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第26話 新たなレシピ開発

 帰り道の石畳を、私は一人で歩いていた。ソフィアの指導が始まってから数日が経ち、ダガーさんの魔力の扱いは目に見えて安定してきている。調理場で料理を手伝うときも、以前は無意識に漏れていた魔力の揺らぎが、今では自然に制御されるようになっていた。本人は相変わらず多くを語らないが、その指先の動きが前とは違う。私はそれをただ静かに嬉しく思いながら、頭の中で今後の計画を整理しつつ、教会へと続く道を歩いていた。


 騎士団の施設に近い通りに差し掛かったところで、ふと見覚えのある後ろ姿が目に入った。


「あれは―――レオン様!」


 私が声をかけると、レオン様は振り返り、すぐに表情を明るくした。その手には見覚えのない半透明の袋が握られていて、中には何か食材のようなものが入っている。


「おお、これはこれは。クラリスさんじゃないか。お帰りかい」


「ええ、つい先ほど所用を終えたところです。レオン様もお帰りですか」


「ああ、俺は非番でね。ちょっと体を動かしてきたところだ」


 レオン様は軽く肩を回しながら笑った。私は視線を自然にその手元へと向ける。半透明で薄く青みがかった袋は、こちらの市場ではあまり見かけない質感だった。


「レオン様、そちらの袋は……」


「ん? ああ、これか。最近出回り始めた保存袋ってやつでね。食材を入れて口を縛るだけで、普通の布袋よりずっと長持ちするらしいんだ。俺みたいな単身者にはありがたいよ」


 レオン様は袋を軽く持ち上げて見せながら、少し得意げに笑った。


「まあ、そんな便利なものが」


「クラリスさんは知らなかったか。まだ一部の商人しか扱ってなくてな。俺もつい先日、遠征帰りの同僚に教えてもらったばかりなんだ」


 私は袋をまじまじと見つめた。半透明の膜は驚くほど滑らかで、わずかに青みを帯びている。光にかざすと、中の空気の層がかすかに揺れて見えた。これまでも携行糧食の開発には携わってきたが、保存期間の短さは常に課題として残っていた。この袋の素材そのものに、何か鍵があるかもしれない。


「この袋はそのまま使うだけのものなのですか。たとえば、中の空気を抜いたりは……」


「ああ、実はな、空気を抜く仕組みのついた保存袋も今開発中らしいんだ。まだ試作品の段階だって話だが、それが実用化されれば保存期間が格段に伸びるって噂だぜ」


 空気を抜く仕組み——その言葉に、私の中で何かがかちりと噛み合った。この街で新しい技術が開発されるとなれば、その背後にはまず間違いなく領主様の手が伸びている。以前、教会の厨房に運び込まれたあの氷箱のこともそうだった。そしてそれを可能にしているのが、この街でたびたび噂になる「発明家」の存在だ。私は未だその人物の名を知らないが、領主様が深く信頼を寄せていることだけは、これまでのやり取りからも明らかだった。


「なるほど。それはまた、領主様が何か関わっていらっしゃるのですか」


「さすがクラリスさん、察しがいいな。どうもそのようだぜ。例の発明家ってのが領主様の知り合いらしくてな。詳しくは俺も知らないんだが」


 私は胸の内で静かに得心した。やはりそうだったのか。領主様は私が問題に気づくよりも前に、すでに解決への糸口を用意してくださっている。


「貴重なお話をありがとうございます、レオン様。これはぜひ後で調べてみますわ」


「おう、クラリスさんが何か考えると、また面白いものが出来上がりそうだな。期待してるぜ」


 私はレオン様に礼を述べてその場を辞し、教会への道を再び歩き始めた。頭の中では、あの保存袋の素材と、開発中だという空気を抜く仕組みについての考えが巡っている。



 翌日、私は教会の礼拝堂でシスターから声をかけられた。


「クラリス、悪いのだけれど、今日の領主様への定期報告をお願いできるかしら」


 シスターは少し疲れた様子で微笑みながら、書類の束を私に差し出した。ここ数日、シスターは別件で教会を空けることが増えていて、そのたびに私が代理で報告を務めるようになっていた。元々公爵家でお父様の書類仕事を手伝っていた経験があったからか、教会内でも私の事務処理能力が認められてきたらしい。こういうところで実家での経験が活きるとは、自分でも少し意外な心地がした。


「承知しました。すぐに向かいます」


「いつもありがとうね。助かっているわ」


 私は書類を鞄にしまい、教会を後にした。


 領主の屋敷に着くと、門の前で待っていたセリーヌさんが静かに頭を下げた。


「お待ちしておりました、クラリス様。応接室へご案内いたします」


「いつもありがとう、セリーヌさん」


 セリーヌさんに案内されて通された応接室は、以前訪れたときと同じように落ち着いた調度で整えられていた。私は一人でソファに腰を下ろし、報告書類に目を通しながら待つ。ほどなくして扉が開き、領主様が入室してきた。その後ろにセリーヌさんが従っている。


