魏仲洪の夜狩り
静かな、暗い夜である。天頂にある月の灯はくすぶった炭のように頼りなく、三つの炬火は風に揺れて今にも消え入りそうである。
魏仲洪は欒侑と嬴六を連れて夜道を歩いていた。卒爾、狩りに出ると言い出した主人のせいで、二人の従者は不気味な夜行を強いられているのである。
しかもその進んでいる道というのが、どう考えても狩りの獲物とする鹿や兎などは出そうにない険しい山道なのである。むしろ、野犬や狼と遭うおそれのほうが高く、そうなれば獲物とされてしまうのは魏仲洪たちのほうであった。
「主人さまは何を考えておられるのやら」
欒侑は声を潜めつつ嘆息した。右手には松明を持ち、箙を背負いつつ先頭を歩いている。
「なんだ、お前は狩りが好きだと聞いたぞ。私が家中では狩りを催さぬのが不満だとは聞いている。だからたまには、よく仕えてくれている従者の願いを聞き入れてやろうと思ったのではないか」
その後ろで弓を肩に掛けた魏仲洪が、こともなげに言った。欒侑は明らかに狼狽している。
「……主人さまは、その話をどちらでお聞きなさったのですか?」
「私の耳目はどこにでもあるのだ」
狩りといっても色々あり、たとえば一国の君主やその有力な卿大夫が行うとなれば、これは単に獲物を持ち帰ることだけを目的とした狩猟でなく、家臣までもを巻き込んだ軍事演習となってくる。また、卿大夫が上官や同僚たちを招いて主催する狩りとなれば、それは社交の場であった。
逆に大夫や商家の子弟くらいになると、数人で出かけて、獲物を二、三匹ほど得ればそれで切り上げる程度の野外遊戯にすぎない。
魏仲洪くらいの立場であれば、家臣を引き連れてそれなりの規模で狩りを主催しても許されるのだが、魏仲洪はそういうことを行おうとはしなかった。
「お前は私に仕える前は狩猟や操船に熱中していたと聞いている。その腕前を見せてもらおうか」
「生憎と、このような狩りは初めてでございます」
腹蔵していた小さな不服を晒されて、欒侑は孺子のように拗ねていた。それでも炬火を手に進むことはやめず、不服を顔に出しつつも主命には忠実であった。
棒を手に二人の背を護る嬴六は、二人からは表情が悟られぬのをいいことに、訝しげに細くなる眼を隠そうともせず、
――よくわからない主従だ。
と、思っていた。
仕えだして日は浅いが、魏仲洪が家人に優しく、理不尽な叱責などをしない善き主人だということは伝わった。ただし厳格な人であり、そして、掴みどころのない人だとも感じていた。嬴六が他の家人たちに魏仲洪のことを聞くと、良き主人だと言った後に、芸術品の蒐集癖だけは困ったものだと苦笑するのである。
ただし魏仲洪の長所というのは、決して親しみやすさや穏和な態度からくるものではない。冷厳で、しかし公平であるという、私心に欠けた振る舞いによって与えられる印象なのだ。
しかし、欒侑と接しているときの魏仲洪はそうではない。この二人はどう見ても厳格な主従などではなかった。むしろ嬴六は、はじめにこの二人を見ていたので、魏仲洪の家人とは皆このような感じだろうかと考えていたほどである。しかし、異質なのは欒侑のほうであった。
「それでどうだ、嬴六。獲物はいそうか?」
不意に魏仲洪が振り向いて聞いてきた。
嬴六は、小さい声ではいと頷いた。
「どうにかなりそうか?」
「……おそらく、問題はないかと」
慎重に返す嬴六に対して、魏仲洪は軽く返した。
そうして歩いているうちに、三人は草原のあたりにやってきた。しかしその奥には渓谷が広がっていて、宵の闇も相まって、深い底は黄泉へと繋がっているように感じられる。
切り立った崖のほうへ魏仲洪が足を向けたかと思うと、不意にその姿が消えた。欒侑と嬴六はすぐさま、来た道を引き返した。
やがて草原には、ただ夜の風だけが吹く静かな場へと戻ったのである。
そこへ、足を踏み入れる者たちがいた。欒侑たちではない。三人ほどであり、いずれも平服であり、巾を撒いて口元を隠している。この暗さでありながら、炬火の一つも灯していない。
「おい、副弐は落ちたか?」
「そう見えたが、ここからではよく見えん。何を思って夜に出かけたのかは知らんが、勝手に死んでくれたのであれば手間が省けたというものだ」
男たちがそう話していたとき、弦音が鳴った。一人の体が揺れたかと思うと、たちまちに崖から落ち、渓谷へと引きずり込まれていったのである。
続いて、風を斬り、棒のしなるような音がしたかと思うと、残る二人の男たちは頸と鳩尾とを強打されて地に伏した。目にも止まらぬ早業である。
「正直、ここまで安直な連中であるとは思っていなかったぞ」
声がした。崖のほうからであり、それは、落ちたと思われた魏仲洪のものだったのである。
やがて、矢の飛んできたほうから、欒侑が炬火を掲げて近づいてくる。そこでは嬴六が、今は、主人を護るべく魏仲洪の側へと立っていた。
「しかし、わざわざ断崖に身を晒した甲斐があったというものだ。今宵の狩りの首尾は上々だったな」




