第35話 見つめ直す事の難しさ
襲撃事件の翌朝、教会にはこれまでにないほど張り詰めた空気が流れていた。礼拝堂の入り口には二人の騎士が立ち、裏口にも見張りが配置されている。子供たちはシスターの計らいで裏庭に連れて行かれ、教会の中は不自然なまでに静かだった。
私はシスターに伴われ、領主邸へと向かっていた。手の傷はダガーさんの治癒魔法で塞がっていたが、まだかすかな痺れが残っていて、ときおり指先が自分のものではないような感覚に襲われる。それでも歩けるだけの体力はあり、何より——このまま教会で休んでいるよりも、早く状況を整理したかった。
「クラリスさん、無理はなさらないでくださいね」
「ええ、大丈夫ですわ。それよりシスター、領主様はもうご存じなのですか」
「昨晩のうちに神父様が使いを出されました。詳細はこれから直接、私たちの口から報告することになります」
領主邸に着くと、門の前にはセリーヌさんが立っていた。彼女は私たちの姿を認めると、いつもより幾分か早足で近づいてくる。
「お待ちしておりました、クラリス様、エトワール様。領主様が応接室でお待ちでございます。本日は騎士団長も同席されております」
「あら、騎士団長もですか。珍しいですね」
「はい。領主様のご判断で、今回は事が事ですので」
騎士団長——その言葉に、私はセリーヌさんに聞こえないよう、そっとシスターに耳打ちした。
「シスター、私、騎士団長とはまだお会いしたことがなかったと思いますの。どのような方なのですか」
「騎士団長のヴァルター様は、かつて王国の聖騎士団に所属しておられた方です。今はこの街の騎士団をまとめておられます。領主様からの信頼も厚く、実直で剛直な方ですよ」
「ヴァルター様……聖騎士団出身でいらっしゃるのですか」
「ええ。ですから聖光派の刻印についても、見識をお持ちのはずです」
聖騎士団出身の騎士団長——それはつまり、聖光派の内情にも通じている可能性が高い。領主様が彼を同席させた理由が、少しだけ見えた気がした。
セリーヌさんに案内されて応接室に入ると、そこには領主様をはじめ、厳めしい面持ちの壮年の男性、そして——レオン様の姿もあった。レオン様は本来このような場に呼ばれる立場ではないはずだが、私と視線が合うと「俺が無理に頼み込んだ」とばかりに軽く肩をすくめて見せる。
そういえば、この街に来て間もない頃、私は領主様にこう進言したことがある。「レオン様だけは、何があっても手放しで信用できる方です」と。あのときの言葉を、領主様はちゃんと覚えていてくださったのだろう。
「クラリス嬢、シスターエトワール。まずは無事で何よりだ。手の怪我は大丈夫かね」
「はい、おかげさまで。それより領主様、昨晩の件でご報告が——」
「うむ、神父から大筋は聞いている。聖光派の聖騎士の刻印を持った者たちが、君を拉致しようとしたということだな。ああ、そうだ。紹介しよう。こちらは騎士団長のヴァルターだ。君とは初めてだったな」
領主様に促され、壮年の男性が軽く頭を下げた。がっしりとした体格で、短く刈り込まれた髪には白いものが混じっている。その目は厳しさの中にもどこか落ち着きがあって、長年騎士を務めてきた者の風格が漂っていた。
「ヴァルターと申します。以後お見知りおきを、クラリス嬢」
「クラリッサでございます。よろしくお願いいたしますわ、ヴァルター様」
私はスカートの裾を摘まみ、公爵家の令嬢として培った礼を尽くした。ヴァルター様は一瞬だけ目を見開き、それから領主様に視線を送る。領主様が微かに頷いたのを見て、彼もまた私の素性を知る一人なのだと悟った。
領主様の声は静かだったが、その目は鋭く細められていた。私は昨晩の出来事を順を追って説明する。冷暗室に隠れたこと、包丁で応戦したこと、包帯の男——ジャン——が仲間を射殺して逃走したこと、そしてリーダー格の遺体から聖光派のメダリオンが見つかったこと。
