2話 来訪者をお出迎えいたしますわ
「うふふ。素晴らしいですわ……!!」
お気に入りのスノウオークのコートのポケットに手を突っ込んだまま、
イブリスは満足そうに微笑んだ。
『悪い子はいねぇか〜〜♩我ら〜♩魔族のお仕置きをくらいたいか!?我ら〜♩青い血が疼くゼ!』
視界の先にはステージでリハーサルを行うスカーレットデモンズ。
耳に残る歌詞と腹の底まで響いてくる重い音。
ロック調の彼ららしい曲と共に繰り出されるアクロバティックはいつ見ても完璧である。
魔族の体力は底知れない。
能力を制限されているとはいえ、元々の骨格や筋肉は人間よりも強靭であり、彼らの青い血液中に含まれる魔素と呼ばれる魔力成分の溶け込んだ体液がより肉体を強固なものとしている。
ローズは翼を翻し空中遊泳を行いながらも歌い続ける。
人間には到底不可能な演出に加え、どんな体勢からも息切れすることなく完璧に歌い切る肺活量。
確かな手応えをイブリスは感じ取った。
「見事ですわ。ーーさぁドルイド達、サビで火炎魔術を発動!」
インカムを通して、舞台裏に潜むドルイド達に指示を飛ばす。
ドルイド達は80cmほどの身長に小太りした体型を持つ、魔王軍の下級魔術師である。
大戦時に生き残った一族の一部は、こうして今は魔王城に住み着き、演出家として出番を待っている。
「へーい。おーい、お前達、イブリス様から命令が来たぞー」
のっそりとしたマイペースな声で、ドルイドのリーダーであるウドが仲間に命じた。
薄れたローブの下から色黒で皺の寄った短い腕が現れる。
魔導木と呼ばれる魔術や魔導の力を発する木の枝を加工した杖を皆がローブの下から取り出し、一斉に力を流し込んだ。
と、同時にどんっ、と大きな火花が上がる。
ステージ上に用意されたのは火薬を使って繰り出される演出用の特殊装置ではなくドルイドの火炎魔術の陣から放たれる火花だ。
予めステージの床に書き込んだ魔術陣に、タイミングが来た時に裏方に潜むドルイドが一斉に起爆の魔力を注ぎ込む。
着火から発火、そして鎮火まで魔術式の安全なファイヤー演出の出来上がりというわけだ。
「ふー。問題なさそうだなー。お前らーラストまで魔力配分間違えるなよー」
「おー」「ガッテンでーい」「あいさー」
ウドの間延びした声に返ってくるのはさらに間延びした仲間の声達。
眠気を誘いそうな声色ながらも、仕事をする時間はきっちりと守っている。
ちなみにドルイド達はライブ中は大量の魔力を使う必要があるので、対戦時の10分の5と半分の力の放出を許されている。
といっても、元々ドルイド達は魔王軍魔術部隊の中でも下位クラスの魔術師にあたる。
半分の力といっても、他の上級魔族クラスほどの力はないので、
万一反乱を起こすようなことがあっても彼らの力量では事足りぬということだ。
ーーズズズズン。
ふと足元から地鳴りが伝わってきたのにイブリスは気づいた。
地下奥深くから近づいてきたそれは、ぼこっという音とともに顔を出した。
「この音の響き。直接音と反射板から返ってきた反射音が淀みなく見事に交じり合っている。地を得意とする俺たちが作ったライブホールなだけあるな」
見た目のわりに貫禄のある落ち着いた喋り口調。
魔族甲殻鎧種のサンドワーム。所謂巨大ミミズだ。
イブリスの背後で音に合わせてくねくねと体を揺らしている。
「さすがは大地の王。彼らの歌声と爆音を最大限発揮させられるのはあなた達が尽力を尽くしてくれたおかげですわ」
かつての大戦時では魔王城のホワイエとして魔王軍幹部クラスが集う場であったが、今では部屋壁を全て取り壊しライブホールと化している。
魔王シャイタンは改造にあたり大層嘆いていたが、イブリスの強行突破に何も手出しは出来なかった。
