第2話 公爵令嬢の終着点
「時間だ。腕を腰に後ろを向きで立て」
「ええ、わかりましたわ」
私はマーカスさんの指示通り、腕を後ろに回しながら壁を向く。すると後方から『ジャラジャラ』という金属音と『ガチャリ』という音が牢屋内に響いた。
それからすぐ、後ろに回した私の手首が金属の冷たい圧迫感に襲われる。
「よし前を向け……って、寝てないのか」
マーカスさんは眉をひそめながら、私の全身を観察している。彼の性格からして他意はない事はわかっていますが、こうまでマジマジ見られると流石に恥ずかしいですわね。
私は恥ずかしさを隠すように、得意の令嬢然とした表情を作る。
「ふふっ。処刑当日にゆっくり出来るほど、私は強くありませんわ」
マーカスさんは眉間にシワを寄せながら、手枷と私の腰に縄を繋いでいる。少し縄の結び方が雑なのが気になりますが、これも恐らく殿下からの指示なのでしょう。
まったく。成すべき事を成す様にと言ったはずですのに、身内に甘いのは昔から変わりませんわね―――まあ、そういう普段とのギャップに惚れた私も人の事を言えませんが。
いま思うと彼のそんな甘さが、ベルフォール家や学園での厳しい教育を受ける上でどれだけ助けになったか。
「ゆっくりできないって……。お前じゃないだろ。処刑されるのはよ」
「ふふっ、そうですわね。ですが、それでもクラリッサ・ド・ベルフォールという人物は確かに、このあと処刑場で命を落とす事となるのです。マーカスさんには理解できますか? 私という16年の人生すべてが否定される恐怖を……」
私は学園や社交界で鍛え抜かれた表情コントロール技術で、いつも通りの笑みを浮かべる。そんな私の顔を静かに見つめているマーカスさん。なぜかしら、マーカスさんに向けられると、上手く表情をコントロールできていない気がしますわね。
そこで私は過去に向けられた私への視線を思い出す。社交界でも見つめられる事はありましたが、それはあくまでもベルフォール家に対する意識の結果でしかなかった。でもいま目の前にいるマーカスさんのソレは、私を個人を意識しているのがわかる。
ああ、なぜこうも恥ずかしく感じるのか分かりましたわ。彼の向ける視線は、殿下が私に向ける視線にそっくりなのですわね。彼は純粋に私を見ている。ただ殿下のような恋愛感情などではなく、一個人としての興味という違いはありますが。
「……お前は一体、何をしでかしたんだ?」
私が考え事をしている姿に何を思ったのか、マーカスさんは神妙な面持ちで見つめている。
「あら、尻尾を掴もうとしてますの?」
私は軽口を叩くとマーカスさんは、視線だけ下げて作業を少し止めてしまった。そんなマーカスさんの姿がどこか後ろめたそうに見えるのは、彼の苦労人気質が原因なのだろうか。
うーん。あれですわね。看守は真面目であるに越したことはないと思いますが、マーカスさんの場合は少し生真面目すぎる気がしますわね。そんな彼の事ですから、きっと無罪な私を牢に閉じ込めたと……そんな事を考えて罪悪感に苛まれているのかもしれませんわね。
「……殿下直々に深入りするなと釘を差されてるから、無理に聞いたりはしないがな」
「その方が利口ですわ」
「……」
またしても牢屋内に沈黙の時間が流れる。
「はあ……。私は何もしてませんわ。強いて言うなら今も殿下を―――愛している。ただそれだけですわ」
「愛、か」
「ええ、愛ですわ」
そこまで話すと、またしても二人の間に沈黙の時間が続く。そこでとうとう、私の堪忍袋の緒が切れてしまった。
「ああー、もうっ焦れったいですわね! 縄を貸してくださいまし!」
「はあ!? どうやって手枷を外した?!」
マーカスさんが目をパチクリさせながら、私の片腕にぶら下がた手枷を眺めている。
