少女の話 5
情報屋は普段、本屋として開いている。
それは、かつてマガツ区が栄えていた頃の名残なのだそうだ。
大陸全体をしてみれば、まだ途上の都市であったマガツ区だが、それでも規則正しいとされる秩序が敷かれており、善を讃え、悪は糾弾し、おおよそ健全な正義が蔓延った理想的な街の在り方はしていた。
なので、情報屋という一見、怪しげな、不透明な部分の多い施設は、国家権力により、弾かれる対象になりかねなかった。情報屋を成立させるためには、国家の目を欺く必要があった。
そこで、本屋をカムフラージュとし、表向きには店舗を経営、書物を取り扱い、裏の世界には情報を提供した。
ただし、近隣に立派な図書館があるうえに、マガツ区の住民はほとんど本を読まないので、本屋としての価値はないに等しい。日々、閑古鳥が鳴いているような経営状況であり、人々からは、あの本屋はいつ潰れるのであろう、どうやって利益を得ているのであろうと、噂されていた。
やがては、店を畳む労力を使うのも惜しいような状態なのだろうなと、人々の心から忘れ去られ、もはや亡霊のように不気味がられる扱いさえ、受けなくなった。
しかし、それは情報屋としての本質を隠すにはうってつけだった。
本屋はいわば仮の姿であり、真価は情報屋にある。
マガツ区のような巨大な都市では、情報の需要が尽きることはなく、企業間の戦争の際などは、必殺兵器にすらなった。
そんな情報屋の存在を知る者の数は、わずか一握りだけであり、それに該当するヒロセやアンリらと行動をともにできたことは、ミヤビにとって運がよかったと言える。
情報屋は、繁華街の通りからは少し離れたところにあった。
凝った装飾なんかはなく、ただの古びた民家のようだ。土塊を重ね合わせただけのような外壁の塗装のおかげで、今にも倒壊してしまいそうな脆い構造に見える。
そして、全体的に暗い色味をしていた。埃に汚れているでもないが、自然光を蓄えたような明るさを持っているわけでもない。
何年もの間、誰も住んでおらず、人の寄り付かなくなった幽霊屋敷かのようで、これが本屋とは、言われなければわからない外観だった。
入り口の扉の前に立つ。
見るからに堅牢なつくりの壁が立ちはだかる。それは通りに面した壁の一端で、店の出入り口であるのだとはわかる。けれど、この扉が開き、店内へと無事に足を踏み入れる様が想像できなかった。
主に、この扉が動くイメージがだ。扉には、てこでも動かない、揺るがぬ意志があるかに思えた。
店内とマガツ区との隔たりを、確実なものにしている誇りを、その身に宿しているかのようだ。
それは、あらかじめ決められた手順通りの道筋をなぞらなければ開かない木工細工のように、扉は、定められた者しか通さない番兵の面持ちで、ミヤビたちの道中を遮っていた。
ドロシーと名乗った喋る猫が、ミヤビの手元から離れる。ぴょんと、動物らしい軽々しく優雅な跳躍で地に降り立つと、迷いのない足取りで、扉に向かって前進を始めた。
騎士の少女曰く、この猫が、情報屋に入るための鍵を持っているのだ。
どれだけの武器で攻撃を試みても、びくともしなさそうな扉を、本当に開くことができるのだろうか。ミヤビは疑問に思う。
ドロシーは扉のすぐ手前で歩みを止めると、ふっと姿を消した。
ほんの瞬きをした間に、ドロシーの姿はどこにもなくなってしまった。
「今、もしかして、消えましたか?」
ミヤビは、隣に立つアンリに言う。
「消えたわね」アンリは驚いていない様子だった。「風変わりな技をつかうことができるとは聞いていたけれど、これはまた、妙ちきりんなものがでたわね」
「妙ちきりん?」
「たぶん、ワープしたんじゃないかしら」
「ワープ、ですか」
いわば、時空を歪めて、現実にはあり得ない距離を移動する概念だ。
空想科学小説で、似たような技が披露される物語を読んだことがあった。
それは空間を飛び越え、同じ次元内の別の位置に存在を移す技だった。
これに倣うなら、つまり、ドロシーは今、ここではないどこかに移動したということだ。そういえば、そのようなことができると、先ほどドロシーは言っていたような気がする。
ぎいっと鈍い音がし、ミヤビは顔を上げる。
本屋の扉が開いた。決して動くことのないと思っていた扉があっさりと道を譲ったことには、たとえば、森の奥に佇む大樹が、ある日、何の前触れもなく消えてしまったかのような違和感があった。どうしてそのようなことが発生するのか、原因を追求しなければならない事案である。しかし、目の前で起きていることに変わりはないのでと、無理やりに自分自身を納得させることにした。
