第5話 簡素、しかし豪華な夕食。
私が王都を出発してから、早くも1ヶ月が経過していた。移動中に盗賊に襲われることもなければ、すり替えに気がついた殿下と対立している派閥の追手が来ることもない。とても平穏な時が過ぎていく。
そして罪人である私は無闇に外を歩いたりすることが出来ないため、基本的には馬車の中で待機することが多い。そんな中、私がする事といえば、馬車の荷台から自然を見ながら今晩の献立を考える事。あるいは移動中の御者さんや商人さん、護衛の方々と軽い世間話をするぐらいしかなかった。
そうして空が赤みがかった頃、もはや恒例ともなった質問が荷台に飛び込んでくる。
「いや腹が減った! 嬢ちゃん。今日は何を作るんだい?」
勢いよく扉を開けながら飛び込んできた声は、もはや毎日のように聞いているものだった。長い移動の最中で、人の楽しみなど多くはない。だからこそ、食事の時間というのは自然と話題の中心になるのだろう。特に彼のような人物にとってはなおさらですわね。
「こらっ、それよりも先に調理器具の準備だろう」
続いて聞こえてきたのは、落ち着いた声での諫め。勢いだけで動く者と、それを冷静に制御する者。二人のやり取りは、見ていてどこか微笑ましいものがある。
荷台の扉を広げて聞こえてくる若い声、そして入ってきた二人組を視認した私は、これまたいつも通りの微笑みを浮かべた。この一ヶ月で、彼らとはすっかり顔なじみになっていた。
身分こそ私の方が遥かに上ではあるけれど、今の私は護送中の罪人。彼らはその警護を任された騎士。立場としてはむしろ私が世話になっている側ですわね。
「アブラームさん。ドゥエスダンさん。護衛お疲れ様です。そうですわね。今日はせっかくエスカルダの街で仕入れた、新鮮な川魚がありますので、ソテーしようかと思っていますわ」
私の献立を聞いて口からヨダレをたらしているのが、護衛のリオネル・アブラームさん。そんな彼を呆れ顔で宥めているのが、同じく護衛のジャメル・ドゥエスダンさん。
二人は元々、穏健派閥の騎士団員だったらしいが、昨年発生した帝国と小競り合いで負傷してしまったらしく、今は物資輸送部隊に配属されているとの事だった。
戦場で傷を負った騎士。
それは決して珍しい話ではない。けれど、こうして同じ食卓を囲むようになってからは、ただの「兵士」という言葉で一括りにする気にはなれなかった。
戦う者にも、日常がある。腹も減るし、疲れもする。そして何より——温かい食事を喜ぶ、ただの人間なのですわ。
「ソテーですか。遠征中だと言うのに、ちゃんとした料理を頂けるのは本当に有難い」
ドゥエスダンさんはそう言って、どこか感心したように頷く。その言葉を聞くたび、少しばかり不思議な気持ちになる。
私にとって料理というものは、特別な努力をしているという感覚があまりないからですわね。好きだからやっている。それだけの事だったから。
「まあ、それもマルシェリエだがな。戻りはいつも通りの硬いパンとスープもどきばかりになるんだけどな」
アブラームさんは肩をすくめながら言う。
どうやら彼らにとって、今の食事は例外的な待遇らしい。確かに物資輸送の任務では、積荷の保存食を勝手に消費するわけにもいかないでしょうし、調理の余裕も少ないはず。
それを考えると、今こうして私が料理をしている状況は、彼らにとって少しばかり贅沢なのかもしれませんわね。
「前々から気になっていたのですが普段も、今回のような食糧を買い足したりするものなのですか?」
素朴な疑問として尋ねてみる。料理をする者としては、食材の調達事情というのはどうしても気になる。どんな環境でも料理はできるけれど、材料によって可能な料理は大きく変わるものですから。
「いやー、流石に毎回毎回こんな食糧を買ったりはしねえな」
アブラームさんは即答する。
やはりそうですわよね。新鮮な魚や野菜などは保存が難しい。長距離の輸送任務では現実的ではないのでしょう。
「そうですね、基本は長期保存ができる保存食がメインで、温かい食事を食べられるのは宿などに泊まった時くらいですかね。場合によっては狩りをする事だってありますよ」
ドゥエスダンさんの補足に「なるほど」と私は小さく頷いた。騎士団というのは、思っていた以上に自給自足の要素が強いのかもしれませんわね。
屋敷や学園で暮らしていた頃は、食事など当たり前に用意されるものだった。しかし一歩でも外に出てみれば、それは決して当然ではないのだと実感させられる。
「物資運搬も大変ですのね……」
私は思わずそう呟いてしまう。ただ荷を運ぶだけの任務だと思っていたけれど、実際にはもっと複雑なのでしょう。
