千慮の一失
魏仲洪の目的ははじめから、自分たちをつけ狙ってきているという何者かをあぶりだすことにあったのである。ただし、巧くいけばよい、程度にしか考えておらず、ここまで上首尾となると、かえって魏仲洪は警戒した。
嬴六に聞くと、他に敵が隠れている様子はないとのことであるが、用心はしつつ、魏仲洪は聞いた。
「お前たちは誰の手の者だ? いかなる故があって私を狙う?」
二人の男は無言である。間者としてか刺客としてか、いずれにしろ、訓練された者たちであるらしい。
「依頼主の名を私に売るのであれば、多額で買おう。事と次第によっては、逃げるための算段をつけてやってもいい」
そう揺さぶりをかけたが、しかし二人の男は眉一つ動かさなかった。そのうちに、一人の男の体がぐらりと揺れて前に傾く。口元を覆っていた巾に赤い滲みが出来ていた。舌を噛み切って自害したのである。
最後に残った一人は、目元から見て、若い男のようだった。
自害するほどの覚悟はなく、しかし、今のところ口を割る様子もない。この場でこれ以上の尋問は無駄だと感じた魏仲洪は、嬴六に命じて轡を噛ませ縛り上げると、陣へと帰ることにした。
その際、欒侑には抜かりなく、死んだ男の所持品を探らせ、終われば崖下に投げ捨てるように命じたのである。
夜明け前に野営地に戻った魏仲洪は、捕えた男を先徹に預けた。先徹は、とりあえず見張りをつけて連れて行くと言ってくれたのである。
その上で魏仲洪は、欒侑と嬴六に交代で、捕らわれの男を監視するように命じた。
敵が男を奪還にくるか、あるいは口封じのために接触するか。そして、そういった者がいるとして、それがこの兵の中にいるかどうかを確かめるためである。
――先徹どのがそうであれば、私は終わりだな。
そう考えながら、しかしそれはないと魏仲洪は踏んでいた。先徹にその気があれば、杏邑から離れたあたりで危害を加えてくるだろう。
もちろん、魏仲洪が小梁に入ったところで何か事を起こす算段であるとも考えられる。しかし、そういう企謀に関与する人と疑っていれば、そもそも魏仲洪は従者二人だけを供として先徹率いる兵の中に身を置くようなことはしないのだ。
しかし、兵の中には何人か、そういう者がいるかもしれない。いいや、魏仲洪は、ほとんど確信をもって、いるに違いないと見ている。少しでも早く、その存在を確かめておきたいのだ。
しかし魏仲洪の目論見に反して、捕えた男はそのままに、一行は小梁へと着いてしまった。
ここまでが無事であったことは喜ぶべきことだが、一抹の不安が残る。
魏仲洪はさっそく城内へ入ろうとしたが、開門を呼びかけるより先に城門が開き、中から戦車が出てきた。その車上には、若い男がいる。目つきが鋭く、その下にある深い隈が特徴的である。伸ばした髪は、一応は束ねて上から冠を被っているが、荒れていて枝毛が目立っていた。
その人物を見て魏仲洪は叫ぶ。この男こそ、魏盈の次子、魏仲荘であった。
「仲父上は何故、小梁などに参られたのですか――?」
よく通る声であった。しかもそれが、敵意や警戒心からではなく、叱責のような言い方だったので、魏仲洪は戸惑いを隠せなかった。
「仲父上は長きに渡って父の副弐を務められ、政治と謀略に秀でた方でございます。しかし此度、自ら私を問責に来られたことは千慮の一失というより他にございません」
魏仲荘の貌には鬼気迫るものがあった。
後々のことを思えば、ここで魏仲洪が小梁に赴いたことは、魏仲荘謀叛の嫌疑についてだけのことであれば、取り返しのつかない悪手であったとは言えない。魏仲荘もまた、事態を重く捉えすぎ、それ故に仲父であり師でもある魏仲洪を手厳しく批判してしまっていたと言えよう。
ただし――魏仲洪が杏邑を離れたこの時に、杏邑に一人の男が入った。その男のもたらした陰謀が引き起こしたことを鑑みると、やはり魏仲荘の言葉は正しかったということになるのである。
魏仲洪が杏邑を出た翌日のことである。
その人物は、魏氏の家臣たちの目を憚って魏盈と会合していた。
「そなたか。我が妻の身内であり、今は智正卿に仕えているという男は」
魏盈の前で跪くその男は、青白く不健康な肌の色をしていた。許しを得て上げた貌は、眼窩が不気味にくぼんでいて、白髪なのも相まって白骨が喋っているようである。
風采の上がらぬ男だと思いながら、しかし客人であるので、魏盈は表向きは慇懃に接した。ましてそれが智正卿――智嚢の家臣となると、粗略には出来ないのだ。
そのような魏盈の胸中を知ってか知らずか、男は口を開く。
「はい。驪胡季と申します」
声を張っているはずなのに、弔問にでも来たような薄暗さがある。
――智嚢の蛇めは、よくこのような男を飼っているものだ。
その貪婪を蛇に喩えつつ、魏盈は心の中で智嚢に悪態を吐いた。いいや、仕えさせるだけであればそれは智嚢の自由だが、使者へとするのであれば相応しい者がいるだろう。少なくとも魏盈への心象という点では、驪胡季はすでに最悪であった。
ただしそれは、あくまで初見のことである。驪胡季はこののち、魏盈が思わず体を乗り出して聞き入るような甘い誘いの言葉を口にしたのであった。
「魏中卿におかれましては、我が主人と手を結び、樊を二分するおつもりはございませんか?」