工事に携わったのは、城扉の番人ゴーレム達と下級兵のツルハシモグラ。
それらを率いて地盤工事にも自ら加わったサンドワームである。
人間なら大規模な舗装から始まり、人手も数百に登り何年もかかってしまうほどの大工事となってしまうが、さすがは魔王軍の中でも"地"を得意とする者の集まりだった。
イブリスが彼らの能力を限定封印と限定解除をバランス良く行ったことで反乱者も出ることはなく、ホワイエからライブホールへの改造はわずか3週間で終了した。
人間以上のポテンシャルを持っていた彼らだからこその成果と、手際の良さである。
『〜♩この世の果てまで〜♩追いかけてって〜しばくぞ♩コラァ!♩』
楽曲のラストに放たれる予定の火花がステージと天井からも発火した。
舞い散る火花と火柱を潜り抜けたスカーレットデモンズが一礼と共にステージから闇と共に消える。
「そこまで!素晴らしい歌声とパフォーマンスでしたわ」
イブリスの満足気な声と拍手が会場に響く。
舞台裏に裏方として周っている魔族たちの成功を喜ぶ声も聞こえる。
リハーサルは今日も完璧。問題はないだろう、とイブリスは開演時間を待ちわびた。
そんなイブリス目掛けて、ずん、と響く足音が近づいてきた。
「おや、この足音は……」
足音をする方に顔を向ければ、ビッグオークが武器を振り回しながら雄叫びを上げていた。
「イブリス!こっちは任せときな!万一ヤラレタ客が出ても、ちゃんと止めてやるぜ。自慢のモーニングスターでな!ぐはははは!」
ビッグオークのダインだ。
肌に浮き立った太い血管と、隆々の筋肉がびくびくと震えている。
人間なら一噛みできそうな大きな牙に、口からは白い息がはぁっと漏れた。
その肉体には数々の傷跡が残っており、歴戦の戦士といった風貌を思い浮かばせる。
「ダイン、精神震盪を起したファンをソレで止めるのは止めてさしあげて」
頭を抱えながらイブリスはダインのモーニングスターを見た。
実は過去のライブでスカーレットデモンズの歌声に精神をやられた観客が暴れだした事がある。
さながら泥酔状態に近い症状だが、魔唱には聴く者の精神を昂らせ、好戦的にさせるバトルソング効果もある。興奮状態から、他の客に襲いかかる者までいた。
そんな精神震盪という症状を起した観客を止めに入る役目が、オーク族のダイン族長が率いるゴブリン部隊の役目だ。
ホール内の決められた各地点に数名のゴブリン達が各々の武器(棍棒・鞭などなど)を持って待機しているのはその為だ。
所謂、警護役である。
その武装から、見た目はどう見てもテロリストにしか見えないが。
万が一の時、このライブを最小限の被害で止めてくれる、頼もしい従業員だ。
「でも、ここに来る奴らはそれも承知だろ?"生命保険"とやらに加入してるってお前さん言ってたじゃねぇか」
「そういう事ではなくて、掃除が面倒なのですよ……。人間のパーツは貴方がたの一撃で色んなところに飛び散りますの。特に小指とか耳とか探すの大変なんですから」
多少の血液や染みなら、魔王城のイメージコーティングとして有効活用できるとイブリスは考えている。
例えるなら、お化け屋敷で恐怖をもたらす血塗れの壁や人の顔に見えそうなシミを背景として作り込むのと同じだ。
如何にも何かがありましたよ、という雰囲気作りは大切である。
ここに来る客は物好きが多いからだ。
だが、イブリスが懸念しているのは異臭だった。人体ともなるといつかは腐敗し、臭気を放つ。
「観光客は見た目というイメージがまず大事ですの。生々しいあの腐敗臭は求めていませんのよ」
"異臭"はどの客層も敏感に察知するものであるとイブリスは経験から学んでいた。
それは異国、種族間隔てなく嗅ぎなれない臭いというのは身の危険を察知するものであったり、違和感を感じ取るものに繋がるからだ。
