少女の話 6
「へえ、ドロシーが協力してくれることになったんだ」ヒロセが言う。
「はい。私が家に帰るのに、協力してくれるみたいです」ミヤビは言う。
「そうなんだ。それは頼もしいね。彼女はこの街に詳しいから、きっとうまくいくよ」
情報屋を後にしたミヤビたちは、一度、仮宿に戻ってきていた。
アンリは、同僚のユウと情報を共有をする必要があるらしく、また、ミヤビとしても、ドロシーから依頼された仕事に取り掛かるため、宿を本格的に使わせてもらうことになりそうだという旨を、ヒロセに伝えておきたかったからだ。
ヒロセが部屋を貸してくれたこの物件は、かつて研究者たちが使用する研究室兼学生寮であったようだ。
現在はヒロセが、自身の研究のために使用しているようだが、他にこの施設を使う者はいないらしい。
だから遠慮なく、我が家のように使ってもらって構わないと、ヒロセは言った。
「ヒロセさんが、この大きな家に一人で住んでいるということですか」ここについて説明された時、ミヤビは訊ねてみた。
「いいや、一応、他にも人はいるよ。この施設を掃除したり、生活に必要なものを買い出しに行ったり、要は私を手伝ってくれている人がね。それと、最近は仕事場に住み込みになっちゃって帰ってこないけど、一番奥の部屋を使っている人」ヒロセは指を一つ一つ立てながら言う。「私を含め、三人だね。ここにいるのは」
建物は二階建てで、広い造りだった。街を歩いて目にした建物のどれよりも大きかった。
部屋はざっと二十以上あり、うち、十が個室で、あとは研究場所やダイニング、キッチン、物置きなどといった共用のスペースである。
その中から、ミヤビ、アンリ、ユウは、それぞれ一つずつ個室の部屋を貸し与えられた。
今後はここを拠点として、活動していくこととなるのだ。
今、騎士の少女らは、どこかの部屋で作戦会議をしているらしい。彼女らの本拠地である王都とは、定期的に連絡を取る必要があるようで、その手段や役割を再検討しているそうだ。
ミヤビは、ヒロセの部屋にいた。
情報屋と会うことができ、事態が一歩、前に進んだところで、新たに発生した問題について報告をするつもりだった。
「それで、ドロシーに、隊長さんの居場所は教えてもらえたの」ヒロセは訊ねてくる。片手間に、デスクの上の書類を整理している。彼女のデスクには、常に何かしらの書類が散らばっている。
「いえ、実は」と、ミヤビは口を開く。「少しややこしい問題があるんです」
「この街では、いつだってややこしいことばかり起きるよ」ヒロセはふっと鼻で笑う。
「ドロシーのことなんですけど」
ミヤビは、情報屋でのドロシーとのやり取りを説明する。
「で、お目当ての彼の居場所のことなんだけどさ」ドロシーは首をぶるりと振るわせた。「実は今、ちょっとした問題が起きているんだ」
「問題?何かしら」アンリが訊ねる。
「マガツ区から、ネコたちが失われつつあるんだ」
ドロシーは言った。
ミヤビは、アンリと目を合わせる。
それから脇の本棚に視線を移した。
猫が失われつつある。不思議な響きの言葉だとミヤビは思った。まるでおとぎ話で目にするような台詞だ。
そして、それが問題であるらしいのだ。
「この街には、猫がいないんですか?」ミヤビは訊ねる。
「いいえ、いるわよ。むしろ、猫以外の動物はほとんど見かけないそうよ」アンリが答えた。
「元は色々といたんだけどねえ。ほら、魔法使いに襲撃されてからさ。みんな、いなくなっちゃった」
魔法使いが誕生したことで、大陸の各地では様々な変化があった。
人間と動物はその数を減らし、かつての生態とは異なる全く新しい世界が生まれつつある。
その変化は、マガツ区にも例外なく起きた。
魔法使いの襲撃により、人々が失われ、街並みが失われ、社会が失われた。
かつてのマガツ区は、終わりを迎えようとしている。
「ネコがいないことは、今のボクらにとって都合が悪いことなんだ」ドロシーは言う。
「それは、どういった意味で?」アンリは訊ねる。
「情報が手に入らない」
「猫がいないからですか?」ミヤビは口を挟む。
「そう。ボクはネコたちの声を聞いて、この街の情報を得ているんだ。ネコというのは、街のいたるところにいる。色んなところで、色んな物事を見聞きしている」
