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第9話 歪な広場

 教会の裏口を抜け、私たちは炊き出しの準備を整えた台車を押しながら、マルシェリエの中央広場へと向かっていた。大鍋を固定した移動台に加え、器を重ねた籠や木製の簡易卓、配膳用の柄杓や布巾、水桶など、必要な物資は一通り揃えられており、それらを手分けして運ぶ子供たちの動きは実に手慣れたものだった。


「クラリスお姉ちゃん、それ重くない?」

「平気ですわ。でも、ありがとうございます」


 横から覗き込むようにして声をかけてきたジャン君にそう返すと、彼は少しだけ意外そうな顔をしてから、にやりと笑った。


「クラリスお姉ちゃん、意外と力あるんだ」


「あらジャン君。見た目で判断するのは、あまり感心しませんわよ?」


「えーでも、クラリスお姉ちゃんって、ヒョロヒョロじゃんー」


「ちょっとジャン、それ失礼だよ」


 ジャン君の軽口に、ルネ君が軽く肘で小突く。そのやり取りに、私は思わず小さく笑みをこぼしてしまう。


 こうして軽口を叩き合いながらも、誰一人として手を止めていないあたり、やはりシスター達の教育が習慣として根付いているのだろう。単なる手伝いではなく、生活の一部としての役割。それをこの子たちは、自然に担っている。


 ジャン達に感心しながらも道を進んでいると、次第に行き交う人々の姿が増えていく。


「おはようございます、シスター!」

「今日も炊き出しかい、助かるよ」


 次々とかけられる声に、シスター・エトワールは一人ひとり丁寧に応じていく。


「ええ、本日も広場で行いますので、お時間があればぜひ」


「ああそうするよ。それから、この前の薬草、本当に助かりました」


「それは何よりです。無理はなさらないでくださいね。また腰を痛めては、カールさんに怒られてしまいますよ」


「そりゃあ、いけねえな。気をつけるよ!」


 そんなやり取りを繰り返している中で、ふと一人の男性がこちらへ視線を向けているのに気がつく。そんな彼の腕に視線を落とすと、いくつもの包帯を巻かれてお痛々しさを隠しきれていなかった。


「……見ない顔だな」


 警戒の色を含む低い声でそう言われた私は、一歩前に出て自己紹介を始める。


「初めまして。先日、教会にお手伝いとしてやって参りました。クラリスと申しますわ」


「そうか……新しいシスターさんか」


 男は私の言葉に短く頷くと、少しだけ視線を和らげた。


 傷跡や体つきを見るに、きっと彼は戦争によって負傷した方なのでしょう。見ず知らずの人物がやってきていきなり炊き出しに参加しているなんて、戦争を経験した者からすると怪しく見えてしまうのかもしれない。


「ここはな、見ての通りの場所だ。無理はするなよ」


「ありがとうございます。心得ておきますわ」


 それ以上は多くを語らず、男はそのまま去っていく。その背を見送りながら、私は胸の内で静かに言葉を噛み締める。


 そしてさらに進むと、今度は年配の女性が声をかけてきた。


「あらまあ、可愛らしい子ねぇ。新しいシスターさん?」


「いえ、まだ見習いのようなものですわ」


「そうなの? でも立ち居振る舞いが綺麗ねぇ」


 思わぬ言葉に、ほんのわずかに視線を伏せてしまう。しかし直に年配の女性の方に向き直り、出来るだけ丁寧に感謝を伝える。


「そのように言っていただけると、励みになります」


「ふふ、無理しすぎないでね。この街、優しい人は多いけど……楽な場所じゃないから」


 穏やかな声色の中に、わずかな重みが混じる。その意味を完全に理解するには、まだ情報が足りない。けれど、軽く受け流してよい言葉ではないことは確かだった。


 子供たちはというと、そんな空気をものともせず、元気に手を振り返している。


「ヘレンおばちゃーん! あとで来てねー!」


「また食べなさすぎで倒れるからなー。絶対だよー」


「はいはい、ちゃんと行くわよ」


 無邪気なやり取り。その光景に、私は自然と視線を緩める。移動中何度も目にしてわかっていたことではあるが、やはりシスターを含めダガーさんや子供たちは、マルシェリエの住民達にとても信頼されているようだ。


「私も頑張らなくては……ね」


「クラリスお姉ちゃん。何か言った?」


「リゼットちゃん。いいえ。ただの独り言ですわ」


「そう?」


 そう言いながら首を傾げるリゼットちゃんの頭を軽く撫でてあげると、彼女は気持ちよさそうに目を細めた。そうしているうちに段々と視界が開け、中央広場へと辿り着いた。


 そこは教会周辺とは明確に異なる、活気に満ちた空間だった。子供たちが走り回り、大人たちは立ち話に興じ、簡素ながらも品物を並べる者の姿もある。人の流れは絶えず、ここが街の中心であることを強く印象づける光景だった。


