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第27話 発明家ジパング

 屋敷を出た私は、その足で騎士団の調理場へと向かった。教会に戻る前に、料理長と行軍粥の構想について打ち合わせをしておきたかったからだ。


 調理場に着くと、いつものように湯気と香辛料の香りが立ちこめていて、料理人たちが忙しく動き回っている。私は入り口で軽く声をかけた。


「お邪魔いたします。料理長はいらっしゃいますか」


「おお、クラリスさん! ちょっと待っててください、今呼んできます!」


 一番若い料理人さんがぱたぱたと奥へ走っていき、ほどなくして料理長が姿を現した。


「おう、クラリスか。今日はどうした」


「新たな戦闘糧食の開発について、料理長にご相談したく参りました。即席の薬膳粥——行軍粥という構想なのですが」


 私がそう言うと、料理長の目が少年のようにきらりと輝いた。


「いいぜ、なんなりと言ってくれ。こっちだ」


 私は料理長に案内されて奥の作業台へと移動し、そこで持参した構想案を広げた。岩麦を細かく砕いたものを主軸に、乾燥根菜、薬味草、乾燥肉、そして陽茸の粉末——あるいは代用として薬味草の粉末——を混ぜ込み、湯を注ぐだけで戻るように加工するという内容だ。


「ほほう、即席粥か。野営では温かい汁物がありがたいからな」


「ええ。それに加えて、栄養面と保存性、そして手軽さの三つを高い水準で満たしたいのです。湯を注いでかき混ぜるだけで食べられること、一人分ずつ小分けにして携行しやすいこと、そしてできるだけ長く保存がきくこと。それともう一つ——」


 私は領主様に話したのと同じ内容を、料理長にも伝えた。


「現地で採取した野草や川魚を加えて応用が利くことも、この粥の大きな利点です。アブラームさんやドゥエスダンさんから、遠征先では意外と野草や山菜が手に入ると伺いましたので」


「なるほどな、そいつはいい。現場の騎士たちも、自分で工夫する余地があると愛着が湧くもんだ。ただの携行食じゃなくて、『自分の一杯』になるわけだ」


 料理長は無言で構想案に目を通し、ときおり唸りながら熟読している。私はその横顔を見つめながら、ふとあることに気づいた。


——この目の輝き、どこかで見たことがある。


 そう、殿下だ。新しい知識や技術に触れたとき、殿下はいつもこんな目をしていらした。知識に貪欲で、根っからの探究心をお持ちで、純粋にものづくりを楽しむ方の目。二人に共通するその輝きに、私は密かな親近感を覚えていた。


「なるほどな。理屈は通っている。だが、いくつか気になる点がある」


 料理長は指を折りながら指摘を始めた。


「まず岩麦の砕き方だ。細かすぎると湯を注いだときに糊状になって食感が悪い。かといって粗すぎると戻りが遅い。この辺りの塩梅は実際に試してみないことにはわからん」


「では、粒度の異なるものを数種類、試作してみていただけますか」


「ああ、それと陽茸の代用にする薬味草だが——俺の知る限り、この辺りで手に入るものだと青翠葉の粉末が近い効能を持っている。滋養強壮に加えて、風味も悪くない。試してみる価値はあると思うぜ」


「青翠葉……なるほど、それは思いつきませんでした」


「それから、これが一番の問題だが——」


 料理長は真剣な顔で私を見た。


「いくら乾燥した食材といえど保存には限界がある。遠征ともなれば一ヶ月以上空くこともざらだ。お前さん、何か策はあるのか」


「はい、実は——」


 私が昨日レオン様から聞いた保存袋の話を始めようとした、まさにそのときだった。


「失礼いたします。クラリス様、お時間よろしいでしょうか」


 振り返ると、調理場の入り口にセリーヌさんが立っていた。その手には木箱が抱えられている。


「おや、セリーヌじゃないか。今日はどうした、そんな大荷物を抱えて」


 料理長が気安い調子で声をかけると、セリーヌさんは普段と変わらぬ落ち着いた表情のまま、ほんの少しだけ口元を緩めた。


「料理長、ご無沙汰しております。領主様から、クラリス様にこちらをお届けするよう申しつかってまいりました。例の保存袋の開発品で、空気を抜く機構を備えた試作品でございます」