特に今回の観光客は、大切な異世界からの訪問者。
「日本人は綺麗好きな方、多いですから」
「そういや、今日の団体客は異界からの訪問者だっけか?」
日本という言葉を聞いてダインは、すぐに異世界からの観光客だと分かった。
「変なものだな。過去には敵だった奴らがこうして今じゃ客として俺たちが出迎える、なんてな」
サンドワームが長い身を屈め、思慮深い口調で答えた。
「なんだよ、お前不服なのか?魔族や魔王が支配する世界は古いんだよ。ま、本音は美人な女に付きてぇのがオークの性根だがな!エルフとか、シルフとかな!ぐははは!!」
「さすが大戦時に真っ先に掌返ししたオーク族だな……。別に俺は不服じゃないさ。それよりも、お前とは"地"に蔓延る者同士、いつか決着をつけたいものだ」
くくく、とサンドワームがその大きな口で笑みを浮かべると地響きが始まった。
サンドワームの持つ、地の魔導力が呼応して床に落ちていた石の礫と瓦礫が重力に逆らうかのように宙に浮かぶ。
イブリスは二人がいつも競い合う仲だと知っているため、力を見せつけるサンドワームとダインの間で気に留めることもせず、虚空から取り出したスケジュール表をペラペラと捲る。
「そもそも、俺は"魔族"じゃなくて"オーク族"だしな。元々お前ら側についていたわけじゃねぇから、掌返しでも裏切りでもなんでもねぇよ。がははは!!」
サンドワームからの挑戦状とも言える威嚇も豪快な性格で気にすることなく笑い飛ばすダイン。
そんな彼の体をぞわりと黒い煙が飲み込んだ。
「ねぇ、まだ私のリハーサルが次にあるの。ホールを壊さないでくれる?」
静かながら、陰鬱な口調がホールに響いた。
「ぎゃあああ前が見えねぇ!!おい、"闇の吐息"を吹きかけんな!!俺は何もしてねぇから!」
ダインの肉体を一瞬で覆い尽くした黒い煙、"闇の吐息"。
闇の吐息は、対象者の器官から入り込み神経と精神を蝕んでいく技だ。
対象者の動きを封じ込め、さらに視界も奪ってしまう束縛の魔導術である。
しかも、煙であるため力で覆い払うことは難しく力が自慢のオークのダインにとっては相性の悪い術である。
その技を発動させたのは上級魔族に位置する"漆黒の戦歌姫リリス"だ。
まっすぐ刈り揃えられた、いわゆるぱっつんと言う漆黒の髪。
長さは肩くらいまで伸びており、絹のように艶やかだ。
後頭部から対に生えた翼を冠のように前へ折り曲げており、その異様な姿は一目で人外であると分かる。
加えて、胸元まではだけた大胆な漆黒のドレス。
スカート部分には青白い太ももが見え隠れするスリット。
妖艶でありながら、清純さも醸し出す女性型上級魔族。
黙って立っていれば、美を限界まで追求した完成度の高い彫像にも思えてしまう。
「リ、リリス。不意打ちは止めて差し上げろ……、奴が死ぬ」
自分にまで危害が及ばぬよう、丁寧な口調で静止をかけるサンドワーム。
元はと言えば吹っ掛けたのはサンドワームの方であったが。
白目を向いて口から泡を吹き出したダインが不憫で仕方がなかった。
「ねぇ?」
有無を言わさぬ、リリスの一声。
その「ねぇ?」という一言だけでも、静止の魔導か魔術が発動されたかのような重みがあった。
「わ、わかった……。正直すまなかった。ついライバル見ると、どうしてもな……」
サンドワームは闇の吐息を食らって根を上げるダインを恐ろしいものを見たと言わんばかりに、すぐに地の魔導力を引っ込めた。
がらがらと音を立てて、宙に舞っていた瓦礫が地面に落ちていく。
「前からこのオークは余計なことをする。反省した?……ねぇ?」
静かな口調だが、言葉の端々には怒りの色が混じっていた。
最後の「ねぇ?」にありったけの怒りと闇成分が加わっていた。
すでにダインはと言えば魂が半分体から抜けきっている状態だ。
