13.隣国の商人
ケントとの不干渉合意から五日後、レインからの条件書が届いた。
内容は想定より良かった。不干渉・秘密保持・商売の自由・いつでも契約解除可能。誠が求めていた条件がほぼそのまま盛り込まれていた。唯一引っかかったのは「王国の商業制度設計において助言を求めることがある」という一文だけで、これは義務ではなく求める権利を持つという表現だった。
エレナに見せると、少し目を細めた。
「……レイン殿下にしては、珍しく譲歩しています」
「なぜだと思いますか」
「あなたが条件を押し返す人間だと、前回の面会で理解したからだと思います。無理な条件を出しても時間の無駄だと判断した」
「つまり、最初から対等な取引をする気があったということですか」
「か、あなたへの投資として長期的に考えているかのどちらかです。どちらにしても、今すぐ飲み込まれる内容ではないと思います」
誠は条件書を再度確認した。
「サインします」
「本当にいいんですか」
「条件が悪くないので。それと、王家との関係を持つことでケントへの牽制にもなります」
エレナが少し考えてから頷いた。
「わかりました。私からも一つアドバイスを」
「どうぞ」
「契約したからといって、何でも話す必要はありません。聞かれたことに答える、それだけでいい」
「わかっています」
「わかっていると思いますが、念のため」
誠はサインして、エレナ経由でレインに送り返した。
これで王家との公式な協力関係が成立した。
問題は、それより先に別の問題が来ていたことだ。
◆
ガラン共和国の商人が王都に来ているという話をミラが持ってきたのは、レインの条件書が届いたのと同じ日の夕方だった。
「ヴェルノ・サッハという人物です。ガラン共和国の大商人で、議会議員も兼ねているらしいです」
「なぜ王都に来たか、わかりますか」
「それがまだ調査中なんですが……田中さんの名前が出ていました」
「私の名前が」
「はい。王都の茶館でガランの商人たちと会合を開いていて、その中で何度か『田中商会への対応』という言葉が出ていたと。盗み聞きした商人から話を買いました」
田中商会への対応。
MARKETを確認する。ガラン共和国の石鹸相場は、一か月前より少し下がっていた。誠の商品がガランの市場にも流れ始めている影響だろう。
現代換算で月間数十万円規模の流通だが、ガランにとっては無視できない額になっているのかもしれない。
「ヴェルノ・サッハというのはどんな人物ですか」
「ガラン共和国の経済界を牛耳っている実力者だそうです。議会では産業保護派の中心人物で、外国商人の市場参入に対して厳しい立場を取っています」
エレナに確認すると、エレナも名前を知っていた。
「ヴェルノ・サッハは手ごわい相手です。感情で動かない。全て損得で判断する」
「つまり交渉の余地がある」
「あります。ただし、こちらが弱みを見せると一気に畳み込んでくる。合理主義者は、合理的に相手を潰します」
誠は少し考えた。
ガランの大商人が王都まで来た。それは誠の商売がガラン経済に影響を与えるほど大きくなった、ということでもある。
問題は、向こうが具体的にどう動くかだ。
答えはすぐに出た。
◆
翌日から、異変が起き始めた。
まず、デルガン商会から「契約の一時停止」という申し入れが来た。理由は「仕入れ先の変更を検討中」とある。
次に、薬草商組合の担当者から「しばらく取引を見合わせたい」という連絡が入った。
さらに、宿屋組合からも同様の連絡が来た。
三件、立て続けに、同じ日に。
誠はMARKETを確認しながら、頭の中で整理した。一件なら偶然だ。二件でも可能性はある。しかし三件同時は、明らかに誰かが動いている。
「ミラさん、デルガン商会、薬草商組合、宿屋組合の担当者の動きを調べられますか。ヴェルノと接触していないかどうか」
「やってみます。ただし時間がかかるかもしれません」
「急いでください」
結果は半日で出た。
「三件とも、昨日の夕方にガランの商人と接触していました。全員、同じ宿屋で別々に呼ばれています」
「何を言われたと思いますか」
「直接は聞けていませんが、三件とも今朝から仕入れルートを切り替えようとしていました。ガランの商人から、代替品の提案を受けたみたいです」
代替品。つまり、誠の商品に似た品物を、ガランが持ち込んだということだ。
「その代替品とやらを一つ入手できますか」
「やってみます」
ミラが二時間後に戻ってきた。石鹸のようなものを一つ持っている。APPRAISEを向ける。
┌────────────────────────┐
│ 【 APPRAISE RESULT 】 │
│ 名称 :精製石鹸(ガラン製) │
│ 品質 :★★★☆☆ │
│ 推定価値:銀貨2枚(アルデナ相場) │
