春戍の賦役
寒気が過ぎ去り、暖かい風が雪を溶かしてゆく。それは、黄河の恵みに囲まれた畿内の沃野においては農耕の始まりとなる。
しかし北の地、霊戍においては、戦いの日々が始まることを意味していた。
霊戍以北には鬱蒼とした山林地帯が広がっており、そこは稲穂の実りなどと縁遠い不毛の地である。雪が融けると獣たちでさえほとんど往来せず、まして人の移動などは限られてくるが、孟夏(四月)の到来と共に通行は活発になる。
そしてそれは、北狄の活動もまた盛んになるということであった。
北狄――すなわち、掠奪を生業とする北方騎馬民族の到来である。
雪に閉ざされた霊戍から北への道が開かれたこともあり、霊戍から維氏領の最北端、常山城へ、兵が送られることとなった。
維氏には春戍と呼ばれる特殊な賦役がある。冠雪期の間、常山城に籠って北を監視する役目であった。過酷な任であり、必ずといっていいほど、凍死する者、凍傷のために指を切り落とさねばならぬ者が出てくるほどであった。
維氏としても、兵糧と薪とは十分以上に備えているのだが、雪に閉ざされて城から出ることの出来ぬ環境では、不測の事態が起きやすい。主なものとしては兵士同士の喧噪と失火である。守将となった者は常に万事に備えているが、人が行うことである以上、これらを完全になくすということは難しいのであった。
維叔典もかつて、春戍に参加したことがあるが、その時には冬の雪山で死にかけたことがある。
しかし維叔典は、五体満足で生きているからと、そのようなこともあったと、苦労を笑い話で済ませているのであった。
そして今は、春戍を終えた兵たちと交代し常山城の守りに着くべく、北へと向かっていた。
「この春も、北からの難はなかったようですな」
維叔典は馬に跨りながら、隣の馬上にある男にそう話しかけた。
「ええ。この上は、少しでも早く常山城に入り、叔父上や兵たちに労いの酒を届けてやらなければなりますまい」
そう答えたのは、この軍の将、楼魯である。蓄えた顎鬚を撫でながら、鋭いまなじりのまま笑う男であった。
この楼魯は、維氏の右司馬、楼環の長子である。三十五という、将として脂の乗った齢であり、実際にこれまで維氏で多くの武功を立てている人であった。
「お二方は豪気ですね。私はいつも、常山に向かう行軍の最中は胸のあたりが軋むような心地が致しますよ」
弱々しい声を出したのは、日に焼けた、しかし線の細い男である。
「弓を取っても戈を取っても霊戍一と名高い子錡どのがそのようなことを仰るとは――」
皮肉でなく、純粋な驚きのままに維叔典は言った。
この男、趙子錡は維叔典の言った通り、武勇においては霊戍で一二を争う技量である。弓の腕前もそうであり、また、竹製のよくしなる長戈を自在に操るのが得意であった。
「弓も戈も、恐ろしくて敵に近寄りたくないがために極めた、惰弱の成果にすぎません。それに世には、たった一騎で多勢を押し返すような豪傑もいるのですから、私などを褒められてもかえって居心地が悪いですよ」
趙子錡は力なく笑う。余人が聞けば謙遜のような言葉であるが、趙子錡にとっては純然たる本心であった。
「厳熊を斃したという、鄭伯の臣ですか。あの人は破格でしょう」
「しかし、そういう人を意識されるというのは、子錡どのの向上心ゆえなのでしょうな」
楼魯と維叔典は、やや卑屈に寄った僚将を力づけるように笑った。
「私はただ、趙氏の子としての務めを果たしているにすぎません」
趙子錡は維氏において代々、家宰を務めてきた家である。その姓は嬴であり、維氏とは同姓であった。それ故に累代の維氏に忠義を尽くし、また厚遇されてきたのである。
趙子錡の父、趙索も維氏の家宰であり、趙子錡は長子であるので、いずれ後を継ぐことになっている。
ちなみにこの趙子錡は、鄭の姜子蘭に仕え大司寇となっている趙白杵の異腹の兄でもあった。趙白杵は趙子錡のことを、口うるさく諸事に喧しい兄と評しているが、趙子錡は謙虚で慎ましやかな人であり、そう映るのは趙白杵の言動と気性の問題である。
数日の軍旅を経て、三人と、彼らの率いる三千の兵は常山城へ入った。
この年、常山城の春戍を務めたのは楼環の弟、楼冄である。楼冄は一揖して維叔典らを迎えた。
「遠路、大過なく参られたようで何よりでございます」
「右尉どのこそ、春戍の任、お疲れ様です」
右尉とは楼冄の官である。楼魯にとって楼冄は叔父であるが、ここは陣中なのでそう呼んだのだ。
楼冄の顏には安堵の色がありありと出ていた。維氏の宿将、楼環の弟として、楼冄もまた維氏の北の守りを長きに渡って支えてきた。その歴戦の将であっても、寒波と気苦労とで憔悴し、霊戍への望郷に焦がれるのが春戍の賦役なのである。
兵糧の備蓄のこともあり、そもそも、交代の兵が来たとあれば、春戍の賦役に努めていた将兵が常山城に留まる理由はない。以降、常山城の守りは楼魯を守将として維叔典、趙子錡が担うこととなり、楼冄は元からいた三千の兵を率いてその日のうちに霊戍への帰路についた。