どうやらワザとではなく、本当に気がついていなかったのですわね。いつもの彼なら、こんなつまらないミスはするはずが無いのですが……それだけ精神が不安定になっている証拠でしょうか。
「マーカスさんが手枷の鍵を締めていないからですわ! もし凶悪犯だったら今頃、マーカスさんは殺されていましたわよ!?」
「う……」
私は腕に《《はめただけ》》の手錠をマーカスさんに返す。そして腰に中途半端に巻かれた縄を解いて、再度、自分自身に巻き付けた。
初めてやりましたが、案外なんとかなるものですわね。私が牢に入って1年と少しですが、幾度となく牢で拘束されている囚人を見ていたのが役立ちましたわ。
「相手が誰であれ、罪人をコントロールするのが貴方の仕事。例え殿下からの指示であっても、現状囚人である私への気遣いは不要ですわ」
「そ、そうだな。すまん」
「謝罪は不要ですわ」
「あ、ああ……」
マーカスさんは手錠を少し眺めると謝罪をしながら、私の手首に手錠をはめ直す。今度は鍵をちゃんと締めて。
「……マーカスさん。私は貴方の事は好きすわ」
「はあ!? それってどういう!?」
マーカスさんは目を大きく見開き、数歩後ろへと後ずさる。その姿を見た瞬間、私の放った言葉選びの過ちに気がつく。
うん。これは私の言い方が悪かったですわね。頭が回っていない相手にあんな言い方をすれば勘違いされても仕方がありませんわ。あれじゃあ、誰が聞いても愛の告白ですわね。
「えーっと、勘違いしないで欲しいのですが、私が愛しているのは殿下とベルフォール家の者たちだけですわ。さっき私が言ったのは、貴方の人柄や仕事への真摯さに対する好意ですわ」
「ああ、すまん。そういうことか。びっくりしたぞ」
私の言葉に安心したようで、深く息を吐くマーカスさんは先程までの不安げな表情ではなく、いつも通りの無骨ながらも温かみのある表情に戻っていた。
「いえ、私の言い方も少し悪かったですわ。とにかくマーカスさんは私が知る限り、とても良い看守であったということですわ」
「そりゃどうも……。公爵令嬢のお前にそう言われるのはまあ、悪い気はしないな」
「元……ですがね」
あれですわね。これ、自分で言っていても少し悲しい気持ちが込み上げてきますわね。いくら死なないとはいえど、自分のこれまでが闇に葬られる言いようのない不安。まるで心臓を鷲掴みにされるような、あるいは水の中に沈んでいるかのようなこの息苦しさ。
私の胸の奥がチクリと痛む。
「はは、そうだな。よし。終わったぞ……どうかしたか?」
「いいえ、何でもありませんわ」
私はそんな不安を知られないように気丈に振る舞うと、マーカスさんは首を傾げながら立ち上がる。そして縄を自分の腰の拘束ベルトに取り付けると、そのままゆっくり牢の外へと足を運ぶ。
「そうか? じゃあ、行くか。足元に気をつけろよ。怪我なんてされたら俺がどやされちまうからな」
「わかっていますわ」
私は促されるまま牢を出ると、迷路のように入り組んだ道を進んでいく。そしてしばらく歩いていると、マーカスさんが進行方向に視線を向けながら静かに口を開いた。
「あー、ベルフォールさん」
「クラリッサでいいですわ」
「そうか。じゃあクラリッサさん……その、ありがとな」
本当にマーカスさんは何処までも生真面目ですわね。彼とここで出会ってからまだ一年と少ししか経っていないが、囚人の殆どは彼に悪態をつくことはあっても、命令に背くことがないことからも彼の人柄をすぐ理解できた。今だって年齢的に娘どころか、孫ほども年齢の離れた私に"さん"付けしている。
でもそれこそ殿下が彼に、私を移送する職務を与えた要因なのでしょう。
「……いえ、気にしないでください。それよりもこれから何処に向かうのですか?」