「お待たせしたね、クラリス嬢」


「お時間をいただき、ありがとうございます」


 私は立ち上がって礼をし、それから改めてソファに座り直した。領主様が向かいの席に腰を下ろすのを待ってから、私は手元の書類を開いた。


「まず教会の運営につきまして、今月の報告を申し上げます」


 私は孤児院の子どもたちの様子や、教会の修繕状況、物資の備蓄などについて順を追って説明した。領主様はときおり相槌を打ちながら、穏やかな表情で聞いている。一通りの報告を終えると、領主様は深く頷いた。


「いつもきちんとまとめてくれていて助かるよ。シスターからも、君がいてくれて本当に心強いと聞いている」


「もったいないお言葉ですわ。私はまだまだ未熟で、シスターに教えていただくことばかりです」


「謙遜することはないさ。実際、君が来てから教会の事務は格段に効率的になったと聞いている」


 領主様はそう言って微笑み、それから少し身を乗り出した。


「ところでクラリス嬢、何か新しいアイデアはあるかね。以前のような斬新な発想を、また聞かせてもらえると嬉しいのだが」


 私は少しの間を置いてから、静かに頷いた。昨日レオン様と話してから、考えをまとめていたのだ。


「一つ、具体的な案がございます。戦場で手軽に滋養を補える、即席の薬膳粥——仮に『行軍粥』とでも呼びますが——これを提案したいのです」


 領主様は興味深そうに片眉を上げた。


「行軍粥、か。もう少し詳しく聞かせてもらえるかな」


「はい。現在、騎士の皆様は遠征の際にパンや乾燥肉などを召し上がっておりますが、温かい汁物が恋しくなることも多いと伺っております。また、野営では朝晩の冷え込みが厳しく、体を内側から温めるものが求められると」


「なるほど、たしかに野営では温かいものが何よりのご馳走になる」


「そこで、乾燥させた粥の素を考えました。細かく砕いた穀物——できればこの地方で取れる岩麦——を主軸に、乾燥させた根菜や薬味、それから少量の乾燥肉を加え、これを湯を注ぐだけで戻るように加工します。栄養面では、滋養強壮に優れた陽茸の粉末を混ぜ込み、冷え込みによる体力の消耗を和らげます」


「陽茸か。あれはこの辺りの山間部でしか採れない希少なものだが」


「ええ、その点は課題です。ただ、陽茸に似た効能を持つ薬味草ならば、もう少し広い範囲で自生しております。こちらで代用できるかどうか、料理長とも相談したいと考えております」


 領主様は腕を組みながら、しばらく考え込んだ。私はここで、もう一つの利点を付け加えることにした。


「それともう一つ——この行軍粥には、大きな利点がございます」


「ほう、なんだね」


「私がこの町に参りました際、馬車に同乗してくださったアブラームさんとドゥエスダンさんから、遠征の合間に野草や山草を採ったり、川魚を捕ったり、小動物を狩ることもあると伺いました。騎士の皆様は、ある程度の野草の知識をお持ちなのだと思います。行軍粥は乾燥させた素が基本ですが、その場で見つけた食用の野草や山菜、キノコなどをちぎって加えれば、味にも栄養にも広がりが出ます。川魚が釣れれば、小さく裂いて混ぜてもよいでしょう。つまり、これは基本の型を守りながらも、現地でいくらでも応用が効く料理なのです」


「なるほど——融通が利く、というわけか」


「はい。同じ粥の素でも、その日その場所でまったく違う味わいになる。それが遠征のささやかな楽しみにもなればと思いまして」


 領主様は深く感心したように何度か頷き、それから穏やかな笑みを浮かべた。


「よく考えられている。現場の声を活かすだけでなく、現場の知恵をさらに引き出す仕組みになっているな。これはいい」


「ありがとうございます。ただ、やはり最大の課題は保存性です。傷みを遅らせるには、空気を遮断することが何より重要になります。実は昨日、レオン様があの新しい保存袋をお持ちになっているのを拝見いたしまして」


「ほう、レオンが」


「ええ。まだ袋として使うだけのもののようでしたが、空気を抜く仕組みを備えたものも開発中だと伺いました。もしその仕組みが実用化されれば、行軍粥の保存にも大いに役立つのではないかと考えております」


 私がそう言うと、領主様は一瞬だけ目を細め、それから口元をほころばせた。


「なるほど、もうそこまで情報を掴んでいたか。君は相変わらず抜け目がないな」


「レオン様から伺っただけですわ。でも、その開発には——やはり領主様が関わっていらっしゃるのでしょう?」


 私が少し探るような口調で尋ねると、領主様は今度こそ声を上げて笑った。


「ははは、これは手強いな。ああ、その通りだ」


「肯定されるのですね」


「商売敵でもない相手に隠しても意味はないからな。それに、そう遠くないうちに面白いものが届くはずだ。そのときはまた意見を聞かせてほしい」


「かしこまりました。楽しみにしておりますわ」


 領主様はそう言って穏やかに微笑み、私はそれ以上追及せずに素直に頭を下げた。





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