少女の話
目を覚ましたミヤビは、困惑した。いつもの自室ではない、まったく見知らぬ部屋にいたからだ。
そこは、かつて小さな諍い、ちょっとした衝突から発生した内戦の影響で、うち捨てられ、以来、誰も寄り付かなくなってしまった廃屋を想像させるような、もの寂しさの漂う空間だった。
壁はどこもが色褪せていて、灯りの類は見当たらない。
窓が二つ、高い位置についてはいるものの、くもり空なのか夜なのか、それとも角度の問題なのか、陽光が差し込んでくる気配はない。辺りは、視界が慣れるのには少々の時間が必要な闇に包まれていた。
部屋の壁際に位置するベッドの上に、ミヤビはいた。
どうして、こんなところにいるのだろうと思いつつ、体を起こす。ゆっくりと、のびをする。頭が重たい。寝起きはいつもそうだ。
息を吸う。冷たい空気が体内に潜り込んできた。もう一度、身体をぐうっと伸ばす。
そうして、頭の中のぼんやりとした、もやのようなものが晴れてくると、次第に記憶が戻り、夢と現実の境がきっかりと別れ、状況がのみ込めるようになってきた。
どうしてこんなところにいるのか。自分の身に何が起きたのか。
ああ、そういえば。
ミヤビの記憶が確かなら、先刻、眼帯をした謎の男に誘拐されたはずだった。
どこで意識を手放したのかは不明だが、それだけは覚えていた。
突如、村に現れた男が、信仰だの役目だのを口にしながら、ミヤビを連れ去ってしまったのだ。
あれが夢じゃないことは、この不可解な現状が物語っていた。
目が覚めた時、まったく見知らぬ場所にいるのだ。他に理由は考えられない。
さて、ここはどこなのだろうと、ミヤビは首を傾げる。
誘拐されたので、今は監禁されているのだろうか。すると、ここは監禁部屋なわけだけれども、それにしては、小綺麗な気もする。監禁と聞いて想像する物騒な雰囲気とは、また違う空気感だ。
頭の後ろから肩にかけて、ぴりりとした刺激が走った。首元に手をやる。寝違えたようだ。左に捻ろうとすると、痛い。
そもそも、これは監禁というより、軟禁ではないか。ミヤビは思った。
身体の自由はきくし、ベッドを使わせてもらえたようだし。
なんだか束縛の程度が緩い気がする。ひょっとすると、誘拐されたことは何かの手違いで、そのうち解放されるのではないだろうか。少ししたら、あの謎の眼帯男が陽気な調子で現れて、今すぐ家に返しますと、言い出すのではないだろうか。などと、呑気に考えてみたりもした。
暗さに目が慣れてきたところで、改めて室内を見回してみる。
部屋は、ベッドが二つ、デスクとチェアが一組ずつあり、病室を思わせる内装だった。
病室?どうして、そんな場所に。
ふと、医者のような女が室内にいることに気づいた。
腰掛チェアに足を組んで座り、こちらを見ている。人だ。いつからいたのかは、わからないが、ミヤビの目覚めを待っていた風だった。
女は、ミヤビと目が合ったことを確認すると、何を思ってか友好の証でもあるかのように、ふんわりと微笑んでみせた。
そして、身を乗り出すように前屈みになり、顎に手を添えた。
「起きたね」と、女は言った。
背広姿で、肩から白衣を羽織っている。なぜ袖を通して白衣を着ないのかは不明だが、とにかく女はそのような格好をしていた。医療関係者を思わせる清潔感のある衣類だ。
ミヤビは、女の顔を注意深く見た。
細い目元に、へこんだ鼻、うっすらとした唇と、顔のパーツには、どれも儚げな印象を覚えた。
しかし、切り揃えられた前髪と長い睫毛のバランスが、その表情を魔性的に魅せていた。ミヤビや、彼女の兄よりもさらに年上のようだが、笑って垂れた目元には、可愛らしい幼さが残っている。紛れもない、美人の類いの顔立ちだった。
何者かはわからなかったが、ミヤビは女のことを、特段、警戒してはいなかった。
自身を攫った相手かもしれないのに。けれど、ミヤビは人を疑うより、信じることを優先する心優しい少女なのだった。
「こんにちは」
