少女の話 3
ミヤビは、部屋でひとり、日記を書いていた。
目を覚ますと知らない街にいたことや、そこで新たな出会いがあったこと、兄と離ればなれになってしまった、悲しい気持ちなどまでを事細かに記していた。
部屋は静かだった。
時に寂しくも感じる孤独な静けさが、室内を満たしていた。
音があるとすれば、ミヤビがしている書き物によるものくらいだ。ペンが紙をなぞるたび、しゅっ、しゅっという滑らかな音が手元でうまれる。
しかしその音は、確かに発生し、耳に届くものでありながら、孤独な静けさを打ち消すには物足らなかった。そのため、ミヤビは書き物をしながらも孤独を感じるに至った。誰にも干渉されない、認知されない、ある世界からの解離すらも感じさせる、残酷な孤独だ。
ミヤビは、それを自覚すると、やがて、この胸の内に忽然と湧いた孤独感に、不審を抱くようになった。
どうして、自分は孤独を感じているのだろう。今の自分は一人ではない。部屋には一人でいるけれど、すぐ隣の部屋には、頼もしい騎士の二人とヒロセがいる。いつでも会いに行けるのだから、孤独を感じるはずはない。
この違和感を解消するために、ミヤビは、真の意味での孤独について、考える必要があった。
ただし、ミヤビの世界に、その思考回路の道程に、それはまだ存在しない。
彼女は大切なものを失う虚しさを、実感として知らない。自分の体の一部分が抜け落ち、ぽっかりと穴が空いてしまったかのような、何とも言えない喪失感を、味わったためしなどなかったのだ。
無理もない。齢十三の少女が抱くには酷な感覚である。
仮に経験していたとしても、忘れてしまっていることだろう。純粋な子どもの内に、辛い思い出はあってはいけない。
ミヤビの思考を構築するのに異物でしかないからだ。
この虚しさに学びを得る姿勢だってあるだろう。しかし、それは今の彼女には必要のないことだ。生物としての本能は率先して、これを忘れるよう努めるはずだ。
だからこそ、全てを受け入れるには、とにかく時間が必要だった。
そして、それは孤独な時間であってはならなかった。
ミヤビが現実と向き合い、理想を抱くに至るには、これから多くの出会いと支えが不可欠となるのだ。
部屋の扉を叩く音がする。
出てみると、廊下にアンリが立っていた。話がしたいとのことなので、騎士の少女を室内に招き入れる。
「急にわるいわね」扉の前に立ったまま、アンリは言う。
「いえ、大丈夫ですよ。むしろ、なんだか寂しかったので、話し相手がほしかったんです」
少し前のこと。情報屋に行き、眼帯男の手がかりを探るという、ひとまずの方針が決まったのちに、今日はもう遅いので行動を起こすのは明日からにしようという話になった。
ミヤビとしては、すぐにでも動きたいところだったが、見知らぬ街で不用意に動き回るのは危険だと、騎士の二人に忠告され、従うことにした。
それでも、今夜の宿がないから、街に繰り出す必要があるのではと思っていると、ヒロセが「眼帯の男を見つけるまでは部屋を貸してあげるよ」と、ありがたい提案をしてきた。
さらに、ミヤビだけでなく、騎士の二人にも部屋を貸し与えると言った。
騎士の二人はヒロセの提案に思うところでもあったのか、はじめは乗り気ではなかった。けれど三人は、ミヤビには意味の分からない事柄をこそこそと話し合い、結局、ミヤビを含めた三人が、ヒロセの管理するこの建物で世話になることとなった。あちらの事情はよく知らないが、話はまとまったようだ。
建物には宿屋の客室のような小綺麗な部屋がいつくかあって、その一つを使わせてもらえた。
部屋の家具は机と椅子に、収納棚が二つほど、あとはベッドがあるだけだ。
一見、殺風景に感じるが、敢えて家具の数を抑えているとも取れる洗練された趣向を思わせるので、気に入っていた。
何より宿が手に入ったことは、ミヤビにとって救いであった。この街に長居する気などさらさらなかったが、情報を精査する心理的な余裕がうまれたことは嬉しいことだった。
「何をしてたの?」アンリが訊ねてくる。
「日記を付けていました」と、ミヤビは答えた。
「日記?」
ミヤビは机の上を指す。
「さっき、ヒロセさんにもらってきたんです。ペンも一緒に。ほら、これ。複雑な機構ですけど、簡単に図が書けるんです。面白いですよね」
「初めて見たわ」アンリは感心があるように言う。
