少年の話 8
気がつくと朝で、僕は診察室にいた。
いつのまにか眠ってしまっていたようだ。ソファの肘掛けに頭を預け、体を斜めにした体勢だった。おかげで首を痛めており、左斜め後ろを向こうとすると、筋肉による抵抗があった。やれやれ、と僕は内心で溜め息を吐く。まじかあ、と嘆きもした。
昨日のことを少し思い出してみる。
夕方ごろ、診療所を訪れた僕は、ミルラ女医の案内でこの診察室に通された。
そして、話をした。僕がこの街に来た目的や、これから目指すべき場所や、望んでいることについて。
彼女はどんな反応もみせず、移り行く世界の様相を延々と観測し続ける研究者のように、ただ静かに僕の話を聞いていた。
話を聞き終えた彼女は、何度か頷くようにしてから、なるほどなあ、と呟いた。僕の境遇について共感したというよりは、他の何かに反応した素振りだった。合点がいった。つじつまが合った。それらの類の態度だ。僕には見えない何かが、彼女には見えているらしかった。
僕が目を覚ました時、室内に、ミルラ女医の姿はなかった。
きっと出掛けたのだろうと思い、僕は長テーブルの隅にあるペンとメモノートを拝借して、置き手紙を用意した。
一晩、部屋を借りたことへの感謝と、挨拶もなしに出て行くことへの謝罪を、簡単に綴った。最後に「また来ます」と、書いて、ペンを置くと、軽く伸びをしてから、部屋を出た。
長い廊下を進む。途中、診療所内の他の部屋を覗いたりして探してみたけれど、ミルラ女医はどこにもいなかった。
診療所から出る。頭上では陽の光が白く照っていた。経験則からして、この日の昇り具合と気温の感じは、まだ昼前といったところだろう。お腹が空いた。どこかで食事をとらないと。
振り返って見てみると、入り口の扉には掛札がしてあった。何も記されていないようだが、掛けてあること自体が、不在を意味するようだった。今日は診療所は開けないらしい。ミルラ女医も、戻ってくることはないのだろう。
昨日は、僕の話をしただけで終わった気がするけれど、ミルラ女医には、訊きたいことがいっぱいあった。
そもそも、診療所を訪れた理由は、マガ子さんに、魔法使いについて研究している人物がいると教えてもらったからだ。
魔法使いとは何なのか、マガツ区とは何なのか、マガ子さんとは何者なのか。ミルラ女医の意見が、僕は聞きたかった。
この街に住む魔法使いについて、彼女と議論がしたかった。
そして、もっというならば、僕は、僕の過去の話をしていて、何かと思うところがあった。
それまでは何とも思っていなかったけれど、記憶の海に沈めていた思い出を引っ張り上げていると、胸の奥に引っ掛かりを覚えたのだ。
ただ、その引っ掛かりは一時的なもので、すぐに消えてしまったのだけれど、何か僕にとって、とても大切な違和感だった気がしてならなかった。
何かを忘れているのではなく、ちゃんと全部覚えているからこその違和感だ。
この正体を探るのに、僕の中だけで完結することは不可能だと、そう感じた。
誰かに話を聞いてもらって、意見をもらって、考えを整理する必要があった。
一つずつ石を積み上げて、空を目指す塔を造るような、地道で丁寧な作業手順が必要だ。
そのために僕は、もう一度、ミルラ女医に会わなくてはならない。彼女と話している時間が、僕にとってもっとも想像力がはたらく時だった。つまり、真実により近づくことができる機会でもある。そう、僕は信じているのだ。