扉の隙間の暗がりから、ドロシーが姿を見せる。
森から樹が消えるなんて日常だと言わんばかりのすまし顔だ。
「いらっしゃい。どうぞ」
「ふうん。あなた自身が鍵ということなのね」アンリが言う。
「これだと戸締りが簡単なんだ」
「そう。さあ、入りましょう」
ミヤビはアンリに続き、店内に足を踏み入れる。ドロシーは本当にワープしたのか、それとも抜け道か何かあったのか、それに関しては、ひとまず考えないことにした。
店は狭く、一本の通路の左右を本棚で囲う配置だ。ミヤビは店内を進みながら、脇の棚に目をやる。カムフラージュのための店舗経営ではあるが、それにしても、書物は種類が少なかった。
有名な童話作家のおとぎ話が数冊、歴史学者によるおとぎ話が数冊に、魔法使いの生態に関する研究を発表した雑誌が何号か、生物図鑑、大陸の地図、手軽に楽しめる料理のレシピ本、推理小説、純文学と種類は豊富だが、やはり総数は物足らない。店内は薄暗く、そして、埃っぽさがあった。
書物を扱う空間というのは、煌びやかな装飾を拒む風習でもあるのだろうか。ミヤビは、ふと思った。
自分のいた村の図書館もそうであったが、書物が保管された場所は往々にして、森の奥底にあるロッジのような、心が休まる静けさと、どこか不安になる淋しさとが入り混じった空気で固められている。
それを心地よく感じることもあれば、窮屈に感じることもある。
ミヤビは前者の感性であったが、世の中の傾向はそうとは限らない。もしや、そういった伝統として、かたちだけが継がれていったこともあり得るのか。歴史を未来以上に重視するのは、人間特有の愉快で愚かな考え方だ。とにかく、本を取り扱う場所というものは、往々にして、静寂に雰囲気の支配を任せているようであった。
入り口からまっすぐ進んだ正面には、店主が使うための受付台があった。
ドロシーはその台の上に飛び乗る。ミヤビとアンリを迎え入れるように、振り返り、首をくいと曲げた。
「何の情報が欲しいの?」ドロシーは言う。
「人を探しているの」と、アンリが答えた。
「誰かな」
「名前は不明。赤い外套に羽根帽子を纏った背の高い男よ。眼帯をしているわ。数日前に、マガツ区から外出しているはずだけれど」
ドロシーは鼻をすんと鳴らす。それは頭の中で記憶の引き出しを開け、情報を取り出す仕草かに見えた。
そして、「ジョニーのことだね」と、ドロシーは言った。
「名前かしら」
「うん。その外見的特徴に当てはまるのは、この街では彼ぐらいだよ」
アンリは何かを確かめるかのように、ミヤビに視線を送ってくる。
しかし、ミヤビは口を挟めないでいた。騎士と猫とのやり取りは、暗号化された秘匿性のある独特のリズムに乗っ取って行われているようで、その緊張感が漂う空気をうまいこと読み取ることができなかったのだ。
それは旧知の者同士、あるいは通ずるものがある同志らが行う暗黙の決まりごとをなぞる作業にも思え、下手に割り込んでいいのかも、わからないでいた。
この会話に水を差すようなやり方は、どこかの世界を侵すほどの大罪なのではないかという考えがどうしても拭えない。
だから、黙って見守っているしかない。ミヤビはひたすら見守っていた。口を閉じて両者を見ていた。
そうしているうちにも、会話は続く。
「そのジョニーという男は、どういう人物なの?」アンリが訊ねる。
「ギルドの人間だね。隊長って呼ばれているらしいけど」と、ドロシーが答える。
「マガツ区のギルドって、大陸中の魔法使いの殲滅を目指しているという、あの集団のこと?」
「そうだね」
「勇者育成団体って聞いたことがあるけど」
「勇者生成だね、どちらかというと」
「違うの?」
「違うね。たぶん、キミが想像しているようなことではないよ」
「ふうん、まあいいわ。とにかく、その団体で彼は隊長格なのね」
「みたいだよ。ギルドの構成員からは、隊長って呼ばれている」
「そう。できれば、その男の居場所も教えてくれないかしら」アンリは腰に手を添える。「その分、情報料は出すわ」
「いいよ、いらない。タダで教えてあげるよ」
「タダ?それは、どうしてかしら」アンリは眉根を寄せる。
