少年の追憶 2
村の広場には来訪者がいた。
長身の男で、赤いコートと羽根帽子を着用している。色白で顎髭が濃い。面長でずんぐりとした鼻が特徴的だった。
その男は、自分のことを「隊長」と言った。しかし、いったい何の部隊の隊長であるのかは語らなかった。妄言を吐いただけなのか、あるいはこんな片田舎に住まう者たちに語ってやる義理はないということなのか。
左目の位置には眼帯があった。何かしらの花の模様がある。つまり、眼帯隊長といったところだろう。僕は彼のことを、こっそりそう呼ぶことにした。きっと周りの人たちにもそう呼ばれているに違いない。
眼帯隊長と正面で向き合っているのは、我らが村長だった。
広場で、背丈が同じくらいの二人が並び立つ。
迫力のある睨み合いだった。
僕は広場から離れたところの道端で、彼らのやり取りを窺っていた。
「あんた、何しに来たんだよ」
村長が眼帯隊長に向かって言った。眼帯隊長は、先に口を開いたおまえの負けだとでも言いたげに、線のように細い右目を、さらに細めた。
「迎えに来たんだ」眼帯隊長は辺りをきょろきょろと見回している。獲物を探している捕食者のような仕草にも見えた。
「迎えって、誰をだよ」
「選ばれし者だ」眼帯隊長は、意味のわからないことを言う。「ミヤビという名の少女がいるだろう」
僕は体中の毛が逆立つのを感じた。
聞き間違いではない。彼は確かに僕の妹の名を口にした。
そして、迎えに来たとも言った。
ミヤビを迎えにきた、と。
だけど、どうして?
「人探ししてるのか」村長が口を開いた。
「とぼけるな。この村にいることはわかっている」眼帯隊長は、ぎろりと目つきを鋭くする。「彼女を引き渡してほしい」
「ふざけるな」村長は嫌悪を顔に表し、言い返す。
「ふざけてなんかいない。それが俺の役割なんだ」
眼帯隊長は、それはもうどうしようなく、どんな奇跡によっても避けられようのない定められた運命なのだとでも言わんばかりに、淡白な態度で溢した。
その様は、血の通っていない生き物を思わせた。姿形は人間だが、自分と同じ生物ではない。そんな空恐ろしさが、彼の表情からは感じられた。
「あんたは何者だよ」村長は訊ねる。
「隊長だ」
「何のだ」
「『勇者』たちを率いている」眼帯隊長の声が低くなる。「そう言ったら、素直に従ってくれるのか」
僕は、昔、村長から教えてもらった「勇者」の話を思い出した。
「魔法使い」が、世界を滅ぼしかねない災厄として出てくるおとぎ話では、主に英雄として語られる存在たちのことだ。
彼らは、この世界で唯一、魔法使いに対抗するための力を宿しており、人々を守ることができる。
俺たちには縁のないことだろうが、この世界における重要な問題だから知っておいて損はないぞと、村長が言っていたのを覚えている。
これは人間たちが抱える問題であり、解決しなければならない問題なのだ、と。
かつて、魔法使いたちに世界を滅ぼされかけた人類は、生贄により「大天使」を降臨させた。
かの者の名は、「イザナエル」である。
彼は人々に、魔法使いと互角以上に戦えるだけの力を与えた。
力を授かった者は勇者と呼ばれ、魔法使いから世界を守るため、今もどこかで戦っているのだという。
そんなおとぎ話がある。
「そうか。あんたが、あの大天使様の」
村長は丁寧にも、大天使様と言ったけれど、その声には、どこか彼を嘲るような態度が滲んでいる。
「俺は遣いで来ただけだ。さあ、ミヤビという少女を引き渡してくれ。彼女はどこにいるんだ」
「ミヤビをどうするつもりですか」
僕は広場に飛び出していた。村長の後ろから、眼帯隊長に向かって声を上げている。
眼帯隊長は僕を見て、かっと目を見開いた。村長のことを視界から外し、僕だけに狙いを定めたかのような目つきだった。
「さあな。俺もよく知らないんだよ」
眼帯隊長はそっと口を開く。僕だけに話しかけている風な口調だった。彼の目には僕しか映っていない。村長もこの村の住人もすべて、彼の世界からは退場してしまっているらしかった。
「お前は、自分の人生について考えたことはあるか」
ふいに眼帯隊長が言ってくる。質問の意図がわからず、僕は彼の問いかけに答えられない。
「自分の人生が、誰かのためのものかもしれないと考えたことはあるか」眼帯隊長は構わず、言ってくる。
「僕は妹のために、命を懸ける覚悟はあります」彼を視界の中心にとらえながら、僕は言った。
