第6話 別れと出会い
馬車がゆっくりと速度を落とし、やがて軋むような音と共に停止した。長旅の終わりを告げるその振動に、私はそっと視線を上げる。荷台の隙間から見えるのは、石造りの大門。風雨に晒されて色褪せてはいるものの、その構造自体は堅牢で、かつてこの街が商業の要所として栄えていたことを物語っていた。
――マルシェリエ。追放先として告げられた地。そして、これから私が生きていく場所。
私は小さく息を吐いた。覚悟は、とっくに決まっていますわ。
そうして外の様子を窺っていると、不意に荷台の扉が僅かに開き、アブラームさんの顔が覗いた。その表情は、これまで見てきたものとは少し違う。どこか緊張を含んでいる。
「嬢ちゃん、少し奥に下がってくれ。姿は見せるな」
低く抑えた声。私は即座に頷き、荷台の奥へと身を引いた。理由を問う必要はない。ここが街の入口である以上、検問があるのは当然のこと。
そして私は――表向きには罪人。無用な詮索を招くのは避けるべきですわね。息を潜め、物音を立てぬよう静かに身を縮める。
外では、門番らしき人物とのやり取りが始まっているようだった。低く交わされる言葉は断片的にしか聞こえないが、特に荒れた様子はない。やがて短いやり取りの後、馬車が再び動き出した。
車輪が石畳を踏む規則的な振動。どうやら、問題なく通過できたようですわね。
しばらく進んだ後、再び馬車が止まる今度は、すぐに荷台の扉が開かれた。
「着いたぞ。降りていい」
アブラームさんがそう告げ、手を差し出してくる。私はその手を借りて、ゆっくりと地面へと降り立った。
足元に感じる、しっかりとした石の感触。視線を上げると、そこには一つの教会があった。
――正直に言えば、お世辞にも美しいとは言い難い。壁のあちこちに黒く焼け焦げた痕。崩れた部分を無理やり補修した跡。戦火の爪痕が、隠しようもなく残されている。
私は一瞬だけ、その光景に目を細めた。これが、この街の現実。けれど周囲へと視線を巡らせると、印象は少し変わる。
道はきちんと整備され、瓦礫も放置されてはいない。行き交う人々の数こそ多くはないが、荒廃しきっているわけでもない。馬車の揺れが少なかった理由も、これで納得ですわね。
――領主の手腕、ということかしら。
完全に立て直すには至っていないが、崩壊もさせていない。それは、決して簡単なことではない。私は一度大きく息を吸い込むと、教会へと視線を戻した。
ここが、私の新たな起点。そう考えながら扉へと歩み寄り、静かに手をかける。
その瞬間、扉が内側から開かれた。不意を突かれた私は、思わず足を止める。
現れたのは、一人の女性。背は高く、私よりも頭一つ分は上。細身ながらもしっかりとした体躯に、聖職者の衣を纏っている。その佇まいには、どこか武人めいた安定感すら感じられた。けれど、浮かべている表情は対照的に柔らかい慈愛に満ちた微笑み。
「ようこそいらっしゃいました。お待ちしておりましたよ」
穏やかな声でそう告げると、彼女はゆっくりと手を差し出してきた。
「私は、ルミナス教会に仕える者。シスター・エトワール・モルゲンシュテルンと申します」
――モルゲンシュテルン。どこか耳に残る響き。意味はたしか“明けの明星”だったでしょうか。光の女神に仕える者としては、実に象徴的な名ですわね。
差し出された手を前に、私は一瞬だけ逡巡する。このように真正面から歓迎されることに、まだ慣れていない。けれど無視するわけにもいかない。私は静かにその手を取り、軽く握り返した。
その瞬間、シスターはわずかに首を傾げた。まるで何かを測るような、そんな仕草。
「……?」
つられるように、私も問いかける。
「何か、ございましたか?」
彼女は一瞬だけ考えるような素振りを見せ――すぐに微笑みを戻した。
「いえ、何でもありません。どうぞこちらへ」
そう言って、自然な動作で教会の中へと案内を始める。その振る舞いはあまりにも滑らかで、先ほどの違和感は、まるで最初から存在しなかったかのようだった。
……気のせい、でしょうか。
私は小さく首を振り、その後に続く。入口のところで、ふと自分の足音しかしないことに気が付き足を止める。振り返ると、アブラームさんたちがそこに立っていた。
どうやら、ここで別れるらしい。ほんの一瞬、胸の奥に寂しさがよぎる。たった一ヶ月。けれど、この旅路で交わした時間は決して短いものではなかった。
「……皆様」
私は騎士団たちに向き直ると、深く一礼する。