「戦場に駆り出された奴ら程じゃないですよ」
ドゥエスダンさんは苦笑しながら言っているが、その言葉の裏には、少しばかりの影を感じられた。
「いや、あそこはまさに地獄だ。敵の待ち伏せによって補給は絶たれたり、友好的な村々も侵略されて慢性的な物資不足。仲間内での奪い合いだって起こる事がある」
アブラームさんは、あっけらかんとした口調でそう続けた。軽く言っているように聞こえるけれど、その内容は決して軽くない。
剣を交える場だけが戦場ではない。食料が尽きれば、人は簡単に理性を失う。国家の正義も騎士の誇りも、空腹の前では揺らいでしまう。
だからこそ——補給というものは重要なのだろう。そして彼らは両方の現場を体験している。そんな彼らの言葉が軽いわけがない。
「それは敵も同じだけどね」
ドゥエスダンさんが静かに言う。その言葉には、戦場を知る者特有の説得力を感じる。きっとこれも実体験から来る言葉なのでしょう。
王国騎士団だって侵略中は略奪などを行う場面があるはず。きっと敵国から奪った領地で、似たような状況を目の当たりにしたのかもしれない。
「例え貧相な食事だろうと俺らは文句を言わねえし、だからこそ嬢ちゃんには感謝してるんだぜ」
アブラームさんは、いつもの調子で笑っているが、その一見、無邪気に聞こえる言葉に私は小さく目を伏せてしまう。
自然とニヤける口を抑えながら。
「……料理人冥利に尽きますわ」
自然とそう言葉がこぼれた。公爵令嬢であった私が、自分を料理人と呼ぶのは少し奇妙かもしれない。けれど、私の中ではそれが一番しっくり来る呼び名だった。
料理とは愛であり、その愛を形にするためには技術が必要だ。適当に作られた料理に、真心を語る資格はない。だからこそ私は、常に最善の一皿を目指す。それが、私なりの信念。
「それにしても、何処でそんな料理の事を習ったんだ?」
ふとアブラームさんが尋ねてくる。
「昔から料理に興味があって、調理場に入り浸っては色々と教えてもらっていたのですわ」
そう答えながら、私は少し懐かしい光景を思い出していた。
公爵家の広い厨房。大鍋の湯気、焼ける肉の香り、忙しく動き回る料理人たち。そして——厳しい顔をしながらも、私に包丁の握り方を教えてくれた無愛想な料理長。
ああ、久しぶりに調理場の皆様に合って、一緒に料理をしたいですわね。それが無理な願いだと知っていても……。
「……そこそこ良い出だろうに。よく調理なんてさせてもらえたな」
アブラームさんは半ば呆れたように言う。
確かに、貴族令嬢が厨房に入り浸るなど普通ではない。けれど、あの頃の私は止められても通っていたでしょうね。料理の魅力というものは、それほど強いのですから。
「その辺りは自由でしたの。といっても、他の事を後回しにしてしまうくらい調理に夢中になってしまうので、途中からは調理場に入る事を制限されてしまいましたが……」
少し苦笑しながら答える。
礼儀作法や政治学の講義よりも、鍋の火加減を気にしていた少女など、教育係からすれば頭の痛い存在だったでしょう。当時は口煩いと感じていましたが、学園生活を通して当時を振り返った今は申し訳なく思いますわ。
「はは、どんだけ料理好きなんだよ」
アブラームさんは大きく笑う。
その反応は、もはや慣れたものだった。料理が好きだと言うと、皆がだいたい同じ反応をするのですもの。
「でもそのお陰で、僕達も良い思いをさせてもらえているからね。お嬢さんに感謝感謝だよ」
ドゥエスダンさんは、穏やかな笑みでそう言った。その言葉を聞きながら、私はふと荷台の外に視線を向ける。赤く染まる空。その光を反射する川。そして焚き火の準備を始める人々。
私はその光景を見ながら立ち上がると、差し出されたドゥエスダンさんとアブラームさんの手を取って静かに荷台を降りた。
◇
さて——今日はどんな一皿に仕上げましょうか。
そう考えながら荷台の外に出ると、御者さんたちがちょうど野営の準備を始めているところだった。馬は繋がれ、焚き火のための薪が積まれ、旅慣れた手つきで小さな野営地が形作られていく。
この一ヶ月で分かったことだが、彼らの動きは驚くほど無駄がない。怪我の事もあり、現役で戦場に出る騎士ほどではないにせよ、長距離移動を続ける者たちの手際というものは、やはり洗練されているのですわね。
私はそんな事を考えながら、簡易の調理台として使っている木箱の上に食材を並べた。
今日の主役は、エスカルダで仕入れた川魚。体長は手のひらより少し大きい程度、脂の乗り方を見る限り、おそらくこの川でよく獲れる種類でしょう。
