少年の話 9
時計塔に行くのは、二日後だ。
それまでに僕は、この街について、いろいろと調べておこうと思い、図書館にやってきた。
マガ子さん曰く、彼女の名を出せば、この街のもっとも深い歴史が記された本を借りることができるそうだ。
どうしてそんな繋がりがあるのかわからないけど、考えるだけ野暮な気がして、せっかくなら利用させてもらおうと思った。
図書館の扉を開けたとき、僕は思わず、顔をしかめた。
扉の先は受付らしき場所で、天井は高いが、埃っぽい淀んだ空気が漂っていたのだ。明かりも灯されておらず、日が差し込む窓さえない。洞窟や廃屋のような陰気な雰囲気がある。どうも利用者がまったくいないそうなので、掃除もしていないのだとか。
冗談だろう、と僕は思った。
けれど、説明をしてくれた司書は、魔法使いって本を読めないんですよね、と言った。
魔法使いは本を読めないし、人間は本なんて読まない。私はここに住んでいて、外に出たりはしないから埃っぽいだとかは気にならない。つまり、掃除なんて必要ないんですよ、と、なぜか誇らしげだった。この数多の書物の貯蔵庫は、自分の完全なる配下にあるのだという自慢にも見えた。
受付から奥にのびる廊下には、左右に小部屋ほどの扉が等間隔でついており、いわゆる閲覧室が並んでいた。
廊下の突き当りまで行くと、数人で座る大きなテーブルがある広間だった。他に利用客もいないようだし、僕は閲覧室に通してもらうことにした。
「マガ子さんって、知ってますか」
僕は司書に訊ねた。丸く可愛らしい目をした女性だった。整えられた前髪のためか大人っぽく見える。椅子に座っている彼女は背筋がよく、誠実に仕事をこなす様が、たやすく想像できた。
彼女は魔法使いなのだろうか。そんな考えが脳裏をよぎったので、振り払う。
魔法使いだから、どうということでもないじゃないか。関係のないことなのだ。
マガ子さんですか。もちろん、知っています。そう司書の女性は言った。
「どんな人なんでしょう」と、続けて訊ねる。
マガツ区のマガ子さんですよ、と、聞いたことのある言葉が返ってきた。僕はがっかりする。
マガ子さんという少女が、この街の住民にとってどのような存在なのかを知りたかったのだが、同じようなことばかり言われそうな気がした。彼女は、これこれこういう人物だというよりも、ほかの何でもない「マガツ区のマガ子さん」だという曖昧な存在という認識でしかないのかもしれない。
誰もそれを追求しようとは思わない。本人がそう言っているのだから、そうなのだろうと、慕われているのか見放されているのかもわからない立ち位置にある不思議な人物像が窺えた。
そうですかと僕は返し、話はそれきりにして、本を借りる。魔法使いやマガツ区の歴史にまつわる本だ。それら数冊を手に、廊下のもっとも手前側に位置する閲覧室に入った。
本を読み始めてしばらくして、やはり、これまでの考えをまとめる必要があるなと思った。
ただし、それには協力者がいる。マガ子さんでもいいが、忌憚のない意見をくれそうなミルラ女医が望ましい。本を読み終えた後、また診療所に寄ってみよう。
本を読んでいくうちに、僕は、自分の存在意義が何なのかについて考えるようになった。
妙な気分だった。哲学的に自己を見つめ直したわけでもないのに、心がすっと軽くなっていくのがわかった。
自分の体を縛り付けていた鎖が断ち切られ、支配から解放されたような清々しさで、胸が満たされていた。
立てた仮説を証明し終えた学者は、このような心地で眠りにつくのだろうか。この興奮と熱量が、新たな探究心を生むのだろうか。
そうして、この街の歴史を読み終えた時、僕の心にあったのは、一種の疎外感であった。
すべてを知ったつもりになっても、この世界にはまだ、知らないことがたくさんある。それが身近であればあるほど、自分のことであればあるほど、喪失感やら孤独感は大きくなっていくばかりだ。
そうか。この街は——彼女は、僕が思っていたよりも。
僕は気分転換に、おとぎ話を読むことにした。
仕事が上手くいかなかった時や、どうも気分が落ち込んでいる日には、いつもそうやって、幻想の世界に足を踏み入れていた。
この現実とは異なる世界の物語に触れると、どういうわけだか、気が楽になる。
司書に、この図書館にある中で人気の物語はどれか、聞いてみた。
この街の人たちは誰も本なんて読まないですよ、と言われたけれど、もっとも古いおとぎ話であれば、かつて、それなりに読まれてはいたらしい。
おとぎ話の本を借り、僕は閲覧室に入る。
物語を読む途中、ふと思った。
僕は今、呑気に本なんて読んでいるけれど、攫われた妹はどうなったのだろう。
今頃、どこで何をしているのだろうか。