ミヤビは謎の女にむけて言う。かすれた声が出た。それだけ長い間、寝ていたのだと自覚した。
「具合はどう?」と、女は言った。品定めしているかのような目を向けてきている。
「具合、ですか」
「体の調子とか、気分とか。どこか不調なところはない?いつも通り?」
女は、ゆったりとした喋り方をしていた。耳に届けられた言葉を脳が理解するまでの、意識せずとも行われる一連のはたらきが、まるで川を流れる水のように淀みなく、緩やかに進行されるようであり、とても聞き取りやすい調子の声だと、ミヤビは思った。特徴的な話し方だが、無論、好意的に受け止めていた。
「頭が重たい感じがします。重しでものっているみたいな」ミヤビは、自分の額に手を添えてみた。発熱している様子はない。「それと体も少し、痛いというか怠いというか」
「倒れていたらしいね、君」と、女は言う。
「そうなんですか」
「うん。街の外でね。偶然、近くを通りかかった時に保護したって、騎士の二人が、ここに運び込んできたんだけど」
「騎士の二人?」
ミヤビは正面の女から視線を外し、部屋全体に向ける。騎士たる人物を探してみる。が、どこにも見当たらなかった。
「ああ、今はいないよ。ちょうど出て行ったところだから」女は、ミヤビの考えを読み取ったかのように言った。
「そうですか」
騎士と聞いて想像するのは、誉れ高い人徳者だ。背格好が良く、武芸に長けた姿で、おとぎ話にも描かれている。
もちろんミヤビの好きな物語にも度々、登場した。街の平和を守ったり、巨悪と闘ったりと、目覚ましい活躍をみせる役者として、描かれていることが多い。
その勇姿を、現実でも見ることができるのか。そう期待したが、どうも思い通りにはいかないらしい。
「野暮用で出払っているだけだから、すぐ戻ってくるとは思う」女は言う。「訊きたいこととかあるんだろうけど、とりあえずは休んでおいたほうがいいよ。それまで、ここにいていいからさ」
「ありがとうございます。そう、させてもらいます」
女は、「ヒロセ」と名乗った。ミヤビも同じように名乗る。
このヒロセとかいう女は、様子を見るに、自分が巻き込まれた誘拐事件とは無関係な人物であると、ミヤビは感じた。
それならば、必要以上に警戒することはないはずだ。
話を聞いたところでは、突如、運び込まれてきた、意識のない正体不明の人物を預かってくれたわけなのだから。お人好しな面があるのかもしれない。
部屋のベッドだって、善意で貸してくれているのだ。彼女と親交を深めることは、悪いことではないのだろう。
ミヤビは、ベッドから足を降ろして座り直した。衣類の汚れを確認する。このヒロセという女としばしの間、話をしてみようと思った。
ミヤビは、兄とは違い、初対面の相手であっても、友好的な関係を築くことに抵抗を感じなかった。
すると、「街の外で何してたの?」と、ヒロセから言ってきた。
「何と言われても」ミヤビは答えるのに困る。
「今朝方、魔法使いの出現を仄めかす報せがあったでしょう。危険だから、外には出ないようにしないとさ」と、ヒロセは言う。
魔法使い。
その言葉を聞き、身体が固まる。声も出せなくなっていた。姿の見えない何者かに、口を押さえつけられているかのようだった。
魔法使いといえば、古来から伝わる怪物のことだ。
その姿は、人が感じ取る恐怖という感情そのものを体現したかのような異形であり、人間にとっては完全なる悪の存在である。
大陸におけるもっとも恐るべき災厄ともされ、空想上の生き物だとも云われているのだが、どうやら、そういうわけではない。彼らは確かに存在する。
実際、ミヤビは、魔法使いに遭遇したことがあった。魔法使いという脅威は、現実のものだった。
「魔法使いの予報。そうだったんですか。ああ、いえ、私はこの街に住んでいるわけじゃないんです。たぶん、ここは私の知らない街だと思うので」
ここがどこだかはわからなかったが、自分の住む村ではないことは、なんとなくわかっていた。