│ 現代換算:約2,000円 │
│ 備考 :ガラン共和国の職人による │
│ 高品質模倣品。 │
│ 田中商会品の品質の約七割。 │
│ 価格は三割安い。 │
└────────────────────────┘
品質七割、価格三割安。
ベルトの息子が流通させた模倣品(品質四割)よりはるかに高品質だ。これは脅威になる。
誠は少し考えた。
価格で戦えば負ける。品質の差は鑑定で証明できるが、三割の価格差は商人にとって大きい。
しかし問題は品質の差だけではない。ヴェルノがやっていることの本質は、誠の取引先を一つ一つ切り崩すことだ。個別に対応していたらキリがない。
この構造を変えるには、取引先が個別に狙われないようにする仕組みが必要だ。
誠の頭の中で、一つのアイデアが形を取り始めた。
◆
翌日、誠はアリアを訪ねた。
「相談があります」
「どうぞ」
「商人の組合を作りたいんですが、ギルドの規定上、問題はありますか」
アリアが少し眉を上げた。
「組合というのは、複数の商人が共同で利益を守るための団体ですか」
「そうです」
「……規定上は、加盟商人による自主的な組合の設立は認められています。ただし、独占的な取引強制や他商人の排除を目的とする場合は禁止されています」
「独占や排除ではなく、参加商人が互いに取引先を紹介し合い、情報を共有し、外部からの圧力に対して共同で対応する、という目的なら問題ありませんか」
アリアがしばらく考えた。
「……問題ありません」
「設立の手続きは」
「ギルドへの届け出と、参加商人の署名が必要です。最低三名から」
「わかりました。手続き書類をいただけますか」
アリアが書類を取り出しながら言った。
「ヴェルノ・サッハが来ていますね」
「知っていましたか」
「ギルドにも挨拶に来ました。礼儀正しい方でした」
「どんな印象でしたか」
「……怖い人です」
「どこが怖いんですか」
「何も言わないのに、全部計算されている感じがします。挨拶の言葉の一つ一つが、何かを確認するための言葉に聞こえました」
APPRAISEと同じ評価だ。アリアの人を見る目は、本当に鋭い。
「正しい印象だと思います」
「田中さんは、どう対応するつもりですか」
「組合を作って、取引先が個別に切り崩されないようにします。そのあとで直接交渉します」
「直接交渉、ですか」
「ヴェルノさんは合理主義者だそうです。なら、話し合いで解決できる可能性があります」
アリアが誠を見た。
「また、怖い相手に直接会いに行くんですね」
「他に方法がないので」
「……書面は持っていきますか」
「もちろんです」
アリアが小さく息を吐いた。それから、ほんの少し口の端を動かした。
「では手続き書類を準備します」
◆
組合の設立は、思ったより速く進んだ。
誠が最初に声をかけたのは、ルーカスだった。最初の保証人として世話になった香辛料商だ。
「組合か。面白い発想だな」
「ヴェルノ・サッハが王都の取引先を個別に切り崩しています。一人では対抗できませんが、組合として動けば話が変わります」
「どんなメリットがある」
「組合内で取引先を紹介し合えます。一人が取引先を失っても、組合の別のルートで補える。それと、情報を共有することで、誰が次の標的になるかを事前に察知できます」
ルーカスが少し考えた。
「参加費は」
「月に銀貨三枚。組合の運営費と情報収集費に使います」
「安いな」
「最初は実績を作ることが優先です。価値があると判断してもらえれば、あとで上げます」
ルーカスが頷いた。
「わかった。参加しよう」
次にデルガンだ。取引を一時停止すると言ってきた相手だが、だからこそ声をかける価値がある。
「デルガンさん、一つ聞いてもいいですか」
デルガンが少し居心地悪そうな顔をした。
「ヴェルノさんから何を言われましたか」
「……田中商会との取引を止めれば、うちの取引量を二倍にすると言われた」
「それは本当にできる約束だと思いますか」
デルガンが少し黙った。
「……正直、怪しいとは思っている。ただ、断ると後が怖い」
「では組合に入ってください。ヴェルノさんへの依存度を下げながら、複数の取引ルートを持てます。一つに依存するよりリスクが分散される」
デルガンがしばらく考えた。
「……前の契約書の件は、あなたに助けられたと思っている」
「そうでしたか」
「あの時、書面がなかったら俺は不利な条件を飲まされていた。あなたの書き方は、確かに公平だった」
「ありがとうございます」
「組合に入る。ただし、ヴェルノさんとの件は慎重にやってくれ」
「わかりました」
一日かけて回ると、七名の商人が組合への参加を決めた。薬草商組合の担当者一名、宿屋組合から二名、小規模な布商人二名、そしてルーカスとデルガン。
翌日、ギルドに届け出を出した。
