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第18話 老いても消えない野望の灯火

 話を終えた瞬間から、私の目は素早く調理場を見渡して、視線は壁際の棚に並ぶ野菜へと止まる。私はレオン様に断りを入れてから、棚へと近づいて一つ一つ手に取った。根菜が中心だった。ニンジンに似た橙色の根菜、それからカブのような白い根菜。どれも瑞々しく、見ただけで鮮度の高さをうかがい知れる。


 私は棚の前でしばらく、手の中の根菜を見つめていた。


 新鮮ではあるが保存の利く食材が中心。ならば料理の方向性は、素材を活かしたシンプルなものが良い。火を入れすぎず、素材本来の色と香りを閉じ込める。それでいて、この調理場の者たちが見たことのないもの。


 方向性は決まった。しかしまだ作る料理が決まらずにいる。この根菜を美しく活かすには、繋ぎになる何かが必要ですわね。私は視線を調理場の中へ巡らせながら、近くで肉を切り分けていた料理人へ声をかけた。


「すみません。この骨はお使いになりますか?」


 私が横に置かれた骨に手をかざすと、料理人は手を止めて怪訝そうな顔をする。しばらく間があってから調理場の端を指さして、ぶっきらぼうに答える。


「……使わない。そこの桶の中にあるやつは自由に使え」


「ありがとうございます」


 その言葉を聞いた瞬間、私の頭の中で一皿の輪郭がくっきりと浮かび上がった。


 ――骨からゼラチンを引き出して、この根菜を閉じ込める。白ワインのソースを添える。いわゆるテリーヌという料理。これなら食材の味を十分に発揮できるはず。


「レオン様」


 私が振り返ると、レオン様はまだ扉の近くに立っていた。


「ダガーさんをこちらへ呼んでいただけますか。お力を借りたいことがありますわ」


「あ、ああ。わかった!」


 レオン様は一瞬だけ目を丸くしたが、すぐに頷いて調理場を出ていった。


 私はすぐに動き始める。まず時間のかかる作業から片付けなければならない。料理長たちの視線を背中に感じながら、私は骨の入った桶を持ってきてもらい、大きな鍋に骨を入れ、水を張って竈にかけた。沸騰するまでの間に、私は手早く根菜の皮を剥き始める。


 トン、トン、と一定のリズムで刃が入る。調理場の喧騒の中に、私の包丁の音が混ざっていく。


 周囲の料理人たちは各々の作業を続けながらも、視線の端でこちらを窺っていた。何をするつもりなのか、という警戒と好奇心が入り混じった目だった。料理長は腕を組んだまま、調理場の奥で何かを考え込んでいる様子で、時折こちらへ視線を向けては、また逸らした。


 骨が煮立ち始めた頃、調理場の扉が開いた。


「クラリスさん、連れてきた――」


 レオン様が言葉を途切れさせた。私がすでに竈の前に立ち、複数の鍋を同時に動かしているのを見て、目を丸くしていた。そして隣のダガーさんが、やっぱりという顔をしている。


「ダガーさん。テリーヌ用の野菜の下準備をお願いできますか」


「それはいいけど……テリーヌ?」


 ダガーさんが小首を傾けた。そうですわね、この世界では聞き慣れない名前ですわね。私は手を動かしながら、なるべくわかりやすい言葉を選んだ。


「野菜を型に綺麗に並べて、ゼラチンで固める料理ですわ。切り方が仕上がりに影響しますので、できるだけ同じ大きさ、同じ形に揃えていただけると助かります。目安はこのくらいの長さで、指二本分ほどの幅で角切りですわ」


 私は手近な根菜を手に取り、大きさを指で示しながら説明した。ダガーさんはじっとそれを見つめ、一度だけ頷く。


「……わかった。これ借りて良い?」


「ああ。だがあまり雑には……」


 ダガーさんは近くの料理人から包丁を借りると、まな板の前に立った。最初の一切れを入れた瞬間、周囲の料理人が少しだけ動きを止める。無表情のまま淀みなく刃を走らせるその手つきに、誰もが思わず目を向けていた。切り出された野菜は、私が示した寸法から寸分も外れていなかった。