ミヤビの暮らす村には人が少なく、しかも全員とそれなりに交流があるため、誰が誰とどこに住んでいるのか、すべて把握している。
だから、このヒロセとかいう怪しげな女医らしき人物が、自分の村にいないことも知っていた。彼女が村に訪問してきて、一時的に滞在しているという可能性もあるが、この部屋で目覚めるまでの最後の記憶が、誘拐されたということから、ここが自分の知らない地なのではと予想できた。
「そっか。他所の人なんだ」ヒロセは組んだ脚の上に肘をつくと、前屈みになり、手で顎の辺りを触った。こちらを覗き込もうとする姿勢をみせる。隠しごとをしていないか、精査しているかのような目つきだった。「じゃあ君は、どうしてマガツ区に来たの?」
「ここは、マガツ区というんですか」
「うん。マガツ区の北エリア」
マガツ区。知らない街だ。
眼帯をした謎の男の目的地は、このマガツ区という街だったのだろうか。彼の行動の意図は想像できない。
「実は私、誘拐に遭ったんです。知らない人に連れていかれて、それで」
街の外で倒れていたんだと思いますと、ミヤビは言った。
「それは災難だったね」ヒロセは言う。言いはしたものの、特段、興味はなさそうな様子だ。
「どうして、倒れていたのかまではわかりません。私、しばらく気を失っていたみたいで。気がついたら、ここにいました」
記憶を遡る。
しかし、最後に覚えているものは、謎の男に誘拐され、村から連れ去られた時の光景だった。
記憶の中の景色では、兄や村の人々が、自分から遠ざかっていくのが見えた。
手を伸ばしてみても、誰にも届かない。
声を出そうとしても、何も発せられない。
身体はどのようにしてか、硬く拘束されていた。故に身動きが取れない。苦しくてもがいている。
あとを追いかけてきた兄と目が合った。狂気的で情熱的な目をしていた。この世にある相容れない事象を、無理やりに縫合したようなカオスだった。二律背反の光を宿した目には、確かなる願いが存在しているのが伺えた。
妹を必ず連れ戻す。それは、初めて見る兄の姿だった。
程なくしてミヤビは気を失い(あるいは気絶させられ)、今の今まで、眠っていたことしか、わからなかった。記憶は断片的で、空白の時間には何が起きたのか、見ることはできなかった。
「ふうん」ヒロセはゆっくりと口を開く。「騎士の二人曰く、君、魔法使いに襲われそうになっていたそうだけど」
「え」
「君、攫われたから、この街に来たんだよね」
「そう、だと思いますけど」曖昧な返事をする。道中は記憶にないので仕方ない。
「誘拐されたあと、君がどういった経緯でこの街に来たのかはわからない。だけど、騎士の二人が言うには、マガツ区の外で倒れていて、魔法使いに襲われそうだった。だから、ここに運び込まれた。そして、君はその間の記憶は一切ない、と」
ヒロセは、まるで頭の中でメモ書きをするかのように、会話の内容から、本人さえわからない、ミヤビの近況の全貌を予想し、口にしていった。
「私自身、覚えていないことばかりですけど、そういうことなんだと思います」ミヤビは、ヒロセの想像した道筋に頷く。
「君がマガツ区に来た理由はわからないけど、状況から考えるに、君を攫ったという人物が、マガツ区を目指していた可能性があるね」
「眼帯をした男の人です。赤い服を着ていました。背が高くて、手足はひょろりと細長くて。あ、それと、目つきが鋭かったです。蛇みたいな感じで」
「ううん、どうだろう。騎士の二人は、君の他に誰かがいたとは言ってなかった気がするな。まあ、彼女たちが君をここに運び込んできた時、かなり焦っている様子だったから、私に伝えなかっただけかもしれないけどね」ヒロセは言う。
「他にも、誰かいなかったんでしょうか」
「そのあたりは、騎士の二人が何か知ってるかも。戻ってきたら、彼女たちに確認してみるといい」
それから、少し待っていると、部屋の扉が開き、ヒロセの言った通り、騎士の二人が現れた。