「この牢獄は城壁内の地下に建てられている。まずは地上へ上がり、東側の城門に向かう」
城の東側……。昔に殿下から聞いた話だと、主に物資の運搬で日夜使われる場所だったかしら。確かに馬車の出入りが多い所なら、私が荷台に紛れ込んでも疑われづらいでしょうね。
「そこに馬車が待ってますのね」
「ああ、だがそれまでは門横にある簡易的な牢屋で、出発時間まで待機する事になっている」
「すぐには出発しないのですわね」
てっきりすぐ馬車で出発するものだと思っていましたが、物資運搬は手続きや中の物を調べたりもするでしょう。出発が遅れるのは当然と言えば当然ですわね。
「ああ、出発はアンタの身代わりの公開処刑が始まるのと同時だ。まあ、少しでもアンタが生きているのを隠すためだろうな」
ああ、なるほど。公開処刑で民衆の目を少しでも逸らすということですわね。私が城門へ向かっているということは、もうすでに私の身代わりとなる囚人の準備も済んでいるのでしょう。
そこまで考えると、今まで気付いていなかった疑問が頭に浮かぶ。
「あのマーカスさん。私の身代わりとなる方はその……。無理やり……」
私が口吃っていると、それに気がついたマーカスそれが言葉を遮るように立ち止まった。そして一度、私の方に振り返ると、まるで親が子を宥めるような声色で話し始める。
「一応言っておくが、身代わりとなる囚人とは正式な《《契約の儀》》が執り行われている。意味はわかるな?」
「……恩赦ですか」
私の言葉に軽い笑み(と言っても笑みとも言えない、ぎこちない物であったが)を浮かべて、再び廊下を歩き出す。だが先程よりも歩調が遅くなっていることから、身代りとなった方を気にしている私に合わせているのだと気がつく。
そんな彼は散歩をするかのようにゆっくりと言葉を続けた。
「ああ、形としてはな。今回処刑になるのはレオポルド・シャテニエという男だ」
私が無実の罪で投獄されるよりも数年前に王国で起こった大規模なテロ事件。その首謀者がレオポルド・シャテニエという男だったはず。
「聞いたことがありますわね。たしかテロを起こした組織のリーダーだったでしょうか」
私の言葉に頭を縦に振るマーカスさんだが、その表情はどこか暗く見える。
「ああ、本来なら一族郎党皆殺だろう。だが模範囚だったからな。今回の条件を飲めば、テロ事件に関わっていない親族には恩赦を与える事となったらしい」
「でも確か彼の家族は……」
「ああ、テロのどさくさで随分と殺されていたらしいからな。今は血のつながった娘が一人だけしかいない。だから恐らくシャテニエ処刑のあと娘は、孤児院か修道院に引き渡されることとなるだろう。もちろん国の手が入っている施設だ」
犯罪者の娘を好き好んで、引き取ろうなどというもの好きは少ないですものね。仕方のない事ではあるのでしょうけれど、やりきれない気持ちになってしまいますわね……。
「国に一生監視されながら生きていくということですわね」
「ああ、自由に見えてその実、以降の人生はすべて制限される事になる。無理に抜け出せば当然、恩赦は無効となり処刑されるだろう。だがそれも含めてアンタが気にすることじゃない」
そこまで聞いてふと、昔にお父様の口から聞いたとある言葉が私の口から漏れる。
「壁の無い監獄」
それは情報網という鎖であり、民衆という看守たちが相互監視し合う社会に対する比喩だったはず。だがそれがまさに彼女らを表す状況にそっくりなように感じた。
そんな何気なくつぶやいた私の言葉に、少しだけ驚いた表情を浮かべるマーカスさん。
「よく知ってるな。それも殿下に聞いたのか? っと着いたぞ」
気がつくと私たちは外へ繋がる階段を登りきっており、マーカスさんが一枚のボロボロな布を差し出してくる。
