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春秋異聞  作者: ペンギンの下僕
魏氏罅隙

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不和の理由

 魏仲洪ぎちゅうこう蒋不乙しょうふいつは、ほとんど同じくらいに魏盈の邸についた。

 ただし蒋不乙は、御者に命じて魏仲洪の車を追い越させて、先に入ってしまった。よほど、魏仲洪と肩を並べて主君の前に参じるのが嫌だったらしい。


「私は相当に疎まれているな」

「大司馬のあれは、今に始まったことではないではありませんか」


 主人が妙に深々と言うので、欒侑(らんいく)は呆れた。


「別に、疎まれているのを知らないわけではない。ただ、昔からずっと、蔣氏はああだったからな。何をしたがためにああまで嫌われてしまったのかが思い出せなくなっただけだ」

「……大司馬と、何事かあったのですか?」

「思い出せぬ、と言ったぞ。交誼など持っていたことはないが、特段、何かをしたわけでもないはずなのだがな」


 本心か戯言か、欒侑には判別がつきにくい。しかし、声がどこか浮ついていて芯のようなものがない。諧謔で言っているのではないかと思いつつ、そうではないように欒侑には感じられた。

 そうだとすると、これほど奇妙なことはない。魏仲洪は、混迷する樊国の中で立ち回る魏盈を補佐してきた。その立場にあり続ける以上、清流だけを汲むわけにはいかず、人の表裏を否応なしに見てきたはずである。


「大司馬のあれは、妬みや――後は、故などなく、主人あるじさまと気性が合わぬからでしょう」


 その言葉だけで済んでしまうことに違いない。にも拘わらず、魏仲洪は蒋不乙からの嫌怨について考え込んでいるのだ。


「まあ、そうか。しかしよく、飽きもせずに嫌い続けられるものだな。これが敵同士なら分かるが、私と大司馬とは同じ主君を仰ぐ僚将だし、私は一度もあの人について讒言(ざんげん)や中傷などした覚えはないぞ。逆恨みすらされるようなことはないはずだ」

「主人さまには、人を嫌う心というのがおわかりにならないのですか?」


 つい、欒侑は直截な物言いをしてしまった。


「いいや、感情が理屈を凌駕して人を動かす、というのは分かる。しかし、私自身が誰かを嫌うということが近頃は減ったのでな。ふと気になったまでだ」


 欒侑は戸惑いの息を吐いた。今日の魏仲洪は、いつになく判然としない様子であった。




 魏盈のところへ赴くと、既に蒋不乙が座っていた。魏盈の前であり、蒋不乙は、副弐としての魏仲洪に形式ばった挨拶をすると、


「維氏の山犬のことでございますな」


 と、魏盈に聞いた。


 ――大司馬も知っていたか。


 魏仲洪は少しだけ驚いた。


「そうだ。あの老人は、何やらよからぬことを企謀しているのだろうよ」


 老人と言ったのは、維弓が魏盈よりも年長だからである。

 ちなみに樊の三卿の齢は、今では智嚢ちどうが四十三、魏盈が四十五、そして維弓が五十五である。


「ならば、その前に攻め潰してしまえばよいでしょう。私に二千の兵をいただければ、北の山犬の長の首を御前に献じてみせましょう」


 蒋不乙が叫んだ。蒋不乙は戦いを好む気性であり、また、維氏やその兵をのことを山犬と侮り、蔑視しているのだ。しかしその言葉は、卿の軍兵を司る者の言葉としてはあまりに軽慮であった。魏仲洪はつい、


「大司馬はかつて、山犬の子に撃退されたことを忘れてしまわれたらしい」


 と、皮肉を言いたくなった。しかし、口にするとこの場と後々とで面倒ごとが起きそうなので呑み込んだのである。


「そういうわけにはいかぬでしょう。維氏の兵は強く、しかもこちらから攻め込むとなれば、奴らの得意な山岳戦を強いられることになります。それに、我らと維氏が争い始めれば、西のはやぶさが暗躍を始めるに違いありません」


 西の隼とは、言うまでもなく智嚢のことである。魏氏と智氏が争うということは、両者が共に傷つくことであり、それは飢えた獣の前に肉を差し出すに等しい行為であった。

 この状況を打開するには、二卿が手を組んで残る卿を討つしかない。しかし三卿はそれぞれに互いのことを、信を置けぬと見ていた。

 三氏の不和が樊国に混迷を生んでいる。しかし、その不和が抑止となって均衡が保たれているとも言えた。


「まあ、副弐も大司馬もそう逸るでない。此度はただ、維少卿の思惑について二人の見解を聞きたいまでだ」


 魏盈が二人を宥めるようなことを言った。二人の不仲ことを魏盈は知らぬが、反りが合わぬらしい、というくらいのことは主君として察している。争論が過熱せぬよう、魏盈は主君として二人の話に口を挟んだ。


「忠臣面をした山犬の考えそうなことなど、そう大したものではありますまい。卿直々に顔を見せることで忠誠心を見せびらかし、智氏に代わって樊伯の庇護者になろうとしている、というようなことでしょう」


 蒋不乙のこの言は、存外、的を射ているのではないかと魏仲洪は感じた。というより、魏仲洪の見解も同じようなものだったのである。


 ――魯鈍なのか、悧巧なのか。


 粗暴で短慮なくせに、時おり、乱暴な物言いの中に察敏を見せることがある。

 魏仲洪は魏盈に意見を求められると、


「大司馬と同じ考えにございます」


 と、答えた。

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