鱗はすでに落としてあるが、もう一度軽く流水で洗い、腹の中まで丁寧に確認する。野外料理ではこういう確認が重要ですわね。小骨や血合いが残っていると、せっかくの味が濁ってしまう。
血合いを除去し終えたら次はおろしの作業。まずは頭をカマの一から切り落とす。これはスープの出汁兼、具材として使いましょうか。
次に腹側を中骨に当たるまで切込みを入れて、背中側も同じように刃を入れていく。最後に尻尾の付け根を切ったら、包丁を中骨に沿わせながら半身を剥がす。裏面も同じにやれば三枚おろしの完成ですわ。
皮は焚き火で焼くので焦げさえ気をつければ、付けたままでいいでしょう。
「少しだけ手こずってしまいましたわね……はあ、腕が落ちましたわ」
「お、もう始めるのか?」
落ち込む私の横から薪を抱えたアブラームさんが、興味深そうに覗き込んできたので軽く頷いた。
「ええ。魚は火を入れるまでの準備が肝心ですもの」
そう言いながら、塩を指先でつまみ、魚の表面に均等に振っていく。塩は単なる味付けではない。余計な水分を引き出し、臭みを抑え、旨味を際立たせるもの。
さて塩を振った魚を少し休ませている間に、もう一つの料理に取りかかるとしましょう。
私は昨日採取した野草を束ね、葉の固さを確かめながら選別していく。このあたりの野草は、少し苦味が強い。けれど動物性の油……川魚の頭とカマを合わせれば、その苦味は良いアクセントになるはず。
私はこのアサファウという植物種の油を小鍋に少量の入れ、川魚の頭とカマを色づくまで炒める。
今回使っている種油は、移動中に見つけたアサファウの群生地で採取した種を、荷台で永遠潰して出来た貴重な代物。これは【美食啓示】のものではなく、料理長直伝の知識である。
まさかこのような場で役に立つとは、当時は思ってもいませんでした。本当に料理長には頭が上がりませんわ。
「それはスープか?」
香りが立ってきたところで、水を鍋に加えていると、ドゥエスダンさんが鍋を覗き込みながら尋ねてくる。
「ええ、簡単なものですが」
携帯用の小袋から、乾燥させた香味野菜の欠片を少しだけ加える。これも移動中に私が作っておいたものだ。これももちろん料理長の入れ知恵ですわ。
長時間煮込む余裕はないが、これだけでも十分に香りは立つ。最後に野草を加えて少量の塩で味を整える。それだけで、野草と川魚のスープが完成ですわ。
野営では、複雑な料理は難しい。火力も不安定で鍋も多くは使えるスペースが限られている。だからこそ、主役を一つ決めて、他はそれを引き立てる構成にする。
今回のメインは魚のソテー。それを邪魔しない軽いスープと、保存食のパン。これだけでも十分な食事になりますわ。
そうしているうちに、空いた焚き火の火力が安定してきたところで、私は鉄のフライパンを火にかけ、油を温める。
油がほんのりと揺れ始めたところで、魚を皮目から静かに置いた。
――ジュッ。
心地よい音が夜の空気に広がる。途端に香ばしい匂いが立ち上がり、周囲で作業していた人たちが一斉にこちらを見る。
「うわ、いい匂い……」
誰かが呟くのと同時に、私は少しだけ口元を緩めた。
料理というものは、味の前に必ず香りがある。匂いだけでも品を想像し心躍らせる。それも料理の力だと私は思いますわ。
魚の皮が黄金色に焼けていくのを確認しながら、私はフライパンを少し傾ける。溶け出した脂と油をスプーンですくい、上から何度もかけていく。
こうすることで火が均一に入り、身がふっくらと仕上がる。厨房で料理長が何度も見せてくれた技術だ。当時の私は、ただ真似をするのに必死でしたわね。
けれど今なら、その意味も分かる。料理とは、ほんの小さな積み重ねの結果。
火加減、塩加減、油の量。その一つでも疎かにすれば、味は簡単に崩れてしまう。だから私は、決して妥協しない。
やがて両面が美しい焼き色を帯びたところで、魚を皿代わりの木板に取り上げた。
仕上げにスープに入れず寄せておいた野草を少し添える。
そして横に温かいスープとパン。
それだけの、簡素な食事。
「……さあ、出来ましたわ」
私がそう告げると、周囲から小さなどよめきが起こった。今回の料理は決して豪華な物ではない。
それでも、焚き火の灯りの中で湯気を立てる皿は、保存食ばかりの旅路では十分すぎるほど魅力的に見えるらしい。アブラームさんなど、もう完全に目が輝いて少年のようですわ。
私は小さく息を吐いた。
「――皆様、頂きましょうか」
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