マイナが銀の小さなスプーンで、絶妙な一口大にカットされた冷たいゼリーを放り込んでくれる。私は咀嚼して飲み込むだけ。もはや自力で食事をするという概念すら失いつつあった。
この二年間、私は本当に、何一つとして「自分の頭や身体を使う仕事(勉強)」をしていない。
厳しいメイド長のマーサも、すっかり私のことを「瞑想によって宇宙の真理を探究する、神に愛されし天才聖女」だと盲信しており、私が一日中ベッドやソファでゴロゴロしていても、「おお、今日も深い思索の海に潜っておられる……!」と感動の涙を流して部屋の扉をそっと閉めてくれるようになった。
両親に至っては言わずもがなである。
私のお小遣い(予算)は国家の特別会計レベルにまで膨れ上がり、私はその莫大な資金を使って、自室のベッドのマットレスを最高級の羽毛とスプリングの二層構造に改造するなど、己の睡眠環境(QoL)の向上だけに全力を注いでいた。
(勝った。私はついに、前世の過労死サラリーマンという地獄のカルマから解き放たれ、永遠の安息を手に入れたのだ……!)
冷たいフルーツゼリーを堪能しながら、私は自らの完璧すぎるスローライフに酔いしれていた。
この絶対防衛線(引きこもり環境)は、もはや誰にも破ることはできない。私は一生、この部屋でダラダラと生きていくのだ。
そう、固く信じていた、その時だった。
コンコンコン。
「ルセリアお嬢様。お寛ぎのところ申し訳ございません。マーサでございます」
部屋の扉がノックされ、メイド長のマーサが入ってきた。
普段なら、私が「思索(お昼寝)」に入っている時間は絶対に邪魔をしない彼女が、わざわざ部屋に入ってくるというのは、極めて異例の事態である。
「どうしたの、マーサ? 私、今とっても重要な哲学命題(今日の晩ご飯何にしようか)について考えていたところなんだけど」
「誠に恐れ入ります、お嬢様。しかし、至急お嬢様の御手を取ってご確認いただかねばならない書状が届きましたので……」
マーサの顔は、いつになく緊張で強張っていた。
彼女が恭しく両手で捧げ持ってきたのは、ただの手紙ではない。
眩いばかりの金箔で縁取られ、中央にはガルデニア帝国皇室の紋章である『双頭の獅子』のシーリングスタンプが、これでもかとデカデカと押された、分厚い純白の封筒だった。
「……なにこれ。なんか、すっごく嫌な予感がするんだけど」
「王宮より、皇帝陛下直々の名代として届けられた、招待状でございます」
(皇帝直々……!?)
私の背筋に、前世で『社長直々の特命プロジェクト』にアサインされた時と全く同じ、氷のような悪寒が走った。
「テ、テオ! 開けて! 中身を読んで!」
「はっ!」
私の命を受けたテオが、ペーパーナイフで素早く、かつ丁寧に封を切り、中に入っていた金色の便箋を取り出して読み上げ始めた。
「ええと……『帝国の未来を担う若き芽たちへ。来たる休息の日に、同世代の貴族子弟を集めた親睦茶会を王宮の白亜の庭園にて開催する。次代を牽引するルセリア・フォン・ヴァロワ公爵令嬢の参加を、皇室一同、心よりお待ちしている――皇帝ヴィルヘルム』……とのことです」
テオが読み終えた瞬間、私の手に持っていたスプーンが、カランッ……と虚しい音を立てて床に転がり落ちた。
「……は?」
私は、絶望のあまり、しばらくの間フリーズしてしまった。
「お、お茶会……? 同世代の貴族を集めた、親睦、茶会……?」
「はい。事実上の、次世代の派閥形成および顔合わせの場ですね。お嬢様の『神童』としての名声は、今や王宮にまで轟いております。皇帝陛下ご自身が、お嬢様を次世代のオピニオンリーダーとしてお認めになった証左でございましょう!」
マーサが、我が事のように誇らしげに胸を張って言った。
しかし、私の内心は、誇らしいどころか阿鼻叫喚の地獄絵図であった。
(ふざけるなぁぁぁぁっ!!)
心の中で、前世の社畜魂が血涙を流しながら絶叫した。
(休みの日に!! なんでわざわざ会社(王宮)の連中と集まって、親睦を深めなきゃいけないのよ!! 前世の『休日の強制参加ゴルフコンペ』か『絶対断れない社長主催のBBQ大会』と全く同じじゃない!! 労働基準法違反だ!!)
私は、休日は一歩も家から出ず、誰とも関わらず、ただ布団の中で過ごすことだけを至上の喜びとしているのだ。
それなのに、見ず知らずの、しかもプライドだけは無駄に高いであろう貴族の子供たち(意識高い系の新入社員みたいな連中)と、作り笑いを浮かべて紅茶を飲まなければならないだと?
「ま、マーサ……私、急に熱が出てきたみたい。きっと不治の病だわ。このお茶会は欠席で――」
「お嬢様。大変申し上げにくいのですが、これは皇帝陛下直々の『勅命』に等しい招待状です。欠席となれば、ヴァロワ公爵家の忠誠が疑われかねません。旦那様(お父様)も、『ルーセの輝かしい王宮デビューだ! 最高のドレスを仕立てろ!』と、すでに大泣きしながら職人を手配しておられます」
(あのクソ親バカァ!! 私の絶対防衛線をあっさり売り渡しやがって!!)
