第25話 天才魔法使い
扉の先ににある裏庭は静かだった。朝の空気がまだ冷たく、芝生の上に薄く露が光っている。ソフィアの家の裏庭は思っていたより広く、隅には薬草らしき植物が整然と植えられ、もう一方の端には古びた井戸がぽつんと立っていた。私たちは庭の中央で互いに向かい合う形で立った。
「じゃあもう一度、魔力をまとってみてください。クラリスさんもですよ」
「……私もですか?」
「当然です!」
ソフィアの言葉に、しぶしぶ従う私をよそに、ダガーさんが静かに目を閉じてイメージを固めはじめる。しばらくすると、先ほど部屋でやったときと同じように、ダガーさんの周囲で魔力が収束し始める。空気がわずかに震えるような、目には見えないけれど肌で感じる圧のようなものが生まれていた。私もそれに倣って目を閉じ、あの温かい記憶を手繰り寄せようとした。タルトの焼ける匂い、孤児院の子供たちの笑顔、頭に置かれた手の温もり。しかし何度繰り返しても、魔力が形になる気配がない。指先がかすかに熱を帯びたような錯覚はあるものの、それは一度も確かなものにはならなかった。
「……やはり、だめですわね」
「焦らなくていいですよクラリスさん。先ほどと同じように、魔力が動く予兆はちゃんとありますから。あとは練習あるのみです」
ソフィアが穏やかにいうが、それでも私自身の中に悔しさと諦めが半分ずつ混ざったような気持ちが残る。私は近くに置いてあった木製の椅子を引き寄せ、腰を下ろした。椅子の脚が芝生にわずかに沈み、ひんやりとした朝の空気が座面から伝わってくる。
「では私は見学しますわ。存分にどうぞ」
「もー、不貞腐れないでくださいよー。まあ、仕方ありませんね。始めましょうか、ダガーちゃん」
ソフィアとダガーさんが三歩ほどの距離を取って向かい合う。ダガーさんが少し間を置いてから口を開いた。
「……一つ聞いてもいい?」
「はい。なんですか?」
「魔法使いって、杖を使うイメージがあるんだけど。ソフィアさんは特に何も持っていないの?」
ダガーさんの問いに、ソフィアは少し目を丸くしてから、なるほどと小さく頷いた。
「確かに杖を使う魔法使いは多いですね。でも必ずしも杖が必要というわけじゃないんですよ。杖にもいくつかあって、それぞれ役割が違うんです」
「杖にも種類があるの?」
「ええ。まずハンドロッドというのがあって、小枝のように細くて持ち運びやすい小さな杖です。主に魔力の操作を補助するために使われます。素材によって性能の方向性が変わるんですけど、他の種類と比べると出力はどうしても劣りますね」
ソフィアはそこで一息ついて、指を二本立てた。
「次にロングロッド。これは輝昌石や流昌石といった魔石を埋め込むことで、その属性に合った魔法を強力に発動させることができる杖です。持ち運びはしにくいですが、性能はハンドロッドの比ではありません。ただ、魔石との相性が悪いと品質が大きく落ちてしまうし、複数の属性を扱えない場合もあるんですよね。戦闘向きの魔法使いや、一つの属性を極めた専門家が好んで使うタイプですね」
「それ以外にもあるの?」
「他にはアーティファクト、アノマラスの二種類があります。アーティファクトロッドというのは、特殊な加工や魔術的な刻印を施した杖の総称で、ハンドロッドとロングロッドどちらの形状もあります。希少性が高くて高価ですが、性能も同じ種類の中でかなり優秀です。特に魔石との相性問題が少ないので、複数の属性を扱える杖も多い印象です」
ソフィアは言葉を切り、少しだけ表情を曇らせた。
「……もう一種類は?」
「アノマラスロッドというものがあります。製作者も製作方法もわかっていない杖で、ほとんどの場合、禁術や公的記録にない魔法を行使するために作られたとされています。しかしながら、それを証明できていないのが現状らしいんですよね。性能は自体はピンキリで、必ずしも高いとは限らない。ただ、何らかの目的があって作られている点では共通しています」
「……それって、危なくないの?」
「そうですね。実際、扱いを誤ると術者自身に害が及ぶこともあります。だからこそ、魔術連も厳しく規制しているんですよね。もしどこかで見かけても、絶対に手を出さないでくださいね?」
ダガーさんはその言葉に黙って頷く。ソフィアの声には、いつもの明るさの奥にわずかな警戒が滲んでいた。私も話を聞きながら、その言葉の重みを感じ取る。実際、アノマラスロッドが原因の事故に学園内で遭遇したことがあるから、彼女の言葉が決して軽いものではないのを理解しているつもりですわ。
