少女の話 4
マガツ区という街は、シンボルである時計塔を中心に、円形に広がる構造をしている。
時計塔のある広場を「中央広場」といい、それを二つに裂くようにして伸びる大きな通りを境に、マガツ区は「北エリア」と「南エリア」に別れている。
昨晩、アンリがそう教えてくれた。
「ここが中央広場よ」
アンリに連れられ、ミヤビは時計塔を訪れていた。
年季の入った建物ばかりが連なるマガツ区は、どこか頼りない面持ちで、魔法使いの襲撃に遭ったことも影響しているのだろう、くたびれた老兵たちの溜まり場のような淀んだ空気が流れていた。
そんな雰囲気から一変して、中心部にあたるこの広場には、人の触れることなど許されない崇高な気配があった。
街のもっとも人通りがある場所にもかかわらず、そこで行われる物事のすべてに特別な意味があり、何者にも穢されない聖なる領域とされているような、異質な風が吹いている。
この場所は元々、それだけの神聖さに満ちていたわけではないが、時計塔が、いつどうやって造られたのかが誰もわかっておらず、再現不可能な建築技術を用いられているのだと分析されたがために、人の手にはない業によるものだ、つまりは大いなる存在が、この地に送り届けたモニュメントなのだと、都合よく神格化された。
広場に漂う特異な空気感は、人々のそんな思想が創り出したものなのだ。
足元には、敷き詰められた石が螺旋に渦巻いている。その線が伸びる箇所すべてが広場ということなのだろう。形と大きさが不揃いな石たちが紋様を描くようにして並ぶこの一帯を、街の人々は中央広場としている。
見渡せるような広さがあり、広場の端からだと、向かい側の端にいる人影が、どのような風貌なのか、辛うじて認識できる程度だ。
しかし、認識できはするものの、そこまで辿り着くことができないと思ってしまうような、距離があるように感じた。
物理的な意味ではなく、精神的な意味で、この広場を悠々と横断し、端まで辿り着いたとしたならば、そこはまったく別の世界へと迷い込んだことを意味する。そういった仮想空間が、広場には取り巻いているように思えた。もちろん、姿は見えない。はっきりとした境界のようなものもあるわけではない。けれど、やはり異質という点で、中央広場はマガツ区の中心部で、心臓部であると同時に、世界から隔離された独自性を有している亜空間なのだと、ミヤビは考えるに至った。この一帯が抱える独自性に、そう考えさせられたともいえる。
そんな広場の中に、堂々たる風格で構える時計塔を見上げてみる。
長方形に伸び、頂上付近に顔たる円盤を据えた塔は、暗い曇を裂いて降り注ぐ数本の陽の光線に当てられ、その身に奇怪なまだら模様を映し出していた。
材質は不明だが、おそらく知る者のいない構造なのだろう。
色合いは黒より黒く、闇ほど暗く、さらに濃く、日中にも関わらず、夜の世界からどうやってかその姿だけを顕現させている風な様相であった。これはそもそもの話、我々と塔とでは、存在する次元が異なることを意味するようでもあった。姿形を認識できはするが、触れることができない存在。いや、触れることができても、本質的な意味で、塔を手にすることはできないような、理解を超えた存在だ。
時計塔は、まるで守り神のような慈悲深い様子で、街を見下ろしている。けれど、その様子はどこか哀しげに見える。
塔を見上げてみて思うのは、その迫力の凄さだ。
ミヤビの経験上、建築物にこれほど圧倒されることはなかった。それは神が存在するだとか、被造物だとかいった教義の問題ではない。純粋な記憶の実録による感想だ。
そして、その感覚は何とも不気味なものだった。
これに圧倒される感覚。それは、魔法使いのような絶対的な存在を前にした時に抱く、仄暗い情熱にどこか似ているように思えた。
彼の者と塔とでは、似通った点などこれっぽっちも見当たらないが、本質的な意味において、二つは同義なのではないか。ミヤビは、世界の誰も知らない真実を、知らぬ間に体感しているのだった。
「あれは何をしているのでしょうか」
ミヤビは塔の麓を指して、言った。視線の先では、集団が両手を広げ、空を仰いでいる。
「祈っているの」と、アンリは言った。
「祈りですか」
「宗教のようなものよ。彼らにとって、それは教えとは、また異なるものなのでしょうけど、側からみれば変わりはないわ」
