11.王子との駆け引き
ベルト副頭が失脚してから一週間、王都の商業区域はざわついていた。
ギルドの不正が公になったことで、長年泣き寝入りしていた商人たちが声を上げ始めた。「あの取引はおかしかった」「うちも被害を受けた」という声がギルドの窓口に列をなした。アリアはその全てを丁寧に記録し、オーレンに報告し続けた。
誠の名前は、この一件で王都中に広まった。
面倒なことに。
「ギルドの腐敗を暴いた商人」という評判は、誠が望んでいたものではなかった。目立ちたくはなかった。ただ商売をしたかっただけだ。しかし現実はそうはならなかった。
声をかけてくる商人が増えた。情報レポートへの問い合わせが増えた。そしてギルドの改革を歓迎する若手商人たちが、誠を「改革派のシンボル」として祭り上げようとし始めた。
シンボルは困る。シンボルは的になる。
そんなことを考えながらアパートでコーヒーを飲んでいると、さやかからLINEが来た。
『新しい職場、今日で三日目です。やっぱりIT系は田中さんっぽい雰囲気がある』
『どういう意味ですか』
『みんなロジカルで、感情より数字で話す感じ。田中さんそういう人じゃないですか』
『私は感情も使いますよ』
『使ってるつもりなんですね』
痛いところを突かれた。
『副業の方はどうですか』
『少し有名になりすぎて困っています』
『有名になって困るってどういう状況ですか』
『目立つと的になるんですよ』
長い沈黙の後、さやかから返信が来た。
『なんか田中さんの副業、規模がどんどんおかしくなってる気がします』
『気のせいです』
『絶対気のせいじゃないですよ』
返信せずにスマホを置いた。
GATEを確認する。クールタイム残り二十分。異世界に戻る時間だ。
◆
王都のギルドに着くと、アリアが珍しく外で待っていた。
建物の入口の脇、人目につきにくい場所に立っている。誠が近づくと、小声で言った。
「急ぎの話があります」
「どうぞ」
「今朝、第一王子殿下の使いが来ました」
誠は少し間を置いた。
「ギルドに?」
「あなた宛てに。私が受け取りました」
アリアが懐から封筒を取り出した。第二王子からの招待状とは違う。封蝋の紋章が、より格調高い意匠をしている。第一王子の個人印だろう。
「中を見ましたか」
「見ていません」
「ありがとうございます」
誠は封筒を受け取った。カメラで翻訳する。
「田中誠殿へ。明日の午後、王宮内の私室にて面会の機会をいただきたい。人払いをした上でお待ちしております。レイン・アルデナ」
人払いした上で。つまり公式な面会ではなく、記録に残さない形で話したいということだ。
「エレナさんには連絡しましたか」
「していません。あなたに直接渡すべきだと判断しました」
「正しい判断です。ありがとうございます」
アリアが誠を見た。
「行くんですか」
「行かないと選択肢になりません。第二王子と会った以上、第一王子とも会わなければバランスが取れない」
「……気をつけてください」
「はい」
「第一王子は、第二王子より頭が切れると言われています。笑顔の裏が読みにくい」
誠はアリアを見た。
「それは個人的な意見ですか、ギルドの公式見解ですか」
「……個人的な意見です」
「参考にします」
アリアが少し視線を逸らした。
「……田中さん、最近有名になりすぎていますよ」
「私もそれを心配しています」
「改革派のシンボルみたいに言われているのを、聞きました」
「困っています」
「なぜ困るんですか。良いことではないですか」
「シンボルになると、シンボルとしての行動を求められます。それは商売と違う。私は商人でいたいんです」
アリアがしばらく考える顔をした。
「……なるほど」
「アリアさんも、今回の件でギルド内では注目されているんじゃないですか」
アリアが少し目を細めた。
「……少し」
「大丈夫ですか」
「規定の範囲内のことしかしていません。問題はないはずです」
「規定の範囲内で最大限のことをしてきた結果が今回のことです。胸を張っていい」
アリアが誠を見た。何か言いかけて、やめた。
「……では、また」
「また来ます」
◆
エレナの屋敷を訪ねて第一王子からの書状を見せると、エレナの表情が少し変わった。
「レイン殿下が直接……」
「人払いした上でという指定がありました」
「それは特別扱いです。殿下が直接、記録に残さない形で会いたいと言うのは、よほどのことです」
