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第23話 いい笑顔

 朝の買い物を終えて教会の廊下を歩いていると、教室の方から聞き覚えのある声が聞こえてきたので、私は足を止めて扉の隙間からそっと中を覗いた。


「じゃあ次は実際にやってみましょう! ルネくん、こっちに来てくれますか」


「はーい」


 声の主はソフィアだった。昨日の今日である。いや、昨日の今日どころか、気がつけばすっかり教会に馴染んでいる。子どもたちも最初こそ戸惑っていたが、今では朝にソフィアが来ることを当然のように受け入れていた。


 ――本当に呆れますわね。


 私は小さくため息をつきながら、それでも扉の前に立ち止まったまま教室の様子を眺め続けた。ソフィアの授業は、シスターのそれとはずいぶん趣が違った。シスターが穏やかな語り口で知識を積み重ねていくのに対して、ソフィアはとにかく体で覚えさせようとする。今日も何やら計算の授業のはずが、いつの間にか子どもたちを庭へ連れ出して、石を並べたり縄を使って長さを測ったりと、やかましく動き回っていた。


 しかしそのやり方が子どもたちには面白いらしく、ジャン君でさえ不満を言わずに夢中になって参加していた。


 ――そういえば、学園でもそうでしたわね。


 私は記憶を手繰り寄せた。ソフィアは座学こそ平凡だったが、実技になると別人のように輝いた。魔法の授業では複雑な術式を理屈で覚えるのではなく感覚で掴んでしまい、先生が説明している最中から自分で試し始めて、授業が終わる頃には誰より上手くなっているような人だった。


 庭ではしゃぐ子どもたちの輪の中でソフィアが笑いながらジャン君の手を引いている光景を眺めながら、私はふと一つのことを思いついた。


 ――ダガーさんに、ソフィが魔法を教えてはくれないだろうか。


 ダガーさんの冷却魔法は今のところ独学と生まれ持った才能によるものだ。調理場でのあの精確な制御は確かに驚くべきものだったが、基礎がどこまで固まっているかはわからない。ソフィアのように実技で覚えることが得意な人間が丁寧に教えれば、ダガーさんの魔法はさらに伸びるかもしれない。そしてもう一つ。ソフィアとダガーさんの間にある、まだどこかぎこちない距離を縮める機会にもなるかもしれなかった。



 休憩の時間に、私はダガーさんを廊下の端へと呼んだ。


「少し、よろしいですか」


「……なに」


 ダガーさんは壁に背を預けたまま、こちらを見た。


「ソフィに、魔法を教えてもらうことを考えてみませんか」


 しばらく間があってから、ダガーさんの目がわずかに細くなった。


「……なんで」


「ダガーさんの魔法は才能と独学で成り立っている。それは素晴らしいことですわ。でもきちんとした基礎を学べば、今よりもっと繊細な制御ができるようになるかもしれません」