「なに、もう出来たのか。あのジパング様とやらは相変わらず仕事が早いな」


 料理長の口から飛び出した聞き慣れない名前に、私は思わず首をかしげた。


「ジパング……様?」


「ああ、クラリスはまだ知らなかったか」


 料理長は腕を組み、少し考えるように天井を見上げてから、私に向き直った。


「この街で何か新しい道具や仕組みが必要になると、どこからともなく手紙が届くんだ。差出人はいつもジパングと名乗っている。その手紙には誰も思いつかなかったような技術の詳細がびっしり書かれていて、それを受け取った商人や職人が実際に作って世に広める——黒板も、マッチ棒も、あの保存袋も、みんなそうやってこの街に生まれたもんらしい。正体は誰も知らん。姿を見せたこともない。領主様だけが窓口になっていて、手紙のやり取りをしているそうだ」


「発明家……そういえば、以前にも何度かそのような噂を耳にしたことがありますわ。たしか——教会の厨房に氷箱を運び込んでくださったのも、その発明家らお伺いしてましたが……」


「そうそう、その発明家がジパング様だ。黒板にマッチ棒、それに保存袋——どれも大した技術には見えねえが、言われてみれば誰も思いつかなかったものばかりだ。すげえ発想だが、妙に地味で、でも一度使い始めると手放せなくなる。そういうのばかりを手紙で送りつけてくる御仁でな」


 私は胸の中でそっと得心した。なるほど——この世界の技術の延長線上にありながら、誰も気づかなかったわずかな視点のずれ。それがジパングという人物の発明の正体なのでしょう。しかし手紙だけで姿を現さないということは、よほどの変わり者か、それとも事情があって人前に出られない方なのでしょうか。


 そこで私は、一つ気になる点をセリーヌさんに尋ねてみた。


「セリーヌさん、ということは今回のこの器具も、どこかの商人や職人に手紙が届いて作られたものなのですか。たとえば袋の素材からすると、皮加工職人のもとへ届くのが自然な気がいたしますけれど」


 セリーヌさんは静かに首を横に振った。


「いいえ、それが——今回は少し事情が違うのです。普段ならばおっしゃる通り、技術の内容に即した商人や職人のもとに直接手紙が届くのですが、今回はなぜか領主様宛てに直接届きました」


「領主様に直接……?」


「はい。しかも——」


 セリーヌさんは木箱を作業台に置きながら、少しだけ声を潜めた。


「クラリス様が領主様に包みのご提案をなさった直後、領主様がジパング様へ宛ててご依頼の手紙を書かれました。その手紙を出そうと封蝋を溶かしていた、まさにそのときに、ジパング様からの手紙が先に届いたのです。中にはすでに、この息抜き器の詳細な設計図と試作品が同梱されておりました」


 私はしばし言葉を失った。料理長も腕を組んだまま眉をひそめている。


「……まるで、こちらの依頼を先読みしていたみてえだな」


「はい。領主様も『またか』と苦笑いなさっておられました」


 私は木箱の中の器具に視線を落とした。黒板にマッチ棒、保存袋、そして今度は真空引きの器具——それらがすべて、姿を見せない一人の人物の手によるものだという。しかも今回は、こちらの依頼が届くよりも前に、必要なものを送りつけてきた。


 このジパングという人物は、いったい何者なのでしょう。いえ、そもそも——この世界の技術の枠組みからほんの少しだけ外れた発想を、これほど的確に、これほど立て続けに送り届けられる方が、本当にただの変わり者で済むのでしょうか。


「ジパング様からは『ぜひ現場の意見を聞きたい』との伝言を預かっております」


 セリーヌさんの声で、私は思索の淵から引き戻された。


「……現場の意見、ですか。では現場の者として率直に申し上げますと——まずはこの器具、素晴らしいですわ」


 私は気を取り直して、セリーヌさんが木箱から取り出した器具に目を向けた。中には三点の器具と数枚の半透明の袋、そして折りたたまれた説明書きが収められている。あの保存袋と同じ、薄く青みがかった膜の質感が見て取れた。


