Extra Track 深夜のVR旅行
午前2時。私は自室のベッドに座り、最新型のVRゴーグルを頭に装着していた。
数年前から流行している、高精度のAIが世界中のストリートビューや航空写真から精巧な3D空間を再構築し、部屋にいながら世界中のどこへでもリアルな観光を楽しめるという、「VR旅行」を堪能していたのだ。
ボタン一つで、目の前の景色が一変する。
さらに、このアプリの最大の魅力は、AIによってすべてのデータが仮想構築されているため、この空間には「他の人間が誰一人として存在しない」という点だった。
他の観光客が誰もいない世界遺産や、乗客の消え去った巨大な駅、静まり返った深夜の無人の遊園地――。通常では絶対に体験できないような、いわゆる「リミナルスペース」を好きなように歩くことができるのだ。
自宅にいながらにして、これほど凄まじい没入感の「孤独」を楽しめるなんて、本当に最高の技術だ。
私は仮想空間の中で、スピーカーから流れる合成された冷たい風の音を聞きながら、コントローラーを操作して誰もいない静寂の空間を歩き回っていた。
その時、ふと、画面の端に見慣れないシステム通知が現れた。
『意識のデータをアップロードすることで、より臨場感のある没入体験が可能となります』
――意識のアップロード?
そんなSF映画みたいなことが、今の技術でできるはずがない。
まぁ、大方そういう大袈裟な売り文句でユーザーの興味を惹きつける、ただの演出なのだろう。
だが、深夜の気安さからか、少しだけ好奇心に駆られた私は、コントローラーを操作してその通知をクリックした。
『意識をアップロードしますか?』
そんな確認のポップアップが出たので、迷わず『はい』をクリックする。
『警告:一度意識をアップロードすると、現在の肉体へ再びダウンロードすることはできません。本当に実行しますか?』
物々しい警告文まで表示される。
「よく作り込まれたアプリだな」と感心しながら、私は再び、軽い気持ちで『はい』のボタンを押した。
その直後――私の全身に、これまでにない奇妙な感覚が走り抜けた。
本当に、その場に生身で立っているかのような圧倒的な臨場感だった。
今までは目と耳のディスプレイでしか体験できなかったはずなのに、不思議なことに、肌で撫でる空気の冷たさや、古いコンクリートの匂いなど、五感のすべてがリアルにその場の空気を感じ取っているのだ。
それでいて、視界の隅にはVRのシステムUIもこれまで通り青白く浮かんでいる。
面白くなった私は、今までこのアプリで訪れた誰もいない観光地を、次々と切り替えて見て回った。
全身の肌でダイレクトに感じる「完全に孤立した無人の世界」は、これまで以上に最高の贅沢すぎる体験だった。
――だが。
画面に表示された無数のシステムコマンドのどこを探しても、「ログアウト」の方法だけは、どうしても見つけることができなかった。
誰もいない空間で一人絶望しかかった私の視界に、「笑顔の絵文字」を張り付けた赤黒い肉塊が、カチ、カチと電子ノイズを撒き散らしながら歩いているのが、ちらりと映った。




