少年の追憶 3
目の前を、赤い影が横切る。
同時に、どすんと音がする。重たいものが倒れた音だ。
顔を上げると、魔法使いが地面に片膝をついて、項垂れていた。身体が痙攣している。苦しんでいるようだった。その状態は、人間がみせるそれとどことなく似ており、かえって気味の悪さがあった。
何が起きたのだ。まさかとは思うが、魔法使いが絶命したのだろうか。
はっとして見ると、魔法使いの胴体上部、人間でいうところの左胸にあたる部分から、白い光がこぼれているのを見つけた。
それは、木の幹からあふれ出る樹液のように、魔法使いの体内から吹き出た液体にも見えた。
目を凝らすと、白い光の正体が、槍だとわかった。
先端が尖った棒状の武器、対象から距離をとって攻撃ができる、あれだ。
この村にも似たような道具は置いてある。野生動物に畑を荒らされる恐れがあるので防衛用にと。専門の職人によって手入れ管理がされている。
僕も一度手にしてみたことがあるが、その形状ゆえに重心が把握できず、持って運ぶのにさえ苦労した。よろけて転び、立ち上がろうして、また転んだ。そんな僕の愉快な姿を見て、ミヤビと村長はおかしそうに笑っていた。苦くも楽しかった思い出だ。
そんな槍の先端が、魔法使いの胸部から突き出ていた。
どうして。
疑問がよぎったが、すぐにこう解釈した。つまり、この魔法使いは、背中から槍に貫かれたのだ、と。
だから僕が目にしているのは、体を貫通した槍先だ。
すると次に、新たな疑問が浮かんでくる。あの槍は、どこからきたのだろうか。
何者かが、魔法使いに向かって突き刺した?
槍は白い光を帯びていた。それこそ魔法のような、何かしらの力がはたらいているかのように。
やがて、魔法使いはぴくりとも動かなくなる。
活動を停止した機械のように。眠りについた赤子のように。
終わったのか。
僕は魔法使いの死が確認できるのをじっと待つ。この目で、ちゃんと確かめるまでは安心できない。死んだふりをしていて、近づいた瞬間、不意に動き出すことだってあるかもしれないのだから。
しばらくすると、その時はきた。
魔法使いの体が崩れ始める。まるで、ひび割れた石像が、ぽろぽろとその破片を落としていくように。
げんこつほどの大きさの岩が――それは、魔法使いの体が固まってできたものだ――そこらに散らばる。そして、さらに細かく、砂ほどの粒になって溶ける。さあっと、水が流れるのに似た音がした。
魔法使いがいたその場所には、黒ずんだ砂山ができていた。
この現象こそが、魔法使いの明確な死を意味している。
いわゆる、灰と化す、というやつだ。
どういう原理かは知らない。ただそういうものなのだと、教えられた。炎の力によって生まれた魔法使いは、最期には燃え尽きる。らしい。
眼帯隊長が、隣に立っていた。
彼は横目で僕を見下ろしている。鋭くはないが、優しくもない目つきだった。
何か言おうとしているのがわかる。それでも僕は彼より先に口を開く。
「ありがとう、ございます」
魔法使いを倒してくれたのは、眼帯隊長だった。
一瞬の出来事で、まだ頭が混乱しているものの、何が起きていたのかを一つずつ思い出していくと、彼が僕を助けてくれたのだとわかった。
「妹を取り戻したいのなら、時計塔を目指してこい」眼帯隊長は言った。
「え」
僕は聞き返そうとしたが、彼はすでにそこにいなかった。いつの間に離れたのだろう。灰と化した魔法使いの亡骸に近づき、落ちていた槍を拾い上げていた。
ちらりと僕の方に視線を向け、また灰の山に戻ると、そこまでやるのかと呟いた。
――ここで、僕は、意識を手放している。
次に気がついた時にはすべてが終わり、僕は村長に介抱されていた。
辺りを見回すも、建物は壊れておらず、村のみんなも無事だった。
何もかもが日常のままで、先までの出来事が全部、夢だったのではと思ってしまったほどだ。
そして、眼帯隊長の姿はどこにもなく、ミヤビも村からいなくなっていた。
誰も二人の行方を知らないらしく、彼は宣言通り、ミヤビを連れていってしまったわけだ。
状況を把握した僕は、自分の胸の中に、熱が生まれているのを感じ取った。
生まれて初めて覚えたこの感情に、僕自身、戸惑っていた。
この熱はなんだろうか。不思議な感覚だった。確かに体の内にあるはずなのに、皮膚のさらに外側を覆っているようにも感じられる、不安定な熱だった。僕の体の内か外ではなく、僕の体そのものが熱なのではと錯覚さえする。
後に、これはいわゆる「欲望」であったのだと、僕は知ることとなる。
眼帯隊長を追って村を発った僕だが、紆余曲折を得て、マガツ区という不思議な街に流れ着く。
そこで出会った少女、マガ子さんから欲望についての話を聞き、この時に生まれた熱が、欲望であったのだと悟った。
僕の欲望は、ミヤビを取り戻すことだ。ミヤビとまた平穏な日々を過ごすことだ。
そのために僕は、時計塔を目指さなくてはならない。




