少女の話 12
マガツ区の南エリアは、話に聞いて想像していたよりも幾分か廃れていた。
同じように魔法使いの襲撃があったとはいえ、北エリアはまだ街としてのかたちが保たれていた印象だ。
住宅街に住む人々や、繁華街で働く人々がいて、フロウ集会の尽力があるのも影響しているのだろう、かつてあった街を取り戻すため、少しずつではあるが前進する姿勢を垣間見ることができた。
祭典の跡に燻る残り火のように、事態の思い出を蓄えつつ、未来を照らす礎になる可能性を秘めていたのだ。
けれど、南エリアは違った。そんな希望の光すら見当たらない、陰りに満ちた土地だった。
天敵に食い荒らされた鳥の巣のような、世の無惨さを体現する街並みをしていた。建物の壊滅具合は北エリアと同程度であったが、そこに人が住みつく猶予は残されていなかった。
外部からのあらゆる侵入を易々と許してしまう不用心な点と、衛生的に破綻している点において、生き物の住処としてあまりに不適切な様相であった。
これは住居ではない。自然発生した一種のオブジェである。魔法使いの出現により、その凶悪さ、理不尽さを世界に魅せしめるためのツールに過ぎないのだ。
数世紀後、平和になった世界(そんな時代が訪れるかは不明だが)では、この時代のモニュメントとして、展示されるのであろうと、ミヤビは思った。
ヒロセ曰く、南エリアでは、復興活動があまり行われていないらしい。
フロウ集会は主に北エリアに拠点を構えていて、南側に来るのは稀だ。そこには、ややこしいテリトリーの問題があるらしく、迂闊には手がつけられない状態のようだ。
この状況下でも、土地の権利や管理問題について争うことができるのは、人間らしい惨めさとも言えるだろう。それが自分たちの種族の繁栄力を弱めることになろうとも構わないのだから。
よって、現在、マガツ区で盛んに復興活動をしているフロウ集会の介入が難しいことから、南エリアはゴーストタウンさながらに人気のない土地とされ、誰も近寄らなくなっていた。健全な生き方を求める者らは皆、北エリアに移り住むことにしたのだ。
中央広場から伸びる大通りを南下し、繁華街を過ぎた先にある住宅街に、セーフハウスはあった。
その一帯は、やはり誰も住んでいない廃墟のようで、アモンたち過激派から身を隠しながら行動するには、もってこいの場所だった。
周辺に家らしき建物は並んでいたが、扉や壁が崩れており、中の様子が外から見える。誰も住んでいないことが一目でわかる悲惨な外観だ。
セーフハウスには夕刻頃に到着した。アモンらに見つからないよう、慎重に移動していたため、いくらか時間はかかってしまった。
だが、陽が完全に落ちてしまう前に着くことができたのはよかった。人気のない暗い夜道を、アモンらの追跡に怯えながら進むのは不安があったからだ。
「狭いところで申し訳ないけど、我慢してね」アンリはセーフハウスの玄関扉を指し、言う。
「問題ありません。私としては、宿があるだけ、ありがたいですから」ミヤビは答える。
「ボクは寝床とかそんなに気にしないから、何でもいいよ」と、ドロシーは欠伸をした。
セーフハウスは、小さな一軒家だった。
この辺りの建物の共通の造りなのだが、階層のない平屋の設計で、部屋の数も多くなく、隠れ家じみた雰囲気がよく似合っていた。
王都の騎士たちが利用するはずの場所だっただけに、家具の揃い具合や清潔感からしてみても、人が住むのに不自由はなさそうだった。
これからしばらくの間は、このセーフハウスを拠点として行動することとなる。
目的は変わらない。眼帯の男を探し、故郷の村までの道のりを聞き出すのだ。
その夜、ミヤビはなかなか寝付くことができなかった。
それは彼女にとってみれば、大変珍しいことだった。
はじめは、環境が変わったことが影響しているのだと思った。ここ数日、利用していたヒロセの宿でのベッドに比べ、セーフハウスの寝床は、固い床に厚い布を敷いただけの簡易的なものだ。とても、快適とは言えない。