「その情報が必要なのは、キミなんでしょう」ドロシーの視線が、すいっとミヤビに移る。「キミは、この街に来たばかりなんだよね。それも、自分の意図しないところで起こった出来事に巻き込まれてしまったがために」
「そのようです」と、ミヤビはようやく口を開いた。
アンリとの会話を聞いていて思ったのだが、ドロシーは、ただ情報屋を開ける鍵を持つ猫に留まらないようだった。その口ぶりからして、どうやら情報屋そのもの、というのが正しいのかもしれない。
マガツ区の情報屋は、なんと猫であったのだ。
「キミは情報屋だけでなく、この街にとっても新しいお客さんだ。だから特別サービスだよ。これからも情報屋をご贔屓にってね」ドロシーは冗談めかして、言う。
「何か裏があるような気がしてならないんだけれど」アンリが口を挟んでくる。
「ないよ。というか情報屋なんて体でやっているけど、そもそもね、ボクは別に情報料なんていらないんだから」
「いらない?どうして」
「キミたち人間の通貨のシステムと同じ次元で生きていないからさ、ボクは。だって、ネコなんだよ。人間のお金なんてもらったところで仕方ないよ」
「それじゃあ、あなたたち猫の世界で流通しているものって何なのかしら」
「情報だよ」ドロシーは笑う。「キミたちが通貨を信頼の証としているように、ボクたちは情報を信頼しているんだ」
「つまり、何かしら他の情報を寄越せということかしら」アンリは腕を組む。
「ううん。だから、今回はタダだって」
「けど、タダで貰うわけにはいきません。何かできることがあれば、お手伝いでもしますよ」ミヤビは言わずにいられない。
アンリが体の前に手を伸ばしてくる。興奮する獰猛な動物を宥め、落ち着けるかのように。
「まあ、いいんじゃない。タダでいいって言ってるんだから、言葉通り無償で受け取っても」と、アンリは言う。
「けれど、そういうわけには」
「あまり気を許し過ぎないほうがいいわ。無理難題を言われて面倒なことになるかもしれないわよ」
アンリは真剣な面持ちだった。
情報屋のことを知っていたようだし、何か思うところがあるのかもしれない。
「そんなことしないよ」ドロシーはまた笑う。動物の未知の行動に興味を示す生物学者のように、ミヤビとアンリの様子を見て、楽しんでいる風だ。
「どうかしらね。情報屋なんて怪しい商売をしている猫だもの」
「そんなネコをキミたちは頼っているんだよ。信用してほしいなあ」
話は膠着し、ミヤビはどうすればいいのかわからなかった。
ミヤビが村に帰るためには、情報屋の協力が不可欠なのだが、街を案内してくれている騎士の少女は、その情報屋との必要以上の接触を嫌っている風だ。
知らない街だからこそ、彼女の忠告は受け入れるべきなのだが、どうも過保護な気もする。
彼女を信じればいいのか、己の直感的な考えに従うべきなのか。
ふと、「じゃあさ、ボクもキミたちの一員に加えてよ」と、ドロシーが言い出した。
アンリは一瞬、目元を怪訝そうに歪めた。そして、ミヤビを見てくる。
「一員というのは、どういう意味でしょう?」ミヤビはアンリの隣に立ち、訊ねる。
「キミ、マガツ区にやって来たはいいものの、家に帰る方法がわからないんでしょ?」
「どうしてそれを知っているの」アンリが聞き返す。
「ネコはいつだってどこでだって、人間たちの行動を観ているし、やり取りを聴いているんだ」
「目敏いし、耳聡いと」と、アンリは言う。
「そうかもね」ドロシーは、くすくすと笑う。
「私たちに協力して、あなたにどんな得があるの」
「得するためとかじゃなくて、面白そうだからだよ、ただ単にね。ボクの好奇心に基づく動機かな」
「ふうん、そう」
「だから、ボクも手伝うよ、ミヤビ。キミが無事に帰ることができるようにさ」
「それはありがたいんですけど」と、ミヤビはアンリの顔色を伺う。
ミヤビとしては、協力者が増えるのは嬉しかった。
しかし、先ほどから様子を見ている限り、騎士の少女は、この状況をおもしろくは思わないのではないかと、そんな心配があったのだ。
「いいんじゃない」と、アンリは言う。「この街のことなら、私たち外部の人間より詳しいはずだし、頼もしい助っ人だと思うわよ」
「そうですか。では、よろしくお願いします。ドロシー」
「うん、よろしくね」
ドロシーはカウンターを飛び降りた。
それから、二人の足元まで歩いてくると、腰を落とし、前脚を伸ばしたまま、にゃあと鳴いた。
先の白い、可愛らしい尻尾がゆらゆらとしている。




