境界の先へ
朝になり、食べないままだった昨夜の食事を片付けて、お風呂に入った。
もうこのまま帰ってこないのかな…とか、悪い考えばかりが頭をめぐり、涙が止まらなくなる。
自分の行動を思い返してみても、理由があったとはいえ子狐丸を疎かにしてきたのは事実で…。
お風呂から出て、洗面所の鏡に映る顔は酷いものだった。
青かった瞳は消え、全体的にやつれてる…これは昨夜一睡もしてないからだろうね。
いつもならこんな時は奈子さんに相談してたけど、今はとてもじゃないけど無理。
責任を感じさせてしまうのも絶対に避けたい。
自分で何とかしなきゃ…。
顔を洗ったら酷かった顔も少しマシになったかな。目のクマは寝不足だし諦めよう。
どうしようか悩んで、やっぱり探しに行こうと思い、まずは街へ。
いつもお買い物とかするお店の人に見かけてないか聞いてみよう。
何件か回って聞いてみたけど手がかりはなく…。むしろ私の心配をされてしまった。
寝不足なだけだからと誤魔化して探す事一時間ほど。
ふっと子狐丸の気配を感じて、急いでそちらに向かった。
この辺りはお店はなく、民家しかないから普段来ることのないエリア。
前は奈子さんの家がこの近くだったから時々来てたけど、引っ越してからは来ることも無くなった。
それこそ現世への境界のある山へでも向かう時くらいしか、もう通る事もないんじゃないかな。
狩りでもしてきて、直接ご自宅へ届けてるのかな…?
いろいろな想像がぐるぐるして、急く気持ちを抑えられず走り出して、ようやく見つけた後ろ姿。
声をかけるなんて、とてもじゃないけどできなかった…。
だって知らない金髪の女の人に腕を組まれて歩いてるんだもの。
私は手を繋いだ事も殆どないのに。
ああ…。終わった…。
その思いだけが重く重く心を押しつぶす。
もう追いかける気力も体力もなく、放心状態で家に帰り、寝室で布団に倒れ込んだ。
子狐丸はもうここには帰ってこない。そう思うと悲しくて悔しくて。
涙が出るかと思ったのにそれさえもなく。
「はぁ…」
何度も聞こえるため息が自分から出ているものだと気がつくのに随分とかかるほど、心ここにあらずだった。
ふと目についた左手の指輪。
これももう…なんの意味もないモノになっちゃった。
そっと外すと、指にはしっかりと痕が残る。消えない傷みたいに…。
結構な期間つけていたものね。一生外さないと思っていたのに。こんなにあっさりと終わるんだな…。
宝物だったソレをケースに戻して、最近増えた衣装を仕舞うために寝室に追加されたタンスの上に置く。
もうつけることはないだろうけど、子狐丸がくれた物だからと捨てられないのは未練がましいなって自分でも思う。
全部自分が招いた結果なのに…。
何もする気になれず、ぼーっとしていたら気配を感じて我に返り、慌てて現場へ向かう。
これも明確に力を使えるようになった最近、気がつけるようになったんだけど、境界が開く前兆を察知できる。
規模まではわからないけど、場所とタイミングはハズレない。
走って向かったのは海に行った時に通った、鎌鼬の人達が住んでる集落の近く。
目の前で境界が開いていくのは何度見ても不思議な光景…。
徐々に広がっていく染みのように景色が変わっていく。
タイマーは持ってきてるから、時間の確認だけしたら街の人に報告しないと。
せめて私に出来るいつもどおりの仕事はこなさなきゃ。なんの為に此方にいるのかさえわからなくなる。
なのに…やらなきゃいけないことがあるのに!
目に焼き付いた子狐丸と知らない女の人の後ろ姿がどれだけ振り払おうとしても消えてくれない。
頭を振り、何とか気持ちの整理をしなきゃ…とそっちに気がいっていたせいで、小さな子供が境界に近づくのを見逃し、入っていくのを止められなかった!
「時間は!? 嘘…そんな」
十五分!? 今から街へ行って報告して、人を呼んでたら間に合わない!
こうなったら…!
私が入るのは止められてるけど、今は私しかいないし、もし間に合わなかったらどのみちあの子は!
そう思った時にはもう身体は動いてて、境界の中へ飛び込んでいた。
初めて入った境界の中は、現世のコピーのはずなのに、見たことのない景色。とても現世とは思えない。ここはどこなの?
薄気味の悪い森というか、まるで肝試しに来るような雰囲気。なんでこんな場所に…
ううん。そんな事より今はあの子を探さなきゃ! 時間が短いってことは、狭いはずだから見つけられるはず!
「おーい! 誰かいるー?」
声をかけるも返事はなく、気配を探る。あの子が妖怪ならわかるはず。
自然と察知するものではなく、こうして力を使うと妖力が消費されるけど今は構ってられない…。
狭いなら少しの力で見つけられるはず。
……………
「いたっ!」
すごい妖力の中に包まれてるけど大丈夫かな…。
気配を感じた方へ向かうと、古い民家が。これが元凶?
