助言
かつて、漂白していた頃の姜子蘭が魏氏の下を訪れたことがあった。
その時に魏盈は、姜子蘭を旌旗とすべく軟禁し、一方で娘を姜子蘭に嫁がせようと考えていた。しかし娘は父の意に反して姜子蘭を逃がし、そのことを言い放ちつつ自害を図ったのである。
その娘――魏香蘭の命は、そこで尽きるはずであった。
だがその場にいた魏仲洪は、短剣を手で掴んで止めたのであった。そして、魏盈からその身柄を引き取って自邸に幽閉することにしたのである。
はじめのうちは、魏香蘭は半狂乱であり、何度も自害を試みた。しかし魏仲洪が人を付けて見張らせ、何度も止めさせたのである。そのうちに、半年もすれば魏香蘭の心のざわめきも落ち着きを見せたのであった。
「珍しく憔悴なさっておりますね。何か心労なさるようなことでもあったのですか?」
「……相変わらず目敏いな」
魏仲洪は目を細めた。
「仲荘が叛いたやもしれん。誤解であると私は信じているのだがな」
隠さず、魏仲洪は言った。隠す必要がないことと、聞いて欲しいという感情があったからである。
「謀叛ですか。仲荘どのは、そういう方には思えませんけれど」
魏香蘭は、魏盈の娘であるが、自分のことを魏氏だと思っていない。その母は元は魏盈の家臣の妻であり、魏盈が姦計によって死に至らしめた後に自らの妾としたのである。ただし母は魏盈の奥向きに入るより前に香蘭を宿していたらしく――少なくとも、母は香蘭にそう教えていたのであった。
だから、魏仲荘のことも、本来であれば兄上と呼ぶところを他人行儀に呼んでいるのである。
魏仲洪もまた、そういう香蘭の心情については思うところがあるらしく、特にそれを咎めたりはしない。大体からして、魏仲洪はその気になればいつでも香蘭を殺すことは出来るのだ。だからこそ、細かいことに気を揉むこともないのである。
「謀略の気配が致しますね」
「お前もそう思うか」
魏仲洪は薄々、そう感じてはいた。これは長年、魏盈の副弐を務めてきた魏仲洪の勘のようなものである。
しかし香蘭は、自身の他に耳目を持たず、しかも牢の中にいながらにしてそう感じたらしい。
「仲荘どのにそれをする利があるとは思えません。伯譜どのとも親しくされておられましたし、何よりも、伯譜どのの中卿の跡継ぎとしての地位には盤石でございます。仲荘どのがそれを崩せるとは思えませんし、また、そういうことをするような人でもないかと」
香蘭の見解は魏仲洪と同じであった。
「そのあたりのことも含めて、仲荘に問いただしてくる」
「それはよろしいのですが、仲父上には杏邑にお味方はおられますか?」
思いがけぬ問いである。
魏仲洪は、いないと答えた。派閥とか与党とか、そういうものを魏仲洪は厭っているのだ。そういうものに加担するのを避けていると言ってもよい。
「仲父上が不在の間、杏邑での動向を探ってくださる方がおられたほうがよいかと思います。仲荘どの謀叛の嫌疑に陰謀があるとすれば、その者が杏邑で暗躍するに違いありません」
「ふむ、そうだな」
魏仲洪には盲点であったが、香蘭に諭されると、最もであると頷いた。
とはいえ、魏仲洪にそういうことを頼めそうな相手はほとんどいない。これを任せるとなると、人脈や地位、能力よりも、その相手に信が置けるかどうかのほうが重要なのである。
「執戟長どのはいかがでしょうか?」
「欒祥どのか……」
欒祥とは多少の交誼があるし、その子たる欒侑を従者としている縁もある。卒のない人であり、無難にこなしてくれるだろう。また、頼めば断られぬのではないかという予感もあった。
「仲父上が何者かの陰謀に任せ、仲荘どのを排斥されようとされるのであれば構いません。しかし、仲荘どのを救わんと思われているのであれば、身辺に警戒し、助力してくださる方がおられたほうがよいかと思います。仲荘どのを敵と思う人にとっては、仲父上も敵でございましょうから」
香蘭は魏仲洪の身を案じるようなことを言った。
話しておきながら、それが魏仲洪には不思議でならない。香蘭が魏盈のことを怨んでいるのであれば、その弟たる自分もまた憎悪の対象となるはずである。命を助けたことなど恩にもならない。香蘭はむしろ、死にたがっていたはずなのだ。
もう一つ、分からないことがある。
兄のことを伯譜どの、仲荘どのと他人行儀に呼ぶくせに、香蘭は魏仲洪のことは未だに仲父と呼んでいることであった。
一度、そのわけを聞くと、
「私にとっては父に次ぐ人であり、寝食の世話を受けておりますので」
と、言うだけであった。間違いではないが、牢に入れ、幽閉しているだけである。そこに恩を感じ、敬意を向けるというのが、魏仲洪には分からなかった。
ただし、香蘭の助言は容れるべきだと感じた。魏仲洪は室に戻って書簡をしたためると、翌朝、杏邑を発つときに欒侑にそれを持たせ、欒氏の邸宅へ届けさせたのであった。




