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第37話 お願い

 傷が治って日常が戻る頃、私は新しい保存食のアイデアを料理長と詰める日々が続いていた。行軍粥の次に作るべきは、もっと手軽に食べられるもの——乾燥させた果実と木の実を岩麦の粉で固めた、携行しやすい一口大の携帯食だった。


「いや、それだと甘みが足りねえな。蜜蝋樹の蜜を練り込んでみたらどうだ」


「それですと、保存中に固くなりすぎませんか」


「なら、粉の配合をもう少し細かく——」


 調理場の入り口で、誰かが軽く咳払いをした。振り返ると、レオン様が壁にもたれて立っている。


「レオン様。今日は非番でしたわよね」


「まあな」


 近くにいた料理長が顔を上げ、眉をひそめた。


「どうした、また徹夜で詰め所か」


「……まあな」


 レオン様は同じ言葉を繰り返し、苦笑いを浮かべながら作業台に近づいてくる。目の下にはうっすらと隈が浮かび、肩のあたりに疲れが滲んでいた。彼は私の手元にある行軍粥の試作品を見て、少しだけ表情を緩める。


「これ、次の遠征に間に合うか」


「遠征ですか?」


「ああ。国境の方がきな臭くてな。魔族との小競り合いが増えてるらしい」


 レオン様の声はいつもより低く、どこか遠くを見ているようだった。


「また戦が……?」


「そこまではわからん。ただ、周辺の村で人が消える事件が相次いでるらしくてな。調査隊も出てるんだが……なかなか尻尾を掴めねえ」


 人が消える。その言葉に、私は思わず手を止めた。つい先日、自分が拉致されかけたばかりだというのに——そんな事件が、この街のすぐ外で起きている。


「戦が近いとなると、食料の備蓄を考えなきゃならんな」


 料理長が腕を組み、厳しい顔でつぶやく。私は気持ちを切り替え、作業台の上の試作品に目を戻した。


「行軍粥の生産を本格化させましょう。息抜き器もありますし、密封したものを備蓄しておけば、いざというときにすぐ配給できますわ」


「ああ、助かるよ。クラリスさん」


 レオン様は微笑んだが、その笑顔の奥に、何か言いづらいことを隠しているように見えた。聖光派の騎士がこの街に派遣されることになったのも、表向きは魔族対策。だが、本当の目的は何なのか——彼はおそらく、言いたくても言えない情報を抱えているのだろう。


「じゃあ、俺はまだ戻るわ」


「レオン様、あまり無理をなさらないでくださいませ」


「クラリスさんこそ、な」


 レオン様は軽く手を挙げて調理場をあとにした。その背中がやけに小さく見えたのは、気のせいではないだろう。


「……クラリス」


「はい?」


「今日はもう上がれ」


 料理長の突然の言葉に、私は思わずまばたきをした。


「ですが、まだ試作の途中で——」


「料理に集中できない料理人が作る飯ほど、うまくねえものはない」


 料理長はぶっきらぼうに言い放ち、私の手から木匙を取り上げた。


「さっきからずっと、レオンのことばかり考えてたろ。それじゃあ味がぼやける。気になることがあるなら、さっさと帰って頭を冷やせ」


「……申し訳ありません」


「謝ることじゃねえ。心配するな、試作は俺がやっておく。明日、味見してくれりゃいい」


 私は小さく頭を下げ、エプロンを外した。料理長のこういう不器用な優しさに、何度救われただろう。



 教会に戻ると、裏庭から子供たちの甲高い笑い声が聞こえてきた。どうやらシスターの計らいで、今日は外遊びの時間らしい。私は礼拝堂を通り抜けて裏庭へと続く扉を開け、その光景に思わず足を止めた。


「ダガーお姉ちゃん、もっと大きいの作って!」


「りゅう! りゅうがいい!」


「うさぎも!」


 ジャンくん、ルネくん、マリーちゃん、リゼットちゃんの四人が、ダガーさんに群がっている。マリーちゃんはダガーさんの腰にしがみつき、ルネくんは袖を引っ張り、ジャンくんに至っては彼女の背中によじ登ろうとしていた。ダガーさんは三人にもみくちゃにされながらも、不思議と不満そうな顔はしていない。むしろ、その口元はほんのわずかに緩んでいて、私にはそれが楽しそうに見えた。