「そんな彼らを統治しているあなたには、この街のあらゆる情報が手に入るわけね」
「支配しているのとは違うけどね。単に人間とも話せるのがボクだけってことだよ」
「どこにでも行けて、猫とも人間とも話すことができる。それだから、ドロシーは情報屋なんですね」
「望んでなったわけじゃないけどさ。いつからか、そう呼ばれるようになったよね」
ドロシーはカウンターの上に飛び乗った。くるくると回り、いい具合の位置を探し、腰をおろす。
ミヤビとアンリは、移動したドロシーのそばに近づく。
二人と一匹の会話は続く。
「つまり、マガツ区から猫がいなくなってきたから、あなたにはこの街のことがわからない。私たちが探す隊長の居場所もわからないということね」アンリが言う。
「そういうこと」と、ドロシーは頷いた。
「失われつつあるというのは、どうしてですか」ミヤビは訊ねる。
「それが、よくわからないんだよね」
ドロシーは息を吐く。ため息をついたようだ。姿は猫だが、人らしい仕草だった。
「さっきも言った通り、ボクの情報網は主にネコたち。そのネコがいなくなってしまうんだから、理由もはっきりとしていないんだよ」
「他の猫が理由を知っていたりはしないの?」
「この街のネコは基本、単独行動だ。それぞれが縄張りのようなものを持っていて、交流はあるけど頻繁ではない。むしろ、ボクが彼らの間を繋げているような具合かな。だから、他所のネコがどうなっているかとか、知らないネコも多いんだよ。とにかく、この件に関して有益な情報は少ないんだ」
「まったくないのかしら」
「ううんと、一つだけ。一つだけ、カギになりそうな話がある。時計塔付近を縄張りとしている、スタークという名のネコが、この件について調べてくれていてね」
「猫は他所の猫に興味を示さないんじゃなかったの?」
「彼女は別だよ。好奇心やら正義感やらがあるんだ。他の子たちとは違って。だから、マガツ区からネコがいなくなるこの事件についても、積極的に取り組んでくれている」
「マガツ区から猫が失われている理由が判明すれば、隊長の捜索もできるということね」
「そういうこと。だから、キミたちにお願いがある。この事件に手をかしてほしい。マガツ区にネコを取り戻すのに、協力してくれないかな」
「それで、ドロシーからの依頼に取り組むことになったんだ。この街の猫を取り戻す。ひいては、君を攫った男を探し出すために」話を聞き終えたヒロセは、内容をまとめる。
ミヤビは頷いた。
「これから、有益な情報を聞きに行くつもりです。そして、この事件に向けて本格的に動き出すのは、明日以降になるかと思います。なので、今晩、また部屋を使わせてもらいます」ミヤビは頭を下げる。
「もちろん、いいよ。それと、そんな畏まらなくても、いい。礼儀とかそういうのは大事だけど、私にはいいから」ヒロセは呆れ気味に笑みを浮かべる。彼女は本心からそう思っているようだし、煩わしいとさえ感じている風だった。
宿を後にしたミヤビは、アンリ、ドロシーと共に、時計塔のある中央広場を訪れた。
スタークという猫と会うためだ。彼女は時計塔の近くに生息していると、ドロシーは言う。
広場を見渡す。誰もいない。昼間、祈りごとをしていた集団も撤退していた。あるいは場所を移し、熱心に活動を続けているのかもしれない。
ドロシーは、北の通路を目指すように言った。ミヤビたちはそれに従い、広場の北へと向かう。
広場の西側から侵入し、北へ抜けるために、時計塔の麓を通過する。その際、ミヤビは時計塔を見るともなく見た。
今日、ここに来るのは二度目だが、陽が沈みかけた淡い空を背景にした時計塔は、昼間に見たのとはまた違った魅力があるように思えた。
勇ましさや荘厳さよりも、儚さを纏う様が見受けられる。
そこには、街のシンボルらしく、どこにいても目に留まるほどの存在感を放つ様からは一変して、静寂の似合う街並みに溶け込む謙虚さがあった。
さては、完全に陽が沈んでしまい、辺りが夜闇に支配されていくにつれ、姿を隠してしまうのではないか。この街から完全に消え去ってしまうのではないか。そんな非現実的で面白味のある展開を期待してしまうほどの変わりようであった。
どうやらこの塔は、昼と夜とでは異なる顔を我々に見せるらしい。
その印象は、ミヤビに、あるおとぎ話を思い出させた。
