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第21話 新任教師ソフィちゃん!!

朝の市場は、いつも通り賑やかだった。石畳の上を人が行き交い、野菜を売る声と荷車の音が混ざり合っている。私は買い物の用事を済ませながら、来た道を引き返していた。そのときだった。


「クラリスさーん!」


 通りの向こうから、よく通る声が飛んでくる。私は思わず立ち止まり、声の方へ目を向けた。すると視線の先、人の波をかき分けながら黒色の髪を揺らして駆け寄ってくる人物がいた。


 ――あれは、ソフィアですわね。


 私は小さくため息をついた。昨日の再会の余韻も冷めやらぬうちに、もう顔を合わせることになるとは思っていなかった。


 そもそもの話をすれば、昨日の別れ際に修道院の場所を伝えたのは私自身だ。もし何かあれば来てほしいとも言った。しかしそれはあくまで緊急の連絡手段として、という話のつもりであり、まさかその翌朝に市場でばったり出くわすことになるとは。


「こんな朝早くからどうしたのですか、ソフィ」


「パン屋の仕込みのついでに買い出しに来たんですよ。そしたらクラリスさんがいるじゃないですか!」


 ソフィアは息を弾ませながら、まったく悪気のない顔で笑っている。


 ――全く、ソフィは昔から変わりませんわね。


 私は思わず苦笑いをこぼした。学園でもこうだった。廊下ですれ違えば真っ先に声をかけてきて、食堂で目が合えば当然のように隣に座る。あの頃と何一つ変わっていない。


 昨日、路地裏で言葉を交わした後、ソフィアは帰り際に「修道院にお邪魔しても良いですか」と尋ねてきた。構わないと答えながら素性には気をつけるよう釘を刺すと、ソフィアは目をきらりと輝かせて「じゃあ早速明日にでも」と言いかけたので、私は慌てて「早まらないように」と制したのだが。


 その約束から一夜も経たぬうちに、こうして市場で顔を合わせているのだから、まったく気が抜けない。


「それで、教会にはいつ来るつもりですか」


「うーん。今日の午後はどうでしょう。仕込みが終わったら伺えると思うんですけど……」


 私はしばらくソフィアの顔を見つめた。


「……随分と気が早いのですわね」


「だって気になるじゃないですか、子どもたちのこと! クラリスさんが孤児院で一緒に暮らしているって聞いて、どんな子たちなのかずっと気になっていて」


 目がきらきらしている。止めても無駄だということは、昨日の時点で薄々わかっていた。


「……わかりましたわ。ただし、私のことは引き続きクラリスと呼ぶように。それだけは守ってくださいね」


「もちろんです!」


 元気よく頷くソフィアを見ながら、私はもう一度小さくため息をついた。賑やかになりそうですわね、と内心で呟きながら。



 約束通り、ソフィアは午後になると教会の扉を叩いた。私が出迎えると、大きな籠を抱えて立つソフィアの姿が目に入る。


「えへへ、折角なのでパンを少し持ってきました。皆さんへのご挨拶代わりに!」


「……別に気を遣わなくても良いのですわよ?」


「いいえ、手ぶらでは来られませんよ!!」


 そう言ってにこりと笑うソフィアを中へ招き入れると、廊下の奥から足音が近づいてくる。


「クラリスお姉ちゃん、誰が来たのー?」


 真っ先に顔を出したのは、やはりジャン君だった。ジャン君はソフィアを見るなり目を丸くして、次の瞬間には興味津々の顔になっている。


「誰ー? この人?」


「ソフィアといいます。クラリスさんとは昔からのお友だちです!」


 ソフィアがジャン君の目線に合わせるようにかがんで、にこやかに手を差し出すと、ジャン君はしばらくその手を見てから照れくさそうに握り返した。


「俺はジャン。よろしくね。ソフィアお姉ちゃん!」


「ええ、よろしくね、ジャンくん!!」


 廊下の奥でその様子を眺めていたマリーちゃんとリゼットちゃんが、顔を見合わせて小さく頷き合うと、つられるようにそろそろと近づいてきた。ルネ君だけは少し離れた場所で静かに立っている。そしてその更に後ろ、部屋の入り口近くの壁に背を預けて腕を組んでいるダガーさんの姿が見えた。こちらには近づいてこない。ソフィアをじっと見るその目は、どう見ても歓迎の色をしていなかった。