 私はその様子をひと目見て、小さく微笑むとすぐに持ち場へ戻った。


 骨のアクを丁寧に掬いながら、私は火加減を調整する。コラーゲンをしっかり引き出すには時間と温度の管理が肝心だった。煮立てすぎると濁りが出る。じっくりと、焦らず。その合間に、私は小麦粉と卵を合わせ始めた。麺がなければ作ればいい。粉に卵を落とし、塩をひとつまみ加えて捏ねていく。生地が耳たぶほどの硬さになるまで、私は黙々と手を動かし続けた。


 そうして骨を煮込み続けること、しばらく。ダガーさんの手元では、根菜が整然と切り揃えられていく。私は時折鍋の様子を確かめながら、ダガーさんの進み具合に目を向けた。過不足なく、均一に。指示した通りの形と大きさで、野菜が静かにまな板の上に並んでいた。


「……これで良い?」


「ええ、完璧ですわ。流石ですわねダガーさん」


「別に。これくらい楽勝。何処かの誰かさんのお陰で」


「あ、あはは。すみません……」


「……ん」


 確かにいつも細かくしてもらうのはダガーさんにお願いしていましたが、まさか恨まれてはいないですわよね……? 私がダガーの扱いを少し考えていると、出来上がった野菜を型に入れた物をこちらに押し付けてくる。それを端において、今度はダガーさんにも別料理用の生地を練ってもらう。


 そうしていると、やがて骨のスープが十分に煮出された。私は布を重ねた漉し器にそっと鍋の縁に当て、ゆっくりと液体を注ぎ込んでいく。黄金色に近い澄んだ液体が、静かに落ちていく。料理長がその作業をじっと眺めているのが、視界の端に映った。何かを考えている顔で腕を組んだまま、しかし先ほどまでの頑なさとは少し違う、静かな目をしていた。


 漉し終えたゼラチン液を脇に置いてから、私は料理長へと向き直った。


「料理長様。豚のバラ肉の塩漬けはございますか。豚の頬肉の塩漬けがあれば尚良いのですが」


「頬肉はない……が。バラ肉ならある」


「それで十分ですわ。用意していただけますか」


「……おい。持ってきてやれ」


 料理長は短く頷き、傍らの料理人へ指示を飛ばした。その声には先ほどまでの刺々しさが、いくらか薄れていた。


 バラ肉が届くのを待つ間に、私はテリーヌの型の前へ移った。ダガーさんが切り揃えた根菜を、私は色のバランスを見ながら一本一本丁寧に並べていく。橙と白と淡い黄が、型の中で美しい層を作り始めた。並べ終えると、私は冷ましておいたゼラチン液をそっと、崩さないようにゆっくりと流し込んでいく。とろりとした液体が根菜の隙間を埋めながら、型の縁まで静かに満ちていった。


「ダガーさん」


 私が顔を上げると、ダガーさんはすでに型の傍に立っていた。


「言われなくてもわかってる。こうすれば良いんでしょ?」


 次の瞬間、型の表面からじわりと冷気が広がり始めた。ゼラチン液が端から少しずつ固まっていく。均一に、丁寧に。周囲の料理人たちが一斉に動きを止めた。誰かが息を呑む音がした。


 年端もいかない少女が、型の中身だけを精確に冷やしている。熱を持った竈のすぐ傍で、周囲の温度には一切干渉せずに。


「……氷魔法かよ」


 誰かに掠れた呟きが聞こえる。だがダガーさんは何も言わず、ただ静かに作業を続けている。


 その間に私は小鍋を火にかけ、白ワインを少量注いだ。じわりと熱が入るにつれて、青リンゴのような爽やかな香りが立ち上ってくる。そこへ骨のスープを少し加え、静かに混ぜながら煮詰めていく。泡が細かくなり、液体がとろりとした艶を帯び始めた頃、私は火を弱めた。味を確かめると、ワインの酸味とスープの旨みが綺麗に溶け合っている。仕上げに塩をほんのひとつまみ加え、小鍋を脇へ置いた。テリーヌに添えるには十分な仕上がりですわ。