「……」


「ソフィは魔法の実技が得意です。それに人に教えることも上手い。昨日の授業を見ていたでしょう」


「見てた。でも」


 ダガーさんはそこで言葉を切り、視線をゆっくりと床へと落とした。


「……昨日今日会ったばかりの人に、魔法を見せるのは」


「抵抗がありますわよね」


 私はそう言って、少し間を置いた。ダガーさんが顔を上げることなく、静かにこちらの言葉を待っているのがわかった。


「ダガーさん、貴方はずっと一人でやってきた。誰にも頼らず、誰にも見せず。それが貴方の身を守る方法だったのだと思います」


「……」


「でも、それはとても疲れることでもある。私は貴方にずっとそうしていてほしいわけではありませんわ。誰かを信じることは、弱さではないですから」


 ダガーさんは黙ったままだったが、その耳の先がわずかに赤くなっていた。


「ソフィアさんの……都合もあるだろうし」


「あのお節介好きが断るはずがありませんわ」


 私が即答すると、ダガーさんはかすかに口をとがらせた。


「……少し、考えたい」


「もちろんですわ」


 私は教室から聞きえる賑やかさを背に、ダガーさんがその場を後にするのを後ろから静かに眺めていた。



 翌朝、廊下を箒で掃いていると後ろから足音が近づいてきたので振り返ると、ダガーさんが少し緊張した様子で立っていた。


「あの、クラリスさん私……ソフィアさんに、魔法を教えてもらうことにした」


 意を決したような声色だった。私は箒を持ったまま、静かに微笑んだ。


「よかったですわ」


 廊下の奥から、今日もどこかが痛いのか腰をポンポンと叩きながら掃除をしている神父様の姿が見えたので、私はダガーさんと連れ立って近づいた。


「神父様。少しよろしいですか」


「うん? どうしたのかな」


「ダガーさんが魔法の指導を受けたいと申しております。教会を少し抜けさせていただいてもよろしいでしょうか」


 神父様は手を止めてダガーさんをじっと見ると、ダガーさんは視線を受けて少しだけ身を固くした。


「ほほう。ダガー君が自分から何かをしたいと言い出すとはね」


 神父様は皺の刻まれた顔をほころばせながら、深く頷いた。


「もちろん。行っておいで。エトワール君には私から伝えておこう。でも門限までには戻ってくるんだよ?」


「ええもちろんですわ。ありがとうございます神父様。では行きましょうか、ダガーさん」


「……うん。って、今から!?」


 ダガーさんが目を丸くしたので、私はダガーさんの手を取りながら歩き出した。


「決まったが吉日。善は急げですわ」


「ちょ、ちょっと待って! 心の準備が」


「あら、覚悟は前もって済ませるものですわよ?」


 そうして慌てるダガーさんの手を取った私は、教会の扉を開いた。



 パン屋のある通りが見えてきた頃、私はその賑わいに思わず足を止めた。早朝だというのに店の入口には人だかりができていて、しかもやけに男の姿が多い。よく目を凝らすと、その中心にソフィアが立っていた。


 白いエプロンをつけたソフィアは大きな籠を抱えながら次々と客をさばいていて、手渡すたびに花が咲くような笑みを向け、時には客の手を両手で包んで礼を言い、時には仕事頑張ってねと送り出している。その愛嬌に当てられた男たちは皆揃ってとろけたような顔をしていて、中には明らかにソフィアより年下と思しき少年たちまでいて、顔を真っ赤にしてドギマギしていた。


「……相変わらずですわね」


 私が呆れたように呟いて横を向くと、ダガーさんが何やら不機嫌そうな顔をしていた。


「ダガーさん。どうかしましたか?」


「……いつもああして男を魅了してるの?」


 辛辣な一言に私は苦笑いを浮かべながらも、真剣な表情でダガーさんを見た。


「ソフィはそういう人ではありませんわ。誰に対しても同じように接する。それがあの子の生き方なのです」


 ダガーさんが何かを言いかけたとき、籠が空になったのかソフィアが顔を上げてこちらへ目を向けた。


「あ! クラリスさん! ダガーさん!」


 ソフィアが店番を父親に交代しようとすると、途端に男たちから不満の声が上がった。しかしソフィアの父親が大きな体を揺らしながら表に出てきて、腕を組んで一喝する。


「娘はお前らのもんじゃねえ! 買わんなら帰れ!!」


 そんな風に言い合いをしてはいるが、皆口々にパンを注文しているところを見ると、その味はたしかに本物なのだと想像がつく。


「いつものことだから気にしないでください。えへへ」


「大丈夫ですか、お父様が」


「大丈夫大丈夫。みんな気のいい人たちですから!!」


 ソフィアはそう言ってから、次にダガーさんへと笑顔を向けた。


「ダガーさんも、おはようございます」


「……おはよう」


 ダガーさんが短く返すと、ソフィアはそれだけで嬉しそうに目を細めた。


「こんな朝早くにどうしたんですか、お二人で」


「実はお願いがあって参りました。ダガーさんに魔法の基礎を教えていただけないでしょうか」


 ソフィアの目が、ぱっと輝いた。


「もちろんです! ダガーさんは才能勝ちそうなので、いつかこうなるんじゃないかなーって思ってたんですよ!」


「……クラリスさん。私が魔法を使えるって教えてたの?」


「いいえ、今日初めて言いましたよ?」


 ダガーさんが訝しそうな顔をすると、ソフィアはあっけらかんと答えた。


「ふふふ、それはですねえ……魔法使いには特徴があるんです。魔法使いではない人と身体から漏れる魔力の形質が違うから、同じ魔法使い同士なら大体わかるんですよ。ダガーさんは最初に会ったときから、かなり強い魔力を持っているなって思ってましたし」