「ここから先はアンタの姿を見られるのはマズイからな。このローブを着てもらう」
私は素直にそのローブを受け取ると、今まで嗅いだことのない香りが漂ってくる。その元は当然、眼の前にあるボロボロのローブ。
私はオズオズとローブに鼻を近づけると、やはりローブからどこか甘い、しかし爽やかな酸っぱさのある香りが付いていた。
「何だか良い香りがしますわね。なにかのスパイスかしら?」
「ああ、馬車の移動中に、猟犬やらに後をつけられる可能性も無くはないからな。というかスパイスの香りってよく気がついたな」
「ええ、種特有の甘い香りの他にスパイシーさ、酸っぱさもほんの少しあるかしら……? 妙に良い香りですわね。まさかと思いますが……」
「……ああ、殿下の指示だよ。何の種かは知ら無いがすり潰して油と混ぜた香水を振りかけている。一応それも後で渡すから、香りが薄れてきたら振りかけろとの事だ」
そう言いながらマーカスさんは懐から小さな瓶を取り出す。中には黒っぽい粒や木の樹皮のような物が液体に浸されている。
「種……というよりはシナモンや胡椒のようなスパイスだったのですわね」
「シナモン?胡椒?ってのは何なんだ」
「……珍しいスパイスですわ。でも香りはぜんぜん違うので、これは恐らく殿下が特注で取り寄せたものでしょう」
マーカスさんは私の言葉に首を傾げている。それも当然のこと。彼は知らないことですが、私の持つ知識―――というよりは私の持つ奇跡【美食啓示】によって得た情報ですもの。
先日作ったプーレ・オ・ポもこの、【美食啓示】の知識を元に再現した一品。だが所詮は再現止まりでしかなく、完全に知識通りの味では無いのである。
今回のスパイスも同じで、見た目は似ていても匂いが違う事など結構あるのですわよね。
「薄々気がついていたが、殿下は随分とクラリッサさんに甘くないか……?」
ローブと香水入りの瓶を眺めながら呟くマーカスさん。何処か呆れた表情に見えるのは気の所為ではないのでしょうね。実際、私も同意見ですし。
でもそう考えると社交界、それも大衆の面前で私を断罪したことが何処か釈然としないのですわよね。
もし私が冤罪だと分かっていたのなら、その場で否定すれば済む話のはず。じゃあなぜ殿下は皆の目がある場で……。あの場に私を陥れた犯人がいて、命を狙われていたから? でもそれだと犯人を野放しにする理由がない。まさか複数犯?
駄目ですわね。最近こういった事を考えていなかった事と、【美食啓示】から来る料理の知識が邪魔をして上手く考えがまとまらない。
一度でも料理をすれば霞ががった思考も、少しは晴れると思っていましたが……。これは本格的に料理欲を発散しなければならないですわね……。
私はそこまで考えると、半ば思考放棄しながら話を続ける。
「ええ、そうですわよね。ここまで甘やかすなら、処刑を回避してほしかったのですが……」
……流石に思考放棄しすぎましたわ。これは完全に私のワガママですわね。過程はどうであれ、殿下私を処刑から救ってくれたことに違いはないのに。
私の口から漏れた感情に、少しだけ気まずそうな表情を浮かべるマーカスさん。
「う、うーん。どうなんだろうな。俺には殿下の考えはわからないからな……っと、そろそろ行かないと処刑に間に合わなくなるな」
「そうですわね―――さあ、行きましょう」
そう言いながらボロボロのローブを被ると突如、胸の奥から満足感が溢れてくる。私は目に溜まる涙を軽く布で拭うと、目が眩むほどの太陽の光が大量に流れ込んでくる。
そんな温かさに包み込まれるなか私は、次第に強くなる"甘酸っぱい香り"を静かに噛み締めた。
面白かったら感想、評価していただけると、今後の作品制作の励みになります!!