「なるほどな……。たしかにこれは聖光派のものだな」
話を聞き終えた領主様は、しばらく腕を組んで考え込んでいた。やがて顔を上げ、ヴァルター様に視線を向ける。
「ヴァルター、君はどう思う」
「正直に申し上げますと、不可解としか言いようがありませんね。聖光派の聖騎士がわざわざ、こんな辺境で拉致騒ぎを起こすとは考えにくい。よりにもよって教会になどと。それに——」
「それに?」
「第三王子テオドール様が、仮に何か裏で動いているとしても、こんなに露骨に自分の手の者だとわかる証拠を残すでしょうか」
ヴァルター様の言葉を聞きながら、私の中で昨晩からくすぶり続けていた違和感が頭から離れない。
——そうだ、あまりにも露骨なのだ。まるで舞台の上で、各自の役割を演じさせられているかのように。
「つまり、この刻印はフェイクかもしれないと?」
「そこまでは何とも……。ただ少なくとも、テオドール様本人の指示とは考えにくいと考えます。会合の護衛の際に何度かお目にかかったことがありますが、とても聡明な方だと記憶しています」
「そうか。お前はもともと聖騎士団所属だったか」
領主様はそこで言葉を切り、窓の外に目をやった。応接室に重い沈黙が下りる。皆が同じ違和感を共有しながらも、その正体を掴めずにいる——そんな空気だった。
私は頭の中で、昨晩の光景をもう一度なぞる。リーダー格の命令も、ジャンと呼ばれた男の反応も、そしてリーダー格に向けられた最後の一撃も。すべてが誰かの手で筋書きされた芝居のように感じられたのはなぜか。そして——あの刻印。邪魔者を排除したいだけなら、私を殺せば済む話だ。なのに、わざわざ生け捕ろうとし、しかも身元を示す証拠を現場に残した。
「……まるで、見せつけるための襲撃ですね」
私がぽつりと呟くと、レオン様が眉を上げた。
「見せつける?」
「ええ。殺さず、刻印を残し、拉致を試みる——これでは聖光派が犯人だと叫んでいるようなものです。これが本当にテオドール様の命令なら、もう少し賢いやり方があるはず。誰かが、わざとテオドール様に罪を着せようとしている。あるいは——」
「あるいは?」
「テオドール様ご自身が、誰かに操られているか、でしょうか」
応接室の空気が、再び張り詰めた。ヴァルター様が眉をひそめ、レオン様が腕を組み直す。シスターは静かに目を閉じ、セリーヌさんは相変わらず無表情のまま——しかしその視線は、確かに私に向けられていた。
「……話がそれますが一つ。領主様にお尋ねしたいことがございます」
「ふむ、なんだね?」
「領主様は——やはり、私の正体をご存じなのですね」
領主様の目が、ほんのわずかに見開かれた。シスターは表情を変えず、レオン様だけが「なにがなんだかわからん」という顔をしている。
「これまでも、恐らく気づいていらっしゃるのだろうとは思っておりました。けれど、なぜそれを指摘なさらないのか——それがずっと不思議でした。今回の話し合いで、領主様はまるで私が誰であるかを当然のこととして話されている」
領主様はしばらく私を見つめ、それからゆっくりと笑った。それは今まで見せたどの笑みよりも、深くて静かなものだった。
「もしや、領主様も殿下に―――」
「それは違うよ、クラリス嬢。いや——クラリッサ・ド・ベルフォール。私は殿下の頼みで君に協力しているのではない」
「では、どなたの——」
「それは、君の父君だ」
私の呼吸が、一瞬止まった。
「お父様、の……?」
「ああ。私はずっと、君の父君——アルフォンス・ベルフォール公爵の盟友として動いてきた。君をこの街に迎え入れたのも、殿下からの依頼があったからではない。君の父君が、私に直接頼んできたのだ」
領主様の声は穏やかで、それでいてどこか遠くを見ているようだった。お父様が——あの、寡黙で冷静沈着で、決して感情を表に出さなかったお父様が、私のために動いていた?