逃げ道は、完全に塞がれていた。
私は絶望のあまり、ソファの上に力なく崩れ落ちた。
「あぁ……終わった。私の安らかな休日が、終わった……。よりによって、こんなタイミングで……」
私が涙目でうわ言のように呟いたのには、実はもう一つ、切実すぎる理由があった。
単に「外出が面倒くさい」というだけではない。現在の私は、極度の『睡眠不足』に陥っていたのである。
その原因は、現在私の机の上に散乱している、何枚もの羊皮紙の図面に隠されている。
ここ数日、私は「究極の引きこもり生活」をさらに一段階アップデートさせるための、極秘プロジェクトを自らの手で(珍しく)進めていたのだ。
その名も、『前世の記憶を頼りに、異世界の素材で最高の安眠低反発枕を作るプロジェクト』である。
現在の私のベッドは、マットレスこそ最高級だが、枕だけはどうしても「馬の毛」や「硬い羽毛」を詰めた中世レベルのものしかなく、私の繊細な首のカーブ(ストレートネック気味)にフィットしていなかったのだ。
私は、前世で3万円も出して買ったオーダーメイド枕の構造を思い出しながら、三日三晩、徹夜で図面を引き、マイナに細かい縫製の指示を出して試作品を作らせていた。
つまり、今の私は「三連続徹夜明けの、限界ギリギリのポンコツ状態」なのである。
「ルセリア様、お顔の色が優れませんね。やはり、ここ数日の『新たな概念の創造(枕作り)』でお疲れなのでは?」
テオが、私の顔を覗き込んで心配そうに言った。
「そうよテオ……。私、徹夜で枕の図面引いてたから、今すぐぶっ倒れて寝たいの。それなのに、明日、王宮で知らないガキどもと作り笑いでお茶を飲めなんて……拷問以外の何物でもないわ」
私は涙ながらにテオの腕を掴んだ。
「テオ! あなた、優秀な私の秘書でしょ!? どうにかして、明日、波風を立てずに私が一秒でも長く寝られる方法を考えなさい! 私は絶対に、意識高い系の貴族の子供たちと派閥争い(マウント合戦)なんてしたくないの!!」
私は前世の「どうしようもない無茶振りを部下に押し付けるダメ上司」そのものの態度で、テオに丸投げした。
「いかに誰にも絡まれず、サボって寝るか。明日のミッションはそれだけよ! 分かった!?」
しかし、私のその必死すぎる懇願を聞いたテオの顔つきが、スッと冷徹な『影の宰相』のそれへと変わった。
彼の漆黒の瞳に、私が教えたロジカルシンキングと、彼特有の『重すぎる忠誠心と深読み』が交錯する。
「……なるほど。お嬢様のご意志、このテオ、痛いほど理解いたしました」
「えっ、本当!? なんか良いサボり方がある!?」
「はい」
テオは、恭しく胸に手を当てて頷いた。
「この度のお茶会には、次期皇帝の座を狙う野心家、第二皇子コンラート殿下や、有力派閥の筆頭であるクライス侯爵家の令嬢、ヴィクトリア様など、血の気の多い『有象無象』が多数出席すると聞いております。彼らは必ず、お嬢様を自分たちの派閥に引き入れようと、あの手この手で探りを入れてくるでしょう」
(うわぁ、めんどくさっ。絶対に関わりたくない)
「しかし、お嬢様は彼らのような『低俗な権力争い(マウント合戦)』に自ら降りていく気など毛頭ない。……あえて『無関心』を装い、彼らの言葉に一切耳を貸さずに『眠る(無視する)』ことで、ヴァロワ公爵家の圧倒的な上位性を見せつけ、彼らの心を根底からへし折るおつもりなのですね……!」
「……ん? うん? まぁ、そういうことにしておいて。とにかく寝たいのよ」
テオの壮大な深読みにツッコミを入れる気力すらなく、私は適当に頷いた。
「承知いたしました。ルセリア様が王宮の庭園で、誰の目も気にせず、優雅に『絶対的な沈黙(お昼寝)』を実行できるよう、このテオが完璧な舞台をご用意いたしましょう」
「おお! さすがテオ! 頼りになるわ!」
テオはすぐにマイナを呼び寄せ、何やらヒソヒソと指示を出し始めた。
「マイナ、ギルの情報網を使え。明日の朝までに、王宮の庭園の完全な見取り図と、死角となる『絶対安全地帯』を割り出すんだ」
「了解したわ、お兄ちゃん。お嬢様の安眠を妨げるルートは、すべて事前に私が『掃除』しておく」
「いや、王宮で暗殺(物理)はまずい。あくまでお嬢様が自然に姿を消し、静かに仮眠を取れる『隠しポイント』への誘導ルートを構築するのだ」
「分かった。お嬢様の睡眠時間を1秒たりとも無駄にはさせない」
(なんか、ただのサボり計画のはずなのに、某スパイ映画みたいな物騒な打ち合わせになってない……?)
私は一抹の不安を覚えつつも、極度の睡眠不足により、思考がフワフワと霞んでいくのを感じていた。
「まぁ、いっか……。テオがなんとかしてくれるでしょ。私は明日、気配を消して、温かい場所で寝るだけ……」
翌日、私が「いかにサボるか」だけを追求して王宮の温室へ逃げ込んだ結果、第二皇子とライバル令嬢の激しい派閥争いに巻き込まれ、そこで前世の哀しき社畜スキル『立ったまま目を開けて寝る』を発動させてしまうことなど、この時の私は知る由もなかった。
「お嬢様、明日の決戦(お昼寝)に備え、今夜は少しでもお身体をお休めください。私が極上のアロママッサージを施します」
「むにゃ……お願い、マイナ……明日は、絶対に働かない(社交しない)んだから……」
私の悲痛な決意と、側近たちの完璧すぎる裏工作。
かくして、帝国の次世代を担う若きエリートたちが集う神聖なる王宮のお茶会へ、最強の「徹夜明けの怠け者」が解き放たれる準備が整ったのであった。




