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春秋異聞  作者: ペンギンの下僕
魏氏罅隙

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齎字の儀

 齎字(せいじ)の儀とは、樊に独自にある儀礼である。当代の樊伯から卿となる者に(あざな)を送るというのがその内容だ。その(あざな)を指して齎字と言い、これを与えられた者は以降はこちらを名乗ることになる。

 決め方については、樊伯仕えの史官や大夫たちが故実を引いて候補を選出し、最終的には占卜せんぼくによって決めるということになっている。そして、齎字を持たぬ者は卿になれないのだ。

 齎字を貰う時宜は人によって異なるが、まだ先代の卿が存命の間に儀が行われることのほうが多い。

 また、史官や卜官が選出するとはいえ、君命によってあざなを変えることには違いなく、その儀式は大がかりなものとなる。そのため、複数の卿の後嗣を集めて同時に行うのが通例だ。

 というよりも、今でこそ卿は三人しかいないが、以前は六人いたのである。そのうち一家のために樊伯直々に儀を執り行うことなど出来なかった。そのような厚遇をしてしまえば、他の卿の家から不満が出るに違いないのだ。

 卿の急死などがあり、騒然と代替わりが行われた時には、儀を簡略化して齎字を与えることもある。しかしそれにしても、後に齎字の儀を行う時に改めて贈られるのである。

 そして、三卿となった今の樊においては、三家揃って齎字の儀を行うしかない。しかし今は、維弓がまだ後嗣を定めていないがために行われていない。これについては維氏は、智氏と魏氏から責められても仕方のないことであった。


「後嗣のことについては、兄も頭を悩ませているようです。私も臣として進言してはいるのですが、悩まれておられるようでして」

「私は他氏の臣であり、維氏のことに容喙する立場ではございません。しかし、そのために齎字の儀が行われぬとなると、話は別です」


 齎字を持つ者しか卿を告げないことは先ほど書いた通りである。逆に言えば、齎字を賜るということは、樊伯より次代の卿となることを認められたということだ。正式に次代の卿となることが分かれば、廷臣もそのことを弁えて嗣子に接するようになる。それ故に、跡継ぎを定めた氏族が子の地盤を固めるために齎字の儀を望むのは当然のことであった。

 また、嗣子の身辺の安全、という点でも担保される。そもそもこの慣例が出来たわけは、後嗣騒動が起きぬよう、樊伯が卿の後嗣に儀を通してよしみを結ぶためなのだ。

 齎字を持つ卿の後嗣が変死した場合は樊伯がその死について調べ、不審な点があれば問責出来ることになっている。もっとも、法として存在はするが、一度として行われたことはない古法でもあるのだが。


「なるほど。婚家の話は建前であり、次代を決めるよう圧を掛けるのが狙いでしたか」

「いいえ、維少卿が後嗣を定められたのであれば、我が主人は喜んで娘を嫁がせると申しております。それに、少卿としても維氏としても、いずれは決めねばならぬことでございましょう」


 維嘉は軽く咳払いをした。その裏に如何なる思惑があろうとも、魏仲洪の言葉が正しいことは認めているのだ。といって、維氏の氏長は維弓である。兄に進言してみるという返事の他に、言えることはなかった。




 半刻(一時間)ほどで、魏仲洪は維嘉の邸から出てきた。まだ白日は天頂にまで達していない。


「さあ、次だ。行くぞ」

「どちらへ?」


 車に乗り込んできた主人に向かって欒侑らんいくは聞く。霊戍れいじゅで忙しくするとは聞かされていたが、詳しいことは何も教えられていなかった。


維叔典いしゅくてんどののところだ」

「少卿どののところへは赴かれぬのですか?」

「もう話すことはないさ」

「ならば、楼右司馬どのの邸宅などには」


 いかぬ、と魏仲洪は即答した。先日、霊戍までの道のりを護衛してくれた礼を述べに行くのだという。先に維嘉を訪ねたことと合わせれば、理には適っている。

 ただし、手綱を握り車を勧めながら、欒侑はどうにも納得がいかないと思っていた。無論、魏仲洪の中には思惑があってそうしているのだろう。それは分かるのだが、その思惑というのがどういうものなのかが分からないのである。


 ――従者の立場でそのようなことを考えることも、知る必要もないと言われてしまえばそれまでだが。


 貴位にある者は、下の者には唯々諾々と自分の命令だけを行うよう求める人もいる。この点について従者というのは微妙な立場であり、主人の小間使いのようなことをすることもあれば、護衛や謀臣として立ち回ることもある。

 つまりは、主人が従者に何を求めるか次第、ということになる。

 では魏仲洪は、従者というものをどう位置付けているのか――それが、欒侑には未だ分からずにいた。

 今のように、魏仲洪の行動について問いかけても、それを叱責されることはない。といって、何かを諮ることもないのである。欒侑がまだ若く、その知見が魏仲洪にとって恃むに足らぬのだと言われてしまえばそれまでなのだが。

 本日は21時に外伝『春秋異聞南溟伝』の更新もあります。そちらも是非よろしくお願いします!!


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 ちなみに以前にも一度書いたのですが、樊の旧六卿の氏と(あざな)はこちらになります


 正丞――智嚢(ちどう)

 中丞――韓札(かんさつ)

 少丞――維弓(いきゅう)

 正将――武釼(ぶけん)

 中将――魏盈(ぎえい)

 少将――士韜(しとう)

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