第28話 完成間近
数日にわたる試作と調整を経て、行軍粥の原型はようやく形になりつつあった。私は領主様への報告を終え、安堵と手応えの入り混じった気持ちで調理場の扉をくぐる。湯気と香辛料の匂いに包まれた空気が、いつも通り私を迎えてくれた。
「おう、クラリス。領主様はなんとおっしゃってた」
料理長が鍋をかき混ぜる手を止めて、振り返る。
「袋式と箱式、両方で進める許可をいただきましたわ。ジパング様にも改良のご依頼を出してくださるそうです」
「そいつは心強いな。面白くなってきやがった」
調理台の上には、今朝挽いたばかりの岩麦が山と積まれている。昨日までの試作で最も手応えのあった中挽きの粒が、今回はたっぷりと用意されていた。私は指ですくい上げ、粒の感触を確かめる。表面は粉をまとってざらりとしているのに、粒そのものはつるりとしていて、光にかざすと灰がかった茶色の中に、かすかにきらめくものが見えた。鼻を近づけると、日向の藁を思わせるあたたかな香りがした。
「料理長、今日は中挽きだけをさらに詰めるのですか」
「おう。粒度の目処は立った。あとは味だ。この前は陽茸と青翠葉だけだったが、もう少し味に奥行きが欲しい。お前さんの話じゃ、痺椒葉ってのが使えるんだろうが」
「ええ。アブラームさんが教えてくださったのですけれど、遠征先で冷え込む夜に、これを焚き火で炙って粥に揉み込むのだそうです。生の葉をそのまま噛むと舌が痺れるほど辛いのですが、乾燥させて粉末にすると刺激が和らいで、鼻に抜ける辛みだけが残りますの」
「へえ、そいつは面白え。ちょっと見せてみろ」
私は持参した小袋から、乾燥させた痺椒葉の粉末を取り出した。深い緑色の粉が、ほんのひとつまみでつんとくる辛みを放つ。料理長は粉を指先でつまみ、匂いを嗅いでから、ぺろりと舐めた。
「……おっ、こいつはなかなかだ。舌の先がぴりぴりするが、喉に抜けるときの爽快さがいい。冷えた体にゃ沁みるだろうな」
「では、今日の試作に加えてみますか」
「ああ。だが、入れすぎると粥の甘みが死ぬ。加減が肝心だぞ」
料理長は三つの小鉢を用意し、それぞれに中挽きの岩麦と賽の目に刻んだ乾燥根菜、細かく裂いた乾燥肉、陽茸の粉末を同量ずつ入れていく。乾燥根菜は日光で干し切られて縁がほんのり反り返り、乾燥肉は表面にうっすらと白い脂の粉が吹いていた。それらを軽く混ぜ合わせてから、ひとつめの鉢には青翠葉だけ、ふたつめには痺椒葉をほんの少し、みっつめには両方を半々に振り入れた。
「よし、湯を注ぐぞ」
料理長が薬缶を持ち上げ、熱湯を三つの鉢に順に注いでいく。湯が粉に触れた瞬間、じゅっ、と短く鳴って、白い湯気がふわりと立ちのぼった。まず青翠葉だけの鉢からは、岩麦の香ばしさと陽茸の土くさく甘い匂いが混ざり合い、ほのかに青草のような爽やかさが鼻をくすぐる。痺椒葉だけの鉢からは、湯を注いだ途端に辛みの香りが勢いよく立ちのぼり、少し離れて見ていた見習いの料理人が「うわ、なんだこれ」と目をしばたたかせた。両方を入れた鉢からは、二つの香りが競り合うように立ちのぼり、それでいて不思議と喧嘩していない。青翠葉の爽やかさが痺椒葉の辛みを包み込み、痺椒葉の辛みが青翠葉の青みを引き締めている——そんなふうに感じられた。
「五分待つぞ。待てるか」
料理長が蓋をする。見習いの料理人が「待てます」と真面目な顔で答え、私は思わず小さく笑った。そういえば前回も同じやりとりがあったのを思い出したのだ。
五分が経ち、蓋を開ける。三つの鉢から立ちのぼる湯気は、それぞれに少しずつ表情が違っていた。
料理長はまず青翠葉だけの鉢から匙を入れ、口に運ぶ。
「うん。悪くない。だが、少しぼんやりした味だな。優しいが、野営で食うにはちょいと物足りねえ」
次に痺椒葉だけの鉢を啜る。途端に眉がぴくりと動いた。
「おっ、こっちはなかなかだ。辛みが喉に抜けて、体があったまる。ただ、ひとつしか香草を入れないなら、これで決まりだな」
「では最後の、両方を混ぜたものは」
「ああ、これだな——」
料理長が両方入りの鉢に匙を入れて口に含んだ。その顔が、ゆっくりとほころんでいく。
「……なるほどな。最初に青翠葉の爽やかさがきて、後から痺椒葉の辛みが追いかけてくる。口の中がにぎやかで、飽きが来ねえ。これなら一ヶ月の遠征で毎日食っても嫌にならんだろう」
私もひと匙いただいてみる。口に含んだ瞬間、まず岩麦の素朴な甘みが広がり、乾燥肉の塩気がそれを引き締める。次に青翠葉の青い香りがふわりと抜けて、最後に痺椒葉の辛みが喉の奥をかすめていった。陽茸の土くささがそれらを下支えし、噛みしめるたびに粒の表面がほどけていく感触が心地よい。