「これまで、本当にありがとうございました。皆様のおかげで、無事にここまで来ることができましたわ」
言葉に偽りはない。彼らがいなければ、この道中がどうなっていたか分からない。アブラームさんは、少し照れくさそうに頭をかいた。
「気にすんなって。俺らは仕事しただけだ」
「それでも、ですわ」
私は穏やかに言葉を重ねる。ドゥエスダンさんは、静かに頷いた。
「お元気で」
「体を大事にな」
「飯、美味かったぜ」
「じゃあな嬢ちゃん」
皆の別れ言葉は短い。けれど、その中に多くの意味が込められているのを感じた。私はもう一度だけ頭を下げ、今度こそ教会の中へと足を踏み入れる。
ふと、胸の奥に小さな疑問が浮かぶ。これはあくまで護送任務。それも、表向きは物資運搬に偽装されたもの。それにも関わらず、こうもあっさりと監視を解くものなのでしょうか。
……いえ。今は、考えるべきではありませんわね。必要な情報が揃っていない以上、推測は無意味ですもの。
私は意識を切り替え、内部へと目を向けた。外観とは裏腹に、内部は驚くほど整えられていた。床は丁寧に磨かれ、埃一つ見当たらない。簡素ではあるが、清潔感に満ちている。そして視線の先には、数人の子供たち。年齢はまちまちだが、衣服から察するに孤児でしょう。さらに、同じくシスター服を纏った少女が一人。そして奥の教壇には、一人の男性が立っていた。
シスター・エトワールは、軽く手を叩く。
「皆さん、少しよろしいですか?」
その一言で、室内の視線が一斉にこちらへ向いた。私は自然と背筋を伸ばす。
「本日からこちらで共に過ごすことになる方です。皆さん、仲良くしてくださいね」
紹介を受け、私は一歩前へと出る。本名を名乗るわけにはいかない。ここへ来るまでの馬車の中で考えておいた名を、口にする。
「初めまして。クラリス、と申しますわ。しばらくの間、お世話になります」
簡潔に、しかしはっきりと。すると子供たちが一斉に反応した。
「こんにちわー!」
「新しいシスター?」
「おねーちゃんはじめましてー!」
口々に飛び交う声。
その無遠慮な明るさに、思わず少しだけ頬が緩む。こういうのは嫌いではありませんわ。
一方で、シスター服の少女は、こちらを一瞥しただけだった。
「……よろしく」
小さく、それだけを告げると、すぐに踵を返す。そしてそのまま、外へと出て行ってしまった。
あまりにも素っ気ない態度に私はわずかに目を瞬かせる。するとシスター・エトワールが、苦笑を浮かべた。
「気にしないでくださいね。あの子は少し人見知りなだけでして。今も、水汲みと配給の準備を任せているのです」
なるほど。仕事の途中、ということですわね。そうであれば、あの態度も理解できます。私は小さく頷いた。そして最後に、教壇の男性がゆっくりと歩み寄ってくる。
恰幅の良い男性。しかしその動きには一切の無駄がなく、視線や所作にも隙がない。ただの地方教会の神父、という印象ではない。
「ようこそ、クラリス殿。歓迎いたします」
その声音は柔らかく、しかし芯があるものだった。自然と背筋が伸びるような、そんな響きだった。そんな彼に私は直感する。
――この方、只者ではありませんわね。おそらく、かつては主要都市で教会を任されていたような人物。それほどの格を感じるたのだ。
そうして神父様と簡単な挨拶を交わしたところで、シスター・エトワールが軽く手を振った。
「では後は神父様にお任せしますね。私は子供たちの勉強を見てきますので。教会の中を案内して差し上げてください」
「……君は相変わらずだな」
神父はわずかに苦笑する。
「本日はお暇でしょう?」
さらりと言い残し、シスターは子供たちを連れて奥へと去っていった。その背中を見送りながら、神父は一度小さく息を吐き――すぐに穏やかな表情へと戻る。
「改めまして。ルミナス教の名において、あなたを歓迎いたします」
そう言って、正式な礼を取る。洗練された、無駄のない動作。私はそれを正確に見極め――同じ形式で礼を返した。公爵家で叩き込まれ、学園で磨かれた所作。
ほんの一瞬、神父の目が見開かれるが、すぐに、その表情は元に戻った。それ以上、何も問われることはなく、私は静かに頭を下げる。
「これからよろしくお願いいたしますわ。神父様」
神父はただ穏やかに微笑むだけだった。こうして、私の新たな生活は静かに幕を開けたのだった。
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