それは、夜な夜な街へ繰り出しては殺人を行う、一人の青年の物語だった。
彼は独自のルートで手に入れた情報を元に、法で裁かれなかった犯罪者たちを自らのやり方で裁いていた。素顔を隠し、暴力的な方法で。
その行いは、警察から疎まれるようになり、存在が噂として広まると、市民からは不審がられ、標的となり得る犯罪者たちからは恐れられた。やがて、国中の人々が彼の行いに注目するようになった。
彼を殺人鬼と罵る声があれば、正義と称賛する声もあった。彼の評価は二極化していき、派閥が生まれた。
さらに数多のメディアに取り上げられるようになると、ついには議会にまで話題がのぼるようになった。
青年の行動は、行政にまで影響を及ぼしたのだ。
青年が警察に逮捕され、その正体が白日の元に晒されたところから、物語は終幕へと移る。
彼の正体は、近衛騎士であった。
王の最も近いところで秩序を守り、国を護り、正義を体現するはずの人物が、規則からはずれた心で、毎日、人殺しを行っていた。
世論は、青年の正義を否定した。彼の行いを裏切りとして捉え、失望した。
結局のところ、青年は社会的に孤立し、己の行いに誤りはなかったかを自問し続けるところで、物語は幕を閉じる。
この青年は、決して悪意を蓄えていたわけではない。
私情から成る復讐心を抱いていたわけでも、自暴自棄になっていたわけでもない。
すべて、胸の内に眠る正義の声に耳を傾けた結果、取り組んだ事柄なのだった。
青年は、普段は優秀な騎士だった。近衛騎士として模範的な姿をしていた。彼の中には、確かに正義があったのだ。
正義という一つの思いがもたらす二面性が、物語のテーマとなっていた。
人間は、あらゆる事柄に対し、相反する心理を同時に用いて接することができる。片方の手に剣を持ち、もう一方の手には盾を持つ。それらを駆使し、器用に戦ってみせる。そのような生き方をしている。
ミヤビは、昼間とは異なる見え方をした時計塔に、おとぎ話の青年と似た狂気を感じた。
人のうちにある「それ」と同じ、あらゆる可能性となる狂気だ。
正体は不明だが、この時計塔には誰にも読み解けない秘密がある気がした。
昼と夜とで、まったく別の姿をしている風に見えたのには、何かしらの重大な事情があるはずなのだ。
「その謎の正体を、私が知ることはあるんでしょうか」ミヤビは、塔に向けて言う。
もちろん時計塔は返事などしない。聞き耳を立ててもいない。無言のまま、顔色のひとつも変えず、ただ街を見下ろしている。
広場を進み、北に伸びる路地へと向かう。
通りは、左右に並ぶ家らしき建物(一部、倒壊していて不明確ではある)が、どれも同じ形をしていて、また等間隔に続いており、道ゆく者にさりげない圧迫感を与えるような不気味な構造だった。
神経質な人物がここを通ろうとするならば、後退は免れないだろう。道中、発狂さえするかもしれない。
この通りには、ある種の磁気的な力が発生しているようであった。
「奇妙な通りね。王都の城下町みたい」辺りを見渡しながら、アンリは言う。
「真似したみたいだよ。王都みたいに、栄えた都市を目指していたんだろうね」と、先頭に立つドロシーは答える。
「この通りの先に、城でも建てる予定があったの?」
「ううん。向きが逆」歩きながら、ドロシーは器用に首だけを振り向かせる。「時計塔だよ。あれを城に見立てて、そこへ続く聖なる道筋のようなイメージで開発していたんだ」彼女の視線はミヤビたちの頭上、その向こうに見える時計塔の頂に向けられている。
「この街にとっての時計塔は、そこまで意味のあるものなのね」
「かつて魔法使いの危機から、世界を救うきっかけをつくることができたんだ。盲信する者が現れるのも無理はないよ。人間はそういう考え方をする傾向にあるみたいだし」
「世界を救うきっかけ?」
「うん」
「時計塔が?」
「そうだよ」
アンリは黙考する。
「時計塔には実は兵器が隠されているとか、それとも、あの塔から攻撃ができるとか」アンリは顎に手を添え、真剣な面持ちで言う。「まさか塔そのものが変形して、魔法使いをやっつけるなんて言わないでしょうね」
「キミは何を言っているの」
「え」
「世界観を考えてごらんよ。そんなこと、この現実で起きるわけないでしょう」ドロシーは諭すように言う。