「……そうなんだ。しらなかった」


「はい! まあ、詳しい話はなかでしましょう。私の部屋に案内しますね!」


 ソフィアの案内で店の裏口を抜けて細い廊下を進み、木の床がきしむ音を立てながら二階へと続く階段を上がると、突き当たりにソフィアの部屋があった。しかしソフィアは扉の前に来たところで、ぴたりと立ち止まった。


「…………あっ、そ、そういば」


 何かを思い出したように固まったソフィアに、私とダガーさんは顔を見合わせた。


「ソフィ。どうかしましたか?」


「えっと、あの。魔法の勉強なら、裏庭でやった方がいいと思いませんか? 広いし、外の方が気持ちいいですし」


「外はまだ早朝で冷え込みますわよ?」


「え、ほら、魔法はインスピレーションが重要ですし!あ、アハハ」


 完全に空笑いだったが、私はその反応に、ぴんと来るものがあった。扉の取っ手からそっと手を離してさりげなく鍵を閉めようとするソフィアの肩を、私はがっしりと掴んだ。ソフィアがびくっと体を震わせて、ぎぎぎと固い動きで後ろを振り返る。


「まさか……部屋の中が汚いから外でやろうとしているわけではありませんよね?」


 ソフィアの表情が、あからさまに固まった。


「ち、違いますよ!? そんなことないですって!」


 口早な否定だったが、視線が完全に泳いでいる。私は閉めようとしていた鍵を慣れた手つきでそっと奪い取ると、扉をゆっくりと開けた。


 次の瞬間、私とダガーさんは絶句した。


 部屋の中は、数え切れないほどの本の山だで足場を探すのに苦労するほど。ベッドもガラクタで溢れかえっているため、床には乱雑に置かれた寝具がそのまま広げられている。奥の机も何かの実験器具や薬品などが所狭しと置かれていて、一人がようやく入れるくらいのわずかな隙間しか残っていなかった。


「……」

「……」


 沈黙が流れる中、私は深くため息をついた。


「以前に、部屋はきれいにしていると言っていましたわよね」


「が、学園生活中よりは綺麗ですよ……?」


 ソフィアがそっぽを向きながら言い訳をすると、隣でダガーさんがあまりの惨状に唖然としたまま固まっていた。


 私は腰に手を当て、ソフィアと部屋を交互に見てから、静かに口を開いた。


「……魔法の授業の前に、まずは片付けますわよ」


「えっ」


「ダガーさんも手伝っていただけますか」


「……うん。わかった。これは流石に酷すぎる」


「ちょ、ちょっと待ってください! お客様に掃除させるわけには!」


「では自分でできますか」


「スゥゥゥゥゥ……手伝ってください……」



 片付けを始めると、すぐに問題が山積した。


 本を一冊どかすと下からまた本が出てきて、その下からは見覚えのない小瓶が転がり出てくる。棚の隙間からは干からびた花びらが落ちてきて、ベッドの下からは何かの羽根が大量に出てきた。


「ソフィ、これは何ですか」


「あー、それは実験で使った素材の残りです。捨てます捨てます」


「こっちの小瓶は」


「それは薬草を蒸留した液体で、まだ使えます!」


「では、こちらの何かよくわからない石の山は」


「それは大事な採集サンプルなので絶対に捨てないでください!!」


 ヒーヒー言いながらソフィアが荷物を仕分けていく横で、私は本を一冊ずつ確認しながら棚へと並べ直していた。ダガーさんは無言で床の寝具を片付けながら、時折出てくる奇妙なものを無表情で眺めている。


「ダガーさん、それは」


「……下着が三枚、一緒に丸まってた」


「ええっ、ちょ、ちょっと待ってください!?」


 ソフィアが顔を赤くしながら飛んできて、ダガーさんの手からそれを奪い去った。しばらくして私が別の場所から何かを引っ張り出すと、それは布に包まれた小さな箱だった。


「ソフィ、これは」


「あっ! それ探してたんです! 大事な植物標本が入ってて、どこにしまったかわからなくなってたんですよ!」


 嬉しそうに受け取るソフィアを横目に、私は積み上げられた本の山に手をかけた。歴史書、植物図鑑、錬金術の入門書、各国の地図、そして魔法に関する文献が何冊も重なっている。