「お、お前のファンが見たら嘆きのあまり、ツイッターを炎上させられるぞ」
サンドワームが何とかリリスに歯止めをかけられないものかと言葉をかける。
このままでは、同じ地属性を得意とするダインと雌雄を決する前に奴がおっちぬ、と心の中で冷や汗を掻いていた。
「リリス……」
力ずくで止めに入りたいものの、サンドワーム自身にも強い制限が掛かっていて、元々ステータスの高いリリスに返り討ちにされるのは目に見えている。
「別に今はいいの。本番と握手会の時だけ、大人しそうな子がこんな大胆な服着て健気に歌ってるよオーラを出せば、あの清純処女派のキモオタ共はイ、チ、こ、ろ」
「ファンあってのお前だろう。蔑ろにはするな……」
サンドワームの正論など聞く耳持たずといった表情で、口元に手を当てて恥じらう姿をするフリをするリリス。
「気は済んだだろう……俺達が悪かった……」
ぬかるんでいた肉体をさらにぐっしょりと汗で濡らしながらサンドワームは引きつった口から謝罪を述べた。
「本当に?ちゃんと分かってるの?ねぇ?」
「あ、あぁ……」
この心底面倒臭い病んでてメンヘラ気味の魔族をどうにかしてくれ、とサンドワームはイブリスに助け舟を出すが、イブリスは自分の仕事に専念している。
隙を見せる女ではないので、恐らく無視を決め込んでいるのだろうとサンドワームは考えた。
「そっ。私のこと、分かってくれればいいの♪」
どす黒く、陰鬱だった空気はぱっと消え去り、代わりに清楚系お姉さんに早変わりだ。
その変貌ぶりを見て、確かにファンは騙されそうだとサンドワームは思った。
「ぜぇ、ぜぇ……やっと解放されたぜ。マジでゲスいわ……リリス」
リリスの魔導術から解放され、気を取り戻したダインが息切れを起こしながら、床に倒れ込んだ。
体力だけはオーク族の中でも秀でているだけはあり、回復も早い。
先まで魂が半分まで抜けきっていたとは思えない程だ。
「ふふ、相変わらず表と裏がはっきりしている貴女らしいわね、リリス。いい準備運動にはなったんじゃないかしら?」
「準備運動に俺を利用すんな!」
イブリスは頃合いを見計らったかのように、スケジュール帳を虚空に仕舞い込みリリスに声を掛けた。
死にかけていたダインがツッコミを入れるが、聖女はお構いなしといった顔。
どうやらリリスの調子を上げるためにわざと放っておいたらしい。
魔族と人間の対戦を終わらせた女だけあって肝が座っているのやら、見透かしているのやら。
その柔和な笑顔が時折、恐ろしくさえダインは感じた。
「あぁ、今日もお美しゅうございます!イブリスさまぁ〜!」
一方リリスは、声をかけられ陰鬱だったテンションがさらに吹っ切れた。
さっとリリスの目の色が変わったのをダインとサンドワームは見逃さなかった。
「おい、黒から赤目に色が変わったぞ!」
「目の色が変わるというが、本当にリリスの場合は色が変わるからな……。わかりやすいといえば、わかりやすいが……面倒臭くなる前触れだな」
通常は黒目のリリスだが、興奮状態になると次第に赤色に変わっていく性質があり
イブリスが視界に入ると瞬間的に赤目に変わるのであった。
その素早さ、わずか0.1秒。
病的なまでに早い。
「イブリス様!もうあのちびっ子達のリハは終わったんです?あ、それと前髪ぱっつん作戦やっぱり聖女様の言う通り、でしたよぉ〜!髪型変えた途端に男性ファンがこぞってツイッターもインスタもフォローしてくれるし、ちやほやされてたまんないですっ」
イブリスに声をかけられた瞬間、饒舌に喋り出すリリス。
両手を頬にあて、恍惚とした顔でイブリスに詰め寄っている。
瞳孔は開き、人間でいう所の恋をしている状態に近い。
折り曲げていた頭部の翼は、今や興奮状態からかぴんっと伸びきっている。