 私はその様子を横目に見ながら、内心でため息をついた。



 昼食の準備のため、私とダガーさんとソフィアの三人で調理場へと移動した。


 子どもたちはシスターに促されながらも惜しむように後ろを振り返りつつ、勉強部屋へと向かっていく。調理場に入ると、私は手早くその日の段取りを頭に並べた。今日の昼は根菜のスープと焼きたてのパン。ソフィアが持ってきてくれた分があるので、パンを作る工程は省けますわね。


「ソフィ、野菜の皮剥きをお願いできますか。包丁はここに」


「はい、わかりました!」


 ソフィアは籠を端に置くと、慣れた手つきで包丁を手に取った。その動きに迷いがない。私はそれを横目で確認しながら、スープの仕込みに取り掛かった。


 ダガーさんは黙って自分の持ち場に立ち、鍋に水を張り始めている。しかしその背中が、いつもよりわずかに固い。


 三人で黙々と作業を続けていると、ダガーさんがふと口を開いた。


「……ねえ」


「はい?」


 ソフィアが手を止めてダガーさんを見る。


「クラリスさんと、どこで知り合ったの」


 質問というより、確かめるような口調だった。ソフィアはその雰囲気を察してか、少し慎重に言葉を選ぶ。


「昔、同じ学校に通っていたんです。その時に色々あって、クラリスさんにとても助けていただいて。それからずっと仲良くしていただいていました」


「……ふうん」


 ダガーさんは短く答えると、また黙って鍋の方へ視線を戻した。言葉が続かない分、ソフィアが困ったように私へちらりと目を向けてくる。


 私は包丁を動かしながら、ダガーさんへ静かに口を開いた。


「ダガーさん」


「……なに」


「ソフィアは私が信頼している人ですわ。今日ここに来たのも、きっと皆にいい影響を与えてくれると信じているからです」


 実際はソフィの押しに負けて半ば無理やり突入されたという表現が正しい。ですが今言ったこともまた事実ですわ。私の言葉を聞いたダガーさんの手が、ほんの少しだけ止まった。


「……わかってる」


「わかっているなら、もう少し肩の力を―――」


「わかってるって!!」


 ダガーさんは遮るように言って、再び鍋へと視線を落とした。その耳の先が、うっすら赤くなっているのを私は見逃さなかった。これはダガーさんの気持ちが高ぶっている証拠。最初こそ恥ずかしがっているだけかと思っていましたが、どうやら怒っているときや悲しんでいるときも耳が赤くなるらしい。


「あ、ごめんなさい……大声だして」


「いいえ、大丈夫ですわ」


 ソフィアは私たちのやり取りをそっと見守っていたが、やがてダガーさんへ向き直り、柔らかな声で言った。


「えっと、突然、知らない人が来たら驚きますよね―――コホンッ。改めて、ソフィア・フィオーレといいます。よろしくお願いします」


 ダガーさんはしばらく沈黙した後、ぽつりと答えた。


「……ダガー」


「ダガーさん、ですね。よろしく」


 二人の間に短い沈黙が落ちたが、調理場の空気がわずかに緩んだような気がした。


 その後は三人で黙々と作業を続けた。途中でソフィアが慣れない手つきで鍋を持とうとして危うくこぼしかけるひと幕もあったが、それ以外は特に問題もなく事は進んだ。片付けになるとソフィアは手際よく動き回り、私が指示するより先に台の上を整えていく。