 その中の一冊を手に取ったとき、ダガーさんの動きがふと止まるのが見えた。私が視線を向けると、ダガーさんが一冊の本をじっと見つめていた。表紙は随分と使い込まれていて、背表紙の文字もかすれかけている。


「何を見ているのですか」


「……これ」


 ダガーさんが差し出した本の表紙を見て、私は目を細めた。氷結魔法に関する研究資料、と題されたその本は、他の本と比べて明らかに読み込まれた跡があった。


 ソフィアが近づいてきて、その本を見るなり懐かしそうに目を細めた。


「ああ、それ。王国でも珍しい氷結魔法の権威が書いた書物なんですよ。普通の魔法使いには理解しがたい理論や研究がびっしり詰まっていて、魔法学会ではあまり価値がないって言われているんですが」


 その言葉に、ダガーさんの表情がわずかに固まった。しかしソフィアはそれに気づかないまま、目を輝かせながら言葉を続けた。


「でも私はそう思わなくて。この方の研究、すごく面白いんですよ。たとえばここに書いてあるんですが、氷結魔法というのは単純に温度を下げるものではなく、物質を構成する微細な粒子の動きそのものを操るものだって書いてあって。著者はこれをカロール粒子って名付けていて、その粒子が活発に動けば熱くなり、静止すれば冷える、という考え方なんです。当時の学会からは妄想だって一蹴されたみたいですけど、実際に氷結魔法を使ってみると確かにそういう感覚があって」


 ソフィアが一息に喋り続けるのを、ダガーさんはただじっと見つめていた。その目が、少しずつ変わっていく。固まっていた表情がほどけて、真剣な色に変わっていくのを、私は静かに見ていた。


「著者はレオポルド・シャテニエという方で、生前はずっと日陰の研究者だったらしいんですけど、この書物は本当に素晴らしいものですよ」


 ソフィアの語る内容に私は内心で、息を呑んだ。


 レオポルド・シャテニエ。その名前を、私は当然知っている。シスターに確かめたあの夜、静かに頭を縦に振ったシスターの顔が、一瞬だけ蘇った。


 ソフィアがようやく一息ついたとき、ダガーさんがじっと彼女を見つめていることに気がついてきまり悪そうに笑った。


「あっ!?ごめんなさいね!! 熱中すると周りが見えなくなっちゃって……えへへ」


「……別に、気にしてない」


 ダガーさんは短くそう言ってから、少しの間を置いて口を開いた。


「……ソフィアさんは氷結魔法、一から教えられますか?」


 ソフィアの顔が、ぱっと明るくなった。


「もちろんです! 得意分野ではありませんが、その基礎と応用はだいたい頭に入っていますから!!」


 花が咲くような笑みだった。私はその光景を眺めながら、静かに微笑んだ。ならば後は任せましたわ、とその場を離れようとしたとき、肩にがっしりとした力がかかった。


「クラリスさん。どこに行こうとしてるんですか?」


「……いえ、あとはソフィに任せようかと」


「勉強、一緒に付き合ってくれますよね?」


 ソフィアが満面の笑みを向けている。私は苦笑いを浮かべながら、そっとその手を外そうとした。


「え、遠慮しておきますわ。あとはお二人でどうぞ」


「そうですか。私はクラリスさんのお願いを聞きましたよね。それに部屋に無理やり押し入りもしましたよね。それなのに不得意だという理由で友のお願いも聞かないなんてねぇ〜」


「うう、それは……」


「まさかクラリスさんに限って、そんな無礼な人だとは思いませんよ? クラリスさんはとても優しいお方ですから。それに……」


 ソフィアの肩を掴む力が増すと同時に、体がうまく動かせなくなった。足が床に吸いつくような、不思議な感覚だった。私はそれが魔法による拘束だと気づいた瞬間、反対側からそっと手を握られた。


「……クラリスさん。一緒にいてほしい。それとも私とじゃ、嫌?」


 ダガーさんが、上目遣いで私を見ていた。


 私は天を仰ぎたくなるのをこらえながら、ソフィアへと視線を向けた。


「……お手柔らかに頼みますわ」


「駄目です」


 ソフィアはとてもいい笑顔で、きっぱりと言い放った。

面白かったら感想、評価していただけると、今後の作品制作の励みになります!!

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