「あのぅ。ところで、イブリス様、今回の夜のあたしのライブが終わったら、あたしとベッドの上で別の夜のライブを二人で、イブリス様のお部屋でーー……」
しどろもどろと、興奮のせいかはっきりしない言葉で両手の人差し指をつんつんとくっつけながらリリスが語る。
「じゃ、じゃあな。お二人さん!俺、仕事場に戻るわ!部下の持ち場も確認しとかねぇとな!!」
「あ、あぁ。俺も地下のメンテナンスが残っている。あとは二人仲良く、な」
入り込む余地が無いと感じたダインは持ち場に戻っていった。
これ以上あのトンデモぶっ飛び思考のリリスに構っていたら身が持たない。精神的にも肉体的にも疲れる、と心の底から感じていた。
サンドワームも開けた穴を器用に元どおりに塞いで、再び地盤点検も兼ねて地下へと潜っていった。
「リリス、貴女のリハーサルを始めますわ。ステージに上がってくださる?」
「は、は〜い(無視ですかー)」
リリスは涙ぐみながら、裏口からステージに上がる階段へと向かっていった。
漆黒の戦歌姫リリス。
スカーレットデモンズがこの魔王城のNo. 1人気アイドルグループであるなら、彼女はナイトライブのトップシンガーと言える。
彼女を支えるのは圧倒的に男性ファン。
その美しき見た目と、(ステージ上では)気品溢れる穏やかな仕草。
もちろん、見た目だけで人気を勝ち取ったわけではない。
魔声と言う特殊な魔導力を持ち、自身の声をマイク無しでホール全体まで届けきる圧倒的歌唱力。
バラードからジャズとレパートリーは多く、はては各国・各世界の人気ソングも事前に用意して客をもてなす(イブリスの案)姿に心を奪われない人間はいなかった。
「ところで、イブリス様〜。あたしの制限解除引き上げてくださいよ〜!!」
ステージに上がったイブリスが叫ぶ。
すでに魔声の魔導術を発動しており、マイク無しでもその声は離れたイブリスにしっかりと届いた。
「貴女は70分の4レベルで十分ですわ、それ以上解放すると、いくら耐性のついたファンでも8割りが失神してしまいますもの」
特にこのライブホールのような閉鎖された空間、加えて壁に音を反射する反射板が備わっているため魔導力や彼らの術が増幅されやすく、野外よりも効き目が高い。
客層の耐性平均値を割り出し、ぎりぎりの線を見極めながら、イブリスは制限解除を慎重に行った。
ーー舞台袖。
リハーサルを終えたスカーレットデモンズのローズがリリスをじっと見つめていた。
「……ローズ、僕たちのリハーサル……終わったよ」
ローズのスカートの裾を引っ張りながら、ガーネがぽそりとつぶやいた。
ローズは食い入るようにリリスのリハーサルを見つめていた。
その表情はさながらライバルを見つめるような。
「もーほっとこうぜ。いつものことだろ!俺たちだけで先に休憩行こうぜ!」
ルビーは毎度のことに諦めているのか、さっさと奥の控え室へと向かっていってしまった。
「やっぱり、リリス様は魔唱を作った方……!あの静かな歌い出しから脳天揺さぶるのは、格の違いを見せつけられるわね……!!」
ぎゅう、と強い力を込めて舞台袖のカーテンを握りしめるローズ。
大戦時、魔唱は魔声と呼ばれる声に魔導力を込めて放つ、攻撃術であった。
オリジネイトはリリス。
ローズはリリスに教えられ、魔声のスキルを手にするが、やはり発案者なだけあって圧倒的な差を感じてしまうのであった。
「人気は……僕たちの方が上だよ……。フォロワー数30万人超えたし……っ」
「ばかね、あたい達は3人で、でしょ!」
かっと、猫のような縦筋の入った子悪魔らしい目を見開いてローズは訂正した。
そして、続けてーー
