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春秋異聞  作者: ペンギンの下僕
魏氏罅隙

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魏仲洪の趣味

 魏仲洪ぎちゅうこうの推測通り、ていに入った姜子蘭は国内のことに追われていた。

 兵もそう多く持たず、未だ宮城きゅうじょうすら造るゆとりがなく、朝廷さえ開かれていない有様であると密偵から知らされた魏盈(ぎえい)は安堵して、半年も経つと姜子蘭のことなど忘れてしまったのである。

 そうして一年が過ぎた。史書に成王二十一年と記される年である。

 新年の諸事を終えた魏仲洪は、自邸の庭にある倉の中に一人でいた。この倉というのが、邸宅の主屋と同じくらいの広さがある。中には木像やかなえ、屏風に鉄細工、酒器や茶器などが陳列されていた。これらはすべて、魏仲洪が趣味で集めた品々である。

 魏仲洪には妻がいない。酒も人並み程度しか呑まず、贅沢を好むわけでもない。そんな魏仲洪の唯一というべき財の使い道がこれであった。大店の商家に留まらず、時には市井の道具屋などに赴いて気に入った物を買い、倉に納める。そんな生活を十数年続けているうちに手狭になったため、二度ほど増築して今の広さになったのだった。

 しかも魏仲洪はこれらの品々を披瀝するのが好きらしく、たまに人を招いて酒宴を開くと、倉に誘って歩き、陳列された品についての蘊蓄を垂れるのであった。それを時に、兄であり主君たる魏盈にも行っていたのである。

 副弐(ふくじ)であり弟である魏仲洪が相手なので時折つきあいはするが、実のところ、魏盈は内心でうんざりとしていた。害にはならぬが、得にもならぬし、何よりも退屈なのである。これが美女の像や絵ばかりであれば少しは楽しくもあるのだが、こと絵や像について魏仲洪が好むのは動物や伝承の怪物などの姿を映したものばかりであった。


「副弐のやつは奇人ゆえ、ぬくもりのせぬ絵像などに劣情をもよおすのであろう」

「人の心が分からぬから、口を開かぬ物品しか愛でることが出来ぬのだ」


 魏盈の軍事における長、大司馬(だいしば)蒋不乙(しょうふいつ)などは、魏仲洪の趣味をしてこのような悪態をついたことがある。これは蒋不乙と魏仲洪が不仲であるが故の言葉だが、大国樊の中卿の副弐でありながら、妻の一人も娶らず奢侈にも耽らず、ただ芸術にばかり財を融かす魏仲洪の姿が奇異に映っていたことは確かであった。

 魏仲洪の従者、欒侑(らんいく)もその一人である。

 この二十歳の若者は、主人として、官人としての魏仲洪を尊敬している。しかし私人として倉に籠り、財を惜しまず芸術品を蒐集する魏仲洪のことは、どうしても理解できなかった。

 しかも近頃は、集めるだけでは飽き足らず、自ら筆を執り、槌と(のみ)とを握って絵や彫刻などの制作に勤しんでいるのだ。それだけならばまだいいが、魏仲洪は憮然とした顔をして、


「侑よ。この像の出来栄えはどう思う?」


 などと聞いてくるので、堪らない。生来、審美眼などを持ち合わせていない欒侑は、無難な賛辞を返すしかなかった。

 実際、魏仲洪の絵画、彫刻の腕前というのは微妙なものであった。素人目に見ても上手いと呼べるようなものでなく、しかしまったくの下手というわけでもない。欒侑が感想に困る理由にはそれもあった。

 しかし従者として傍に仕えている欒侑から見れば、


 ――主人さまは、芸術に向き合っている時が一番、闊達(かったつ)とされておられる。


 とも感じるのであった。

 欒侑はその所感を一度だけ、人に零したことがあった。父の欒祥(らんしょう)である。

 欒祥は魏盈の臣であり、執戟長(しつげきちょう)という職についている。執戟とは魏盈の邸宅を護る兵たちを束ねる役割だ。


「まあ、副弐どのはあまり人が好きではないのだろう」


 たまたま帰宅した息子の言葉を聞いて、欒祥はそう返した。

 欒祥は武官であるので、直属の上官は大司馬の蒋不乙である。しかしこの人は、上官と不仲な魏仲洪と懇意にしており、時おり個人的に酒を酌み交わす仲であった。子息を従者にして欲しいという頼みを断らなかったことから見ても分かるとおり、魏仲洪のほうもまた欒祥には気を遣っているのである。


「ですが、父上とは親しくしておられるではありませんか?」


 欒侑は率直な疑問を口にした。


「そうだな。しかしそれにしても、打算あってのことだろう。あの人の心の深淵というものを、私は見たことがない。おそらく、誰にも明かしたことはないのではないかと思う」

「そうなのですか?」

「人には誰にでも表裏がある。あらねばならない。だが副弐どののそれは、他者よりもずっと隔絶しているのであろう。逆に、お前はそれがなさすぎる」


 急に苦言が飛んできた。欒侑は拗ねたような顔をする。すると欒祥は、そういうところだぞと、窘めるようなことを言った。


「しかしまあ、それがお前の良いところでもある」


 褒められた。しかし、うまくはぐらかされたような気もする。欒祥は不肖の子と違い、表裏を使い分けることの出来る人であった。


「杏邑でお前を託せる人は副弐どのしかいない。そう思ったが故に頼み込んだのだ。お前はいらぬことは考えず、忠勤に励んでいればよい」


 父として、欒祥はそう言った。結局、魏仲洪の人嫌いについて、欒祥は何も語ってくれなかったのである。

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