「美味しいですわね。味に奥行きがあって、食べていて少しも退屈しません」
「だろ。これで決まりだな。青翠葉と痺椒葉、両方を入れる。配合は——そうだな、いまの半々より、もう少し痺椒葉を控えめにした方がいいか。辛みが立ちすぎると、舌が疲れる」
「では、痺椒葉をほんの少し減らして、もう一度試作してみますか」
「ああ。何度でもやるぞ。料理っつうのは、そういうもんだ」
私は手帳を開き、今日の気づきを綴っていった。岩麦は中挽きで五分が最適。細かすぎれば糊のように喉がつまるし、粗すぎれば芯が残って戻りが遅い。この粒度なら、噛み応えがしっかりあって満腹感が長く続き、それでいて胃に重たくのしかからない。青翠葉だけでは味がぼんやりと優しすぎる。痺椒葉だけでは辛みが勝ちすぎてしまう。けれど両方を合わせると、爽やかさと辛みが交互に顔を出して、ひと匙ごとに違う表情を見せる。これは、ただ腹を満たすだけの粥ではない——温かくて、どこかほっとする、そんな一杯になりそうだ。
私は顔を上げ、料理長に手帳を見せた。
「料理長、こんな感じでまとめてみましたの。何か足りないところはありますか」
料理長は手帳を覗き込み、ふんふんと唸る。
「……お前さん、字が上手いな。それに、ちゃんと味のことが書いてある。大概のやつは材料と分量だけで終わりだ。味を言葉にするのは、料理人の領分だと思ってるからな」
「私、味を言葉にするのは好きなのです。誰かに伝えるなら、やはり感じたままを書かないと」
「そいつは素人にはできねえ芸当だ。大事にしろよ」
見習いの料理人が恐る恐る近づいてきた。
「あの、料理長。俺たちも味見していいすか……」
「おう、少しだけだぞ。まだ貴重な試作品だからな。それに、味見したらちゃんと感想を言え。美味い、だけじゃ許さねえ」
「は、はいっ」
見習いの料理人たちが小皿に分け合い、思い思いに啜る。「あ、ほんとだ、辛みが後からくる」「でも青臭くないっすね」「これ、冷えた朝に食ったら最高っすよ」——口々に感想をこぼすのを横で聞きながら、私は手帳の端に「現場の反応:好評」と走り書きした。
「なあクラリス」
料理長が鍋に新しい湯を張りながら、ふと思いついたように口を開いた。
「お前さん、この行軍粥が形になったら、次は何を考えてるんだ」
私は少し考えてから、静かに答えた。
「そうですね……これをもっと多くの人の手に届けたいと思いますわ。戦場だけでなく、飢饉の備えや、冬場の保存食としても使えるように。いつかこの街で、誰もが安心して寒い季節を越せるだけの蓄えができるようになればと」
料理長はしばらく黙って私を見つめ、それからふっと笑った。
「欲の種類が違うんだな、お前さんは」
「欲、でございますか」
「そうだ。大概のやつは自分の得になることを考える。だがお前さんは、そうじゃねえ。誰かのために、その次もまた誰かのために——そういう欲だ」
「買いかぶりですわ。私はただ、自分にできることをしているだけですもの」
「その『できること』が、普通の人間にはできねえんだよ。まあいい、お前さんがそう言うならそういうことにしとく。だがな——」
料理長は私の手帳を指さした。
「その手帳、いつか誰かに読ませる日が来るかもな。『終末砦の味はここから始まった』ってな」
私は思わず笑みをこぼした。そんな大げさなものではない。けれど、料理長のそういう物言いは、照れ隠しの裏返しだとわかっているからこそ、素直に嬉しかった。
「では、その日のために、もう少し書き足しておきますわ」
「おう、好きなだけ書け。こっちはこっちで、まだまだ試作を続けるぞ」
料理長は鍋をかき混ぜ始めた。木の匙が鍋の底を擦る音が、調理場に静かに響く。私は手帳を閉じてエプロンを締め直し、痺椒葉の配合を変えた次の試作に取りかかるべく、まな板の前に立った。
行軍粥の完成まで、あと少し。香ばしい穀物の香りと、青翠葉の爽やかな青み、痺椒葉のつんとくる辛みが混ざり合う調理場で、私は確かに新しいものが生まれようとしている手応えを感じていた。それはかつて王都の厨房で覚えた高揚感とも、学園の調理実習で味わった達成感とも違う——この街の人たちのための、この街でしか生まれ得ない味が、いま形になろうとしている。そんな静かな誇りが、胸の奥であたたかく灯っていた。
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