二人の陪臣
担がれた大剣が朝焼けの白光を受けて刃を煌めかせ、虚ろな右の袖は旗のように風にたなびいている。
予條という若き部将による、晋姚らの追走劇は、共羽仞という将の介入によってひとまずの膠着を得た。
一方、戍兵の報告を聞いて、まだ酒の残る体で駆け付けた共羽仞は、渋面をしていた。
――どうにも、状況が呑み込めん。
戦車が五乗。いずれも武装している。おそらくは智正卿――智嚢の兵であろう。
そして追われる側はというと、妙齢の女性に青年と老爺。そして、子供が二人である。
どう考えても、この程度の相手を追うのに智氏の兵力は過剰であった。となれば、何かしら、逃したくない――ともすれば、その命を奪わねばならぬ事情があると考えるほうが自然であろう。
「おい、そこの若い男――」
共羽仞が、目を細めつつ予條に呼びかけた。
「ここが晋崖の地であり……虞王より封建されし、鄭伯の領内であるとは承知しているだろうな?」
ややおぼつかない口調であるが、これは酔いのせいではない。
楡子狼と顓遜からは、智氏の兵と思しき相手と諍いを起こせば、まずはこう問いかけるように言い含められていたからであり、覚えさせられた文言をたどたどしく読み上げただけのことである。
「……それは、承知しています。貴殿は、鄭伯の廷臣でございますか?」
予條が、疑わし気な視線を向ける。乗馬という蛮行と、隻腕への蔑視が透けて見えた。
「違うが、この地を鄭伯から預かっているお方の臣ではある。そう大差はなかろう」
「大口を叩くな、この陪臣ふぜいが!!」
素性を知った途端に、予條の威勢がよくなった。直臣であるか陪臣であるかなど、共羽仞にとっては些事である。ただし、相手の地位で態度を変えるような相手は気に入らない。
かつて、顓族で行商の護衛をしていたころの共羽仞であれば、啖呵を切った予條がもう数度まばたきをした後には、その体は大剣の一振りによって戦車から投げ出されていただろう。ただし、鄭国監軍、羽欣領主たる顓項の臣である共羽仞としては、そういうわけにもいかない。
共羽仞の行動いかんによって、姜子蘭と智嚢が敵対するかもしれない。そうなれば顓項が咎を受けることになるやもしれないのだ。
――はじめは気楽な僻地ぐらしかと思っていたが、どうにも、外様の陪臣に任せるような地ではないな。
この配置を決めたのは、おそらく楡子狼であろう。姜子蘭の意見も含まれてはいるだろうが、この地は政治的に柔軟な判断をすることが求められる。共羽仞は、少なくとも自身では、そういうことは不得手であると思っていた。
「陪臣というが、そちらは智正卿の家臣とお見受けした。ならば、樊伯の陪臣であろう」
予條と同じく、威勢のいい声が響いた。共羽仞の副官、仇奕である。
この仇奕という副官は、元は維氏の領から来た兵なのだが、撃鹿の戦いで共羽仞の武に惚れ込み、麾下に加わりたいと志願してきた男である。共羽仞から言わせてみれば、物好きな男、であった。
ただし、仇奕は志願してきただけあって、よく働いた。また、虞や樊国の事情にも詳しい。この場においては、主たる共羽仞よりも予條の立場というものを理解しているのだ。
「貴殿が樊伯の臣であるならばよい。ただし、智正卿の家臣に過ぎぬのであれば礼節を示されよ!! 鄭伯と智氏とは姜姓の誼がある。まずは、兵を引き連れて境を侵した非を詫びるべきであろう!!」
仇奕の舌鋒は鋭い。予條の顔が、血の気によって赤く染まっていく。
「まあ、落ち着け。ともかく、双方の話を聞こうではないか。そちらの御仁と――未だ地に座しておられるご婦人がたにな」
自分以上にいら立っている副官を見て、共羽仞は少し落ち着きを取り戻した。そして、憤る仇奕を宥めつつ、晋姚と荀らのほうを見やった。共羽仞らがこの場に現れてから、まだ彼女らは一言も発していないのである。
「その者らは、我が主の下で罪を犯して逃げた不埒者どもである!!」
晋姚らの言葉を封じ込める勢いで予條が叫ぶ。一応の筋は通っていた。
「なるほど。では、次はもうお一方の言い分を聞くといたしましょうか」
「悪人の言い分など、聞くに足らん!!」
予條が声を荒げるが、共羽仞は笑ってながす。軽く舌打ちした予條は、部下たちに命じた。
戦車が地を削って進む。晋姚と荀を取り囲み、共羽仞の率いる騎馬隊にまで迫ってきていた。この場にいる者をすべて殺し、目的を遂げんとしているのは明白である。
晋姚らが悪人であるというのが詭弁だとは察しがついていたが、なりふり構っていられぬほどの相手であるらしい。
「仕方がない。話し合うつもりがないのであれば、手荒にお帰りいただくよりあるまい」
この判断が正しいかは分からないが、予條が敵対も辞さないというのであれば、腹を括るしかない。
そして、決断をした共羽仞の動きは早い。仇奕に一言、任せたとだけ告げると、馬腹を蹴って予條の戦車へと向かった。
予條が、車右、車左の兵に応戦を命じる。戦車の左に回り込んだ共羽仞を、車左の弓が狙った。鍛えられた兵士であるが、そこから放たれた矢は共羽仞にとっては徒矢である。身を翻して躱すと、大剣を振り下ろした。
狙ったのは、兵士ではなく車輪である。刃の鋭さと大剣の重さは、一撃で戦車を斜めへと傾けてしまった。
車上で予條の体が大きく揺れたかと思うと、その時にはもう、共羽仞の大剣が視界へと飛び込んできていたのである。剣の腹による殴打であるが、それは予條の体を痛めつけるには充分なものであった。車左の兵士もろとも車の後方へと叩きつけられた予條は、それきり、意識を失ってしまったのである。
その攻防の間、他の戦車は仇奕が抑えていたのだが、予條がやられたことによって浮足立ってしまった。
「さあ、お前ら。今ならば見逃してやるから、その若造を連れて疾く帰れ。そうでなくば――この大剣を、血で汚さねばならなくなる」
ありきたりな恫喝であるが、それは、予條の部下たちの心胆を冷やすには充分なものであった。残された兵たちは、今や意識のない上官を他の戦車に運び込むと、風のように去っていったのである。
後に残ったのは、女性が一人に少年が二人。そして、青年と老人であった。
――さて、これからどうなることやら。
厄介ごとのにおいがする。とりわけ、共羽仞の嗅覚が危殆を感じ取ったのは、晋姚に抱きしめられている少年からであった。