アリアが書類を確認して、印を押した。
「王都商人互助組合、設立完了です」
「ありがとうございます」
「田中さん」
「なんですか」
「組合の実務面、何か手伝えることがあれば言ってください」
「規定の範囲内で、ですか」
「……ギルド窓口として、組合の相談を受け付けることは規定上認められています」
「では、よろしくお願いします」
アリアが頷いた。いつもより少し、背筋が伸びている気がした。
◆
組合設立から二日後、ヴェルノ・サッハから面会の申し入れが来た。
「田中誠殿へ。一度お話ししたいことがあります。都合のよい日時をご指定ください。ヴェルノ・サッハ」
礼儀正しい文面だった。脅しでも圧力でもなく、純粋な会談の申し入れだ。
エレナが言っていた。感情で動かない、全て損得で判断する合理主義者だと。
組合が設立されたことで、個別の切り崩し戦術が効きにくくなったと判断したのかもしれない。次の手として直接交渉に切り替えてきた。
誠は返答した。「明後日の午後、王都中央広場近くの茶館にてお待ちしています」
◆
面会当日。
ヴェルノ・サッハは想像より普通の人物だった。
四十五歳、中肉中背、清潔感のある服装。派手さはない。商人というより、現代でいえば優秀なビジネスマンという印象だ。
APPRAISEを向ける。
┌────────────────────────┐
│ 【 APPRAISE RESULT 】 │
│ 名称 :ヴェルノ・サッハ │
│ 身分 :ガラン共和国 大商人・議員 │
│ 年齢 :四十五歳 │
│ MP :78(一般水準) │
│ 備考 :ガラン経済界の実力者。 │
│ 完全な合理主義者。 │
│ ビジネスの実力は本物。 │
│ 感情より数字で全てを判断。 │
└────────────────────────┘
感情より数字で全てを判断。
なら、数字で話せばいい。
「田中さん、お会いできて光栄です」
ヴェルノが流暢な言葉で言った。TRANSLATEの翻訳だが、声の質も穏やかだ。
「こちらこそ。ヴェルノさんの評判はかねがね」
「良い評判ばかりではないと思いますが」
「いい評判ですよ。合理的な方だと聞きました」
ヴェルノが少し笑った。
「率直に言いましょう。あなたの商売は、ガランの経済に影響を与えています」
「どのくらいの影響ですか」
「現時点では軽微です。ただし、このまま拡大すると、半年後には無視できない規模になります。私は問題が小さいうちに対処する主義なので」
「合理的ですね」
「あなたもそうでしょう」
「そうです」
二人でお茶を一口飲んだ。
「田中さん、私はあなたを潰したいわけではありません」
「では何を求めているんですか」
「取引をしたいんです」
誠は少し前のめりになった。
「どんな取引ですか」
「あなたの商品のガラン市場への供給を、私の商会を通じて独占販売にしていただきたい。その代わり、ガランでの流通と販売は全て私が担当します。あなたは供給するだけでいい」
独占販売。前にベルトが言ってきたのと似ている。しかし内容が違う。ベルトは搾取が目的だった。ヴェルノの提案は、ビジネスとして筋が通っている。
「なぜ独占でなければいけないんですか」
「ガランに複数のルートであなたの商品が入ると、価格が崩れます。私が独占することで品質と価格を管理し、双方にとって安定した利益が出る」
「ガラン以外の国への展開は?」
「そこは別途交渉になります」
「私の仕入れ元については聞きませんか」
ヴェルノが少し間を置いた。
「聞きたいのは正直なところです。ただ、教えてもらえないことは最初からわかっています。ビジネスの秘密は守られるべきものです」
「それは合理的な考え方ですね」
「ビジネスの話をするなら、仕入れ元の詮索は本質ではない。大事なのは供給の安定性と品質の保証です」
誠は少し考えた。
ヴェルノの提案は、表面上は悪くない。ガランへの販路が一気に開ける。供給さえできれば、現地の流通をヴェルノに任せられる。
しかし問題がある。
「独占という条件が引っかかります」
「なぜですか」
「もし何らかの理由でヴェルノさんとの取引が止まった場合、ガランの市場から完全に締め出されます。リスクが一か所に集中する」
「では独占ではなく、優先供給権という形はどうですか。私の商会が最初に買い付ける権利を持つが、供給量の上限を超えた分は他の業者にも売ることができる」
これは確かに改善案だ。
「上限の設定は」
「月間供給量の七割を私の商会に。残り三割は自由に」
「五割と五割で」
「六割と四割」
「わかりました」
ヴェルノが少し目を細めた。
「交渉が速いですね」
「引き延ばすよりお互いの時間が節約できます」
「同感です」
ヴェルノがお茶を飲んだ。
「田中さん、一つ聞いてもいいですか」
