第4話 要らぬ心配、不要の別れ言葉。
「お嬢さん。そろそろ時間じゃよ。馬車に乗るんだ」
「わかりましたわ」
鉄扉の向こうからしゃがれた声が聞こえてくる。この声は先日、地下牢で料理会にも参加していた、看守のポーロ•フォーレさんですわね。
「随分と大変なことになってしまったようだね。さあ、後ろを向いて腕をこちらに出してくれるかの」
「ええ」
ポーロさんは私が壁側に体を向けたのを確認すると、静かに扉を開けて牢屋の中へ入ってくる。そして私は振りかぶるように後ろへ腕を出すと、ポーロさんは手慣れた手つきで金属製の手枷を外した。
「あら、外してよろしいのですか?」
「これからしばらくの間、馬車の荷台に居続けることになるからの。手枷なんて付けていたら、擦れてできた傷口が膿んでしまう」
そう言いながらハニカムような笑みを浮かべるポーロさんが、手枷をクルクルと回して遊んでいる。
今でこそ、まるで孫を相手するかのように物腰柔らかな対応をするポーロさんだが、一昔前までは誰もが恐れる鬼看守として有名だったらしい。私が断罪された直後、お父様とお会いする機会が一度だけあった。その時にポーロと言う男にだけは気をつけろと、普段は口出ししない主義のお父様が忠告するほどである。
実際、マーカスに従わないような凶悪犯でさえ、ポーロさんが一言注意するだけで黙ってしまう現場を幾度となく見ている。
「お嬢さん。これが最後かもしれないからね。一つだけ聞かせてほしいことがある」
「ポーロさんから聞きたいことだなんて珍しいですわね。いったい何でしょう?」
職務中は決して私語を口にしないポーロさんが、私を馬車につれていく道中に語りかけてきた。
「ワシは君が殿下を狙ったとは到底思えないのじゃよ。本当にお嬢さんが犯人ではないんだね?」
「ええ、私は殿下に危害を加えようなどと、その様なことは人生で一度もありませんわ」
私の発言に耳を傾けていたポーロさんが、その場に立ち止まりこちらを振り返る。その表情はやはり寂しそうで、でもどこか安心したようなものであった。
「女神様に誓えるかい?」
「……誓いますわ」
ポーロさんは私の誓いの言葉を聞いて小さく『そうか』とだけ呟くと、ポケットから一つのアクセサリーを取り出して私に手渡してくる。
「これは……」
「女神ルミナスの聖印だよ」
私の手に置かれたのは、女神教のシンボルが施された銀製の御守り。しかしただのでは御守りでは無い。
聖印とは正式な洗礼の儀を経て、女神の祝福を受けたと認定された品々。ただ儀式を経ただけでは聖印とは呼ばれず、厳しいチェックの末に間違いなく祝福が施されていることが確認できた物のみつく称号だ。
ちなみに祝福が付かないものは"聖光のタリスマン"と呼ばれている。
「こんな貴重なもの頂けませんわ!」
私の言葉を無視して歩き出すポーロさん。私は急いで近づいてポーロさんに返そうとするが、その手を優しく払い除けられてしまう。
聖印は上位の聖職者に渡されるもの。それこそ聖光派閥の貴族、あるいは最低でも教会の司祭クラスでなければ本来は受け取れない。
そういえば王国の法には監獄に必ず一人は、女神教の上位聖職者を置くように定められているはず。しかし私は一度も聖職者を見たことがない。それが意味するのはただ一つ
「ポーロさん。貴方がここの司祭様だったのですね」
「そうじゃの。だからこれを渡す事に何の問題もない」
ポーロさんはさも当然という態度を取っているが、問題がないわけがない。確かに聖印自体は司祭になるためのライセンスではない。しかし聖印は司祭だと証明する証ではある。それを譲渡するということは、もはや自分は女神教の司祭ではないと言っているのと同義である。そして聖光派閥という女神教を主軸にした貴族グループがあるこの王都内でそれは、女神に楯突く行為受け取られても仕方のない蛮行でもあった。
「それがないと司祭として……」
「いいんじゃよ。もうすぐワシは引退する老いぼれ、それも口にするのも憚られる様な事をしておった鬼畜。本来は司祭を名乗るのもおこがましい男よ」
思いにふけるポーロさん。その顔は先ほどまでよりもさらに深く、とても暗い感情が滲み出している。それを彼が口にはしないのは、これまで行ってきたことへの負い目を感じているからか。
でもそれを私から聞くことはない。彼が気遣って私の名を決して呼ばず、ただ一人の罪人として扱うように、私は私の知るポーロさんという優しい老看守として接する。
それが礼儀ってものですわよね。