ミヤビたちは、隣の部屋に移動した。
そこは客間らしき部屋で、複数人で囲えるような大きなテーブルがあったので、そこでくつろぐことにした。
食糧庫から持ってきた茶を淹れる。作法は本で読んだことがあったので知っていたが、騎士の少女が慣れているというので任せることにした。
かわりにミヤビは、菓子でもないかと探してみた。けれど、それらしいものが見つからなかったので、諦めて台所に戻る。
ふと、「あなた、落ち着いているのね」と、アンリが言ってくる。
「そうですか?」と、ミヤビは返す。
「ええ。平常心を保とうとするような素振りもないけど。今、別に緊張とか、していないんでしょう?」
「緊張?何に対してでしょうか」
「やっぱりそういう感じなのね」アンリは視線を手元に戻した。「平静を装っているんじゃなくて、本当に心が穏やかって感じだもの、あなた。誘拐されて、まったく知らない地で一人で目覚めたのなら、もっと動揺してもおかしくはないと思うのだけれど」
「それは、自分でもどうしてなのかはわかりません。きっと、今置かれているこの状況を、どこか非現実的に考えているところがあるのかもしれません。つまり、おとぎ話の世界に足を踏み入れたかのような。だから、辛い気持ちもあるし、動揺もしてはいますけど、心のどこかでは、この状況を楽しんでいるところがあるんだと思います。誘拐されるなんて、滅多にないことですし」
「滅多にないことだからこそ、怖いとか、哀しいとか、そんな感情が膨れ上がって、パニックになったりするようなものだと思うけどね」
「どうなのでしょう。私は鈍感なのかもしれません」
「肝が据わっているのか。あるいは」
アンリは何かを言いかけて、やめた。
それから静かに茶を注ぎ、テーブルに並べる。淡々と作業を行う。慣れた手つきは確かだが、これを自分で行うこと、あるいはミヤビに行わせないことに拘るような意志が、彼女の仕草からは滲み出ていた。その意図はわからない。
彼女は初めて出会った時から、ミヤビに対して、何か警戒をしている風だった。その接し方からは、暗闇の中を手探りで進むような慎重な態度が伺えた。同時に、何か重要な事柄を隠している冷たさもあった。
しかし、その勇ましい輝きを持つ瞳の奥に、大事に仕舞い込んでいる何かを見通すことは容易ではなかった。このアンリとかいう騎士の少女は、自分の感情を思うままに制御する能力に長けているらしい。職業柄そうであるのだろうか。誰にも気を許していない。正義によって厳重に管理されたその金庫を開くには、相応の術が鍵となるのだ。
このまま騎士の少女と関係を深めることには、本来、危うさがあった。
けれど、ミヤビは違った。たとえ、アンリが自分に対して何を隠しているにせよ、損得勘定など別にして、ただ彼女と仲良くなりたいと思っていた。
ミヤビは、アンリと向き合うかたちで座る。
「そういえば、聞いてみたいと思っていたんですけど」と、ミヤビから話しかける。
「何かしら」
「騎士の人たちって、普段、どのようなことをしているのでしょうか」
アンリは、視線をミヤビの手元に落とした。それから、テーブルの上で手を組んで、右手の親指だけを、とんとんとリズムよく動かしはじめる。
「主に街の警備ね。魔法使いが現れて、大陸中がこんな風になっちゃったから。街の中だけでも安全でないと」
「そうですか。王都は、安全な街ですか?」
「ええ、とても」アンリは微笑む。故郷に思いをはせる、優しい目をしていた。ずっと仏頂面だったが、初めて柔らかい表情を見せた。「街の外に魔法使いみたいな怪物がいるなんて、誰も信じていないくらいには平和ね」
「いいことですね。何が幸せなのかはわかりませんが、できることなら、世界の恐ろしさをまったく知らずに暮らせるのが、一番いいのかもしれません」
「ええ、本当にそう」
アンリは茶の入ったカップを両手で持ち、口をつける。
「私たちがこの街に来たのもね、言わばパトロールの一環なの。街のすぐ外に危険が迫っていないか、対処すべき事態は起きてないかを確かめるために、はるばる来たわけなのよ」
「王都は、ここから遠いんですか」
「どれだけ急いでも二日はかかるわね。ましてや、このマガツ区の周辺には現在、魔法使いが生息しているから、下手に動けないのもあって、現実的には三日と半日といったところかしら」