「どんな人物ですか。第二王子とは違う印象がありますか」
エレナが少し考えた。
「……王宮で何度か見たことがあります。いつも笑顔で、話を聞く姿勢を崩さない。でも」
「でも?」
「何を考えているか、わからない人です。ダグラス殿下は感情が顔に出るので、ある意味わかりやすい。レイン殿下は全てを計算した上で動いているように見えます」
「アリアさんも同じことを言っていました」
エレナが少し眉を上げた。
「アリアさんが?」
「個人的な意見として」
「……彼女は人を見る目がありますね」
「そうですね」
エレナがしばらく書状を見ていた。
「田中さん、一つアドバイスしてもいいですか」
「どうぞ」
「レイン殿下と話す時、絶対に先に本音を出さないでください。殿下は相手の本音を引き出してから、そこを利用して条件を縛ります」
「具体的には」
「例えば『王国の発展のために何がしたいか』と聞いてくる。そこで正直に答えると、その答えを使って『では協力してくれるね』という流れに持っていく。気づいた時には約束させられている」
「なるほど。では何と答えればいいですか」
「質問を質問で返してください。殿下が何を求めているのかを先に引き出す。そうすれば対等な交渉ができます」
誠は少し考えた。質問を質問で返す。相手の手を先に見る。これは営業でも使う手だ。
「参考になります」
「それと」
「まだありますか」
「手土産を持っていってください。手ぶらで王子に会いに行く商人はいない。何かを差し出すことで、こちらが敬意を示している格好になる。ただし、差し出すものは惜しくないものにすること。高価なものを差し出すと、見返りを期待されます」
「惜しくないが、印象に残るもの」
「そうです」
誠は少し考えた。現代から持ってきたもので、価値があるが使い捨てで惜しくないもの。
コーヒー、か。
現代では数百円のドリップパックが、異世界では希少な飲み物になる。香りと味で印象を残せる。費用は千円以下で済む。
「わかりました。考えます」
「田中さん」
「なんですか」
「気をつけてください」
さっきのアリアと同じ言葉だった。
「二人に同じことを言われると、少し怖くなりますね」
「怖くていいんです。怖いからこそ準備する」
「……それも同じことを言われました」
エレナが少し首を傾けた。
「アリアさんと、よく話しているんですね」
「ギルドに毎日行きますから」
「……そうですか」
エレナが何か言いたそうな顔をしたが、今日は言わなかった。
◆
翌日の午後、誠は王宮の門をくぐった。
前回の茶会とは違う入口だった。案内の使用人が一人だけついて、人気のない廊下を通って奥に進む。途中で誰とも会わない。確かに人払いがされている。
通された部屋は、思ったより小さかった。執務室ではなく、書斎のような雰囲気だ。本棚に本が並んでいる。カメラで翻訳すると、歴史書や経済書が多い。
窓際に、レイン・アルデナが立っていた。
二十八歳。体格は中くらいで、印象は穏やかだ。ダグラスのような軍人的な迫力はない。むしろ学者か文官のような雰囲気がある。
笑顔で近づいてきた。
APPRAISEを素早く向ける。
┌────────────────────────┐
│ 【 APPRAISE RESULT 】 │
│ 名称 :レイン・アルデナ │
│ 身分 :アルデナ王国 第一王子 │
│ 年齢 :二十八歳 │
│ MP :312(希少水準) │
│ 備考 :政治・経済・外交を得意とする。│
│ 目的のためなら手段を選ばない │
│ 冷徹さを内に持つ。 │
│ 相手の本音を引き出すのが巧み。│
└────────────────────────┘
相手の本音を引き出すのが巧み。GATEもエレナと同じ評価をしている。
「田中さん、来てくれてありがとう。堅苦しい挨拶は抜きにしましょう」
声は穏やかで、柔らかかった。ダグラスの直球とは正反対の入り方だ。
「お招きありがとうございます」
誠はリュックからドリップコーヒーのパックを取り出した。
「手土産をお持ちしました。故郷の飲み物です。お湯があれば飲めます」
レインが受け取って、封を開けずに香りを嗅いだ。
「……これは」
「コーヒーといいます。苦みと香りが特徴です。頭が冴えます」
「初めて嗅ぐ香りですね。興味深い」
使用人を呼んでお湯を頼んだ。二人分のカップが用意されて、誠がドリップの仕方を説明した。レインが興味深そうに見ている。
