小梁の地
杏邑を出た魏仲洪は、なるべくその旅路を急がせた。
御者は、始めのうちは、新たに家臣として加わった嬴六が行っていたが、父の下へ魏仲洪からの書簡を届けに行っていた欒侑が追いつくとその任を代わった。嬴六はそのまま、魏仲洪の車に同乗することとなったのである。
畏れ多いと嬴六は遠慮したが、
「これよりは敵地に向かうと思って歩を進めなければならない。私のことを思うなら、戦車の車右になったと思え」
と、魏仲洪は言った。
つまりは護衛である。それならばと、嬴六は目を猛禽のように鋭くし、主人の身辺を警戒することとした。
嬴六という、にわかに魏仲洪の家臣となった男がたちまちにその信を得ていくのを、欒侑は不思議そうに眺めていた。決して、自分のほうが長く主人に仕えてきたという気持ちからではなく、
――主人さまは、実直で表裏のない人を好まれる。
と感じたからであった。
つい先日までの、霊戍への往復よりは旅路が速い。少しでも早く魏仲荘の下へ向かいたいという想いがあったからである。
しかし一つ、魏仲洪の心を軽くしてくれたのは、欒祥が協力を快諾してくれたらしいということである。欒祥であれば卒なくこなしてくれるであろうと信頼できる。危ない橋を渡らせているという後ろめたさもあるのだが、欒祥とて情や縁故だけでなく氏長としての判断で了承したのだろう。
――過度に気にしすぎるのは、かえって侮りというものだ。
魏氏の安泰か、魏仲洪とのつながりか。
欒祥が何を重視したかは分からないが、軽挙をする人でないと知っているので、欒祥について考えるのはここでやめた。
ともかく今は、魏仲荘の居城たる小梁へと車を急がせた。
ここで魏仲荘の領邑たる小梁という地について少し説明しておく必要がある。
小梁の地は魏氏の領の南端であり、元は梁と呼ばれる嬀姓の国があった。さらにその隣には尹と呼ばれる姞姓の国があった。
しかしこれら二国は撃鹿の戦いに際して樊の荘公に従軍した結果、主力を失って衰退し、後に魏氏に併合されたのである。そして今は、小梁と名を改めて魏氏の邑となっていた。
小梁の南方には管という国がある。これは姫姓の国であり、現在、魏氏との関係は良好であった。
「管国の動向について探っておかずともよろしいのですか?」
欒侑が聞いた。今のところ考えにくいことではあるが、魏仲荘が管国と手を組んでその兵を魏氏の領内に誘引するというのも、ない話ではない。というよりも、そこまで考えておかなければならない、という懸念を口にしたのである。
魏仲洪も無論、そこは考えていた。
とはいえ、欒侑は傍に置いておきたく、嬴六は内偵などは不得手のようである。
魏仲洪は、先徹の下へ車を走らせて相談した。
今年で五十になるこの初老の部将は、やや白くなった顎ひげを撫でながら、
「ならば、私の息子を向かわせましょう」
と、言った。
先徹の息子――叔子の先邯という者が同行していた。今年で二十になる青年である。しかし、背は低く、魏仲洪から見ると、二十という齢よりも幼く見えた。
先邯はかつて、管国を旅していたことがあるらしく、今も多少の知己がいるとのことである。都合がいいと思いつつ、おそらく先徹は管国と何かあるやもしれないと見越して連れてきたのだろうとも思った。
――こういうところは、先氏の年功だろうな。
魏仲洪はすぐに、五人ほどの兵をつけて管国へと向かわせた。
小梁までの旅程は、どれほど急いでも五日ほどはかかる。一日目の夜、その日は公務ということもあり、近くの官衙を借りて兵を休ませることにしたのだが、そこで魏仲洪は先徹を呼んだ。夜も歩を進め、三日で着くことは出来ないかという相談である。
「あまりよい方法ではないかと思います。我らは少梁を攻めるわけではなく、ならば拙速は愚策であるとは、副弐どののほうがご承知のことではないでしょうか?」
「うむ。いいや、その通りです」
軽率な言葉だったと、魏仲洪は反省した。
魏仲荘の謀叛が無実であれば、杏邑からの使者が足早に迫ってくる現状を知って疑心暗鬼となるだろう。逆に、真実だとすれば、強行軍で疲弊したところを要撃される恐れがあった。
先徹に諭された魏仲洪はもうそのようなことは考えず、もどかしさを抱えながらも、顔の上では平静を保ったまま小梁へと進んだ。
しかし三日目の夜、嬴六が急に話がある、と言ってきた。この日は野営であり、魏仲洪の帷幄を訪ねて来たことになる。魏仲洪の他には欒侑がいるのみであった。
「どうも、何者かが我らをつけ狙っているような気がいたします」
嬴六は、剣呑なことを言った。確証はなく勘のようなものだというが、淡々と言われると不気味な説得力がある。
「嬴六よ。勘と言ったが、お前はそういう、敵の気配を探るのには長けているのか?」
「多少は、人より得手であると自負しております」
言葉数が少ないのは嬴六の武骨さや謙遜ではなく、出自の話に繋がるからであると見た。
「そういえば、霊戍の人は夜にも狩りをすると聞くが、お前もそうだったか?」
「はい、夜狩りの経験もございます」
「ならば――これから一つ、指北してもらうことにしよう」
魏仲洪は立ち上がると、狩衣に着替えると言い出した。
二人の従者は仕方なく、主人に同行することとなった。