「私も一度でいいので、王都に行ってみたいです」
「ええ、ぜひいらっしゃい。歓迎するわ。あなたがその気なら、騎士にだって推薦してあげる。少し話してみて思ったけど、あなた、度胸ありそうだし」アンリは冗談のつもりなのか、その幼さの残る童顔に悪戯っぽい笑みを浮かべている。
「でも私、まだ十三ですよ」
「関係ないわ。私も今のあなたと同じくらいで騎士になったの。だから、大丈夫よ」
「考えておきます」ミヤビは笑う。
二人は他愛のない会話を続けた。主に、ミヤビがアンリに質問して、それに答えてもらう形でのやり取りを何度か行った。
騎士の少女と過ごす時間に、ミヤビは、これまでに味わったことない居心地の良さを感じていた。
それは胸の奥がほっと温かくなり、その温もりが心地良くもくすぐったくもある、もどかしい感覚だった。
ミヤビは兄以外に、歳の近しい人物と話したことはなかったため、若干、気恥ずかしさを覚えていた。違和感はあるも、不快にはならず、むしろ、愉しくさえ感じる。そんな境地に彼女の心はあった。
胸中で昂る何かを鎮めるため、茶を一口、飲む。
カップをテーブルに置き、視線を上げる。
自分の前に座っている少女の顔を、まじまじと見てしまう。
白い肌。ぱっちりとした目元。無邪気さの光を宿す瞳と、きりっとした綺麗なかたちの眉。まつ毛は短い。鼻と口が小さく、輪郭はほんのりと丸みがあって、童顔に映る。
見れば見るほど、可愛らしい少女なのである。
ミヤビは特に、少女の目が気に入っていた。彼女の目には、得も言われぬ輝きがあった。その輝きは、若いながらも騎士である少女の強い正義感の表れでもあるかのようで、内に併せ持つ慈愛の心が同時に見て取れる。
勇ましさと、いじらしさが併存しているような、カオスな情景。自然界にはなく、他の生命にもみられない、人間特有の魅力に、ミヤビは夢中になっていた。
この年頃の少女らはきっと皆、同様に持つ輝きなのだろうが、そんなことを、ミヤビは知らない。ただ、惹かれるものがあるというのに違いはなかった。
人はなんでも見た目で決める、といったテーマのおとぎ話を読んだことがあった。
曰く、人間の他者への評価項目は、視覚からの情報が大半を占めるという。
それに沿ってみるとすれば、ミヤビにとって、アンリという名の騎士の少女は、言うまでもなく好印象であった。
穢れの一切がない清い存在として、この不純な世界に降り立った輝きを大切に想うように、ミヤビは少女のことが好きだった。
視線が、少女の首から上を一通り巡ったあと、ミヤビはひとりで満足そうに笑う。その様子に気づき、少女は首を傾げた。
「どうかしたの」
「なにがですか」
「嬉しそうだから。理由はわかんないけど」
ミヤビは、目の前の少女との会話を楽しんでいることを気づいた。
「嬉しいというのは、確かにその通りです。私の住んでいるところは大人たちばかりで、同年代の人がいないので、あなたとこうして話ができるのが、新鮮で面白いんです」
「そう。ずいぶん寂しい場所に住んでいるのね」言った後で、アンリは、はっとした表情をみせる。「ごめん」
「いえ、実際にそうですから。森の近くにある、小さな村なんです」
「そう、なのね」
アンリはミヤビの瞳の奥までをじっと覗き込むかのように、見つめてくる。
しかし、その視線には、ミヤビが想像するような好意的な感情とは異なる色があった。その発見に、ミヤビは幾らか驚いた。
騎士の少女が反応を見せたのは、ミヤビが自身の村のことを話した瞬間だった。
そうだ、その話がしたかったのだ。アンリの顔は、言わずとも語っていた。
「そのへんのことを、ちゃんと訊きたいと思っていたのよ」
「私の住んでいる場所のことですか?」
「そして、あなたのことを」
「私のこと?」
「ええ」アンリは背もたれに身体を預け、両手を組んで、膝の上に置いた。「あなたの住んでいた場所ってどんなところなの?」と、慎重を期すような様で口を開く。宝を護る竜を起こすまいと、忍び足になる盗賊のようにだ。
「小さな村というか、集落ですよ。おそらく、どこにでもあるような。この言い方が適切かはわからないですけど、絵本やおとぎ話に出てくるような質素な村の描写と、似通っていると思います」ミヤビは答えながら、これは騎士の少女の求めている答えではないのではないかと思った。