「驚くのも無理はない。君の知っている父君は、おそらく私の知っている昔の彼とはだいぶ違うのだろうからな」
「……領主様は、お父様とどのようなご関係で」
「そうだな——君の母親、エレオノーラを巡って争った、恋敵といったところか」
エレオノーラ。その名を聞いた瞬間、胸の奥がかっと熱くなった。物心つく前に亡くなった、肖像画でしか知らない母の名を、領主様はあまりにも当然のように口にしたのだ。
「エレオノーラは、それはもう美しい女性でね。私もアルフォンスも、若い頃は必死になって口説いたものだ。そしてなんども振られては、やれお前が悪いだの何だのと喧嘩もした。今思うと、全く持ってくだらない内容だった」
そう語る領主様は懐かしむように、顎をさすっている。
「……喧嘩、ですか。あのお父様が」
「ああ。今の彼からは想像もできないだろうが、昔のアルフォンスは絵に描いたような悪ガキでね、頭は切れるが口が悪くて、負けず嫌いで、面白いことには目がなかった」
領主様は懐かしそうに目を細め、窓の外を眺めた。その横顔には、嘘偽りのない郷愁が浮かんでいる。私の知っているお父様は、笑わない人だった。なのに、領主様の話の中のお父様は——まるで別人のように生き生きとしている。
「対する私は、いわゆる生真面目な男でね。周りからは『よくあんな奴と組めるな』と言われたものだ。でも——不思議なもので、全く違う者同士だからこそ影響を受け合って、互いに今の自分たちを形作ったのだと思う」
「……ですが、母は父を選んだ」
「ああ、私は負けた。エレオノーラがアルフォンスを選んだときは、そりゃあ悔しかったが——同時に、当然だとも思ったよ。彼女にふさわしいのは、誰よりも彼女を愛する彼なのだとね」
「でも、それならどうして父のためにここまで。憎いはずの相手の娘を——」
「はははっ、何を言うんだ。君や君の父君を恨んだことなど一度もない」
領主様は私の言葉を遮り、優しく微笑んだ。その笑みには、打算も、同情も、後ろめたさも感じられない。
「確かに私は失恋した。だが、若かった我々の喧嘩など、所詮は子供の言い合い程度のものだ。それに奴がエレオノーラと結婚してからは、立場や領地の関係で合う機会も減ってしまった。それでも、彼は私の生涯で唯一の親友だと言い切れる」
「ですが、領主様の言うお父様の姿と、私の知るお父様の姿が一致しないのですが……」
「……奴はエレオノーラが亡くなってから、人が変わったってしまった。かつての表情豊かな男は、感情を一切表に出さない冷酷な姿に変わってしまった。だが——たまに会う彼を見ていると、本質は変わっていないように感じるのだ」
「本質は……?」
「昔と変わらず悪知恵が働き、面白いものには目がなく、そして何よりも——家族を愛している」
「家族を、愛している……ですか」
その言葉が、するりと胸の奥に入り込んでくる。でも私は——知らなかった。母は私が生まれて間もなく亡くなり、その姿は肖像画でしか知らない。愛も何も、記憶にさえない。だからこそ学園に行くまでは、父のような冷酷そうな仮面を被って、公爵令嬢として振る舞ってきた。それが当然だと思っていた。
「君がこの街に来られたことも、牢獄を脱出できたことも、レオポルド・シャテニエという——王家や貴族を誰よりも嫌っていたあの男が、君の身代わりになることを受け入れたのも、よく考えてみるといい」
領主様の声が、静かに応接室に響く。
「まだ若く、人脈も限られている殿下だけの力で、これだけのことを成し遂げられると思うかね」
私は言葉を失った。殿下が助けてくれた。それは事実だ。でも、領主様の言うとおり殿下一人でできることには限界がある。第一王子といえど、国の法を破らせるほどの力は彼にはない。であるならば後ろ盾があることは当然とも言える。
「たしかに、なぜ私はそんな事に気が付かなかったのでしょうか……」
「混乱もあるだろう。だが一番の要因は―――君が自分自身を信じなかったことだ」
「私は、家族からの愛を知らない。そう、思っていました」
気がつくと、声が震えていた。視界が滲む。今までずっと、怖い存在でしかなかったお父様の印象が、音を立てて崩れていく。
私はお父様を憎んでいた。殿下に愛され、ソフィアに出会い、心を許せる物が増えていくにつれ、その憎しみは日に日に形を帯びていった。でもそれは単なる―――
「ねえ、シスター。私は——すべて間違っていたのですか」
自然と涙がこぼれる。私は私を愛してくれた唯一の肉親から目を背き続け、あまつさえ私を愛してないと決めつけてきた。
「クラリスさん」
レオン様が慌ててハンカチを差し出し、シスターがそっと私の肩を抱いた。彼女は私の頭を優しく撫でながら、静かに語りかける。
「貴方の行いは、決して誤ったことではありません。ただ、少し勘違いをされていただけです。ならば、これからちゃんと見ればよいのです。貴方を愛する者たちのことを——そして、貴方自身のことも」
「……シスター」
「私たちは、貴方の行いを見てきました。教会の仕事も、戦闘糧食の試作も、ダガーさんにしてきたことも——すべて、貴方の意思で為されたことです。それは誰かの望執などではなく、貴方自身の、純粋な想いから生まれたものなのですよ」
