少女の話 10
気がつくと、宿に戻ってきていた。
頭がくらりと揺れる感覚があった。身体の中にあるものが、外部からの何らかの作用で乱暴にかき混ぜられたような気分で、吐き出してしまいそうだった。
目の前には、ここ数日、何度も出入りを繰り返した玄関扉がある。村に帰るまでの仮の宿ではあるが、もはや馴染み深い。いつもの要領で扉を開き、中に入る。
「これはどういうことかしら」アンリが口を開いた。
扉の先の景色は、これまた馴染み深い宿の広間へと繋がっていた。
「ボクと一緒に飛んだんだよ。さっきの通りから、この宿までね」と、ミヤビの腕の中でドロシーは言った。
「例のワープですか?」ミヤビは訊ねる。
「うん、そんな感じのやつ。だからここは、正真正銘、ヒロセの宿だよ」と、ドロシーは器用にウインクをしてみせた。
「あなたの力は、他人を巻き込むことができるのね」アンリは、ドロシーに訊いた。
「かなり限定的だけどね。こんな大人数を運んだのは初めてだよ。疲れたから、しばらくは飛べないかな」
ミヤビたちは広間のテーブルに集まった。
そういえば今日は、まだ昼食をとっていなかったのだが、とても、これから食事をしようなんて雰囲気ではなかった。
ミヤビたちは、状況の整理をするために、話し合いを始める。
「アモンと名乗っていたわね。それと、途中で現れた彼ら、全員がフロウ集会の過激派のようね」と、アンリが切り出した。
「事実かどうかはわからないけど、その点について否定はしていなかったよね」隣に座るユウが言う。「そして、この街から猫がいなくなった元凶でもあるみたい」
「ドロシーを手に入れるために、街中の猫を捕まえていたそうですけど」と、ミヤビは両腕で抱えているドロシーを見下ろす。「どうして、そんなことをしていたんでしょう」
「彼らの真の目的はドロシーだったのよ。初めからそのつもりで行動していたんだわ。けれど、どこにも見当たらないとなって、そんなわけで、街中の猫を片端から捕まえる作戦にしたんじゃないかしら」と、アンリは言い、テーブルの上で腕を組む。
「スタークを捕まえようとしていたのも、ドロシーの捕獲に繋がると思ったからなのかな。だとすると、連中は少なからず、ドロシーのことを知っていたことになるよね。街中の猫は、ドロシーと交流があるって」ユウは長い指でドロシーを示す。
「それを知っていたからこそ、猫を捕まえていたのかもしれないわね。街から猫がいなくなれば、ドロシーが必ずどこかに姿を現すはずだって。実際、そうなったわけだし。私たちと行動を共にしていたとはいえ、誘い出すことに成功したのだから、彼らには確信めいた何かがあったのでしょう」アンリは言うと、ふうと息を吐いた。
「あのアモンという男、大天使がどうとか言ってなかったっけ」ドロシーが言う。その声音には、どこか他人事のような響きがある。アモン率いるフロウ集会の過激派は、ドロシーを狙っていたというのに、当事者である意識はないのだろうか。
「あなたを大天使の元に連れて行くと言っていたわ。そのために探していたのでしょうね」アンリはくたびれた風な口調で言う。ドロシーの態度に呆れているのだろう。
「けど、彼ら曰く、それが、この街を救うため、なんだよね。ドロシーを探していた理由が、そうだったわけだから。ということは彼らは、勇者の力を手に入れようとしているのかも」ユウが言い、「おそらく、そうでしょうね」と、アンリが同意する。
聞き覚えのある言葉が出てきたと、ミヤビは思った。
大天使と勇者の力だ。これらは関係の深い事柄であり、どちらもおとぎ話ではよく目にするものだった。
ただし、それをあのアモンという男や、騎士の二人が口にしていたことについては、理解が追いついていなかった。
話の流れから察するに、どちらも、この現実に存在しているようだ。
「すみません。話の途中ですが、一つ教えてほしいことがあります」ミヤビは言う。
「どうしたの」と、アンリは目を少しばかり大きくする。
「大天使というのは、何のことでしょうか。私は聞いたことがなくて」
「『大天使イザナエル』のことだよ」ユウが言う。「魔法使いと戦うための勇者の力を人々に与える、天からの遣いだよ」
「それなら本で読んだことがあります。つまり、実在しているってことなんですよね」
「ええ。魔法使い、勇者、大天使。おとぎ話によく出てくる、この三つはどれも実在する伝承なのよ」
かつて、魔法使いの出現により、絶滅の危機に瀕した人間たちは、大いなる存在に祈りを捧げ、力を求めた。