「村には何があるの?」アンリは続けて訊ねてくる。
「家があって、教会があって、図書館があって、あと広場とかもありますけど」
雑貨屋さんや飲食店とかはないんですよ、と言いかけた時、「教会があるの?」と、アンリが被せ気味に言ってきた。
「教会はありますよ。聖堂と呼ばれている教会堂もあります」
「つまり、何か信仰があるということかしら」
「いいえ、そういったものはありません。ただの跡地です。けれど、取り壊すにはかなりの労力が必要で、できなかったそうです。それで、そのまま集会場所なんかに使っています」
「そうなの」アンリは小さく言うと、「あなたのことで訊きたいというのはね、魔法使いについてなの」と、続けた。
彼女の声色には緊張がこもっている。その目の震えにも、何かに警戒して、あるいは怯える様が伺えた。
「なんでしょうか」
「あなたにとって、魔法使いとはどういう存在なのかしら」
「私にとって、ですか。それは、どういう意味でしょう」
「この質問に深い意味はないわ。正直に言うと、我々にとって、あなたは得体の知れない人物なのよ」
ミヤビは何も返さなかった。アンリという騎士の少女が発した言葉には、ミヤビに対する不信、嫌悪、敵意すら思わせる黒い感情が同乗していることに気づいたからだ。
しかし、その理由については、ミヤビにはわからない。思い当たる節がなかった。
彼女らの目に、自分がどう映っているのだろうか。
考えたこともない視線に新鮮さを覚えつつ、彼女の次の言葉を待つことにした。
すると、アンリは、ミヤビのそんな態度を察したのか、口を開いた。
「魔法使いは人間を襲う。理由はわからないけど、そういう生き物よね。今日、マガツ区の周辺に魔法使いが発生する予報があった。予報は精度が高い。実際、南エリアでは、それなりの数が確認できたらしいの。だから、この北エリアの周りにも、魔法使いが出現していたと私はみているわ。でも、あなたを発見した時、周辺にそれらしき存在は確認できなかった。偶々、いなかっただけなのかもしれないけど、私はね、他の可能性を考えてみたの」
アンリの瞳に、光が宿って見えた。寒々しい夜に、世界を照らさんとする灯火のような輝きだ。
ミヤビには、彼女の言いたいことが何となくわかった。
「魔法使いがあなたを避けた。あるいはあなたが魔法使いを退けた」
ミヤビは黙ったまま、アンリの言葉の続きを待つ。
「魔法使いはあなたと何かしらの関わりがあるんじゃないのかって、そう考えたの」
「関わりといっても」
そんなものあるわけない。
この時のミヤビは、そう思っていた。
「私は魔法使いのことは、おとぎ話でしか知りませんでした。実際に見たことは、一度しかないんです。それも、夢のような体験だったから、現実味がなくて。なので、どういう存在なのかと聞かれると、おとぎ話で伝えられている通りの存在と答えます。災厄の象徴のような恐ろしい生き物だと」
「そう。でも、あなたには悪いんだけどね、私は、王都の騎士として、魔法使いの実態を調査しなければならないの。これまで魔法使いについてはわからないことばかりだったけど、あなたとの出会いで、何か進展がありそうな気がしてならないの。私は」
騎士の少女の熱意に圧され、ミヤビは簡単な相槌をうつ。
「だからね、あなたをなんとしても、故郷の村に送り届けてあげるつもりよ。そして、その過程で、あるいはその先で、魔法使いの秘密に迫ることができるんじゃないかと、私は期待しているわ」
騎士の少女が、ふっと笑った。ように見えた。そうであってほしいという望みかもしれない。悪戯っぽい笑みを浮かべていたように、ミヤビには見えた。謀をしている冷静さがある一方で、博打に出た勝負師のような顔つきにも見える。
状況だけみると、騎士の少女は、ミヤビが無事、家に帰ることができるよう協力してくれる。とのことだった。
しかし、真の目的は他にある。
彼女らにとって、ミヤビは魔法使いに近づくための餌だ。
もちろん、誘拐された少女の心境を想ってはくれているのだろうが、どこまでが本音なのか。
「明日、情報屋に行くんでしょう。私も一緒に行くわ。まあ、つまりね。こんな言い方、ひどいように聞こえるかもしれないけれど」アンリは身を乗り出し、口を開いた。「あなたを警護および監視するためよ」
ミヤビは、自分の中で何かが湧き立つのを感じた。