「ん。固まった」


 やがてダガーさんが手を下ろした。私は型に指先でそっと触れ、固まり具合を確かめる。表面はしっかりと冷えて、弾力のある感触が指先に返ってきた。


「ふふっ、完璧ですわ。ダガーさん!」


「……ん」


 私は型を慎重に傾け、まな板の上へと滑り出させた。根菜が美しい断面を見せながら、型から外れる。私はよく研いだ刃を手に取り、断面が崩れないよう力を入れずに切り分けていく。橙と白と淡い黄が、層を描いて皿の上に並んだ。仕上げに白ワインを少し垂らしたソースをそっと添えて、テリーヌが完成した。


「さてと……」


 次はデニッシュを作るとしましょう。私は粉をふった台の上にダガーさんがこねた生地を取り出し、麺棒で薄く伸ばしていく。そこへバターを塗り、折り畳んでは伸ばす作業を繰り返した。層を重ねるたびに、生地がしっとりとした艶を帯びていく。


「料理長様。山角獣のチーズをお願いしたいのですが、熟成の浅いものと、少し固めに熟成させたものはございますか」


 私の発言に料理長が眉を上げた。


「……ある。白角チーズと岩塩熟成チーズだ。それで良いか?」


「ええ、大丈夫ですわ。それからウガスタ産のプラシェハムもお願いできますか」


 料理長が再び傍らの料理人へと指示を出す。その間に私は生地を石窯へ入れ、火加減を整えた。焼き上がりまでしばらく時間がある。私はその隙間を縫うように、料理長へと向き直った。


「ワインはございますか。パーメ産の白いワイン。できれば"山の霧"と呼ばれる、辛口のものがあると嬉しいのですが」


 料理長は一瞬、目を細めた。


「……ある。"パーメの霧白"と呼ばれている銘柄だ。よく知っているな」


「以前、町で飲んだことがあるのです。今回作る料理にはピッタリだと思って」


 私の言葉に料理長は何も返さず、奥へ向かって誰かに指示を出した。しばらくして運ばれてきたボトルを受け取り、私はグラスに少量注いだ。まず鼻を近づけて香りを確かめる。青リンゴと白い花、それからほんのりとした蜜の気配。静かに口に含むと、きりりとした酸味の後に、細い果実味が長く尾を引いた。


「……ええ、これなら十分ですわ」


 私は小さく呟いた。テリーヌの清涼感とも、バター香るデニッシュとも合うでしょう。きっと次に作る料理の濃厚さとも喧嘩しない。グラスをそっと置いてから、私は石窯の様子を一度確かめ、3つ目の料理。


―――カルボナーラの準備へと移った。


 先ほどダガーさんとは別に捏ねておいた生地を薄く伸ばし、細く切り揃えていく。均一な太さに切り出された麺が、まな板の上に並んでいった。それを塩を入れた湯で茹で始めながら、私は並行してフライパンに種油をほんの少し垂らし、バラ肉の塩漬けを並べて中火にかけた。じりじりと脂が溶け出し、肉の端が色づき始める。その頃合いを見計らって、私はパスタの茹で汁を少量すくってフライパンへ加えた。白い泡が立ち、脂と汁が少しずつ乳化していく。


「驚いた。乳化も知っているのか」


「ええ、以前読んだ本に書かれていましたの。やるのは初めてですが、これで問題ないでしょうか?」


「……ああ、完璧だ。初めてにしてはな」


「ふふ、料理長様に褒められたのなら安心ですわね」


 私はそう言いながら、パスタが茹で上がる少し手前で麺をフライパンへと移した。残った汁を吸わせながら、麺を絡めていく。トングで持ち上げると、程よい弾力が返ってくる。


「頃合いですわ」


 私は火を止め、卵黄とできる限り細かく削ったチーズを合わせた液を、フライパンの中へとゆっくり流し込んだ。余熱でゆっくりと全体を混ぜ合わせていく。卵が固まる手前、とろりとした膜がパスタ全体を包んだ瞬間に、私は手を止めて更に盛り付けていく。