「ルビーは元気っ子でファンを、あんたはちょっと特殊なお姉さん系から支持、あたいは……なんか変な大きなお友だちに持ち上げられてるけど!それぞれファンの合計数の結果だし。リリスは一人であの人気なのよっ。はぁ〜あたい一人じゃやっぱ太刀打ちできないわ……」
さながら魔声の伝道者を、いつか超えてやると言わんばかりの勢いでローズはリリスの歌声を最後まで聞き入り、研究に入っていった。
ーー魔王城、元・魔王の間。
「お……終わった!!ようやく片付いたぞ!!」
長い白髪を後ろでひとつに結び、腕を捲ってリネンを片付けていた魔王シャイタン。
尖った耳先は体を動かした熱でほのかに赤く染まっている。
「そもそも、これはハウスキーパーの仕事だろう!!なぜ俺がこんなことを……」
額から流れる汗を拭い、クリーニング用に出すカートに全て入れ込んだものの、今の子供体型では運ぶのも億劫だ。
時計を見やれば、やってくる来客の到着時間まで30分を切っていた。
「いかん、奴らを迎えねば……。はぁ、もういっそ殺してくれればいいものを」
苛立った声で、思いっきりカートをがつんと蹴飛ばす。
勢い余って、カートが倒れてしまい中に放り込んだリネンが全て床にぶち撒かれてしまった。
「ぐぁあああ!!また最初からやり直しではないか!!」
「魔王様。いかがなさいましたか?」
カートが倒れた大きな物音を聞きつけた少年が駆けつけてきた。
17〜18歳ほどの少年だ。
見た目は人間の少年そのものだが、灰色の肌に白い髪、瞳は魔族特有の猫目のような縦筋の入った瞳をしていた。
すでに重労働でくたびれたスーツのシャイタンと違い、彼は魔王城の従業員が着用する刺繍の入った制服をきちんと着こなしていた。
「魔人か。ええと、名前なんだっけか」
「名前など必要ございません、魔王様。魔人は魔族の所有する物ですから」
あくまで自分を物だと主張する魔人。
感情の無い瞳で、機械的にシャイタンの言葉に反応を返すのみである。
「ふん、それもそうだな。大戦時に作った魔人の数など覚えていないし。そもそも聞いても忘れるだけだ」
玉座の埃を払い、腰を掛ける。
小さな体では足も着かず、落ち着かないといった顔で何度か座り直す。
肘掛に腕を乗せて、顔をついた。
「呼ぶ名前が無いのも面倒くさいな。とりあえず、お前は魔人Aとでもしよう」
「はっ」
短く、異存は無いといった声で魔人Aは反応した。
「あれを任せる」
顎と視線を倒れたリネンに向ける。
その動作で魔人Aは自らに与えられた命令を理解する。
胸に拳を当て、頭をさげる。魔王に対する忠誠の礼儀を取ったのち、魔人Aは倒れたカートとリネンを黙々と片付けていった。
「そういえば、今この城に一体何体の魔人が残っていたのやら……」
苦労して一枚一枚カートに放り込んでいたリネン類を、簡単に纏めて整理する魔人Aの後ろ姿を見てシャイタンはふと口にした。
「大戦時には数百から数千は常に抱えていたはずだが、半数くらいは聖女に屠られたか、或いは戦で壊された……か?」
権力を全てイブリスに奪われてしまった今では、軍の数すら正確に把握出来ていない。
改めて力を制御された、自分の手のひらを見つめる。
剣一つ持ち上げるにも苦労する子供の掌。
人間の喉を掻っ切ることくらいは簡単にできた鋭い爪も今は短い。
魔族の強靭な筋肉も本来の力より随分と抑え付けられ、残ったのは生っ白い四肢。
手も足も出せない状態を見て、魂まで吐き出してしまうようなため息をついた。
「おい、魔人A。お前の今日の仕事はどうなってる」
「11時からアーリーチェックインのお客様をお出迎えした後、城内の説明、その後お客様からの要望が無ければ、通常通り"永久の間"の鍵守りとなります」
ふむ、とシャイタンは魔人Aの1日のシフトを聞いて頷く。
「俺の時間と同じということは、例の団体客か?」
