第24話 居残りの音楽室
コンクールの居残り練習のため、私は夕方の音楽室に1人で残っていた。
西日が差し込む広い部屋は、私の弾くピアノの旋律だけが寂しく響いている。
難しいフレーズを終え、ふと、強烈な視線を感じて鍵盤から手を離した。
静寂が戻る。私は何気なく部屋をぐるりと見渡してみるが、やはり人の気配はない。
気のせいだろうか。ピアノの周りにも視線を巡らせる。
その時、開いたピアノの黒い光沢のある天板に、壁の肖像画が映り込んでいることに気が付いた。
私は一人、くすりと笑いを零した。
視線の正体はこれだったのだ。
壁の上部にかけられている、歴代の作曲家たちが並んだ肖像画へと目を遣る。
これだけ多くの「人間の顔」が並んでいれば、視線を感じたと錯覚することもあるだろう。
いつかは、私もここに並ぶような偉大な音楽家になりたいものだ。
私は偉大な作曲家たちに思いを馳せ、再び鍵盤へと向き直った。
だが、その瞬間、天板に映る肖像画の中の一枚、ベートーヴェンの視線がぐるりと私を睨みつけるかのように動いた気がした。
心臓が跳ね上がる。
慌てて振り返って肖像画を見るが、いつも通りの険しい顔つきのまま、静止していた。
しかし、再び手元の天板に目を遣ると、そこに映り込んだ肖像画は狂ったように笑っていた。
ベートーヴェンだけではない。バッハも、モーツァルトも、全員が。
――逃げなきゃ。
そう思った瞬間、目の前の鍵盤が激しく押し込まれ、濁った不協和音が爆音で鳴り響いた。
動きたいが、何故か足が動かない。
足元を見ると、ピアノの影と私の影は完全に同化し、私をピアノの底へと引きずり込もうとしていた。
天板越しに、肖像画の作曲家たちが一斉に指揮棒を振る姿が見える。
彼らの指揮に合わせるように、私の指が、自身の意思に反して勝手に鍵盤を叩き始めた。
演奏は止まらない。
指が疲れ、爪が剥がれ、血が飛び散っても。どれだけ止めたいと願っても、決してピアノを弾く手は止まらない。
まるで、私の身体が「楽器」として調律されていくように。
翌日、登校してきた生徒たちが音楽室で見たのは、乾いた血に塗れたピアノと。
壁に新しく掛けられた、見慣れない「私の肖像画」だった。