言いようのない寒気と恐怖感を家から感じる…。なんなのこれ…。
妖怪や幽霊でもなく、家から? こんなの初めてだ。
しかも境界は狭いはずなのにここまで大きな家があるのはおかしい。
あの子の気配はこの家の中…。
怖いけど、入らなきゃ。
古い引き戸を開き、踏み込む。
真っ暗で何も見えないから、まずは声をかけてみるか…
「誰かいる? 危ないから外に出るよ!」
「…だれ?」
「瑠璃って言ったらわかる?」
「瑠璃お姉ちゃん!」
家の中から飛び出してきたのは、街で時々見かける子。確かお母さんが現世の物を売ってる…。奈子さんの引っ越し祝いのタオルを買った店の子だ!
たまにお母さんの手伝いをしてるから見かけたことはあったけど、私の名前を覚えててくれたのね。
「一人で入り込んだらだめじゃない」
「お母さんのお手伝いしたくて…。海に遊びに行こうと思ったら目の前に急にコレができて、一番に入ればいいもの持って帰れるかと思ったの」
「そっか。優しいね。 でもお母さんに心配かけたらだめよ? そんなの絶対に喜ばないからね」
「はーい…」
手を繋いで、話をしながら境界の外へ向かう。怖がらせないように…。
他に人が来る可能性も踏まえ、念の為境界の外にタイマーを置いてきたから残り時間がわからないけど、せめてこの子だけでも外に出るまで保って!
そう強く強く願ったら妖力が消費された。
これでこの子は大丈夫なはず。
「瑠璃お姉ちゃん…?」
「大丈夫よ。外に出たらちゃんとお母さんのところへ帰るのよ」
「うん。お姉ちゃんは…?」
「大丈夫。 ほら行って」
突き飛ばすようになって申し訳ないけど、もう私は限界なの。
子供が境界を越えたのを確認後、そこに開いていた境界は一瞬で閉じた。
ただでさえ残り僅かだった妖力をほぼ持っていかれて、あの子を怖がらせない様に平静を装うのがギリギリだった。
座り込んで肩で息をしながら何とか呼吸を整えようと試みるも、妖力が枯渇した状況ではそれも無駄に終わり、重たい身体を引きずって這うようにさっきの家に戻る。
何処かもわからないこんな森の中で休むのは流石に…。獣とかが居たら終わる。
家もかなり不気味だったけど外よりは…。
そう思い、家に入るとさっき感じた不気味さはなく、むしろ落ち着くような感じさえする。
あの子を追いかけて玄関をあけた時は真っ暗だったのに、今は電気もついてて明るい…。
これは一体なんなの?
あれだけ怠かった身体も軽くなり、何かすごく悩んでたはずの事さえ思い出せなくて、なんだかどうでも良くなった。
「家の中を見て回ろうかな…」
独り言をいいながら靴を脱いで家に上がり、見つけた扉を開けていく。
玄関を入ってすぐ右の扉がリビングとキッチン。
廊下を挟んで左手に二階への階段。二階は後回し…。
階段の奥がトイレ。更に奥の扉が洗面所とお風呂。
お風呂の真向かいの部屋はおそらく客間。豪華なソファーとテーブルがあるし。
一階はそれでおしまい。
二階へ上がると、全部で四部屋あって、子ども部屋っぽいのがニ部屋に、大人の寝室って雰囲気の部屋が二つ。
外から見たとおり、結構大きな家だね。でも人が住んでいる雰囲気ではない。不自然なくらい生活感がないというか、建てたまま使われていない感じ。家財道具はあるのに…。
リビングに戻り、ソファーに座って今後について考える。
そもそも境界の開いている時間に対して、境界内部が広すぎだし、あからさまに雰囲気がおかしい。
いつもなら境界に入らなくても建物があるなら外からも見えてたはず…。
モールなんてドーンといきなり建ったみたいな状況だったから間違いない。なのに…これは…?
私が入り込んだからだ、と言われたらそれまでだけど、外から見えてなかった時点でおかしいよね。
何より一番の問題は、境界の中に取り残された人は二度と戻らないっていう事実。
そっか、私戻れないんだ…。
璃奈ちゃんの成長みたかったな…。それに、雪乃さんの子…産まれるの楽しみだったのに。いい姉
になろうと思ってたのになぁ。
他は…なんだろう。何かあった筈なのに思い出せない…。
ま、いいか。 思い出せないって事はどうでもいい内容なのかもしれないからね。
本当にここから出られないのかはわからないけど、先ずはここを拠点にして周囲を調べて、帰る方法を探そう。諦めるのはやれる事をやってからでも遅くないはず。