「……ちょっと待って。順番……順番にやるからっ……!!」


 ダガーさんが手のひらを上に向けると、氷の結晶が宙に浮かび上がり、みるみるうちに小さな竜の形を作り出した。翼の筋や尾の先まで細かく作られたそれは、午後の光を受けて虹色に輝いている。


「わあっ!」

「すっげー!?」

「すごいすごい!」

「わーきれいー!」


  子供たちの歓声が裏庭に響き渡る。私はその微笑ましい光景を、扉にもたれながら眺めていた。


「クラリスお姉ちゃん!」


不意に、私の名を呼ぶ小さな声がした。視線を向けると、リゼットちゃんが駆け寄ってくる。彼女は他の子たちより少し控えめで、いつもは自分から前に出るようなことはしない。なのに今日は、まっすぐに私のところへ走ってきて、両手で私の手をぎゅっと握った。


「クラリスお姉ちゃんも、いっしょにあそぼ?」


 リゼットちゃんはそう言って、私の手を引っ張った。その小さな手には、思いのほか力がこもっている。私は少し驚いて、彼女の顔を覗き込んだ。


「リゼットちゃん、今日はいつもより積極的ですわね」


「……だって」


 リゼットちゃんは私の手を握ったまま、うつむいてしまった。その声が、急に小さくなる。


「クラリスお姉ちゃん、さいきん、あんまりあそんでくれないから……」


 リゼットちゃん言葉に胸の奥が、きゅっと締めつけられた。そうだ——私はここ数週間、襲撃事件や怪我、領主様との話し合いや聖光派の動きに気を取られて、子供たちと過ごす時間を持てていなかった。炊き出しの準備や調理場の仕事は欠かさなかったけれど、それとこれとは別の話だ。子供たちにとって、私は数少ない「一緒に遊んでくれるお姉ちゃん」でもあったはずなのに。


「ごめんなさい、リゼットちゃん。最近、少し忙しくて——」


 謝ろうとした私の言葉を遮るように、ダガーさんが顔を上げた。彼女はルネくんに袖を引っ張られ、マリーちゃんに抱きつかれている。


「……クラリスさん!」


「ダガーさん?」


「一人じゃ大変だから、手伝って……!!」


 彼女が視線で示した先では、ジャンくんがさっき作ってもらった竜の氷像の上に跨がり、得意げに叫んでいた。


「みてみて! 俺、りゅうにのってる!」


「ずるい! わたしも!」


「ジャンだけズルい!  僕も、僕も乗りたい!」


 ルネくんとマリーちゃんが、羨ましそうにダガーさんの両腕を左右から引っ張っている。ダガーさんは私に向かって「見てのとおりだから、手伝ってクラリスさん」と疲れたようにもう一度言った。


 私は思わず吹き出しそうになるのを堪え、リゼットちゃんの前にしゃがみ込んだ。そして彼女の柔らかな栗色の髪を、そっと撫でる。


「リゼットちゃん、遊ぶからには全力で楽しみましょう。それでよければ、私も仲間に入れていただけますか?」


 リゼットちゃんはぱっと顔を上げ、目を輝かせた。


「ほんと?」


「もちろんですわ」


 私はとびっきりの笑顔でそう答えると、リゼットちゃんを抱き上げた。彼女は驚いたように小さな声を上げたが、すぐに嬉しそうに私の首に腕を回してくる。


「さあ、行きましょう。ダガーさんを助けなければ」


「……うん!」


 リゼットちゃんを抱っこしたまま、私はダガーさんたちの輪の中へと足を踏み入れた。ジャンくんが氷の竜の上で「クラリスお姉ちゃんもきた!」と叫び、ルネくんとマリーちゃんが一斉にこちらに駆け寄ってくる。


「クラリスお姉ちゃん、みてみて! ダガーお姉ちゃんがすごいの!」


「わたしも、うさぎ出してほしい!」


「はいはい、順番ですよ。まずはジャンくんを降ろして——」


 私がそう言いかけたとき、ダガーさんが小さく息を吐き、手のひらをもう一度上に向けた。次の瞬間、今度は二つの氷の像が同時に浮かび上がる。一頭は翼を広げた小竜、もう一頭は優雅に跳ねるうさぎだった。