「ねえ、クラリスさん。パンが焼けたけど、とっても大丈夫?」


「あら、お願いしてもよろしいですか?」


「わかった」


 ちょうどその頃、石窯からバターの甘い香りが漂い始めていた。ダガーさんは防火手袋をはめてデニッシュを取り出す。表面が薄く色づき、層がふっくらと膨らんでいた。その上に生ハムと二種のチーズを重ね、皿の上に丁寧に盛り付ける。


 これで三皿が、調理台の上に揃った。


「さあ皆様。ご賞味あれ」


 料理長が最初にテリーヌへと手を伸ばして咀嚼する。そして沈黙して、目が静かに見開かれた。


「……なんか料理長の顔」

「ああ……もしかして」


 気が付くと周囲の料理人達が作業を終えて、周りを囲っていた。


 そのなかで料理長は次にカルボナーラを木匙で掬い、口へ運んだ。眉間にわずかに皺が寄る。それが困惑しているのか、それとも何かを考えていか私にはまだ読めない。だが少なくとも、不味いものを食べた表情ではないのは確かですわね。


 そんな事を考えていると、料理長は最後にデニッシュを一口運ぶ。そして料理長はゆっくりと皿を置いた。そして私の方へ向き直る。


「……お前は、何者だ」


 その声には怒気はなかった。ただ純粋な、困惑と驚きが滲んでいた。


「使った材料はうちのものだ。調理法も別段驚くものはない。なのに……」


 料理長が言葉を探している間に、周囲の料理人たちが恐る恐る皿へと手を伸ばし始めた。一人が口にするたびに、調理場に短い沈黙が落ちる。よく見知った素材、近しい調理法。なのにまったく知らない料理になっている。その戸惑いが、顔に正直に出ていた。


 料理長は料理人たちの顔を一人一人確かめてから、私へと視線を戻した。


「技術は本物だ。調理場を使うことに、支障はない」


 それだけ言って、料理長は一歩前へ出た。


「だが、お前が何者かは別の話だ。どこで学んだ。その料理は何だ。ただの修道女が最新の調理器具を使いこなし、あまつさえ俺らですら知らない調理法を知っている」


「……ただの料理好きな修道女見習いですわ」


 私は微笑みを崩さなかった。料理長はしばらく私を見つめ、それから小さく息を吐いた。


「……わかった。ここの調理場の使用を許可しよう」


 その言葉に、レオン様が隣で「え、もう終わり?」という顔をしていた。私は努めて平静を保ちながら、レオン様へ向き直る。


「ありがとうございます。料理長様」


「ブラゴーンだ。アンタの名前は」


「クラリスですわ」


「そうか。クラリス。それでもう一度、何をするために来たのか聞かせろ」


「……プロテインバー。つまり戦闘糧食の件で、作り方を調理場に伝えたいということで伺いました」


 私がそう言うと料理長が一瞬考え込み、こちらへ向き直った。その目に、先ほどまでの警戒とは別の色が灯っていた。


 それは野心と呼ぶべき光。新しいものへの渇望。もっと知りたいという、純粋な料理人の本能だった。その瞳を見た瞬間、私の胸に懐かしさが込み上げてくる。


 ――ああ、公爵家の料理長と、同じ目をしていますわ。


 あの日、私が初めて調理場で一皿を完成させたとき、あの人も同じ目でこちらを見ていた。値踏みでも、警戒でもない。ただ純粋に、この先を見たいという目。


 私は静かに、しかし確かな熱を胸に宿しながら、料理長の視線を真っ直ぐに受け止めた。

面白かったら感想、評価していただけると、今後の作品制作の励みになります!!

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