出来上がったコーヒーを二人で飲んだ。
「……苦い。でも、後味が良い」
「慣れると手放せなくなります」
「なるほど」
レインがカップを置いて、誠を見た。笑顔は変わらない。
「田中さん、単刀直入に聞いてもいいですか」
「どうぞ」
「今のアルデナ王国の商業構造について、率直な意見を聞かせてください。外から来た目で、どう見えますか」
エレナのアドバイス通り、質問を質問で返す。
「殿下はどういう意見を期待されていますか」
レインが少し目を細めた。一瞬だけ、笑顔の奥の何かが動いた気がした。
「なぜそう返すんですか」
「私が先に意見を言うと、その意見に縛られます。殿下が何を求めているかを先に理解してから話す方が、有益な会話になると思いました」
レインがしばらく誠を見た。それから少し笑った。今度は笑顔の質が変わった。計算された笑顔ではなく、少し本物に近い笑顔だ。
「面白い。ケントから報告は受けていましたが、直接会うとまた印象が違いますね」
「どんな報告でしたか」
「掴みどころがない商人だと」
「的確な評価です」
「では改めて。私が求めているのは、王国の商業システムの改革です。ギルドの腐敗は今回の件で一部表面化しましたが、根本的な問題はまだ残っています」
「根本的な問題というのは」
「商取引の不透明性です。誰が何を売り買いしているか、正確な記録がない。税収も正確に把握できない。それが王国の財政を圧迫しています」
誠は少し考えた。これは本音に近い話をしている。
「つまり、複式簿記と取引記録の標準化が必要だということですか」
レインが少し前のめりになった。
「そう、まさにそれです。あなたがギルドに提案したという内容を聞いています。あれを王国全体に広げたい」
「それは大きな話ですね」
「大きいからこそ、あなたのような人間が必要です」
ここだ、とエレナの声が頭の中に響いた。ここで正直に答えると、条件を縛られる。
「殿下、その改革を進めるために、私にどういう役割を期待されていますか」
「王国の商業顧問として、制度設計に協力してほしい」
「顧問というのは、具体的にどういう立場ですか」
「王家の庇護下に入ってもらいます。その代わり、商売の自由と安全を保証します」
王家の庇護下。つまり王家の傘下に入れという話だ。
「庇護下に入るということは、王家の意向に従う義務が生じますか」
「制度設計の範囲での協力です。それ以外の自由は保証します」
「殿下、一つ確認させてください」
「どうぞ」
「その庇護は、第一王子殿下個人のものですか。それとも王家としてのものですか」
レインが少し間を置いた。
「……どちらを望みますか」
「王家としての庇護であれば、継続性があります。しかし王位継承が確定していない現時点では、それは約束できないはずです。第一王子殿下個人の庇護であれば、殿下の立場が変わった時にどうなるか不明確です」
レインがしばらく誠を見た。笑顔が、わずかに薄くなった。
「……するどいですね」
「商売の話です。リスクの確認は基本です」
「つまり今すぐ答えは出せないということですか」
「条件を書面で確認させてください。内容によって判断します」
レインが少しの間、沈黙した。
部屋の外から微かに廊下の足音が聞こえる。それ以外は静かだ。
「……田中さん、あなたは何者ですか」
突然の質問だった。
「商人です」
「それだけですか」
「それだけです」
「故郷はどこですか」
「遠い東の地方です」
「その地方の名前は」
「殿下でも聞いたことのない地名だと思います」
レインがコーヒーを一口飲んだ。
「この飲み物も、その地方から来ているんですか」
「そうです」
「……不思議な地方ですね。私は相当な数の地図を見てきましたが、あなたが持ってくるものの出所に心当たりがない」
誠は少し考えた。これ以上突っ込まれると、答えが苦しくなる。
「殿下、話を戻してもいいですか」
「どうぞ」
「商業顧問の件は、書面での条件提示をいただいた上で判断します。ただし一点だけ、今この場で確認させてください」
「なんですか」
「私が顧問を断った場合、私の商売への影響はありますか」
レインが誠を見た。
「ありません」
「その言葉を信じていいですか」
「私の言葉を信じるかどうかは、あなたが判断することです」
「では書面でいただければ、信じます」