「この袋の素材は、空を漂う浮嚢水母というモンスターの気嚢膜でございます。傘のような形をした触手を持つ空中浮遊型の小型モンスターで、その膜は非常に薄いながら気密性が極めて高いのだとか。ただ、詳しい製法は私も存じ上げません。料理長、何かご存じですか」


「いや、俺も実物を見るのは初めてだ。聞いたことはあるが……これが浮嚢水母の膜か。こんなに薄くて透けているのに、破れる気配がまったくないな」


 料理長が袋をつまみ上げて光にかざすと、セリーヌさんも隣から同じように袋を覗き込んだ。


「ええ、私も最初は信じられませんでした。生き物の膜でここまで気密性が出せるものなのかと」


「空を漂うために気嚢に空気を溜めているそうですから、もともと気密性に優れた器官なのでしょうね」


 私が補足すると、料理長は半信半疑の表情を浮かべながらも、なお興味深そうに袋を観察している。


「にわかには信じがたいが、まあジパング様が見つけてきたってんなら、間違いはないんだろうな」


 料理長がそう呟くのを聞きながら、私はセリーヌさんに視線を戻した。


「それで、これらの器具はどのように使うのでしょうか」


 セリーヌさんは木箱から説明書きを取り出し、広げた。そこには細かな図解と共に、器具の使い方が記されている。


「まず、こちらの細い金属管——脱気管を、袋の口に差し込みます」


 セリーヌさんは説明書きを読みながら、実際に器具を手に取って動かし始めた。彼女の手元は落ち着いていて、初めて扱う器具であるにもかかわらず迷いがない。


「次に、この脱気管と革紐で繋がっている圧搾筒を手に取りまして、木製の柄を引いては押す動作を繰り返します」


 セリーヌさんが圧搾筒の柄を動かし始めると、最初は何が起きているのかわからなかった。しかしすぐに、袋がじわじわとしぼみ始め、中の食品に薄膜が密着していくのが見えた。袋の中の空気が、少しずつ外へと排出されているのだ。


「ある程度しぼんだところで、脱気管を抜きながら素早くこの封蝋栓を差し込んで捻ります。これで密封は完了です」


 セリーヌさんが手際よく封蝋栓を捻ると、袋は完全に密封された。食品の形にぴたりと張り付いた袋の表面からは、中身の輪郭がそのまま透けて見える。


「これを【息抜き器】と名付けたそうです」


「息抜き器……なるほど、袋の中の空気を抜くから息抜き、ですわね」


 私は袋を手に取って、その仕上がりを確認した。圧縮された袋は驚くほど嵩張らず、携行食の保存にこれほど適したものはないだろう。しかしそれ以上に、私は別のことに衝撃を受けていた。


「……これ、魔法を使っていないのですわね」


 私がぽつりと零すと、セリーヌさんは静かに頷いた。


「はい。すべて人力でございます」


 私は説明書きに目を落とした。図解は実に明快で、原理そのものは驚くほど単純だ。ただ筒の中の空気を押し出しているだけ——けれども、だからこそこれは画期的だった。真空に近しい状態を作り出すには、通常であれば風属性と水属性の複合魔法を幾重にも重ね、しかもそれを維持し続ける高度な術式制御が必要になる。それを継続的に扱える術者は限られていて、保存技術として実用化しようという試みそのものが、これまでほとんど為されてこなかったのだ。


 それが——魔法も術式も一切使わずに、ただこの小さな筒一つでできてしまう。


「だから、『保存の常識が変わる』と」


 私の呟きに、料理長は深く頷いた。


「そういうことだ。この街にいると、たまにそういうことが起きる。誰も魔法で解決しようとしてこなかった、あるいは魔法でしか解決できないと思い込んでたことが、いつの間にか人の手でできてしまう。ジパング様が手紙を送り始めてから、そういうのが少しずつ増えてるんだよ」


