血の匂い
維叔典は明朗な性格であり、魏仲洪を大いに歓待した。しかも、外は寒いだろうからといって、従者に過ぎぬ欒侑にまで室を与え、酒と膳とを用意してくれたのである。
日が暮れるまで、魏仲洪と維叔典は酒を酌み交わしていたらしい。少し離れた室からであるが、談笑の声が欒侑にも聞こえてきた。やがて日が落ちたころになって、維叔典の家人の一人がやってきた。
「副弐さまが酔いつぶれてしまったようでして、来ていただけないでしょうか?」
珍しいこともある。そう思いながら広間に向かうと、聞かされていた通り、そこでは魏仲洪が卓に伏せて寝ていた。
「申し訳ない、従者どの。副弐どのと話すのが楽しすぎて、少し酒を呑ませすぎてしまったようです」
維叔典は欒侑にも一定の敬意を払いつつ、申し訳なさそうな顔をしていた。
「いえ、我が主人のほうこそ、醜態を晒してしまったようで申し訳ありません」
軽く頭をさげつつ、魏仲洪の非を詫びる。正体を失った主人の代わりに頭を下げるなど、欒侑にとって初めての経験だった。魏仲洪は酒を好むわけでもなく、どちらかと言えば弱いほうだが、それでも無様に酔いつぶれるところを欒侑は見たことがなかった。
維叔典の家人の手も借りて、欒侑はどうにか魏仲洪を車まで運んだ。そして、重ねて非礼を詫びつつ、車を動かし始めたのである。
日が落ちて、群青の空が支配する霊戍の夜は、異様なほどに不気味である。車の前方に松明を立ててはあるが、それだけでは薄暗くて心もとない。
こうなると分かっていれば、雪掻き人夫として連れてきた家人を何人か随行させていた。霊戍の城内は道も整備されていて除雪も行き届いている。それ故に魏仲洪は供はいらないと言ったのだが、もう少し食い下がるべきだったと、欒侑は今更ながらに悔いた。
――主人さまは、人を多く連れて歩くことを厭う悪癖がおありだな。
護衛もあまりつけたがらないし、家人も最小限しか雇っていない。此度も、魏盈は副使や随従の兵を付けると言ったのだが、魏仲洪がすべて断ってしまったのである。
それでいて、別に魏仲洪が武術に秀でているというわけでもない。欒侑にしても、武官の家の子として人並みに修めはしたが、せいぜい二人を同時に相手取っても逃げおおせられるくらいのものでしかない。
だからこそ魏仲洪には、もう少し身辺に警戒をして欲しいのだ。しかしこのことについて、魏仲洪は頑なであった。これも欒侑の父、欒祥が語った人嫌い故の行動なのだろうか。
不意に、ひときわ鋭い風が吹いて、炬火が揺れた。明かりがわずかに広がったかと思うと、前方で何かが動いたのである。人であった。それも、のそのそとしていて動きが鈍い。加えて、風から運ばれてきた匂いは、錆びた鉄のようであった。
――血を流しているらしい。
どうすべきか、欒侑は逡巡した。個人の情としては、気がかりであり、手傷を追った者を捨て置きたくはない。しかしこの車は主人のものであり、しかも今はその主人は深酒によって眠りについていた。欒侑が勝手なことをするのは、主従の矩を越えることになる。
「――構わんぞ。乗せて客舎に運び、手当てをしてやれ」
背後から声がした。それが、眠りこけているはずの魏仲洪のものだったので、欒侑は一瞬、息が止まったような心地になった。
「ええと、起きられたのですか? それと、よいのですか?」
「いいと言っている。ただし、人目には触れないようにしろ」
当惑しつつも、欒侑は言われた通りにした。
怪我をした人物というのは、男であり、しかも相当に大柄である。どうにか持ち上げたが、意識がないので目方よりさらに重い。荷を転がすようにして無理やりに車に乗せると、冬の夜だというのに、欒侑は汗で額を濡らしていた。
そのまま、少し馬を急がせて客舎に入ると、寝ていた雪搔き人夫たちを叩き起こして男を運ばせ、傷の手当てをさせた。
これだけでも重労働だが、大変なのはその後である。地で汚れた衣服を始末し、車を洗わなければならない。その夜、欒侑には眠る暇がなかった。
鶏鳴が朝を告げる頃、ようやく、欒侑はやるべきことを終えた。すると魏仲洪が、
「出かけるぞ、欒侑。車を出せ」
と言ってきた。あくびが出かかっていたところであり、欒侑は慌てて口元を抑えた。手で口を閉じ、眠気を嚥下しつつ行き先を聞くと、維叔典の邸宅へ、とのことである。
「昨日の非礼を詫びねばなるまい」
詫びに行くというのに、魏仲洪は落ち着いている。しかも、先日の宿酔いの時と違って顔色がそこまで悪いようには思えない。酒量で言えば、一昨日よりも昨日の方が多く酒を過ごしているはずなので、欒侑は不思議に思った。
とはいえ、主命である。徹夜明けの体に鞭打って、欒侑は車を用意した。