アンリが広場に向ける視線には、情がこもっていないように見えた。
「何に何の祈りを捧げているのですか」ミヤビは重ねて尋ねる。
「時計塔に街の平和をね」
「時計塔に街の平和を、ですか」ミヤビは再び、時計塔を見上げる。「この塔はマガツ区という街にとって、ただのシンボルなどではなく、人々が想いを預けるような特別な存在、というわけなのですね」
「自立する志や、思考を巡らせる力を奪う呪いのような存在でもあるかもね」
「それは、どういう意味でしょうか」
「いずれ、説明してあげるわ」
アンリは言うと、ミヤビに背を向けた。
「行きましょう」アンリは歩き始める。「長居する必要はないわよ」
中央広場から西に向けて進むと、住宅街が見えてくる。
上から巨人に踏み潰されたかのような寒々しい穴が空き、壁や柱が歪に崩れている酷い有様だった。
生活感はないものの、人の影はいくらかあって、この街の悲惨な現状が見て取れた。
通りをしばらく進むと、繁華街があり、その先はまた住宅街だ。そして、同じような建築が連なる影が段々と寂しくなってくると、その先は人の手がついていない荒野だった。
「情報屋は、繁華街にあるって言ってませんでしたか」ミヤビは昨日のアンリたちとの会話を思い出しながら、言う。
「ええ。けれど、閉まっていたから」と、アンリは足を止め、振り返る。「これから鍵を取りに行くの」
「さっき、通った時に確認したんですか。ということは、この大きな通り沿いに情報屋があるんですか」ミヤビは来た道を指して言う。
「ええ、そうよ」
「そして、鍵がこの先にあるんですね」ミヤビは進む道を指して、言う。
「ええ、そうよ」
言うと、アンリは口を閉ざし、再び歩き始めた。
ミヤビも黙って後に続く。
薄茶色の地面がずっと伸びた土地を、二人は進んだ。
かつては綺麗な緑が豊かだったその地は、魔法使いの誕生により、荒地と化していた。
魔法使いが出現したことによる変化は、人間たちが被った実害だけではない。
大陸の環境にも多大なる影響を与え、それまでとは異なる世界をつくりだしてしまった。土地が変わり、気候が変わり、住む生き物が変わり、世界は今尚、変わり続ける。魔法使いの誕生は、ある種、この大陸の新しい姿を生み出すための転換期にもなったのだ。
人気のない地を歩き続けていくと、そこにただひとつ、旧世界の遺産かのように佇む箱型の建物を、ミヤビは見つけた。
観光バスの残骸だ。機能が完全に停止しているようで、土埃をかぶっている。
魔法使いが現れるまでは、マガツ区も観光地として、それなりに有名だったのかもしれない。今となっては面影もないけれど。
バスは、赤と緑のラインが交互に交わる独特な模様で、たとえ、かつての世界は、こういった車が大陸中を駆け回り、目にすることが珍しくない機構だったのだとしても、一際、目立つ色味に塗装されてあった。
「初めて見ました」ミヤビは言う。話しかけようとした意識はなく、自然と口から溢れていた。
「ここに鍵があるわ」と、アンリは言った。
「この中に?」
「ええ、この中に」
ミヤビは、バスの外観に臆することなく、車内に足を踏み入れる。
「お邪魔します」
傾いたステップに器用に足を乗せ、通路に立つ。車体が斜めになっているので、ドア付近にあった手すりに掴まる。
彼女は、こういった場面で怯むことがない。
日常では起こり得ないような奇天烈な現象を前にしたとしても、ああ、それはそういったものなのだなと、あっさりと受け入れてしまう。
肝が据わっているようで、実は、彼女が童話の類を好むことにも関係しているのかもしれないが、とにかく、彼女は未知に臆することがない。そういう性格なのだった。
ミヤビは車内を見回す。一番奥の座席の上に、黒い何かがあるのを見つけた。
塊だ。
黒い毛の塊が、ある。
しかし、よく見てみると、それは黒い体毛に覆われた身体をもつ生き物たちが、複数匹、群がっているだけなのだと気づく。
黒い塊の中から、いくつかの光がうまれる。塊を成す生き物たちが、自分たちの縄張りに侵入してきたミヤビを警戒して、観察もとい威嚇するための眼光であった。
「こんにちは。誰かいますか」
ミヤビは、塊に向かって話しかける。
すると、「誰かいるかって、人間じゃないけども」と、声がした。「いるよ」少女のような声だ。
「誰ですか」