あなたがミヤビを連れて行こうとしていることに否定的だと、暗に伝える。我々はあなたに対して、敵意を抱いています、と。
「お前の意志について訊いているんだ。妹が大切なのはいいが、それについてどう感じる?」
「意味がわからない。何が言いたいんですか」
「命を懸ける覚悟があると言ったが、その感情についてどう思っているんだ。他者のために自己を犠牲にできるその覚悟に、違和感はないのか」
「違和感なんてありません。僕は妹を守ります。よくわかりませんけど、きっと生まれた時から、そう思っていたんでしょう」僕は眼帯隊長を睨む。「だから、あなたにミヤビは渡しません」
強気に言ってみせたが、内心、怖くはあった。
眼帯隊長には、殺気こそないものの、下手に刺激したら何をしでかすかわからない、不気味な雰囲気があった。腰に携えた長剣をいつ抜くのか、僕は、はらはらしていた。
すると、眼帯隊長は空を仰ぎ、「人には役割というものがある」と、口を開いた。「ある崇高な目的のために、社会の形成のために、誰かの願いを叶えるために、この世界を守るために――人には、生まれた時から与えられた役割というものが、少なからず、あるんだ」
「役割って何ですか」
「人の生きる意味だ。そこに、俺たちのような個人の意志は介入し得ない。まあ、とにかく、彼女が必要なんだ。ミヤビという名の少女を連れていく。俺にはそういった役割がある」
「ミヤビを連れて行くって、何のためにですか」
「ああ、何だったかな、確か」眼帯隊長は口籠る。「彼女には、勇者になってもらう」
突然、地響きがした。
僕はよろめく。こんな時に、天災でも起きたのか。のんきに構えていると、身体を衝撃が襲った。
視界には青空が映っていた。
何かに突き飛ばされ、仰向けに倒れていたらしい。
上半身を起こすと、眼帯隊長が見えた。彼は僕から少し離れた位置で、斜め上の方向を見ていた。
険しい顔つきになっている。鋭利で長い刃物を手にしていた。その様子は、おとぎ話の一場面を僕に連想させた。まるで悪に立ち向かう勇者のような立ち姿だ。
彼の視線の先を追いかけ、顔を上げる。
それを目撃した途端、地面に穴が開き、地の底に落下していくような緊張感に襲われた。
僕の周りにあったものが、一つずつ、灰色に塗り潰されて消えていく。
村も、家も、みんなも、ミヤビも。
何もかもが灰色に染め上げられ、陰鬱とした背景に飾られたその世界には、一つの影があった。
僕と向き合って佇んでいる、誰かの人影だ。
僕は、その影を払おうとして近づく。
すると、影はもぞもぞと蠢き、形を変え始めた。
腕と脚が倍くらいにまで伸び、胴体は大量の毛で覆われる。頭の形も変化する。山羊の頭蓋骨のようなおぞましい容貌だ。
背丈が、一回りも二回りも巨大になった。右腕が肥大化し、指先の爪は一つ一つが刃物のように鋭くなる。
魔法使いだ。
おとぎ話で語られる姿そのものが、現実世界に現れた。
僕の前に存在しているのは、人々の平穏を奪った災厄であり、世界を破壊する怪物だ。
その存在感は気圧されるの一言に尽きた。天地がひっくり返るようなという例えを聞くが、実際には、そんな世界の様相を想像することができないのと同じように、彼らを前にして感じることは、言い表しようもない感情で、それは孤独という恐怖に近いものなのだと悟った。
災厄の象徴とされるその悪魔のような顔を、見上げる。
眼球は視認できないが、こちらを見下ろしているのがわかる。
僕をどうやって殺そうかなどと考えているのだろうか。それとも、意思の疎通を図ろうとしているのか。
魔法使いが、右腕を高く振り上げた。それだけで風が吹き、圧された僕は起き上がろうとしていたのに、尻もちをつく。
そうか。死ぬのか。
ここまで絶望の淵に立たされると、もはや怯えることさえしなくなる。できなくなる。
頭の中には、何が起きているのか未だに理解していない愚かな自分と、恐怖に憑りつかれ廃人と化した自分と、とっくに生を諦めて死を受け入れる覚悟をした自分とが、同居している。
――僕は、死ぬわけにはいかない。
けれど、僕は動くことができなかった。彼の助けがなければ、僕の物語はここで途絶えていただろう。
平穏な暮らしをしていた少年は、突如として襲い掛かってきた災厄に、村も仲間も大切な妹をも奪われ、哀れに死んでしまいました、と。
そんな悲劇的な終幕を、僕は望んでいない。ミヤビの好きな物語は、いつだってハッピーエンドを迎えていたのだ。