「……これで、どう」


「わあああっ!」

「うさぎさん!!」


 ルネくんとマリーちゃんが同時に歓声を上げ、それぞれの像に飛びつく。ジャンくんはすでに自分の竜の上でご満悦だ。リゼットちゃんは私の腕の中で、その光景をじっと見つめていた。


「リゼットちゃんは、何を作ってもらいましょうか」


「……私もうさぎが良いなー」


「ダガーさん、うさぎをもう一匹お願いできますか」


「任せて……【クリエイト•スノーゴーレム】」


 ダガーさんは無言で頷き、四体目の氷像を作り出した。今度は小さくて丸い、子うさぎのような形だ。リゼットちゃんは私の腕から降りると、恐る恐るその氷のうさぎに手を伸ばし、ひんやりとした感触に目を丸くした。


「えへへ、つめたいね」


「氷ですからね」


「でも、キラキラしてきれい!」


 リゼットちゃんが微笑むのを見て、私の胸の奥も少しだけ軽くなった。ダガーさんがちらりと私を見て、何かを言いたげに口を開きかけたが、結局何も言わずにまた子供たちの方へ向き直る。その口元には、やはりほんのわずかな笑みが浮かんでいた。


 夕暮れの裏庭に、子供たちの笑い声が響き渡る。私はリゼットちゃんと一緒に氷のうさぎを撫でながら、この穏やかな時間が少しでも長く続くようにと、心の奥で静かに祈っていた。



 夜、子供たちを寝かしつけたあと、私は一人で礼拝堂の片付けをしていた。長椅子の間を箒で掃きながら、昼間のレオン様の言葉を思い返す。周辺の村で人が消えている。さらに調査隊も尻尾を掴めない。


「……クラリスさん」


 いつの間にか、ダガーさんが入り口に立っていた。


「ダガーさん、まだ起きていたのですか」


「……うん。なんとなく」


 彼女は私の隣に来て、無言で箒をもう一本手に取った。二人で並んで掃除をしていると、不思議と心が落ち着いていく。箒が床を擦る音だけが、静かな礼拝堂に響いていた。


「クラリスさんは、怖くないの。あんなヒト達に襲われたのに」


ダガーさんがぽつりと呟いた。


「……怖いですよ。誰かが傷つくのは、嫌ですもの」


「じゃあ、どうしてそんなに平気そうなの」


「平気なわけではありませんわ。ただ——私には守るべきものがあるから」


 箒を動かす手を止めて、私はダガーさんと向き合った。蝋燭の灯りが、彼女の横顔をぼんやりと照らしている。


「私一人では無力です。ここに来る前、私は良かれと思いやった事で、大切な方を亡くしかけてしまいました。それもこれも、私なら問題は起こさないという、傲慢な考えが原因でした。」


 初めて誰かに話すことだった。ダガーさんは黙って、私の言葉を待っている。


「私は強くも無ければ、恐れて無いなんて事は決してありません。ただ、失う怖さを知っているからこそ、このまま指を加咥えながら待っているなんて出来ない。ただそれだけですわ」


 ダガーさんはしばらく黙って自分の手を見つめていた。その手は、つい先ほど子供たちに氷の動物を作って見せた手だ。そして、襲撃の夜に私を守ってくれた手でもある。


「私はこの街が好き、教会が好き。子供たちも、シスターや神父様も、ソフィア先生も……そしてクラリスさんも。だからお願い。私もここを守る手伝いをさせてください」


 短く、けれど氷のように固い決意のこもった声だった。


「……ありがとう、ダガーさん。貴方がそう言ってくれるのはとても頼もしいですわ。そうですね。どうしても困ったことがあったら、ダガーさんにも頼ることにしますわ」


 ダガーさんは何も答えず、ただこくりと頷いた。それから再び箒を手に取り、掃除の続きを始める。私はその背中を見つめながら、胸の奥があたたかくなるのを感じていた。


 守るべきもの。それを口にしたとき、不思議と怖さは和らいでいた。

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