シスターの手が、まるで母親のようにあたたかかった。レオン様は気まずそうにハンカチを握らせてくれ、領主様は満足そうに紅茶を啜っている。ヴァルター様はこういう空気に慣れていないのか、セリーヌさんに助けを求めるような目を向けていたが、セリーヌさんは無表情のまま微かに肩をすくめるだけだった。
しばらくして、ようやく涙が落ち着いた私は、深く息を吐いて顔を上げた。
「……申し訳ありません、とり乱しました」
「構わんよ。むしろ、君がそうやって自分と向き合えたことを嬉しく思う。やはりクラリス嬢は奴に似ている。エレオノーラにもな」
「お父様とお母様に、ですか。そうですか」
領主様の言葉に、私は静かに頷く。そして、少しずつ頭の中を整理しながら、ゆっくりと口を開いた。
「私がこうして無事でいられたのは、殿下だけでなく——お父様や、ここにいる皆様が裏で手を引いてくださったからなのですね。それを、私は見ないふりをしていた」
誰も否定しなかった。皆、ただ静かに私を見つめている。レオン様とヴァルター様は本来この件には関わりのない部外者だが、空気を読んで黙っていてくれている——
私は立ち上がり涙を拭うと、深く頭を下げた。
「まずは——これまでの非礼を謝罪いたしますわ。そして、これまで私を支えてくださったこと、心より感謝申し上げます。それから——」
顔を上げ、まっすぐに領主様の目を見据える。
「今後の手助けを、改めてお願いいたしたく存じます。今回の事件は、きっと私一人では解決できません。それに——私はずっと、自分がこの騒動に巻き込まれた被害者だと思い込んでいましたが、それも違うのかもしれません」
「ほう。聞かせてみろ」
「自分の行いを客観視できていなかったことから考えると——この事件の原因も、もしかしたら私自身にあるのではないかと思うのです。かつて学園で、親友が言っていました。『火のないところに煙は立たない』と」
私は拳を強く握りしめ、声に力を込める。
「自分が火中にいるのにそれを見ないふりなど、この国を救うと殿下に約束した者に許されることではありません。自分のあり方、置かれた状況を正しく認識できなくて、何が守れるというのでしょう」
領主様は紅茶のカップを置き、じっと私を見つめている。シスターは微かに頷き、レオン様は腕を組んだまま「あんたらしいな」とでも言いたげな顔で笑っている。
「必ずこの事件を解決して、私の冤罪を晴らして見せます。誰であろうと、私を利用して誰かが傷つくのを見たくはない——結局のところ、それが私の一番大切にしていたことなのですから」
領主様はしばらく私を見つめ、それからゆっくりと笑みを浮かべた。
「よかろう。君がそこまで言うなら、この老骨も本気を出すとしよう……アイツにも馬鹿にされかねんしな」
「……老骨、でございますか」
「ははは、まだまだ若い者には負けんということだ」
領主様の笑みが静かに収まるのを待ってから、私はあえて一拍を置いた。指先の痺れはまだ残っているが、それで言葉が揺らぐことはない。
「では、改めてお願いいたします。テオドール様の背後にいる者の正体を——先程言いましたよね。殿下一人ではやれることには限度があると、それはテオドール様も同じなのではありませんか?」
「なるほどな。わかった、調査はこちらで引き受けよう。それから? 他にもあるのだろう」
「はい。レオン様には、街の周辺で不審な動きがないか引き続き見張っていただきたく存じます」
「了解。怪しい奴がいたらすぐに連絡する」
「捕虜に関しては……そうですね。下っ端の者が詳しい情報を知っているとは思えませんが、リーダー格の男やジャンと呼ばれていた男については、何か知っていることがあるかもしれません。ヴァルター様、お願いできますでしょうか?」
「ああ、心得た。聖光派の名を騙っていただけなのか、それとも本当に末端だけでも聖光派の人間だったのか——まずは、そのあたりを重点的に問い詰めてみよう」
私は一つひとつに短く頷きを返しながら、頭の片隅で静かに誓っていた。もう、誰かのせいにして生きるのはやめる。これは私の人生で、私の問題だ。助けは求める。だが、主導権は決して手放さない。
お父様曰く『たとえ仲間であろうと主導権は握らせるな』ですわ。そこで領主様がこちらを見てニヤニヤと笑っているのが目に入る。
「あの、何か?」
「なに、良い傾向だと思っただけだ」
領主様が、ソファの背にもたれながら静かに笑った。
「当事者が自分自身を正しく認識できなければ、問題の本質など見えては来ない。クラリッサ嬢はようやく自分と向き合い、その上で次に進むことを選んだ。その決断を、私は支持するよ」
「ふふ、ありがとうございます。領主さ―――」
「ヘクタールだ。私の事はヘクタールと呼べ」
領主様は私の前に手の平を向けて静止する。
「そ、そうですか? ではヘクタール様。これからご迷惑をおかけすると思いますが、どうぞよろしくお願いいたしますわ」
「そういう妙に律儀なところは、エレオノーラにそっくりだな」
「あの、ヘクタール様。もしよろしければ、お母様についてお話をお聞かせ願えないでしょうか?」
「ふむ、構わんよ。まずエレオノーラとアルフォンスとの出会いは―――」
ヘクタール様が語る私の知らないお父様とお母様の姿。私は思い馳せる。窓の外では、朝の陽がようやく街を包み始めている。長い夜が明け、新しい一日が始まろうとしていた。
面白かったら感想、評価していただけると、今後の作品制作の励みになります!!