ソフィアはそれまでの真剣な表情をほどくと、自分の服の懐へと手を入れた。取り出したのは、特に装飾のない質素なハンドロッドだった。手のひらに収まるほどの長さで、木肌にはうっすらと年輪のような模様が浮かんでいる。
しかしその瞬間、ソフィアのまとっていた魔力の揺らぎが、目に見えてすっと落ち着いた。さわさわと揺れていた水面が、風の止んだ湖のように安定していく。
「えっと、今のは……杖のせい?」
「ふふふ。流石に気がつきましたか。今まで指先などから出していた魔力の供給を、杖から行うようにしたんです。こうすることで出力が安定するんですよ」
「……じゃあ最初から使えばよかったんじゃ?」
ダガーさんの問いに、ソフィアは苦笑いを浮かべた。
「確かに安定はしますが、杖にも弱点があるんです。出力には限界があって、杖自体の耐久力や、魔力の入口と出口の大きさがそれに直結してしまう。だから体から直接出す場合と使い分けが必要なんですよ」
「……えーっと、どう違うの?」
「そうですねえ……例えば体の中にある魔力は地下水のようなものだとすると、体を流れる魔力が川。そしてそこから用途に合わせて水を引く通り道が杖。地下水は豊富でも、細い管を通せば流量は限られるでしょう? 杖はその管に当たるんです。大きな魔法を使いたいときは体から直接、繊細な制御が必要なときは杖を使う。そういう使い分けが理想ですね」
ダガーさんはしばらく考え込んでから、短く頷いた。
「……なるほど。川から畑の水路を作るイメージ。ってこと?」
「そうです、まさにそんなイメージです。ダガーちゃんは飲み込みが早いですね」
「……べ、別に。ソフィアさんの説明がわかりやすかったから」
ダガーさんは少し照れたように視線を逸らした。
「ふふふ、わかりやすいのなら、よかったです! それで、ダガーちゃん。実はこれを渡したくて」
ソフィアがそう言ってハンドロッドを差し出すと、ダガーさんは目を丸くした。
「……え。そんな、もらえません!」
「気にしなくてもいいんですよ。ちなみにこれは【新星の祝樹】という木からできた杖で、結界や治癒魔法に優れているんです。そして私が初めて持った杖でもあります」
「……だったらなおさら、受け取れない」
「うーん。遠慮しなくてもいいのに……」
ソフィアの声が、少しだけ穏やかなトーンになった。朝の光が杖の木肌を照らし、年輪のような模様をほのかに浮かび上がらせている。
「この杖は私の魔法の師匠から譲り受けたものです。魔法の歴史は、長い間こうして受け継ぎの連鎖で続いてきた。師匠は私に魔法の基礎を教えてくれて、私はこうしてダガーちゃんに教えている。この杖もその文化を受け継いできたものだから、ダガーちゃんに持ってもらうことがきっと、この杖の自然な流れだと思うんです」
ダガーさんはしばらく黙ってソフィアを見ていた。朝の静けさの中で、井戸の水がかすかに滴る音だけが聞こえる。やがて彼女は躊躇いがちに手を伸ばした。ソフィアはその手に、杖をそっと乗せた。
次の瞬間、杖が淡く光り始めた。
白みがかった柔らかい光が、杖の表面を伝うように広がっていく。朝の光の中でもはっきりわかるほどの輝きに、ダガーさんは息を呑んで杖を見つめた。光はしばらく揺らめいてから、ゆっくりと杖の中に吸い込まれるように消えていった。
「これは……どうして」
「わあ、これは驚きました……!」
ソフィアが目を丸くしながら呟いた。
「杖がダガーちゃんの魔力の性質に、強く反応している。初めて持った杖がここまで反応するのは、かなり珍しいんですよ」
「これは、すごいですわね。アマンダ様が持ってた時もそうはならなかったですわよね?」
「ふふふ、そうですねクラリスさん。やっぱり、この杖はダガーちゃんが持っていたほうがいいのかもしれませんね!!」
私は椅子から立ち上がり、その光景に目を細めた。アマンダ様―――つまりソフィのお師匠様が魔法を見せてくれたときでさえ、こんな風に放っていなかった。
それに杖を持つダガーさんの手が、あの夜の調理場で見せた初めての魔法のときよりも、ずっと自然に見えた。ぎこちなさがなく、まるでずっと前からそこにあったかのように、杖は彼女の手に馴染んでいる。