「どうぞ」
「あなたはどこまで大きくなるつもりですか」
「特に目標は決めていません。必要に迫られた分だけ大きくなっています」
「それは正直な答えですね」
「ヴェルノさんは、私にどこまで大きくなってほしいですか」
ヴェルノが少し笑った。
「アルデナの一商人のままなら、脅威にはなりません。しかし国際的な規模になると、話が変わる。だから今のうちに関係を作っておきたい」
「パートナーとして、ということですか」
「そうです。敵にするより、組んだ方が合理的です」
誠は少し考えた。
ヴェルノは本当に合理主義者だ。感情がない分、約束を守る可能性が高い。しかし合理的に判断するということは、条件が変われば合理的に裏切る可能性もある。
「書面で条件を確認させてください」
「もちろんです。私も書面主義ですから」
「そうなんですか」
「ガランの議会では、全ての取引は書面で記録することが義務付けられています。個人的にも、口頭での合意は信じません」
誠は少し嬉しくなった。
「では合いますね、私たちは」
ヴェルノが初めて、計算のない笑顔を見せた。
「そうかもしれません」
◆
茶館を出ると、ガルドが外で待っていた。
「どうでしたか」
「思ったより話がわかる人でした」
「取引しますか」
「条件次第ですが、する方向で考えています」
ガルドが少し考えた。
「……さっきまで敵だった人間と、今日から組むんですか」
「ビジネスに永遠の敵はいません。利益が一致すれば組む。それだけです」
「旦那はそういう考え方をするんですね」
「そういう考え方で十年間、営業をしていました」
ガルドが短く頷いた。
「俺には向かない考え方ですが、旦那には合っているんでしょうね」
「ガルドさんには、ガルドさんのやり方があります。私には私のやり方がある。それでいいと思います」
二人で王都の通りを歩いた。
夕方の空が、少しオレンジになっている。現代の空と同じ色だが、見える建物の形が違う。石造りの塔と、魔道具の照明が灯り始めた通り。
誠は少し立ち止まった。
「ガルドさん」
「なんですか」
「最近、ここが故郷と違う場所だということを、あまり意識しなくなってきました」
「それはいいことですか、悪いことですか」
誠は少し考えた。
「わかりません。ただ、ここが居場所みたいに感じ始めているのは確かです」
ガルドが誠を見た。
「……旦那は、ずっとここにいるつもりですか」
「いつでも帰れます。でも、今は帰りたくない」
「帰れる場所があるから、ここにいられる。そういうことですか」
「そうかもしれません」
ガルドが短く頷いた。それ以上は何も言わなかった。
◆
夜、現代のアパートでさやかにLINEを送った。
『隣国の大きい会社と取引することになりそうです』
すぐに返信が来た。
『副業で隣国……?』
『まあ、そんな感じです』
『田中さんの副業、もう副業じゃない気がするんですけど』
『規模が大きくなってきました』
『本業にするつもりですか』
誠は少し考えた。
本業。リストラされた翌日に始めた商売が、今や国際取引に発展しようとしている。
『なってるかもしれません、気づいたら』
『楽しいですか』
楽しいか。
正直に答えるなら、楽しいという言葉が一番近い。面倒くさいことだらけだが、自分の頭で考えて、自分で動いて、結果が出る。
『まあ、そうですね』
『それが一番大事なことだと思います』
『そうですね』
『田中さん』
『なんですか』
『今度、ご飯食べながら副業の話、聞かせてもらえますか。全部じゃなくていいので。少しだけ』
誠は少し間を置いた。
少しだけ。さやかは無理に全部聞こうとしない。それが、さやかという人間の距離の取り方だ。
『今度、話します』
『約束ですよ』
『約束します』
スマホを置いて、ノートを開いた。
今日の記録を書く。ヴェルノとの面会。六対四の優先供給権の合意方向。書面確認待ち。
そして別のページに書いた。
王都商人互助組合:設立完了、七名。アリアが実務サポートを引き受けた。
今日から、少しずつ外の世界に繋がり始めた。
アルデナだけでなく、ガランへ。そしてその先へ。
誠はノートを閉じて、窓の外を見た。荒川区の夜景。コンビニの明かり。変わらない現代の景色。
でも今は、この景色が少しだけ、遠くなった気がした。
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次話予告:第14話「教会の秘密」
グレイ大司教が動いた。
「異端の商人」という烙印を押そうとする教会に対して、
誠は医薬品と衛生知識で民衆の心を掴みに行く。
そして教会の腐敗の証拠を、エレナが掴んでくる。
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