「随分と慣れていますわね。昔とは大違いですわ」


「ふっふーん。なんたって今はパン屋ですからね。昔みたいに片付け下手なんて言わせません!!」


「……本当ですか?」


「ああー!? その顔。信じてませんね!? 何だったら私の部屋見にきますか?」


「あら、では今度お邪魔させていただきましょうか。ダガーさんも一緒なら、きっと片付けもすぐに終わりますわ」


「ひっどーい!?」


 ソフィアが笑いながらそう言うと、それを横目で見ていたダガーさんの口元が、ほんのわずかに緩んでいるように見えた。



 片付けを終えて廊下を歩いていると、勉強部屋の前でシスターの穏やかな声が聞こえてきた。私たちは足を止め、扉に手をかけずにそっと覗き込んだ。


 なかではシスターが子どもたちに向かって、静かに語りかけていた。女神様の教えについての、道徳の授業だった。ルネ君とマリーちゃん、リゼットちゃんの三人は真剣に耳を傾けている。しかしジャン君だけが頬杖をついて、いかにも退屈そうな顔をしていた。


 ジャン君の様子に気がついたシスターが、ふと廊下へ視線を向けると、私たちを見つけて穏やかに微笑んだ。


「ソフィアさん。よろしければ少し、授業を手伝っていただけませんか」


 ソフィアが少し目を丸くして私の方へちらりと目を向けてくる。私は軽く頷くと、ソフィアはしばらく考えてから了承して教室へと入っていった。


 私とダガーさんは廊下に並んで立ったまま、教室の様子を眺めた。教壇に立ったソフィアの姿は妙に様になっていて、普段とはまた違う印象を受ける。


 そういえば、魔法の授業で落ちこぼれていた私にも、随分と丁寧に教えてくれていたことがあった。先生としての才能があるのではないかしら。そんなことを考えていると、ソフィアが皆に向き直って口を開いた。


「みなさんは、女神様ってどんな方だと思いますか」


 子どもたちが顔を見合わせた。シスターとは少し違う、友人に話しかけるような柔らかい口調だった。


「うーん優しい神様?」とマリーちゃんが恐る恐る手を挙げる。


「ふふふ。正解ですよ。女神様はとっても優しい神様です。聖書にもそう書かれていますからね―――じゃあ、どうして優しいと言えるのか?」


「困った事があっても、祈ったら助けてくれるから?」とリゼットちゃんが続けた。


「そうですね。でも祈っても助けてもらえなかったって感じたことはありませんか」


 教室に少しの沈黙が落ちると、ジャン君の頬杖がいつの間にかほどけていた。


「……ある」


 ジャン君にしては珍しく落ち着いた声だった。お腹がすいている時や困っている時に、祈っても何も変わらない時があると言うジャン君に、周囲のみんなは少し笑っているが、ソフィアは否定せず真剣な顔で頷いた。その反応にジャン君が少し面食らっている。


「私もそう思ったことがあります。じゃあ女神様は意地悪なんでしょうか」


「……違うと思う」


 ルネ君が静かに口を開くと、ソフィアは賢いですね、と短く言ってから続けた。


「女神様は助けたいと思っている。でも女神様が直接手を伸ばせる場所って、実はすごく少ないんじゃないかって私は思うんです」


「神様なのに?」


「神様だからこそ、です」


 ソフィアの発言に子どもたちはイマイチ理解できないという風な表情で首をかしげている。そんな子どもたちの反応が可愛らしいのか、ソフィアは軽く微笑みかけながら言葉を続けた。


「聖書にはこんな一文があります。【汝、信ずる者は救われる】。これはそのまま、女神を信じたものには救いが訪れると言うもの」


「ですが他にもこんな一文もあります。【己の知と欲のみを欲することなかれ。それは信仰にあらず。想いやることこそが尊き信仰となる】。簡単に言うと、自分のしたいこと、信じたいことを願うのは信仰とは呼べない。でも誰かが求めたことをしたいという想いは信仰たり得る。ということです」


「じゃあ、女神様は助けてくれないの?」


「【逃げて縋り付いた先には真の救いはない。汝こそが救いであれ】……つまり私たち自身がその救いとならなければならない」


「うーん。難しいよ」

「女神様ってやっぱ、俺達を救ってくれないってことでしょ?」

「そういうことー?」

「で、でも、信じる者は救われるって言ってるよ?」


 混乱する子どもたちをソフィアはぐるりと見渡した。


「ふふふ。なんだかこんがらがってきてるみたいだから、結論から言いましょう。女神様は、人の手を借りて世界を助けているんだと思います。だから誰かが困っている時に手を差し伸べられる人が増えれば増えるほど、女神様の救いの手も増えていく。きっと女神様は自分で救うよりも、私達自身が救う事の方が良いことだと思っているのではないですか?」