「私のお父様からも忠告されていましたが、まさか司祭様だったとは……」
私の言葉にポーロさんは感心したように頭大きく縦に振ると、私を宥めるような口調で語りだした。
「ああ、やはりベルフォール卿は知っておいででしたか……。なーに、お嬢さんの様な清廉潔白の方が知るようなことではありませぬ。ただそんなワシにも、平等に接してくださった方々が居ての。それが今代の女神教の司教様。そして殿下じゃった」
彼が何者なのかはわからない。でも殿下ならきっと彼が何者であろうと対等に接してくれると、現場を見ていない私でも確信できた。
昔からそうだ。殿下は下々の者にも対等に接する。良きものは良いと、悪しきものは悪いと断言する。私と初めて合った時も、他の王子達は蔑むような目で私を見ていた。だが殿下だけは違った。可憐だと、美しいと、幼い私ですら赤面してしまう程の手八丁口八丁。
「だから最初にお嬢さんの罪状を聞いたとき、昔のような悍ましい気分が湧き上がってきた。そして同時に、そんな感情を抱く相手が何者なのかと興味も湧いた」
自分で穢れたというほどの闇を抱えた彼が、殿下のある意味で善性の光に照らされた事で救われた。そんな存在を毒殺しようとした不届き者が目の前に現れたのだから、そう思うのも無理はない事ですわね。
「ああ、だから休憩中に私に会いに来てくださったのですね」
「それもあるが、そこに関しては個人的なモノもあったの。話を戻すが、最初にお嬢さんを見たときワシは驚愕した」
「それはなぜですの?」
「お嬢さんは御父上であるフェリックス•ド•ベルフォール様にそっくりじゃったからだ」
お父様に似ている? 初めて言われた事に私は一瞬だけ呆気にとられてしまう。
「お母様方に似ているとは言われますが、お父様に似ているとは言われたのは初めてですわ。それにお父様と面識が?」
私の問いかけに昔を懐かしむ様な表情を浮かべるポーロさん。
正直、お父様は少し……いえ、かなり表情筋が死んでいる方ですから、色んな方々に怖がられたり勘違いされたりしている。しかしポーロさんの表情を見るに、二人の出会い自体は悪いものではないようですわね。
「ええ、長い事この職に付いていると、色んなお貴族様をお見掛けする機会もある。普段なら遠目で見ている程度で特に何も思うことはないのですが、その中で一際存在感のある方がおったのじゃ」
「それがお父様だったと」
そもそも監獄があるのは王城の敷地内、よく考えてみれば王都に出向く頻度が多いお父様の事を知っていても不思議ではない。
「ええ、遠目で見ただけで顔をしっかり見ることはできなかった。じゃがその目だけは、今もなおハッキリと覚えておる。その目とお嬢さんの目が瓜二つだったんじゃったよ」
目が瓜二つと言われても、自分自身ではにていると思ったことは一度もない。それとも自分では表情を作れているつもりでも、周りから見るとお父様の様な仏頂面をしていたのかしら。もしそうだとしたら少し……かなり自信がなくなりますわ。
そんな一人で落ち込む私を他所に、ポーロさんは話を続ける。
「顔は覚えておらずとも、その人物が誰かはすぐに分かった。ベルフォール家は王国貴族の中でも特に力に強い。そんな方の娘が殿下と婚約なさると聞いたのはそれから数日後の事じゃった」
「……思い返してみると、国王陛下に用があるからと留守にしていた時期がありますわね。確かにその数日後に殿下から婚約の申込みが来ましたわ」
あれは学園に入学すると決めたすぐの事だった。当時はお父様の仕事柄、王都へ出向くことに何も思わなかった。だが殿下の告白や私と同じ学園への入学をすると言ってきたことも、今思うとお父様が仕組んだことなのではないかと勘ぐってしまう。
というより確定ですわよね。あの日、何故かお母様が祝いの料理を振る舞ってくださいましたし……。それらの事柄を当時は不思議に思っていたが、知っていたのなら全て辻褄が合う。
「やはりそうじゃったか。投獄された当時はまだ箝口令を惹かれていたからの、お嬢さんが誰かは知りもしなかった。じゃがその目を見て、あのとき見たベルフォール卿の娘だと……つまり殿下の婚約者である者だと確信した」
「ではなぜ私に優しくしてくださったのですか?」
「優しくしておったかの……」
「……ええ、少なくとも他の囚人たちよりは」
私が疑問に思ったことを口に出すと、本気でわからないというふうに首を傾げる。彼の口ぶりからも、無意識で私に優しくしていたということでしょうか……?