「はい、本日は異界からのお客様です。仕事のスケジュールと同時刻に働くメンバーはちゃんと確認して下さい、魔王様
」
「性に合わん。誰が好き好んで聖女の命令におとなしく従うものか」
「聖なる力が飛んできますよ」
「そんな生易しいものではない。最近は聖なる拳or聖なる蹴りの物理攻撃だ」
眉根を歪め、本日何度目か分からないため息をつく。
何か聖女をギャフンと言わせるものでも思いつけば良いのだが。
生憎、あの強靭無敵な聖女の肝を潰させる術は見つからなかった。
「異界か……。どこからだっけか。異界番号023のレヴィナスか、015のバルテトか?あの聖女が言ってた気もするが、忘れた」
興味の無いことはからきし忘れてしまうのか、シャイタンはイブリスが伝えた異世界の訪問者のことをすでに頭から抜け落としていた。
大戦時の激震が奔る毎日の中と比べて、今の日常は酷く平和で怠惰で、退屈だ。
ーーもっと混乱、恐怖、嘆き、悲鳴、絶望の中で、自軍を増やし強力な兵を作りたかった。
口をへの字に曲げながら、頬を膨らませるシャイタン。
「お出迎えするお客様のことは把握しておいて下さい、魔王様。仮にでもVIP客ですよ」
気に留めず、黙々とリネンを片付けながら魔人Aが答えた。
最後の一枚を手に取り、カートに放りこむと何も分かっていない魔王に説明を始めた。
「異界番号001。かつて聖女と旅をした異世界の者と同じ世界の出身者達ーー。地球という惑星に住み、そこの小さな島国で生活する、日本のーー……っ」
滞りなく淡々と説明を始めていた、魔人Aの表情が突如変わる。
言葉に詰まった姿にシャイタンは首を傾げた。
「む、どうした?」
「いえ、なんでもありません」
抑えていたこめかみから手を離し、魔人Aはすぐに元の機械的な表情へと戻った。
「日本か。そういえばあの女もそんな国だか世界の名前を言っていたな。しかしなんで、異界人というのは決まって日本が多いのだ……気のせいか?大戦時に何人かの日本人も葬った気がするんだが」
大戦時の殺戮戦線で思い浮かぶ人類の表情。
記憶が正しければ、その中の何人かは似たような異国風の顔つきの人間が混じっていた気もする。
思い出したところで、どうでもいいことだが。
「それは、大戦時に魔王様が大魔導術を使って世界の秩序をめちゃめちゃにした結果、平行世界への扉が繋がるようにしてしまったから、でしょう」
「"マグナ・エクリプス"な!日蝕の時にしか使えない魔導術だが、人間どもの半数を消し飛ばしたさいきょーの術だ!」
玉座の上に立ち上がり、鼻息とともにシャイタンは過去の栄光を語った。
「自慢げに語られても困ります。確かに大戦時には驚異的な結果をもたらしてくれましたが、今となっては繋がってしまったゲートから異邦人が押しかける毎日です」
「一体誰のせいでこんなことに!!」
「あなた様です」
しれっとした態度で、魔人Aはカートを押しながら出口に向かう。
「それでは、私は先にこれらをクリーニングに出してきます。魔王様は看板少年ですから、エントランスでお客様が到着されるよりも早く待機しておいて下さい」
「誰に向かって命令をしているのだ、魔人め」
「聖女からの命令です。今日の午前のシフトに魔王様の監視も入っておりましたので」
去り際に、ぼそりと零す魔人A。
「命令変更だ。貴様は魔王側の魔族だろう。監視などいらん」
「それは私の独断では不可能です。聖女様への報告と許可が事前に必要です。お察し下さい」
きっぱりと。
感情の無い声でさらりと流した魔人Aは、元魔王の間の豪華な装飾のされた扉をばたんと音を立てて閉めた。
「ちくしょおおおお!!性悪聖女めえぇええぇええ!!」
魔王シャイタンの裏返った声が城内に響く。
時計の針は団体客の到着時刻に近づいていた。