それでも、窓辺で立ったまま寝ているアンリや、玄関の冷たい地面の上で寝転んでいるドロシーに比べれば、贅沢にさせてもらっているはずだ。
セーフハウスには寝室らしい寝室は一つしかなく、アンリたちはその貴重な一つの部屋を、快くミヤビに譲ってくれた。
ミヤビに割り当てられた部屋は、唯一敷物がある部屋だった。
そこは小部屋ではあるものの、三人いても問題はなさそう(その内、ドロシーは人間一人分の空間を必要としない)だったので、みんなで同じ部屋を使えばいいと申し出てみたのだが、アンリ曰く、こういう時だからこそ、一人の時間は必要とのことで、結局、部屋割りとしては、ミヤビが個室、アンリが広間、ドロシーが玄関および廊下を、個人の空間として利用することとなった。
そんなわけで、寝室のせいで寝づらいだとか、一人は寂しいだとか、不満を言っている場合ではないのだ。
どんな場所であれ、寝なければ。宿があるだけありがたいことなのだ。
自分から、アンリに言ったことではないか。
不満なんてあるわけない。文句を言っている場合ではない。
ミヤビは深い睡眠に陥るよう、努めることにした。
目を閉じて、体中の力を抜き、息を抑えた。
すると、体表を覆っている薄い膜のようなものが知覚できた。それが顔面の辺りから、するすると滑らかな速度で剥がされていく。
服がはだけているのではないから羞恥心もなく、ミヤビはその感覚を悠然と受け止めていた。
やがて、自分の芯の部分が剥き出しになった感覚があった。これまでの自分を捨て、新しい何かに生まれ変わったかのような、こそばゆい感じだった。
頭のどこかで「指先を動かしてみるのだ」という指令が飛ばされた。だが、身体はぴくりとも動かなかった。続けて、「よし、完全に止まったな」という確認が、脳内であった。
体中の神経が、睡眠をとる姿勢に向いていることがわかった。
あとは、意識を手放すだけだ。深い谷に、ぽんと放り捨てるだけだ。眠りにつく準備は整っていた。
けれど、頭はすっきりと冴えていた。
脳内の大半を支配しているのは、夜の冷気のような、ひんやりとした感情だった。その感情は、身体の機能面とも密にリンクしているようで、覚えのない胸のむかつきを引き起こしていた。
身体はすでに動かせないため、そのむかつきを解消するのに、何をすればいいのか悩んだ。
そして、その悩むという意識が、ミヤビを真の眠りから、さらに遠ざける。
どうすればいい。まだ眠らないほうがいいか。
また、どこからか指令が飛ぶ。「総員、直ちに眠りを拒むのだ」
ミヤビは目を開く。上半身を起こす。吐き気がないのを確認すると、身体を倒し、元の姿勢に戻す。
天井を見つめる。暗さに目が慣れたことで、明かりもない夜の部屋だけれど、視界がクリアになっていた。
小動物のつぶらな目がいくつも集まったような、まだらな模様が天井に広がっている。
いや、あれはただの汚れだ。そこまで掃除が行き届いていないようだ。それとも、ここはセーフハウスで、一時的な宿であるわけだから、そんなことを気にはしないのだろうか。
まだらな模様がどこまでも広がる天井のせいで、寝転んだ体勢でいると、星空を眺めているように錯覚する。
眠れない夜だった。
ただ目を閉じ、体の力抜き、意識を手放す。
簡単な作業のはずだ。十三年間、一度だって失敗したことはない。作業はとてもスムーズに行われ、気がつくと、朝を迎えている。
けれど、この夜だけは違った。
いつもの作業の間に何かしらのエラーが発生しているようで、それを解消しない限りは、眠りにつくことができなかった。
原因には心当たりがあった。
ミヤビの中に生じた、二種類の引っかかりだ。
それは、空洞と二又の芽だった。
両者が何を示しているのかはわからない。けれど、どちらもミヤビの心に揺らぎを生じさせた基であり、成長のために必要な要素であるのは確かだ。
これらの異質な感覚を取り除かなければ、安眠はもたらされないだろう。
目先の課題は、この胸の内に生じた違和感の正体を暴くことだった。