 けれど、その賑わいを前にして、私はわずかな違和感を覚えていた。


 笑い声は確かにある。会話も絶えない。それでもどこか、その明るさが無理をしているような、うわべだけのように見えるのだ。


「……クラリスお姉ちゃん?」


 足がわずかに止まっていたのだろう。リゼットちゃんが不安そうにこちらを見上げていた。


「いえ、大丈夫ですわ。少し見入ってしまいました」


 そう答えながら私は周囲に視線を巡らせる。


 広場の端に見える、補修された石壁。ところどころ色の違う石が混じり、急ごしらえであることが分かる。すれ違う人々の中には、足を引きずる者や、腕に深い傷跡を残した者もいる。


 表情は穏やかでも、その奥にある疲労や影までは隠しきれていない。


 ――戦争の名残。


 ここが国境の街であるという事実が、否がおうにも実感できてしまう。


 休戦中であるとはいえ、それは終わりではなく、ただ止まっているだけ。その間にも、人々は、いつ再開するかもしれないという不安を感じながら生活を続けていかなければならない。


 私胸の奥が、静かに軋むのをヒシヒシと感じる。この現実を生み出しているもの。その根にある歪み。それを放置することが、どれほどの負担を人々に強いているのか。


 考えれば考えるほど、時間をかける余裕はないと理解する。


 ――早く、正さなければならない。でなければ、戦争によって国が立ち行かなくなるよりも先に、民の心が持たないかもしれない。


「クラリスお姉ちゃん、ぼーっとしてる」

「置いてくよー?」


 不意に背後から声をかけられ、思考が現実へと引き戻される。顔を上げると、ジャン君とルネ君がこちらを見て笑っていた。


「失礼いたしましたわ。少し、見入ってしまいまして」


「へへ、すげーとこだよな」

「領主様が綺麗に直したんだよねー」


 無邪気に言い放つその言葉に、私は小さく頷く。彼らにとってはこれが日常であり、違和感を覚える対象ではないのだろう。それどころか、歪ながらも修復された日常の場に喜びを感じている。それが良いことなのか悪いことなのか……。


 そうして周囲を観察しながら歩みを進めるうちに、私たちは炊き出しの定位置へと到着した。


「皆さん、設営をお願いしますね」


 シスターの一声で、子供たちとダガーさんが一斉に動き出す。台車の固定具を外し、簡易卓を広げ、器を並べていく。その一連の流れは淀みがなく、すでに何度も繰り返してきた作業であることが見て取れた。


「ジャン、それそっちじゃないって!」

「え、こっちじゃないの?」

「もう、貸して!」


 マリーちゃんが手際よく配置を直し、リゼットちゃんがそれを支えるように布を整える。所々でジャン君がマリーちゃんに怒られているシーンはあったものの、設営自体はスムーズに進んでいる。


 私はその様子を一歩引いた位置から見つめながら、隣で調理器具を準備していたシスター•エトワールに問いかける。


「私は、何をすればよろしいでしょうか」


 本来なら自分でやるべきことを探すべきなのですが、流石に初めてのことを勝手にやってしまうと迷惑をかけてしまう。ここは恥を忍んで素直に聞くほうが良いですわね。


 そう考えた私が質問を投げかけると、シスターは柔らかく微笑みながら答えた。


「ああ、そうでしたね。では少しだけ、ご一緒いただけますか」


 その言葉に頷き、私は彼女の後を追う。向かったのは広場の端、人の流れからやや外れた場所に建つ煉瓦造りの建物だった。


 シスターが扉を軽く叩くと、しばらくして内側から足音が近づき、ゆっくりと扉が開かれる。


「おや、エトワールさん。今日もご苦労様ですな」


 現れたのは、穏やかな笑みを浮かべた禿頭の老人だった。柔らかな物腰ではあるが、その立ち居振る舞いには長年の経験に裏打ちされた落ち着きが感じられる。


「こちらこそ、お世話になります。本日は新しく加わった方をお連れしました」


 シスター•エトワールは私の背中を軽く押して、促す形で私を一歩前に出させる。


「初めまして。クラリスと申します。本日よりお手伝いさせていただきます」


「これはご丁寧に。わしはギヨーム・ベルナール。領主様よりこの広場の管理を任されております」


 名乗りを受けた私は軽く頭を下げる。そんな私の行動にギヨームさんは一つ頷くと、簡潔ながらも要点を押さえた説明を始めた。


「炊き出しの位置はいつも通り中央寄りで構いません。人の流れを塞がぬよう、この通りの導線だけは空けておいてください」


「承知いたしました」


 淡々とした説明だが、無駄がなく実務的で分かりやすい。その後、彼は棚から小さな布製の印を取り出し、こちらへ差し出してくる。


「こちらを。許可証のようなものですので、衣服の見える位置に取り付けてくださいね」


 受け取ったそれは、簡素ながらも紋章が丁寧に刺繍されたワッペンだった。これはマルシェリエ領主の紋章でしょうか?