「もう一度、向かい合いましょうか。ダガーちゃん!」
「……うん。わかっ―――わかりました」
ソフィアの言葉に、ダガーさんは静かに頷いた。二人が少し距離を取って向かい合う。私は椅子に座り直し、二人の様子をじっと見守った。
「最初に、先ほどの部屋での練習の振り返りも兼ねて、ダガーちゃんがまとっている魔力の種類をもう少し詳しく見てみます。さっきも話しましたが、魔力には層があって、その層によって性質が変わってきます」
「層……」
「そうですね……卵に例えるとわかりやすいでしょうか。黄身が一番内側にあって、その周りを白身が包み、さらに外側を殻が覆っている。魔力もこれと同じで、内側に行くほど密度が高くて、外側に行くほど広がりやすい性質を持っているんです」
「……つまり、外側は薄く広がりやすくて、内側は濃くて固いってこと?」
「その通りです。多くの魔法使いは、この三層のうち二層目、いわゆる白身の部分を主に使っています。密度と広がりのバランスが一番いいからです。でも、使う魔法によってどの層を中心に使うかは変わってきます」
「……じゃあ結界の場合は」
「いい質問ですね。結界は主に外側の層、卵の殻の部分を使います。薄くてもいいから、均一に、そして動かなずに広がることが重要なんです。逆に治癒魔法は内側の黄身の部分。狭い範囲に高い密度で魔力を集中させる必要があります」
「……さっきの、包み込むっていうイメージでいいのですか?」
「ええ。あれは外側の層をうまく使えていた証拠です。しかもただ広げるだけじゃなくて、相手の魔法を包み込むような形に整えていた。あれはかなり高度な制御です」
ソフィアがそこで一拍置いて、ダガーさんの目をまっすぐに見た。
「ダガーちゃんは、おそらく外側の層を扱うのがとても上手いんだと思います。防御系や結界系の魔法に、元々の適性があるのかもしれませんね。ふふふ。なんだか燃えてきました!」
「なんか楽しそう」
「当然です!!」
なんだか盛り上がっているソフィアから視線をはずしたダガーさんは、黙って自分の手を見つめていた。杖を握る指に、ほんの少しだけ力がこもる。
「……でも自分では、よくわからないです」
「それでいいんです。適性っていうのは、自分では分かりづらいことですからね。でも大丈夫。やっていけば嫌でも分かるようになりますから!」
ソフィアは微笑んでから、一歩下がって構えを取った。
「じゃあ、今度は実践に近い形で試してみましょうか。ダガーちゃん、もう一度魔力をまとってみてください。さっきと同じイメージで」
ダガーさんは目を閉じた。しばらくして、その周囲で魔力が動き始める。先ほどと明らかに何かが違った。収束していく魔力の質が変わっている。さっきよりも密度があって、透明感があって、まるで薄い氷の膜が空気の中に広がっていくような、そういう変化だった。
「ダガーちゃん、魔力をもっと強く保つように意識してみてください。今まとっているものを、外から押されても崩れないように」
ソフィアが静かに告げると、ダガーさんは小さく頷いて集中を深めた。魔力の質がさらに変わっていく。薄かった氷の膜が厚みを増すように、ダガーさんの周囲に透明な障壁が形作られていくのが、肌で感じられた。
「……素晴らしい」
ソフィアが小さく呟いた。それから彼女は静かに両手を前に出し、手のひらの間で螺旋状の透明な波のようなものが生まれ始めた。空気が低く唸り、芝生が小さく震える。
「【阻魔の渦】という魔力阻害の魔法を発動します。ダガーちゃん、耐えてみてください」
そう言うとソフィアの杖の空間に波が広がり、ダガーさんに向かって放たれた瞬間、ダガーさんは口をきつく結んで前を向いた。螺旋状の透明な魔法がダガーさんの魔力の障壁に触れた次の瞬間、突風のような衝撃が周囲に向かって散り散りに弾けた。草が大きくなびき、私の髪が乱れる。井戸の滑車がかたかたと音を立て、薬草の葉が一斉に揺れた。
ダガーさんは最初こそ踏みとどまっていたが、魔法が完全に散った後、ゆっくりと膝から力が抜けていった。そのまま芝生の上に尻もちをつく。
「ダガーさん!」
私は慌てて椅子から立ち上がり、ダガーさんの腕を取って体を支えた。ソフィアもハッとした顔で駆け寄ってくる。
「大丈夫ですか!?」
「……うん。ちょっとびっくりしただけ」
ダガーさんはそう言いながら私の手を借りて立ち上がった。その目はまだ少し焦点が定まっていないが、口元には力が戻りつつあった。