「それは完全に無意識じゃったの。いや、もしかしたらお嬢さんと接する中で、どこか情が湧いてしまったのかもしれませぬ」
「てっきりポーロさんは、相手に情を持たぬ方だとばかり……あっ、これは失礼」
つい口から出てしまった言葉に「しまった」と後悔してしまう。だが言ってしまったのはしょうがない。ここは素直に謝るべきでしょう。私は恐る恐るポーロさんの顔色を伺う。だが私の予想と反して、普段よりも穏やかな表情を浮かべているポーロさん。
それどころか私が失言したことを気遣わせないように、すぐさまフォローすら入れてくれた。
「ほほっ、気にせんでも良い。確かに昔はそうじゃったが、ワシもずいぶん耄碌してしまったようじゃ。穢れたワシにとって心の支えであった殿下。それに仇なすお嬢さんを慈しんででしまうほどにの」
「……私ではありませんでしたが」
「そうじゃったの。例えこの場しのぎの嘘をつこうとも、女神様の前で誓った以上は必ず天罰が降る。もちろん先ほどの誓いが真であるとワシは信じておるよ」
そう言うと私の手を聖印ごと軽く包みこむ様に握った。これはれっきとした礼拝の仕方。
『信徒が他者の手を握るのは、尊き想いがその手からこぼれ落ちない様に慈しむ時である』
いつしか習った経典の一節。これはそこから来る祈りの所作。もっとも尊い者への祈り。ポーロさんにとってのそれはなんなのか。
「ふふっ、それは女神様に誓ったからですか? それとも殿下がそうしろと仰ったからですか」
「気づいておられたのですか?」
「ええ、今日だけでどれだけ殿下の寵愛を感じたことか……。どうかポーロさんからも、職務に対する心得を解いて差し上げてくださいませんこと?」
いったい殿下はどれだけ根回しをしているのか。一年と少しの投獄期間。王子殺害未遂にしてはあまりにも長い処刑までの日数。きっとこれも殿下が引き伸ばした結果なのでしょう。
「ほほっ、安心なされよ。殿下はああ見えて人には厳しい御方。そして自身はそれ以上に……」
そこまで言うとポーロさんは黙り込んでしまう。
わかっていますわ。殿下は自分よりも他者を慈しむ。それ故に自分の事を蔑ろにして倒れてしまうことさえあった。だからこそ、学園を離れた彼を支えるものが一人でも増えて欲しい。ポーロさんなら……私と同じ志の彼ならきっと、殿下にも良い影響を与えてくれるとそう信じている。
「お嬢さん。最後に貴方と話せてよかった。どうかお達者で」
私はちょうど到着した馬車の荷台に足をかけようとしたが、一度ポーロさんの方に向き直る。
「最後だなんて不吉ですわ……。ですが私もお話できて良かったです。どうかお体にはお気をつけて……と言うまでもありませんわね」
そうして馬車に乗り込んで今度こそ出発を待つのみと思っていると、ポーロさんが中を覗き込みこんで奥の方を指さす。その先には見覚えのあるボロ布で覆いかぶさった荷物の山があった。
「ああ、そうでした。一つ伝え忘れておった。荷台にもう使わなくなった調理器具を積んでおいた。ご自由にお使いくだされ」
荷物の山に近づき布を剥ぐと、下には先日使った鍋に刃物類、砥石や木のまな板。そしてホコリまみれで使えなかった鉄フライパンが入っていた。
「ちゃんと油を馴染ませてある……。ポーロさん、ありがとうございます!」
「今日一の喜び様じゃの……やったのはマルコじゃよ」
マルコさんが? 私はふと彼の顔を思い浮かべる。マルコさんも先日の食事会でいらっしゃった看守の一人。軽口を叩いていた若い方で、普段も小言をよく頂くのでてっきり、私は嫌われてるものだと思ってましたが……。
「ではマルコさんに礼を伝えておいてくださいますか? この御恩は一生忘れませんと。もちろん、ポーロさんやマーカスさん。他の皆様にもですわ」
「うむ。しっかり伝えておく」
そこまで言うと馬車が少しずつ動き出した。どうやら今度こそ本当に出発らしい。
「それでは、行ってまいりますわ」
先頭から馬の鳴き声が響く。しばらくして私は少しずつ遠ざかる王都の景色をただじっと眺めていた。
私のこれまでが次第次第に見えなくなっていく。森へ、山へ、丘へ、どんどん私の知っている世界が少なくなって行く。だと言うのに先日まで胸の中を支配していた筈の恐怖を全く感じないのはなぜでしょう。
「……こんなに世界は広かったのですわね」
私はゆっくり流れる雄大な自然の景色に想いを馳せながら、馬車内の食材で出来る今後の献立を考えるのだった。
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