 横を見るとシスターが迷いなく胸元へ付けるのを確認し、私もそれに倣う。


「これで宜しいでしょうか?」


「ええ、その位置で問題ありません」


 穏やかな笑みを残したまま、ギヨームさんは軽く手を振る。その仕草に会釈で応じ、私たちは再び広場へと戻った。


 既に設営はほぼ完了しており、鍋の周囲には人々が自然と集まり始めている。


「シスターこっち終わったよー!」


「器も並べおわった!」


 子供たちが誇らしげに報告してくる。私はその様子に頷きながら、いつもの癖で食器や席などの配置を確認する。導線も確保され、受け渡しの流れも整理されている。慣れているとはいえ、十分に利用者のことを考えている配置に私は感心する。


「皆さん、慣れていらっしゃるのですね」


「でしょー!」

「いつもやってるもん!」


 胸を張るジャン君とルネ君に、マリーちゃんが「調子に乗らないの!」と軽くたしなめる。そのやり取りに小さく笑みを漏らしながら、私は位置についた。


「それでは、始めましょうか」


 シスターの穏やかな声を合図に、炊き出しが開始される。


 同時に列は自然と形成されていき、住民たちは各々器を手に順番を待つ。木椀や金属の器、端の欠けた陶器まで、その種類は様々であり、それぞれの生活の断片が垣間見えるようだった。


「初めて見る顔だねぇ」


 最初に声をかけてきたのは、杖をついた老婦人だった。柔らかな皺を刻んだ顔で、こちらをじっと見つめている。


「はい。本日からお手伝いさせていただいております、クラリスと申します」


「まあまあ、丁寧な子だこと。シスターのところに来たのかい?」


「ええ、その通りです」


 柄杓でスープを注ぎながら応じると、老婦人は満足そうに頷いた。


「ここはねぇ、色々あるけど"あの人"たちがいるから何とか回ってるんだよ。無理しすぎないようにね」


「お気遣い、ありがとうございます」


 あの人たちとは、シスターや神父様のことでしょうか。はたまた領主様か? 


「はい、どうぞ」


「嬢ちゃん。ありがとうねぇ」


 次に並んでいたのは、腕に包帯を巻いた壮年の男だった。視線は鋭いが、敵意はない。この方も先ほどお会いした方のように、戦争の被害者でしょうか。


「新顔か」


「はい。本日よりお手伝いしております」


「……そうか」


 短く応じると、彼は一瞬だけこちらを見据えた後、静かに言葉を続けた。


「この街は、見ての通りだ。だがみんな、どうにかこうにか踏ん張ってるんだ。なんでこんな場所に来たかはわからんが、嬢ちゃんも諦めずにがんばんな」


 その言葉に、私はわずかに呼吸を整える。


「その言葉。心に留めておきますわ」


「……ならいい」


 それだけ言って、男は器を受け取り去っていく。すでに何人かの住民の方々とお話しているが、みんな私を気遣った温かい言葉をかけてくれる。自分たちもきっと辛いはずなのに。


 私は胸の奥の息苦しさを隠しながら、途切れることない列の対応を続ける。横では子供たちとダガーさんが補助として動き回り、器の受け渡しや誘導を自然にこなしていた。


「はい、こっち並んでー!」

「まだあるから押さないで!」


 ルネ君とジャン君が声を張り上げると、それに合わせて人の流れが整う。先程まで幼子の様な仕草が影を潜め、いまでは頼もしくすら感じられる。


「クラリスお姉ちゃん、これで合ってる?」

「ええ、そのままで大丈夫ですわ」


 リゼットちゃんがスープの量を恐る恐る確認してくるのに対し、私は丁寧に頷くとその表情がほっと緩む。


 そうして作業をしている合間、老人たちから小さな布包みを手渡された。


「これ、よかったら」

「昨日売れ残ったパンだけどね」


「いえ、そのような……」


 差し出してきたのは、先ほどの老婦人とは別の女性だ。中にはいつかの黒いパンと、焼き菓子のようなものが入っている。


 お菓子は麦をバターか何かで押し固めたものでしょうか。それにパンは黒い色と酸っぱい香りから恐らくライ麦の様な者だとわかる。さらに上部にはそれとは違う種類の麦がついている。


「いいからいいから。若いんだから食べなさ

い。それに余らすのも勿体ないから受け取っておくれ」


 半ば押し切られる形で受け取るしかなく、私は軽く頭を下げる。


「ありがとうございます。後ほど、皆でいただきますわ」


 炊き出しをしている側が施しを受けるという状況には、やはり違和感が残る。しかし、それ以上にこのやり取りは一方通行ではなく、相互の関係として成立しているのだと理解できた。


 気付けば時間は大きく進み、太陽は傾き始めている。石畳に伸びる影が長くなり、空気の温度もわずかに変化していた。


「これで、最後になります」


 鍋の底が見え始めた頃、そう告げると、列の最後にいた青年が軽く手を上げた。


「今日も助かったよ」


「いえ、お役に立てて何よりです」


 最後の一杯を渡し終えると、自然と列は解消されていく。


「では、片付けましょうか」


「はーい」

「へーい」

「ジャンったら、ちゃんと返事してよ」

「マリーちゃん。今日は早く終わったね」

「わかりましたわ」

「うん」


 シスターの言葉に、子供たちとダガーさんが一斉に型付けを始めたので、私も食器や台座などを回収し台車に乗せていく。その間にも日は沈み続け、最終的に教会へと戻ったのは周囲が暗くなり始める頃だった。

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