「ごめんなさい、少し強すぎましたね。でも……ダガーちゃん、魔法を完全に無効化できていましたよ」
「え」
「……やはりそうですわよね?」
「ええ、クラリスさんはご存知だと思いますけど、魔力をまとうだけでは魔法は無効化できないんです。ということはダガーちゃんがまとっていたのは魔力だけじゃなくて、結界に近しい効果のある魔法だったということになります」
ダガーさんは自分の手をじっと見つめた。杖を握る指が、かすかに震えている。
「……どうやったのか、自分でもよくわからない」
「やはり天才じゃったか……」
「……なんでおじいさんみたいな口調ですのソフィ?」
「こ、コホンッ……では魔力をまとうときに、どんなイメージをしていましたか?」
「イメージ……部屋でソフィアさんが研究資料を見せてくれたときに書いてあった一節を思い出していました。『氷は外は内より堅く在り、内は外よりも硬くあれ。熱をもって近づく者があれば、その熱ごと包み込んで沈黙させよ』っていう」
そんなダガーさんの言葉を聞いたソフィアの目が急に輝いく。その表情は、先ほどまでの教師としての穏やかさとは違う、純粋な知的好奇心に満ちたものだった。
「それです! そのイメージが、無効化を可能にしたんですよ。外から来るものを弾くのではなく、包み込んで沈黙させる。それが阻魔の渦を完全に消し去った理由なのでしょう。普通、防御の魔法というのは相手の力をはじき返そうとしがちなんですけど、それは力と力のぶつかり合いになるから、どうしても消耗が激しい。でもダガーちゃんのは違う。相手の力を中和して、なかったことにしてしまう。あのレオポルドの理論を、たった一度の練習で実践してしまったんですよ」
「……たまたま思い浮かんだだけなんだけど」
「普通は最初にそれに気がつける人は少ないです。ダガーちゃんは天才ですよ!!」
ソフィアがはっきりとそう言うと、ダガーさんは耳を赤くして視線を逸らした。
「……そ、そんなことは」
「うふふ、そんなことありますよ。ダガーさん」
私は思わず笑みをこぼしながらそう言った。ダガーさんが不思議そうにこちらを見る。
「……クラリスさん、なんでそんなに嬉しそうなの」
「だって、ダガーさんが成長している姿を見ると、嬉しくなってしまうのですわ。同じ孤児院で暮らしている、家族のような方ですもの」
ダガーさんはしばらく黙って私を見ていた。朝日が彼女の横顔を照らし、風が前髪をそっと揺らす。やがて彼女は小さく視線を落とした。その耳がまた、じんわりと赤くなっている。
「……クラリスさんは昔からそういう人なんですよ」
ソフィアが微笑みながら言った。その声には、長い時間を共有してきた者だけが持つ、柔らかな確かさがあった。
「学園のときも、友達が何かをできるようになると、自分のことのように喜んでましたよね。私が試験に合格した時もに真っ先に駆け寄って、一緒に飛び跳ねてたくらいですし」
「……ソフィ、そのあたりにしておいてくださいな」
「うふふ。あのときのクラリスさん、スカートの裾が机に引っかかって破れたのに気づかなくて」
「ちょ、ちょっとソフィ!」
私が少し大きな声を出すと、ダガーさんの口元がほんのわずかに緩んだ。それは笑顔と呼ぶにはあまりに小さな変化だったけれど、確かにそこにあった。
「ではそろそろ休憩にしましょうか。初めてにしては十分すぎるくらいですから」
ダガーさんも私も頷いた。ソフィアはポケットから丸い懐中時計を取り出して確認してから、顔を上げた。蓋を開けるときの小さな金属音が、静かな庭に響く。
「ちょうどいい時間ですね。一度中に戻りましょうか」
「ソフィ、それは時計ですか」
私がそう聞くと、ソフィアは少し口ごもった。懐中時計を手のひらで包み込むように握りしめる。
「……そ、そうですよ」
「珍しいですわね、ソフィが時計を持つなんて。それに高かったでしょう」
「……まあ、いろいろありましてえ」
ソフィアはそれ以上は何も言わず、少し急ぎ足で家の中へと向かった。私とダガーさんは顔を見合わせてから、その後を追った。
家の中に入ると、廊下の空気はひんやりとしていた。裏庭の日差しで温まった肌に、それが心地よい。私たちは足音を忍ばせるようにして、奥の部屋へと戻っていった。
面白かったら感想、評価していただけると、今後の作品制作の励みになります!!