すると、イザナエルという大天使が降り立ち、魔法使いを倒すための力を人々に授けた。
それは勇者の力であり、勇者となった者たちは世界を救う英雄として讃えられた。
ミヤビは、大陸でもっとも有名なおとぎ話の概要を、頭の中に浮かべていた。
とある冒険譚の冒頭にもなっていて、その文だと、暗記するほどに覚えている。
あれらは単なるおとぎ話ではない。現実のものであるのだ。
「イザナエルが力を与えるのは、素質のある人間だけだと聞いたことがあるわ」アンリは顎に手を添え、考え込む姿勢をとる。「素質のある人間だと認めてもらうため、その証明に、ドロシーの力を利用しようとしたのかしら」
ミヤビの腕の中で、ドロシーは首を傾ける。
「ボクの力のおかげで素質があるって判定されるなら、それは、誰でもいいってことになるんじゃないかな。たとえば、今まさにボクを抱えているミヤビが、このままイザナエルの元に行ったとして、ボクが力を使えば、素質があることになる。彼らはそう考えたってこと?」
ミヤビは、腕の中のドロシーを見る。視線がぶつかる。くりんとした目で、こちらを見上げていた。
「不思議な力を持つドロシーを、捕まえることができた。これを売り文句にして、勇者の力を手に入れようとしたのかも」ユウは指を立てて、言う。
「つまり、彼らはドロシーのことを深く知っていた。街中の猫と交流があるだけじゃなく、超常的な異能を使うことができるってことも」アンリは、ドロシーを見る。「あなたは今までに、人前であの力を使ったことはあるのかしら」
「あえて見せつけるようにして使ったことはないけど、まあ、目撃されていてもおかしくはないよ。特段、隠すようにしていたわけでもないんだし。キミたちと会った時は西の方にいたけど、情報屋としてあれこれしている時は、ずっと店にいたもの」
「あなたが喋ることも、力を使えるということも、知る人ぞ知る情報だったのね」アンリは言う。「そういう噂はすぐに広まるわ。フロウ集会がドロシーのことを知っていても、何もおかしくはないってことね」
「そういえばさ、あのアモンという男が言った内容で、一つだけ気になったことがあったんだ」と、ドロシーは言い出した。
「何かしら」アンリが訊く。
「ボクはこれまでに、キミたち以外の人間に名乗ったことはないんだよ。けれど、彼らはボクのことを知っていたみたいじゃなかったかな」
アンリは視線を斜め上に移す。眠った記憶を起こしているようだ。
「あの時は、確か、ミヤビが先にあなたの名前を口にしたから、そのことを利用したんじゃないかしら。ミヤビが持っている猫をとにかく手に入れたい。そのために強引なやり方をしたとか」
「すみませんでした」ミヤビは頭を下げる。「謝る必要はないわよ」とアンリは言う。
「けど、それにしては、ボクの名前を聞いた時の反応に違和感があったよ。それに、その考え方だと、さっきの推理はあてはまらない」と、ドロシーは言った。「ドロシーというやつは不思議な力を使うことができる。だから探していた。というのとは違う理由があったのかな」
「不思議な力を使う猫がいるということは知っていたけれど、名前までは知らなかった。というのはどうかしら。だからこそ彼らは、街中の猫を集めていた。力が使える子かどうかを、総当たりのようなやり方で確かめていたとか」アンリは言う。
「何にせよ、彼らがボクの力のことを知っていて、それが目的なのだとしたら、まずいことをしてしまったかもね」ドロシーは頭を左右に、こくんこくんと揺らしながら言う。首の体操でもしているのだろうか。
「彼らの前で、力を見せてしまったからね。これからどうするか、考えないといけないよ」ユウが言う。
議論する時間はそれほど残されているわけではなかった。決断は早い方がいい。
アモン率いるフロウ集会の過激派が、ミヤビたちの動向をどこまで追うことができているのか、まったくわからない状態だからだ。
「アモンは、私たちがフロウ集会を探していたことを知っていたわ。私たちがこの宿を出入りしていることも知っているのかも」アンリは言う。
「さっきの通りで、彼らは、ドロシーが不思議な力を持った猫という確信を得た。ドロシーじゃなくて、私たち三人のうちの誰かが力を使ったと考えることもできるけど、どのみち私たちを狙いには来るだろうね」ユウは言う。
アンリは、ユウに視線を送る。
それを受け取ったユウは、無言で頷く。二人の間には、共有されている暗号のようなものがあるのかもしれない。
「やむを得ないわ」アンリが口を開く。「南エリアへ身を隠しましょう」




