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春秋異聞  作者: ペンギンの下僕
魏氏罅隙

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維弓の三子

 維弓いきゅう智嚢ちどうに代わって樊伯夷皐(いこう)の庇護者の地位を狙っている。蒋不乙しょうふいつ魏仲洪ぎちゅうこうの示したその見解には、魏盈ぎえいも同意見だった。

 ならば次に考えるべきは、何故、今であるのかということであった。

 三卿の中で維弓が老齢であるということもあるだろう。しかし、それだけではあるまいと魏盈は考えている。


「維少卿は、我らとの対立を次代へ継ぎたくないのでしょう。後嗣の問題がございますからな」


 魏仲洪の言う後嗣というのは、維弓の後継のことである。

 維弓の正妻には維孟(いもう)維仲堰(いちゅうえん)維叔典(いしゅくてん)という三人の男子がいる。いずれも成年であり、維孟が三十、維仲堰が二十九、維叔典が二十八であった。他に妾の間に男子が一人いるが、こちらはまだ八つと幼い。

 順当にいけば長子の維孟が少卿を継ぐことになる。しかし維弓は、未だに後嗣を指名していなかった。

 今の樊国はかろうじて均衡が保たれている。しかも維弓の居城、霊戍れいじゅは樊国を北狄ほくてきという騎馬民族から守るための要地であり、安易に長子相続させるのがよいとも言えず、維弓が慎重になるのも当然である。


「子に禍根を残さぬためか、あるいは、頼みにならぬと見切りをつけたのか。いずれにしろ、強引なことをしてでも己の手で決着をつけるつもりでしょう」

「そのために樊伯に接近した、というわけか。そうならば当然、これで終わりではあるまい。維弓は次にどう出てくると思う?」

「すぐに兵を出す、ということはないでしょう。それが北地に居を構える維氏の辛いところです」


 冬から春先にかけては、維氏は北狄よりも豪雪と戦わねばならない。雪に阻まれて身動きが取れなくなるのである。


「維少卿の思惑については、今もって分かりにくさがあります。あの人は我が君のことも、智正卿のことも嫌っています。しかし同時に、独力で我ら二氏に勝てるという倨傲も抱いていません」

「なんだ。それでは、何も分からぬし、何も出来ぬと言っているようなものではないか」


 魏盈が詰るような目容を向けた。蒋不乙のほうは、不気味なほどに静かである。


「いいえ、仕掛けられることはあります」


 ほう、と魏盈の双眸が光を放った。


「つい先だって、(けい)国で後嗣争いがあったことは覚えておられるでしょう。薊国に近い維氏の人々は、否応なしにその乱と帰結を知ることとなり、意識したに違いありません」

「なんだ、それは。正しく後嗣を定めなければ国が乱れるということか?」

「それもあります。ですが、維少卿はそうと分かっていながら、しかし未だに決められずにいる。戦場では果断を以て知られる人が、家のこととなると優柔不断だというのは皮肉なことですな」


 維弓は薊国の乱から何も学んでいない。魏仲洪は、そう揶揄した。しかし後嗣をいつまでも定めぬということは、卿としての責務を果たしていないということに違いない。


「揺動したのは、少卿の子らでしょう。武力があれば、長子でなくとも父の跡を継ぐことが出来ると示されたのです。維少卿が後継を明らかにしていない今であれば、長子にとっては恐ろしく、仲子じし叔子さんしにとっては光明とも言えるものでしょう」


 魏仲洪は口元に笑みを浮かべた。悪辣な笑みである。そして魏盈も、なるほどと頷いた。どういう方策を行おうとしているか、察したのである。


「それで、具体的に何をする?」

「我が君がよろしければ、普英ふえいさまの名を使わせていただきたいのですが」


 普英というのは魏盈の娘である。それも正妻の子であり、魏伯譜の妹である。齢十九であり、そろそろ婚家を考えるころであった。


「なんだ、少卿の子の誰かにでもくれてやろうというのか?」

「そういう意向がある、と少し維氏に仄めかすだけでございます。私が使者として霊戍へ参りましょう」

「それは構わんが、誰に示唆するのだ?」


 魏盈は、娘を策謀の駒に使うというのに、声を弾ませていた。陰黠なたくらみに活き活きとするところが、この兄弟は実によく似ているのだ。


「それは維少卿次第ですね。維少卿には、我が君は次代の少卿に息女を嫁がせたいと思っている、と告げるのです。そしてそれを、三人の子の耳に入るように仕向け、かつ私も彼らに近づき、その人倫を見て参ろうと思っております」


 魏盈は手を打って哄笑した。たった一人の使者を送るだけで、維氏の内訌を誘うことが出来る。しかもその使者が魏仲洪であれば、千の兵を差し向けるよりも有効だろう。魏盈の魏仲洪への信頼はそれほどのものであった。


「では、私は仕度を整えて明日には発ちます。我が君には、さきほどの旨を記した書簡を記していただきたい」

「ああ、任せておくがよい。だが仲洪よ、北地は極寒の地だ。暖衣は多く持っていくのだぞ」

「――ご高配、痛み入ります」


 深々と頭を下げると、魏仲洪は立ち上がろうとした。しかしその前に蒋不乙のほうを見て、


「大司馬どのには、練兵を抜かりなくお願い致します。策謀と舌鋒で敵を乱すのは我が職分なれど、武力なくして戦いに勝つことは出来ませんので」


 と、頼み込んだ。僚将としての請願であり、気遣いである。蒋不乙は無難に、


「相分かりました」


 と、言葉を返しただけであった。

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