レインが少し笑った。今度は完全に本物の笑顔に見えた。
「あなたと話すのは、面白いですね」
「光栄です」
「私の側近たちは、みな私の意図を先読みして動こうとします。でもあなたは、私の意図を確認してから動こうとする。その差は大きい」
「意図を確認せずに動くと、後で齟齬が出ます。それは双方にとって損です」
「なるほど」
レインが立ち上がった。窓の外を見た。
「田中さん、一つだけ言わせてください」
「どうぞ」
「私はあなたを駒として使おうとは思っていません。ただ、あなたの知識と視点が、この王国に必要だと思っています」
「ありがとうございます」
「その言葉を信じるかどうかは、あなたが判断することです」
誠は少し笑いそうになった。さっき自分が言った言葉を、そのまま返してきた。
「では書面をお待ちします」
「一週間以内に用意します」
握手した。レインの手は細く、しかし握り方は確かだった。
◆
王宮を出て、石畳の道を歩いた。
今日の面会を整理する。レインは確かに頭が切れる。エレナのアドバイスがなければ、途中で本音を引き出されていた可能性がある。
しかし今日の面会で一つわかったことがある。
レインは誠を本当に必要としている。演技ではなく、王国の商業改革に本気で取り組もうとしている。
だとすれば、交渉の余地がある。王家の庇護を完全に断るのではなく、条件を縛った上で受け入れる形が最善かもしれない。
ただし、条件は絶対に書面で確認する。
それと、出身地への疑念が強まっている。「不思議な地方」という言葉が気になった。レインは調べ始めるかもしれない。
GATEの秘密が漏れる前に、何らかの対策を考えておく必要がある。
誠はガルドに合流した。ギルドの外で待っていてくれた。
「どうでしたか、旦那」
「一週間以内に条件書が来ます。それから判断します」
「第一王子は、どんな人でしたか」
「怖い人です。第二王子より、はるかに」
ガルドが少し目を細めた。
「なぜですか」
「第二王子は怖さが見えます。でも第一王子は怖さが見えない。どこまでが計算で、どこからが本音かわからない」
「旦那は、そういう相手に対してどうするんですか」
誠は少し考えた。
「書面を取ります」
ガルドが短く笑った。
「相変わらずですね」
「一番確実な方法ですから」
二人で王都の通りを歩いた。夕方の人通りの中で、誠は少し考えを整理した。
第一王子が動いた。書面の条件次第では、協力関係を結ぶ可能性がある。
しかし条件が何であれ、一つだけ絶対に譲れないことがある。
GATEの存在は、誰にも知られてはいけない。
それだけが、誠の唯一の秘密であり、唯一の切り札だった。
◆
夜、現代のアパートに戻ってさやかに電話した。
「なんとかなりましたか、例の大事な仕事」
「なんとかなりました。次の段階に進みました」
「次の段階ってどういう」
「もっと大きい話になってきました」
さやかが少し間を置いた。
「……田中さん、本当に大丈夫なんですか」
「大丈夫ですよ」
「なんか最近、声が違う気がして」
「違いますか」
「なんか、生き生きしてる。リストラされる前より全然」
誠は少し考えた。
生き生きしている。自分ではわからないが、そうなのかもしれない。
毎日、自分の頭で考えて、自分で判断して、自分の行動の結果が直接出る。誰かに指示されて動く仕事ではなく、自分が舵を握っている感覚。
それが面倒くさくもあり、悪くもない。
「……そうかもしれません」
「よかった。じゃあ、頑張ってください」
「さやかさんも新しい職場、頑張ってください」
「はい。あと」
「なんですか」
「何かあった時は、ちゃんと頼ってくださいね。田中さんって全部一人で抱えそうなので」
誠は少し間を置いた。
「……わかりました」
「約束ですよ」
「約束します」
通話を切って、ノートを開いた。
今日の出来事を記録する。第一王子面会。条件書一週間以内。出身地への疑念。
それから一行空けて書いた。
やれることはまだある。
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次話予告:第12話「命を狙われる」
第一王子と接触したことで、第二王子派が動く。
暗殺者がMAPに映った時、誠の最初の選択は「逃げない」だった。
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