 マリーちゃんがぱっと顔を上げた。


「炊き出しもそれ? クラリスお姉ちゃんたちがやってるやつ」


「そうです、まさにそれです」


 誰かのために動くこと。それが一番身近な女神様のお手伝いだと、ソフィアは静かに言葉を結んだ。


 しばらくしてリゼットちゃんがおずおずと手を挙げる。


「ソフィアさんは……どうしてそんなに詳しいんですか。修道院の人じゃないのに」


 リゼットちゃんの言葉を受けて、ソフィアは難しい表情を浮かべながらゆっくりと語り始めた。


「詳しいというより、ずっと考えてきたんです。なぜ世の中には不公平なことがあるのか、なぜ努力しても報われない人がいるのか。答えはまだわからないけれど、考え続けることをやめないようにしています」


 そして一度大きく息を吸い、続けた。


「私達が思考を止めた時、きっと信仰は陳腐な妄想となってしまう。だからこそ、私達は常に考える。神を、教えを、そして自らの人生をね」


 その言葉を口にした瞬間、教卓の端に置かれていた小さな花瓶がほんのわずかに揺れた。誰も触れていないのに水面だけが静かに波紋を描き、またすぐに元の静けさに戻っていく。ソフィア本人は気がついていない様子で話を続けていたが、廊下からその光景を目にしていたのは私だけだった。


 学園でソフィアが成績優秀だったことは知っている。そして今、子どもたちに教える姿は紛れもなく正しい道に導く聖職者そのものだった。シスターが感慨深く頷いているのを見るに、本職からしても良い説教だったのかもしれない。


 その考えを胸の奥にしまいながら教室へ視線を戻すと、隣でダガーさんがぽつりと呟いた。


「……上手に教えるんだね」


 素直な一言だった。ソフィアには届いていないが、私にははっきりと聞こえていた。ちょうどその瞬間、ソフィアがふと廊下の方へ視線を向けた。私たちの姿に気がついたのか、肩の力が抜けたような屈託のない笑みをこちらへ向けてくる。ダガーさんは視線を逸らしたが、その耳の先がうっすらと赤くなっていた。


 私はその様子を見て、静かに微笑んだ。


「ええ、本当に」



 夕暮れが石畳をオレンジ色に染める頃、ソフィアが帰り支度を始めた。ソフィの授業はシスターと違い、実技的な物が多かったためか子供たちの評判がすごく良かった。特にジャンくんの懐きようは、私が来たときよりも大きかったような気がする。これはひとえに人懐っこいソフィの性格が関係しているのだろうと思う。


 玄関先に集まった子どもたちが、口々に名残惜しそうな声を上げている。


「またきてよ、ソフィアお姉ちゃん!」

「パン、すごく美味しかった!」

「また来てねー?」

「……来てねー」


 ジャン君の大声からリゼットちゃんの控えめな一言まで、それぞれの見送り方だった。ソフィアは一人一人に笑顔で答えながら、少し間を置いてダガーさんへと向き直った。


「いやー初めての授業ってドキドキしますね! ダガーさん。私の授業どうでした?」


 ソフィアの問いかけを受けて、ダガーさんはそっぽを向いたまま短く答えた。


「……良いと思う」


「やった!」


 ダガーさんの素っ気ない返答を聞いたソフィアは、それでも嬉しそうに表情をほころばせながら私へと向き直った。


「クラリスさん、今日はありがとうございました」


「こちらこそ。子どもたちが喜んでいましたわ」


 私がそう答えると、ソフィアは籠を抱え直して夕暮れの石畳へと歩き出した。角を曲がる直前に振り返ってひらひらと手を振り、やがてその姿が石畳の向こうへと消えていく。


 本当に随分と賑やかな一日でしたわね。私は静かにそう思いながら、教会の扉をそっと閉めた。

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