「SFのような物語だと、ありますよね、そういったの。私は有名な作品だけは読みましたが、どれも好きでした。一度、現実でも見てみたいですよね」ミヤビは、アンリに共感したつもりで、言う。
「別に、現実にそんなことが起きるなんて本気で思っていないわ」アンリは決まりが悪そうに言う。「魔法使いの危機から、世界を救うなんて言うんだもの。非現実的なことだって考えるでしょう」
「そうかあ」
数歩、進む間は二人と一匹の間を沈黙が通り抜けた。
「で、魔法使いの対処に時計塔がきっかけだって、そんなことが本当にあるものなの?」と、アンリが改まって聞き直す。
「うん、あったんだよ。本当にね。けれど」
「けれど?」
「人々は扱い方を誤った」ドロシーの声がすんと低くなる。その音からは温度が失われたかに感じた。
「誤った?」と、アンリは訝しみつつ、繰り返す。「誤ったって、それでどうなったの?」
「今のマガツ区のとおりになったんだよ。魔法使いに襲われて、一部、街並みは失われて、活力というか生命力というか、生きるために必要な明るさみたいなものがなくなってしまった」
ドロシーがそう言うと、途端に当たりがしんと静まり返った。ように思えた。
元より、この街は中央広場からのびる大通りであっても、決して賑わってなどいないのだが、彼女の言葉がその寒々しい現実を突きつけてきた。
風が吹いて、通りを横切る。ひゅうと音がする。冷たい風だった。
しくんしくんと何者かのしゃくり上げる声が、通りの脇から聞こえた気がした。あれは路地裏からだろうか。悲しみと喪失感に満ちた声だ。
立ち止まり、辺りを見渡す。
視界には何者も映り込まないのだが、いくつかの視線が向けられているように感じた。
それは助けを求める視線だった。赦しを乞う視線でもあった。また、憐れむ視線にも感じられた。妬む視線に、諦める視線だ。
そして、我々を脅かす視線だった。
マガツ区とは、なんて虚しい街なのだろうと、ミヤビは思った。
この街には、生きるために必要な明るさみたいなものがなくなってしまっている。
ドロシーの言葉を、頭の中の深いところで反芻する。
言葉通りの意味であるし、精査してみれば、その裏には真実の意味が込められているようでもある。
マガツ区という街は、生きていない街だ。
陽のある世界には存在できず、夜の世界にのみ存在している。
それすなわち、この街が完璧に表舞台から退場してしまっていることを意味する。
我々が目にしているものは、この街のかつての在り方であり、すでに夜の世界へと旅立ってしまった事象の名残に過ぎない。
道端に脱ぎ捨てられたトレンチコートのように、廃棄された盗難車のように、現在の様相から過去の出来事とその実態を伺うことのできる、構成的な要素の部品でしかないのだ。
けれど、そんな部品がひとつ、手に入ったところで何も造ることはできない。マガツ区という街の孕む虚無的な意味を暴くには、もっとたくさんの情報が必要だし、あまりに時間がかかり過ぎる。
ミヤビには、成しえない事柄だった。
彼女の目的はあくまで、故郷の村に帰ることであって、マガツ区という街を救うことではない。
街の在り方について何をどう感じようとも、それはそういうものなのだと受け入れるしかない。今の彼女には、実直さが何よりの武器となるのだ。
ミヤビがマガツ区という街について、深い思いに耽っているうちに、目的の場所には到着していた。
顔を上げると、ドロシーが路地の脇で、全身が白い毛並みの猫と顔を寄せ合っている。街から猫が消えた事件について、情報を集めてくれている、スタークという名の猫だ。
二匹は見つめ合ったり、身体を寄せ合ったり、独特の作法によるコミュニケーションシステムで、会話をしているようだった。
ミヤビはアンリと共に、その行方を見守る。何か話している風ではあるが、聞き取れる言語ではなかった。いわば猫語というやつだ。
何を話しているのでしょうか、とミヤビは目配せをしてみるも、アンリは肩をすくめるだけだった。
しばらくすると、スタークは、ぴょんと軽快なステップで脇道へと姿を消した。
ドロシーがミヤビたちの元に戻ってくる。二人を見上げ、小さな口を開く。
「面倒なことになりそうだよ」
「何かあったの?」アンリは訊ねる。
「ひとまず、宿に戻ろう。作戦会議をする必要があるから」