ミヤビは振り返る。「どこにいるんですか」視線を戻す。
すると、座席の上の塊はすっかりと消えており、代わりに、一匹の猫がいた。
全身が黒く、丸い耳やふっくらとした口元は白い。尾が短くて、目が空色に輝いている。
その猫は、意味ありげにミヤビを見つめていた。先ほどの声の主の正体を知っているかのように。
「誰もいない」ミヤビが呟くと、「いるよ」と返事がある。
「どこにですか」
「ほら、ここに」
声は、猫からだった。
縫いぐるみのようには見えず、機械仕掛けでもない。
正真正銘、生きた猫であり、喋る猫なのだった。
「やあ、初めまして。ボクの名前はドロシーだよ」
「こんにちは。私は、ミヤビといいます」
ミヤビは、ドロシーと名乗る猫に片手をあげてみせる。
「驚いた。キミは、ボクが喋るのを見て、驚かないんだ」
「やっぱり、声がするのはあなたからなんですね。しかも、ちゃんと喋っている」
ミヤビは、とにかく受け入れるのが早い。
荒れた地に放置されたバスの残骸で、喋る猫を目撃しても、動揺をみせない。
「驚いていないわけじゃないですけど、可能性としてはあり得るので、目の前で起きていることだから、受け入れるしかないってだけで」
「キミの見ている世界には、この世界の空のように、限りのない可能性があるんだね。素敵だと思うよ」
「私の好きなおとぎ話だと、猫はいつも喋っていますし。あなたみたいに可愛い猫、というじゃないんですけど」
ドロシーという名の猫は、ぴょんと座席から飛び降り、通路に立った。
短い脚を交互にぴょこぴょこと動かしながら、ミヤビの足元まで近づいてくる。
「実はボク、ちょっとした能力があるんだ。それこそ、幻想のお話の中にでてくるような不思議なやつが」
「そうなんですか」
「ここからどんな場所にでも、瞬く間に移動することができるんだ」
「それは、足が速いということでしょうか」
「瞬間的に空間を飛び越える」
「それは素敵ですね」
ミヤビは関心する。
「これでも、驚かない?」
「猫は不可思議な術を使って、人間を惑わすことに長けていると云われています」
「キミの好きなおとぎ話でも、猫はそんな感じ?」
「言葉を話しますし、姿を消せます。それに、宙返りだってできちゃう」
「ボクは宙返りができない」
「できないんですか」
「まあ、そんなことはどうでもいっか。ねえ、キミがここに来たのは、ボクを探してなんだろ」と、ドロシーは、伸びをしながら言った。
そうだった、とミヤビは当初の目的を思い出す。言葉を喋る可愛い猫に夢中になっていた。
「実は私、マガツ区の情報屋に用があるんです。でも、どうやら開いていないみたいで」
「それでここに来たの?」
「ここに情報屋に入るための鍵があると聞いて」
「ふうん」
ドロシーは大きな欠伸をすると、近くの座席に飛び乗った。
ミヤビは、目線を合わせるために屈む。
「ボクが店を開けてあげる。そうすれば、キミは情報屋に会えるよ」
「あなたが鍵を持っているんですか」
「そうだよ」
「では、お願いしてもいいですか?」
「うん。じゃあ、戻ろっか」
ミヤビはドロシーを抱え、バスを出た。
「捕まえたのね」
外で待機していたアンリが言ってくる。
「この方が鍵を持っているそうで」
「そう。じゃあ、戻りましょうか」
二人と一匹は来た道を戻り、情報屋を目指す。住宅街を越えて、少ししたところにある繁華街の一角だ。
「そういえば、気になってたことがあるんですけど」通りを歩きながら、ミヤビは両手で抱えたドロシーを見下ろす。「あなたについて」
「何かな。ボクが答えられる範囲でなら、なんでも答えるよ」
「あなたって全身は黒いけど、よく見たら、ところどころ白なんですね。手とか耳とか、お腹とか」
「うん?そうだね」
「すると、どうなんでしょう。あなたって黒猫?それとも、白猫?」
ドロシーは吊り気味な目を丸くし、柔らかそうな口を開いたまま、固まる。
それから、ふっふと笑い出した。正確には笑っているように息を吐いていた。猫がどのようにして笑うのか、ミヤビは知らない。
「瞬間的にどこにでも移動ができて、情報屋にも通じていて、しかも喋るような不思議なネコと会ったんだよ。もっと他に気になることとかないの?」
「それが一番、気になりました」
「キミ、ちょっとかわってるかもね」ドロシーは、くすくすと笑う。