「すごいな。これだけぺちゃんこになれば、荷物の中で場所も取らん」


 料理長が感心したように袋をつまみ上げ、しげしげと眺める。私はその様子を見ながら、もう一歩踏み込んで考えを伝えることにした。


「戦場に持っていく分には、この袋のままで十分だと思いますわ。軽くて嵩張らず、それでいて中身はしっかり守られている。容器や食器は、どのみち騎士の皆様は野営用のものをお持ちですものね」


「たしかにな。わざわざ箱型にする必要はないか」


「ええ。ただ——」


 私は少し間を置いてから、付け加えた。


「これが一般の市場に出回ることを考えると、話は別かもしれません。商家での保存用や、各家庭での備蓄用としては、積み重ねられる箱型のほうが扱いやすいでしょう。蓋を開ければそのまま容器としても使えますし、見た目も整いますから」


「なるほど、つまり使い分けか」


 料理長は腕を組み、納得したように深く頷いた。


「戦場用は袋のまま。軽さと嵩張らなさを優先する。市井用は箱型で、使い勝手と見栄えを優先する。どちらも同じ仕組みで空気を抜けるようにすれば、用途に応じて選べる。それなら理にかなってるな」


「はい。それに、箱型のほうが一般の業者にも製造しやすいかもしれません。袋の素材である浮嚢水母の膜は、どうしても入手が限られますから」


 私がそう言うと、料理長は感心したように私を見た。


「お前さん、いつの間にそこまで考えてたんだ」


「たった今、実物を拝見して思いついたことですわ。こうして形になったものを見ると、不思議と次の考えが湧いてくるものなのですね」


 私はセリーヌさんに向き直った。


「セリーヌさん、ジパング様には二点お伝えいただけますか。まず戦場用としては、この袋のままで十分に実用的だということ。そしてもう一点、市井での普及を見据えて、同じ仕組みを備えた箱型の保存容器も検討してほしいということです」


「かしこまりました。戦場用には袋式、市井用には箱式——両軸で検討するよう、必ずお伝えいたします」


 セリーヌさんは静かに一礼し、木箱を抱えて調理場を後にした。その背中を見送りながら、料理長がぼそりと呟いた。


「しかし相変わらずだな、セリーヌは。ジパング様の説明書きを一度読んだだけで、もう使いこなしてやがる」


「ええ、本当に。それにあの落ち着きようは、ちょっと真似できませんわ」


 私が同意すると、料理長はふと何か考え込むような顔をしたが、すぐに気を取り直して私に向き直った。


「それで、保存の問題は目処がついたとして——次は味だな。さっそく試作に取りかかるか」


「はい、ぜひお願いいたします」


 私は手帳を開き、これから始まる試作の記録を取る準備を整えた。岩麦の粒度、青翠葉の配合量、湯を注いだときの戻り具合——書き留めるべきことは山ほどある。けれど、そのどれもが確かな手応えを伴っていて、私は自然と口元が緩むのを感じていた。


 それにしても——ジパング、ですか。私はペンを走らせる手をほんの一瞬だけ止めて、その名を胸の内で転がしてみる。姿を見せず、手紙だけで技術を送り届ける発明家。しかも今回は、こちらの依頼が届く前に返事が来たという。まるで誰かが見ていたかのような、そんな出来すぎたタイミングですわね。この方はいったい何をご存じで、何を目的にしていらっしゃるのでしょう。


 もっとも、悪いことを企む方なら、領主様がこうまで信頼を置かれるはずがありませんわ。それに、ジパングの生み出したものはどれも、この街の暮らしを少しずつ、けれど確実に良くしている。黒板にマッチ棒、保存袋、そしてこの息抜き器——そのどれもが、魔法に頼れない人々の手に、新たな可能性を届けてくれています。


 いつか、その手紙の主と直接言葉を交わす日が来るのでしょうか。私は小さくかぶりを振って、思考を手帳の上の試作記録へと戻した。今はまず、目の前の粥を形にすること。それがきっと、顔も知らぬその方への、一番の返事になるはずですものね。

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